学位論文要旨



No 216216
著者(漢字) 八木,洋憲
著者(英字)
著者(カナ) ヤギ,ヒロノリ
標題(和) 期待所得土地分級の研究 : 農地の空間的配置を考慮した規範分析による接近
標題(洋)
報告番号 216216
報告番号 乙16216
学位授与日 2005.03.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16216号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 本間,正義
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 中嶋,博康
 東京大学 助教授 木南,章
内容要旨 要旨を表示する

 今日,農産物市場の国際競争下において,従来の水田利用を中心とした土地利用の転換問題,農業の担い手不足に伴う農地の荒廃問題が引き起こされている.こうした中,農業経営の担い手は,急峻な地形と農地分散という土地条件の制約のもとで,さまざまな経営戦略を展開しつつ,国際競争力を高めようと奮闘している.その一方で,多面的機能への関心の拡大,食料自給率の維持といった,短期的な生産性の向上以外の目的への配慮も必要とされている.

 現行の農村土地利用制度は,多くの問題を抱えているが,こうした中で,都市近郊地域においては,自治体が土地利用調整条例を制定し,市街化調整区域の線引き以上に詳細な土地利用を策定する動きが注目されている.また,中山間地域では直接支払制度の導入により,保全すべき農地の明確化が求められている.ことさら,集落レベル,圃場レベルといった詳細な土地利用計画への対応の必要性は極めて高いといえる.

今日,詳細な土地利用計画を策定する際には,住民の計画策定への参画が重視される.そうした場面では,多様な意向やアイデアが示されるとともに,政策や土地利用転換が与える影響についての客観的な情報の提示が常に求められる.本論で扱う「土地分級」とは,土地利用計画の際の判断基準として,「土地に対して何らかの優劣をつける方法」を指し,これまでの蓄積は相当に厚い.しかしながら,住民参加の場面で,既往の土地分級論の蓄積が活かされるケースはむしろまれであるといってよい.それは,一つには,膨大かつ多岐に渡る関連研究の整理が十分に行われていないためでもある.

 本論では,農村における詳細な土地利用計画の策定に資するための土地分級論を展開する.その方法論においては,とくに,農業経営学に課せられた使命として,農地の生産力を集落や圃場といった詳細な単位で捉えることに起点を置く必要がある.また,土地利用計画の一般的な目的は,将来の社会経済情勢変化を踏まえた上で,土地を最適に利用し,同一土地利用内部の集積の利益を発揮させ,異種土地利用との間の外部不経済を可能な限り低減することにある.従って,土地の最適利用,集積の利益,外部不経済といった要因を考慮して,十分な科学的根拠を与えるとともに,与件の操作性や結果の再現性を備えさせることにより,住民とのフィードバックの繰り返しの可能性をも担保しうる方法の提示を目指すものとする.

 以上の研究目的のもと,第1章では,本論で採用されるべき土地分級論の方法論を提示するために,既往研究の整理を行った.土地分級それ自体を意識していなくとも,参考とすべき既往研究は多い.そこで,(1)点数づけによる分級基準を合理的に算出するための「土地分級論」,(2)実証分析による土地利用モデル,(3)規範分析による土地利用配分の導出「地域農業計画論」,(4)期待所得土地分級論における要素論の順に整理した.とりわけ,本論では,土地単位内の土地生産性,労働生産性はもとより,土地単位間に生じる集積の利益,外部不経済を分析の対象と含めることを重視するものとし,既往の蓄積の特長から学びつつ,都市地域,平坦地域,中山間地域のそれぞれにおいて,期待所得土地分級を展開するものとした.

 第2章では.生産緑地の区画単位の期待所得土地分級を試みた.都市部の農地では,住宅地に隣接する農地での日照被害をはじめとして,都市的土地利用から被る外部不経済の抑制がゾーニング上の大きな課題となる.また,近年広範に見られる,地域住民への直売を販売の中心とした営農類型についても分析に含める必要がある.そこで,東京都K市を事例として,線形計画法を用いて,隣接する都市的土地利用から被る外部不経済や移動効率を加味したモデルを構築し,区画の狭小性や,圃場分散,宅地との隣接がどれだけ地域の農業所得に影響を与えるかを推計した.

 第3章では,都市近郊における,農業的土地利用と非農業土地利用との間の外部不経済について,その把握と発生予測を行った.茨城県Y市において,まず,農家アンケートおよび地域住民アンケート,さらに担い手農業経営調査を通じて,農地,住宅地,耕作放棄地がそれぞれ隣接している場合に,いかなる問題が生じるかを定性的に把握した.その上で,ロジスティックモデルにより,どの程度の耕作放棄地率,ないし農-住混在の進行により,外部不経済の受け手側が,顕著にそれを感じるようになるかを推計した.その結果,想定していた多くの項目について,土地利用の混在の進行が,外部不経済の増大に結びつくことが確認された.また,農業経営の規模や地域住民の属性差と,外部不経済への敏感さとの関係について示すことが出来た.

