学位論文要旨



No 216214
著者(漢字) 佐藤,健二
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ケンジ
標題(和) 柳田国男における歴史社会学の方法
標題(洋)
報告番号 216214
報告番号 乙16214
学位授与日 2005.03.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 第16214号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 教授 上野,千鶴子
 東京大学 教授 島薗,進
 総合文化研究科 教授 内田,隆三
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、「柳田国男」が模索した文化研究の特質を、歴史社会学の方法という観点から分析し、その可能性を再構成したものである。日本民俗学の建設者として知られる柳田国男は、有賀喜左衛門や鈴木栄太郎、喜多野清一などを通じて、村落調査など社会学の経験的調査研究の誕生に影響力を及ぼした事実や、日本文化研究あるいは「民族的なるもの」への先駆的な研究を行ったことが、社会学でも言及される。しかしながら、社会学の理論研究や方法論の領域において、その研究の意義が明確な位置づけを得てきたとはいいがたい。理由の一つを構成しているのが、彼の著作の膨大さである。1960年代からごく最近にいたるまで、柳田国男の思想を学ぼうとする研究者にとって基礎テクストとして利用されたのは『定本柳田国男集』(全36巻)である。収録されている研究の領域はじつに幅広く、農政学、農業経済、村落研究、都市論、国語論、文学史、昔話、方言、宗教学、家族論、民家研究、生活技術、世相論、風景論等々に及ぶ。しかしながら、かえってその関心領域の幅広さと残された著作の膨大さゆえに、評価はそれぞれの研究者の既存のディシプリンに囲いこまれ、また個別的断片的な利用に分断され、この歴史社会学者の達成を貫く方法の可能性は明確化されないままの状態にとどめられてきたといわざるをえない。本論文では、既存の柳田評価のいわば「下部構造」となってきた『定本』のテクスト空間を、徹底的に再検討し、テクストの総体のなかで根本的に組み直すことを通じて、その民間伝承論がもっていた〈書かれたもの〉の権力の上に築かれた歴史認識に対する批判力を発掘し、社会史すなわち歴史社会学の可能性を開いた方法を明らかにする。その作業はまた、今日の社会学的な解読実践のなかにも潜みうる〈自文化中心主義〉と〈現在中心主義〉とを相対化する契機となりうるものである。

 本論文を通じて、著者が主張した主要な論点を要約すれば、以下のようにまとめることができる。第一に、年表的な意味で現在と区別された過去の社会を研究対象とする社会学研究が、すべてここで論じている意味での、方法性を有する歴史社会学ではない。文化研究を「歴史社会学」として評価する規準として、(1)歴史遡及の現在性の自覚、(2)比較を通じた自覚的な脱領域性、(3)研究主体の立場性や研究実践の特権性への問いの三つを挙げ、異文化研究としての性格を明らかにした。第1の規準は、構築主義として論じられる方法的立場と深く共鳴していくと同時に、「史心」の育成や「郷土研究」の必要という柳田の論点とも結びついている。また第2の規準では、その比較の方法が単純な周圏論の評価などに止まらず人類学のフィールドワークにつながり、旅=交通の力にまで及ぶ「史力」の育成でもあることを示し、また第3の規準が「社会学の社会学」という自己省察の自己言及と呼応していることが、多様な角度から述べられる。そのような意味において、まず柳田国男の研究は歴史社会学たりうるものであった。

 第二に、既存の評価の暗黙の前提にすえられていた農政学/文学/民俗学の分断を、テクスト内在的に批判している。農政学の挫折すなわち民俗学の誕生という図式の誤りは、初期農政学の著作のなかにあらわれる主体概念の設定や、コミュニケーション形式の重視、『郷土研究』期における「ルーラル・エコノミー」批判などから明らかにすることができる。この分断・変容の図式はまた、農政学期の経済学的な批判のラディカリズムに対して、文化研究における「民族」概念の保守性への後退をことさらに強調する。しかし柳田の著作の出発点に、産業組合の結成の実務にかかわるハウツー書があったことの意味や、『時代ト農政』という著作がすべて講演体に書き直されていること及び初期著作のほとんどが通信教育のテクストであった事実などを重ね合わせて、後の『国語の将来』や方言研究批判のアクチュアリティを位置づける必要がある。むしろ日本における文化の不均等発展批判や分権論的思考の連続において民俗学誕生の意義をとらえる方が整合的である。

