学位論文要旨



No 216215
著者(漢字) 丹羽,洋智
著者(英字)
著者(カナ) ニワ,ヒロサト
標題(和) 魚群の動力学および統計的性質に関する研究
標題(洋) Dynamics and Statistics of Fish Schools
報告番号 216215
報告番号 乙16215
学位授与日 2005.03.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16215号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 白木原,国雄
 東京大学 助教授 山川,卓
 横浜国立大学 教授 松田,裕之
 東京海洋大学 教授 山崎,秀勝
内容要旨 要旨を表示する

 マイワシなど集群性浮魚類の整然と同調した集団行動は人々の興味と関心を集めてきた。魚群運動に関する物理学的解析方法の有効性は、1929年に始まる田内森三郎の一連の水槽実験で示された。そして、1970年代に行なわれるようになった計算機実験は、魚群の"力学"的描像を確立した。1990年代以降、コンピュータの高速・高性能化、および、新たな理論的手法の適用により、 群れの行動生態現象の研究は新たな段階を迎えている。海の中の実際の魚群は極めて大きく、例えば、北海道の東沖合を索餌回遊するマイワシの群れは100万尾の構成魚、100mという広がりを持つものが観測されている。現在、こうした魚群の観測データに基づき、実海域の現実的な規模の群れを定量的数値的に記述する手法の開発が求められている。

 本研究は、集群性浮魚類を念頭に、数理・数値的手法により魚群および魚群系のダイナミクスを解析することによって、魚群の構成尾数との関係においてその動的・統計的性質、すなわち、"スケーリング"関係を解明することを目的とする。そして、スケーリングの概念の水産資源学分野における重要性を議論し、資源量推定などへの適用に向けた検討を行なった。

1. 魚群形成のアルゴリズム

 魚の巡航速度を仮定した流体力学・代謝生理学的な観点から、魚の運動方程式を導いた。これに、魚同士が互いに寄り集まろうとする性質と遊泳速度を揃え整列しようとする性質を、群れの観測データと矛盾ない形で、個体間相互作用として組み込み、魚群方程式を定式化した。これにより、リーダー不在の群れ形成、自己組織化を物理学における相転移現象のアナロジーとして説明した。 構成要素である魚たちの間の局所的な相互作用が群れ全体の大域的な秩序を生み出し、それがまたそれぞれの魚の相互作用の仕方に反映される、という階層的な秩序化の仕組みを明らかにした。魚群形成つまり秩序化の時間発展は、時間変数のスケール変換により、魚種、群れサイズあるいは環境条件に依存しない普遍的な関数形、スケーリング関数で与えられることを示した。魚群の相転移ダイナミクスは、実験データをスケーリング関数に当てはめた時、良い一致を見た。

 この魚群方程式から、三次元空間内の魚群の幾何的な構造を解析すると、魚群の平均半径は構成尾数の平方根に統計的に比例することが示される。これは、魚群の断面積が構成尾数におよそ比例するという、観測結果と一致する。

2. 海洋における回遊のモデル

 海洋環境に非一様性が認められる空間スケールにおける魚群行動を考える。このとき魚群間相互作用は無視する。海水温に基づき魚群は回遊すると仮定する。感覚生理学によると魚類がこのような空間スケールの海水温の水平勾配を局所的に直接認識することは不可能であり、回遊を実現するためには、遊泳経路に従い各点の海水温を非局所的に比較し、好適な環境を見つけ出していると考えられる。水温情報は魚体の熱慣性により回遊経路に依存して記憶されると仮定し、水温変化への反応行動は"klinokinesis"として魚群方程式に組み込み、魚群の回遊ダイナミクスを移流-拡散方程式として導出した。

 回遊を魚群の拡散現象と見たときの拡散係数と群れの構成尾数との間に比例関係のあることが理論解析から示される。これは、魚が群れを形成することにより回遊範囲を広げる効果をもたらす。また、環境勾配に従って回遊しようとする移流項の大きさも群れサイズに比例する。これは、群れが生存環境の良好な分布域の中心部への濃集効果を持つことを意味する。これらの効果は零次近似では打ち消されるが、高次の効果が残り、一次近似の範囲で、群れは回遊魚の分布域を広げる機能を果たし、分布域の周辺部に発見される群れは、中心部に比べ巨大であることが期待される。回遊性浮魚類が多く集群性を持つことは、捕食回避の効果とともに、群れが海洋環境の探索範囲を広くする機能を果たしていることにあると考えられ、環境条件のローカル・ベストに落ち込むことなく、広範囲の回遊を実現することに役立っている。