 第4章では,水田土地利用が卓越する都市近郊平坦地における期待所得地区分級を行った.埼玉県北部を対象に,まず,アンケート調査により都市化による水稲収量の減収や作業効率の低下状況を把握した.その上で,整変数を導入した線形計画モデルにより,水利施設の維持管理費用を考慮した地区分級モデルを構築し,推計を行っている.その結果,水利施設の短期的,長期的な維持管理費用負担がもたらす地域農業所得への影響を示すとともに,地域の土地利用決定の際に,水利施設の維持管理を考慮に入れることの経済的意義を提示することができた.すなわち,地区個別の土地生産性のみを考慮した土地利用決定を行うケースでは,地域の水田面積が減少すると,維持管理負担が過大となり,所得の確保が困難となるのに対し,水利施設の長期的維持管理を視野に入れた土地利用決定を行うケースでは,水田利用転換と水利施設利用転換との意思決定を連携させることにより,長期的に見てより効率的な水田利用が可能となることが示された.

 第5章では,中山間地域における圃場区画単位の期待所得分級を行った.島根県O市の山間部の集落を対象として選定し,まず,調査票の留置きによる収量調査により区画単位の土地生産性を推計し,タイムスタディを通じて区画単位の労働生産性を推計した.その上で,団地単位の移動効率や水利施設の維持管理コスト,耕作放棄による外部不経済の影響を加味した線形計画モデルを構築し,集落の農業所得を最大化する土地利用図を導出した.その結果,区画個別の土地生産性だけを考慮すると,モザイク状の計画案となってしまうのに対し,本論の土地分級結果では,よりまとまった農地を残す方針が提示された.また,比較的優良な農地が所有者の個別の事由により耕作放棄された場合の影響や,生産性の低い棚田を保全した場合の集落農業所得への影響についても示すことができた.

 第5章補論では,農業地域別の統計データを用いて,圃場条件,通作条件の差が,中山間地域の大規模水田経営の所得に与える影響について分析した.その結果,中山間地域における20haクラスの水田経営の成立ポテンシャルを示すことができた.直接支払いの実施は,近隣の10a程度の狭小区画を経済的に選好させるだけのインセンティブはもたらさないが,傾斜地での作付を触発し,夏期の草刈り労働の上限までの使用をもたらす結果が予想された.以上の試みは,集落別データを用いて,具体的な市町村を対象とした地区分級モデルを実施する可能性についても道を開くものである.

本論では,数理計画法を中心とした規範モデルによる分析を行った.規範モデル自体が持つ問題点については,第1章で指摘したとおり,その検証の困難性にある.しかしながら,限界を承知した上で,適切に利用すれば強力な分析ツールとなりうる.

以上の結果をもとに,さらなる研究展開の必要性を挙げるとすれば,ひとつには,多様な主体の考慮の必要性が指摘できる.現実に存在する全ての個々人の行動をモデルに織り込むことは困難であるが,少なくとも複数の異なる主体属性の考慮は必要となろう.また,土地利用についても,農村に存在する多様な土地利用種を考慮に入れていくことが必要となろう.

 実証研究との更なる連携を図ることも重要である.とりわけ,土地分級論に関わる要素論の節において挙げた,土地単位の生産性や,外部不経済,移動効率といった要因について,実証データを蓄積していく努力が今後とも重要である.また,規範モデルにおいて取り込む土地の属性についても,実証研究において,地域農業に与える影響を十分に吟味していく必要がある.規範モデルで導出された予測値についても,実証モデルによる推計結果と比較し,検証を行っていくことが必要であろう.

 法令,条例で実施される多様な土地利用計画のための計画手法,あるいは事前の政策評価手法としての応用も重要であろう.土地利用規制,環境政策,担い手政策などの各場面に応じて,いかなる改良が必要であるか,その要件を検討していく必要がある.