 このことは第三に、いわゆる「民俗学」や「郷土研究」の現代的な受け止めかたの批判的再検討ともつながっている。植民地主義批判の興隆とともに、民間伝承への研究的な取り組みを、あらかじめ失われていた「日本的なるもの」の連続性と国民への統合を捏造したという断定において批判する評論が盛んになった。人類学における"Writing Culture"以降の方法論的内省とも関係しつつ、「民俗学の政治性」論のようなイデオロギー批判はさらに記述の実践そのものの政治的効果を鋭く問うところへと進出し、既存の歴史認識に対抗しようとしてきた調査戦略そのものを、権力作用として批判する論理が輸入されはじめている。すなわち、「いくつもの日本」に向けて多義性を追究したはずの民俗学が、じつは共通性探しの「一国民俗学」でしかなかったという物語が前景にクローズアップされ、「国民国家」の啓蒙のプロジェクトにすぎなかったという批判的言説の一つの型式が確立していく。しかし、これらの言説批判は、それぞれの研究実践を審査する規準ともなるであろう郷土研究の理念が、(1)歴史の私有囲いこみに対立し抵抗する共有の実践として、それぞれの主体の資料批判力にわりあてられているというメカニズムをとらえておらず、また(2)資料や観察における批判力の共有を、雑誌というメディアの広場への参加を通じて構築しようとした理想を見落としている。柳田の研究を学問運動としてとらえる視角が弱いのである。

 第四に、以上のような柳田国男の可能性の読み直しをさらに図式化すれば、〈伝承/常民モデル〉から〈テクスト/読者モデル〉へのパラダイム転換を論ずることになる。この論点はまた、メディア論の積極的な導入でもある。メディア概念の応用は、しばしばそのメディアが運び伝える情報の「内容」でのみとらえられ、メディアそれ自体の社会的形態、すなわちテクノロジーの「形式」としてはほとんど論じられてこなかった。「柳田国男」の思想と方法の理解でも、メディアとしての書物の果たした役割は、あまり重要には思われていない。しかし、その方法の形成にとって、書物という「書かれたもの」で「複製されたもの」がつくりあげた知の形式と、読書の身体的な経験とは、まちがいなく本質的なものであることを、その回想や著作のなかに現れる論述から明らかにした。(1)書かれたものの集積のもつ意味、(2)引用の網の目の発見と伝承へのまなざし、(3)索引というテクノロジーへの注目、(4)声の発見、(5)権力によって書かれたものの考察、(6)書物のもつ政治力の自覚などの論点は、〈テクスト/読者モデル〉を採用することで、より明確化するだろう。すなわち柳田国男が構想した新しい学問は、写本や刊本を核に習俗や身ぶりにまで拡がる〈書きこまれたもの〉の蓄積がもつ装置性と、そのなかを生きる読者という主体性とが作り上げる「読書空間」の考察において、より明晰に把握することができるのである。

 第五に、民俗学と文学とをつなぐ新語論の戦略的な位置づけもまた、本論文がはじめて柳田国男の解釈につけくわえた視角である。「伝達」の手段=媒体としてだけでなく「思考」の手段=媒体としても重要な「ことば」への深い関心は、柳田の学問的営為の中心に置かれたもので、一方における国語すなわち近代日本語批判と新語論の重視は、歴史社会学の方法にかかわる重要な論点である。名詞形の増加と固有の動詞・形容詞の不足にみられるような言語蓄積の変容と、総動員型のコミュニケーションにおける身体感覚との抑圧とを、柳田は近代日本語批判において関連づけていく。と同時に、新語の新しさがそれを聞いて楽しむ集団の承認に依存し、「新語不発生の事実」を文化の中央集権に結びつけて批判する読解、さらにはことば以前の「泣く」行為を満たしている身体感覚に解読を深めていくプロセスは、柳田の方法的な立場が失われた古きをたずねるタイプの民俗学ではなく、現在する「問題」を規定している制度や条件の布置を、時間的重層の厚みにおいて問う歴史社会学であることを物語っている。