3. 魚群サイズ統計

 群れの合併・分裂など魚群間相互作用に関わる魚群系のサイズ分散性について、近年、大きな進展があった。1995年、ベキ乗則に従う魚群サイズ分布の可能性が、物理学者Bonabeauと水産学者Dagornによって報告された。以降、このベキ乗則分布は浮魚類において一般的に認められることがわかった。

 魚群サイズのベキ乗則分布は、ポピュレーションサイズの有限性のため、必然的にカットオフが存在し、実際のデータをベキ乗関数に当てはめた場合、このカットオフが影響し、正しいベキ指数の推定は難しい。この指数を実験データから"正しく"推定するために、有限サイズ・スケーリングの方法を適用した。その結果、指数は'−1'であることを確認し、ベキ乗則分布のカットオフ・サイズは魚群のヒストグラム・データから簡単な計算で求まることがわかった。

 次に、群れの合併・分裂をモンテカルロ法で扱う数値モデルを開発し、観測データを定量的にシミュレーションできることを示した。ここでは、一様な海洋環境を仮定した。ベキ乗則の指数'−1'は魚群系のシミュレーションによっても支持された。また、このシミュレーションから、魚群サイズのベキ乗則分布のカットオフ・サイズ 〈N 〉P と現存資源量Xとの間に比例関係があることを明らかにした:

この関係は、水産資源学で仮定される、CPUEと資源量との間の比例関係に類似している。さらに、魚群系のダイナミクスを確率微分方程式によって定式化することによって、魚群サイズ分布のスケーリング関数を導き、そのベキ指数が'-1'であることを理論的に示した。

 次に、非一様な海洋環境で魚群系のサイズ分散性を考える。分布域の周辺部では、中心部に比べ生存環境は劣悪であるので、魚のポピュレーション密度は低く、したがって、小型の群れが多く発見されることが、魚群サイズ統計から推測される。ところが、この予想は、魚群の回遊ダイナミクスが予想するものと合い矛盾する。実際のデータは、非一様な海洋環境下に分布している魚群を計測したものである。それにも関わらず、魚群サイズのヒストグラム・データが、カットオフ・サイズに関するスケール変換により、全てただ一つの曲線、つまり、スケーリング関数の上に明瞭にプロットされること (data collapse) は、分布域の周辺部でも中心部でも、環境条件によらず、魚群系は同一のサイズ分散性、つまり、同一のカットオフ・サイズを持つことを示唆している。魚群系のサイズ分散性のこのパズルを解くためには、非一様な海洋環境を仮定し、魚群間相互作用を組み込んだ回遊ダイナミクスのシミュレーションが望まれる。

4. 魚群の幾何学

 魚群探知機などを用いた集群性浮魚類の音響学的計測からは、魚群の垂直的な厚さや断面積など、幾何学的寸法データが得られる。構成尾数がNで平均の幾何学的寸法がR (m) の魚群には

のスケーリング関係が統計的に成り立つことが、実験により示されている。ここでは、指数'-1'の魚群サイズ (biomass) のベキ乗則分布を仮定し、この分布則に最も良く当てはまる、群れの"寸法から尾数へ"のデータ変換を与えるスケーリング指数νの値を考える。マイワシ魚群のサイズ・ヒストグラム・データから、ν=0.6が導かれた。この精密に決定されたスケーリング指数は、魚群方程式において、個体の接近に伴う斥力相互作用 (排除体積効果)を仮定することによって理論的に導くことができる。

5. 水産資源学分野における応用

 本研究では、魚群の行動生態をスケーリングの概念を中心に、個体〜群れレベル (群れ形成)、群れ〜個体群レベル (サイズ分散性)、および、大きな時空間における現象 (回遊) に関して議論した。これらの研究成果は、水産資源学分野に応用されたとき、新たな知見や個体群動力学解析と相補する解析手法をもたらすものと考えられる。

 集群性浮魚類を対象とする旋網漁の漁獲能率と資源量との間にベキ乗則的な関数関係が報告されている。これはCPUEと資源量との間の関係を非線形に歪め、漁獲量から資源量を推定することを困難とする。また、漁業経済モデルあるいは漁業管理は一般に Catch equation を仮定している。従って、この漁獲能率と資源量との間のスケーリング関係を魚群サイズ統計に基づき解明することは、現実的な意義がある。