 ことさら,住民参加の場面で活用するには,住民の主体的な活動が,どのように成果に結びつくかを明確に示せる操作性が要求される.さらに,リアルタイムでの結果の表示や,双方向のインターフェイスなどの開発も必要となってくるだろう.近年では,住民参加の場面におけるファシリテーターの役割が注目され,研究者の参加もしばしば見られるが,土地利用計画論の専門家として,インスピレーションや勘に頼らない貢献が必要と考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、農村における土地利用計画の策定に資する土地分級の方法を、農地ごとに期待される所得に着目して実証的に研究したものである。土地利用計画の一般的な目的は、将来の社会経済情勢変化を踏まえた上で、土地を最適に利用し、同一土地利用内部の集積の利益を発揮させ、異種土地利用との間の外部不経済を可能な限り低減することにある。従って、土地分級も土地の最適利用、集積の利益、外部不経済といった要因を考慮して、その方法に十分な科学的根拠を与えるとともに、与件の操作性や結果の再現性を備えることにより、住民とのフィードバックをも担保しうる方法の開発を目指す必要がある。

 まず第1章では、土地分級の方法論を提示するために既往研究の整理を行い、(1)点数づけによって分級基準を合理的に算出する「土地分級論」、(2)実証分析による土地利用モデル、(3)規範分析による土地利用配分を導出する「地域農業計画論」、(4)期待所得土地分級論における要素論について、それぞれの意義と課題について明らかにした。その中で、本論では土地単位内の土地生産性、労働生産性はもとより、土地単位間に生じる集積の利益、外部不経済を分析の対象に含めることのできる、期待所得土地分級の方法による土地分級論の必要性を明らかにしている。

 第2章では、生産緑地の区画単位の期待所得土地分級の方法に取り組んでいる。都市部の農地では、住宅地に隣接する農地での日照被害をはじめとして、都市的土地利用から被る外部不経済の抑制がゾーニング上の大きな課題となる。また、近年広範に見られる地域住民への直売を中心とした営農類型についても分析に含める必要がある。そこで、東京都K市を事例として、線形計画法を用いて、隣接する都市的土地利用から被る外部不経済や移動効率を加味したモデルを構築し、区画の狭小性や、圃場分散、宅地との隣接がどれだけ地域の農業所得に影響を与えるかを推計している。

 第3章では、都市近郊における、農業的土地利用と非農業土地利用との間の外部不経済について、その把握と発生予測を行っている。まず茨城県Y市において、農家アンケートおよび地域住民アンケート、さらに担い手への農業経営調査を通じて、農地、住宅地、耕作放棄地がそれぞれ隣接している場合にいかなる問題が生じるかを定性的に把握し、その上で、ロジスティックモデルにより、どの程度の耕作放棄地率、ないし農-住混在の進行により、外部不経済の受け手側が、顕著にそれを感じるようになるかを推計している。その結果、想定していた多くの項目について、土地利用の混在の進行が、外部不経済の増大に結びつくことが確認された。また、農業経営の規模や地域住民の属性差と、外部不経済への敏感さとの関係が明らかにされている。

 第4章では、水田土地利用が卓越する都市近郊平坦地における期待所得地区分級を行っている。まず埼玉県北部を対象に、都市化による水稲収量の減収や作業効率の低下状況を把握し、その上で、整変数を導入した線形計画モデルにより、水利施設の維持管理費用を考慮した地区分級モデルを構築し、推計を行った。その結果、水利施設の短期的、長期的な維持管理費用負担がもたらす地域農業所得への影響が明らかになるとともに、地域の土地利用決定の際に、水利施設の維持管理を考慮に入れることの経済的意義が明らかにされている。すなわち、地区個別の土地生産性のみを考慮した土地利用決定を行うケースでは、地域の水田面積が減少すると、維持管理負担が過大となり、所得の確保が困難となるのに対し、水利施設の長期的維持管理を視野に入れた土地利用決定を行うケースでは、水田利用転換と水利施設利用転換との意思決定を連携させることにより、長期的に見てより効率的な水田利用が可能となることが明らかにされている。

 第5章では、中山間地域における圃場区画単位の期待所得土地分級を行っている。島根県O市の山間部の集落を対象に、収量調査によって区画単位の土地生産性を推計し、タイムスタディを通じて区画単位の労働生産性を推計している。その上で、団地単位の移動効率や水利施設の維持管理コスト、耕作放棄による外部不経済の影響を加味した線形計画モデルを構築し、集落の農業所得を最大化する土地利用図を導出している。その結果、区画別の土地生産性だけを考慮すると、モザイク状の計画案となってしまうのに対して、本論の土地分級手法では、よりまとまった農地の計画が可能になっている。また、比較的優良な農地が所有者の個別の事由により耕作放棄された場合の影響や、生産性の低い棚田を保全した場合の、集落農業所得への影響についても明らかにされている。

 以上、本論文は、期待所得土地分級の手法開発とその活用によって土地利用計画の新たな策定方法を解明したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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