 第六に、印刷物が生み出した近代読書空間の拡大として柳田国男の方法の核をとらえる本論文の基本的な姿勢は、社会学方法論の領域における資料空間構築の重要性という歴史社会学の方法のもう一つの側面と密接に結びついている。われわれが「社会」と呼んでいる空間それ自体がテクストの織物である。社会それ自体が、記録媒体の集積であって、たとえば土地に、道に、住居に、墓所に、風景に、災害に、事件現場に、関係的存在としての人間の実践の痕跡が記録されている。身体もまた、重要な記憶媒体である。そしていうまでもなく、ドキュメント(文書)も、書物も、写真も、新聞も、統計も、社会という記録媒体の組織的な一部分である。その意味では、「資料空間」の外延はわれわれが生きている社会の縁と重なる。そこに刻まれたテクストもまた、あるいはかすれ、重ね書きされていて読みにくく、古文書を読む経験を蓄積し共有してきた歴史学と同じような資料学へと向かう想像力と考証力とが必要になる。そして「読書空間」における「読者の批判力」のありようは、「資料空間」にわける「リテラシー」の位相と対応している。その問題を「柳田国男」というテクストの集積それ自体の再編成と新しい解釈の生産との関係としてとらえなおしたのが、新しい全集の編集方針の立ち上げをめぐる考察である。ここで論じられている時系列配列の意味や、テクスト概念の拡大、テクストの形式分類の意義、著者概念への疑い等々は、文献学的な主題である以上に、社会学的な資料批判の課題であることが明らかにされている。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、社会学に歴史性の復権を試みる佐藤氏が、柳田国男の著作論考を素材に、構築される〈歴史社会学〉の研究主体に求められるべき方法態度を明らかにし、そのための方法的課題として「資料空間」の構築という方法作業の重要性を明らかにしたものである。

 第1章は、〈歴史社会学〉という枠組みで、柳田国男を対象とする問題意識の基本構成が述べられる。社会学の理論図式の歴史領域への応用であるとする、固定的で社会学中心主義的な見方とは距離をとり、問題意識の現在性、比較の脱領域性、研究主体の社会的・歴史的位置に対する自己反省性、という3点を方法的特質として重視し、そこから柳田国男の「郷土研究」や「民俗学」がもつ批判力を再評価している。

 第2章では、柳田の方法意識の特質と日本における「近代」との関係を論じ、漢字とかなの差異、公的な標準語と日常語との落差など、日本近代の言語空間形成の歴史的特異性から、言語化されず周辺部として残されている民衆の日常生活こそが柳田のフィールドとして把握され、また実験的な作品としての『明治大正史世相篇』の分析解釈では、「記述」自体の積極的な役割が論じられている。

 第3章では、〈伝承/常民モデル〉から〈テクスト/読者モデル〉への〈パラダイム転換〉を試み、従来の柳田の解釈の読み直しを論じている。柳田の国語政策に対する批判や、注目されなかった柳田の「新語論」に焦点に据え、従来の「農政学/民俗学」の断絶論的考え方や、「昔話研究/世間話研究」の分離論を批判し、柳田の研究に新たな解釈を行う。これは第4章で論じられる資料空間の再編成の作業を、佐藤氏自身が行った成果の1つとして評価されるべきであろう。

 第4章は、その全体が結論の章である。印刷され共有されたテクストと近代的な読者が作りあげる「読書空間」の考えかたを発展させ、「資料空間」すなわち「リレーショナル・データベースの構築」の社会学における戦略性について述べる。彼の「常民」概念を、身体を有する読者の主体性ととらえると同時に、テクストそのものの社会的位置を測定する作業の重要性を論じる。この論文でいう「リレーショナル・データベース」とは、一次元的で機械的網羅的なデータ集成ではなく、資料として切り取られたものの社会的な存在形態の特質を写し出すような多次元的な構造を有し、利用する主体に新しい見方を提供するものとして構想されている。「書かれたものの権力」、すなわち書かれた資料が社会的に存在しているという事実そのものが、歴史の構築に深く作用することを指摘し、オルターナティブの構想を可能にするものとして、柳田国男全集の編集をめぐる論点が取り上げられている。

 このように本論文は、柳田を社会学の理論や方法論の領域でどのように取り扱うか、を素材にしながら、社会学の「歴史性」に関して求められる方法態度に変革を迫る野心的な論文である。難点を指摘すれば、佐藤氏の〈歴史社会学〉という枠組みの完成には、「資料空間」のもつ媒介的役割の意義のより一層の説明が必要であろう。また記述上、テクストとしての柳田国男の再解釈と、方法態度としての「歴史社会学」の主張、研究者である佐藤健二自身との三項関係が今ひとつわかりにくいという指摘もあった。

 しかし『定本柳田国男集』から『柳田国男全集』への編集方針の変更に自ら積極的に関わり、柳田の著作のテクスト空間を徹底的に再検討する方法態度としての〈歴史社会学〉を掲げ、従来の柳田研究に新領域を開拓したばかりでなく、社会学それ自身の「歴史性」に関する方法的な提案を行った努力と貢献は大きい。

 したがってこの研究は学界に大きく貢献するものと評価されよう。よって本審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位に相当すると判断する。

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