 魚群サイズ分布の普遍的な関数形が求められたこと、ベキ乗則分布のカットオフ・サイズと現有資源量との比例関係が明らかになったことにより、このスケーリング関数を回帰モデルとして、魚群サイズのヒストグラム・データの当てはめを行なうことにより、現存資源量推定値の精度を評価することができる。あるいは、現実のサイズ分散性をシミュレートしたコンピュータ上の魚群系で、資源現存量のランダム・サンプリング調査のシミュレーションを行なうことにより、資源量の信頼区間が推定できる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、集群性浮魚類を念頭に、数理・数値的手法により魚群および魚群系のダイナミクスを解析することによって、魚群の構成尾数との関係においてその動的・統計的性質、すなわち、"スケーリング"関係を解明することを目的とする。そして、スケーリングの概念の水産資源学分野における重要性を議論し、資源量推定などへの適用に向けた検討を行なった。

1. 魚群形成のアルゴリズム

 魚の巡航速度を仮定した流体力学・代謝生理学的な観点から、魚の運動方程式を導いた。これに、魚同士が互いに寄り集まろうとする性質と遊泳速度を揃え整列しようとする性質を、群れの観測データと矛盾ない形で、個体間相互作用として組み込み、魚群方程式を定式化した。これにより、リーダー不在の群れ形成、自己組織化を物理学における相転移現象のアナロジーとして説明した。 構成要素である魚たちの間の局所的な相互作用が群れ全体の大域的な秩序を生み出し、それがまたそれぞれの魚の相互作用の仕方に反映される、という階層的な秩序化の仕組みを明らかにした。

2. 海洋における回遊のモデル

回遊を実現するためには、遊泳経路に従い各点の海水温を非局所的に比較し、好適な環境を見つけ出していると考えられる。水温情報は魚体の熱慣性により回遊経路に依存して記憶されると仮定し、水温変化への反応行動は"klinokinesis"として魚群方程式に組み込み、魚群の回遊ダイナミクスを移流-拡散方程式として導出した。

 回遊を魚群の拡散現象と見たときの拡散係数と群れの構成尾数との間に比例関係のあることが理論解析から示される。これは、魚が群れを形成することにより回遊範囲を広げる効果をもたらす。また、環境勾配に従って回遊しようとする移流項の大きさも群れサイズに比例する。これは、群れが生存環境の良好な分布域の中心部への濃集効果を持つことを意味する。回遊性浮魚類が多く集群性を持つことは、捕食回避の効果とともに、群れが海洋環境の探索範囲を広くする機能を果たしていることにあると考えられる。

3. 魚群サイズ統計

 魚群サイズのベキ乗則分布は、ポピュレーションサイズの有限性のため、必然的にカットオフが存在し、実際のデータをベキ乗関数に当てはめた場合、このカットオフが影響し、正しいベキ指数の推定は難しい。この指数を実験データから"正しく"推定するために、有限サイズ・スケーリングの方法を適用した。その結果、指数は'-1'であることを確認し、ベキ乗則分布のカットオフ・サイズは魚群のヒストグラム・データから簡単な計算で求まることがわかった。

次に、群れの合併・分裂をモンテカルロ法で扱う数値モデルを開発し、観測データを定量的にシミュレーションできることを示した。ここでは、一様な海洋環境を仮定した。ベキ乗則の指数'-1'は魚群系のシミュレーションによっても支持された。また、このシミュレーションから、魚群サイズのベキ乗則分布のカットオフ・サイズ 〈N 〉P と現存資源量Xとの間に比例関係があることを明らかにした:

4. 魚群の幾何学

 指数 '-1'の魚群サイズ (biomass) のベキ乗則分布を仮定し、この分布則に最も良く当てはまる、群れの"寸法から尾数へ"のデータ変換を与えるスケーリング指数νの値を考える。マイワシ魚群のサイズ・ヒストグラム・データから、ν=0.6が導かれた。この精密に決定されたスケーリング指数は、魚群方程式において、個体の接近に伴う斥力相互作用 (排除体積効果)を仮定することによって理論的に導くことができる。

5. 水産資源学分野における応用

 魚群サイズ分布の普遍的な関数形が求められたこと、ベキ乗則分布のカットオフ・サイズと現有資源量との比例関係が明らかになったことにより、このスケーリング関数を回帰モデルとして、魚群サイズのヒストグラム・データの当てはめを行なうことにより、現存資源量推定値の精度を評価することができる。あるいは、現実のサイズ分散性をシミュレートしたコンピュータ上の魚群系で、資源現存量のランダム・サンプリング調査のシミュレーションを行なうことにより、資源量の信頼区間が推定できる。

 以上、本論文では、魚群の行動生態をスケーリングの概念を中心に、個体-群れレベル (群れ形成)、群れ-個体群レベル (サイズ分散性)、および、大きな時空間 (回遊) における現象を理論的に解明した。これらの研究成果は、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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