学位論文要旨



No 216218
著者(漢字) 田中,延亮
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ノブアキ
標題(和) 長期現地観測記録に基づく樹冠通過雨量と樹冠遮断量に関する研究 : 日本のスギ,ヒノキ林とタイの丘陵性常緑林を対象として
標題(洋)
報告番号 216218
報告番号 乙16218
学位授与日 2005.03.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16218号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 寳月,岱造
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 芝野,博文
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は,森林における重要な水文過程の一つである降水の樹冠通過あるいは樹冠遮断蒸発過程に関する定量的な評価を,我が国の今後の代表的な森林の姿の一つであるスギ,ヒノキ壮齢林とタイ北部の丘陵性常緑林の二林分を対象とした長期現地観測により明らかにするものである.

 第一章では,既往の樹冠遮断量の研究により得られている知見,重要であるにも関わらず依然として未解明な課題点を整理した.その点を踏まえ,筆者が上述の二林分に注目するに至った経緯を述べた.

 第二章では,スギ,ヒノキ壮齢林の樹冠通過雨量(TF),樹幹流下量(SF),および樹冠遮断量(I)についての定量的検討を行った.スギ壮齢林において41ヶ月間,またヒノキ壮齢林において30ヶ月間,TFおよびSFの現地観測を行い,次のことが整理された.(1)スギ,ヒノキ林での一雨降水量(P)とTFの関係を一次回帰直線で示した.全観測期間(スギ林41ヶ月間,ヒノキ林30ヶ月間)の総降水量に対するTFの割合(TF %P)はスギ林で79 %,ヒノキ林で74 %であった.ただし,一雨降水量が約400 mmの大降水量の台風イベントが2度発生した年のTF %Pは通常の年よりも大きくなった.(2)スギやヒノキといった上層木から生成される樹幹流下量(SF)とPの平均的な関係を一次回帰直線で示した.また,SFの全期間の総降水量に対する割合(SF %P)はスギ林で5 %,ヒノキ林で10 %となった.(3)TFとSFの集計の結果,6ヶ月間ないしは1年間の降水量に対する樹冠遮断量の割合(I %P)は,通常,スギ林において約17 %,ヒノキ林において約16-18 %であり,両林分のTF %PやSF %Pは互いに異なっていたが,I %Pの違いはほとんどなかった.また,大雨量の台風が2度発生した年のI %Pは,スギ,ヒノキ林ともに11.7 %となり,通常の期間の値よりも小さい値を示した.(4)期間毎のTF %Pを,我が国の既往の報告で得られているスギ・ヒノキ林や他の針葉樹の値と比較し,その特徴を抽出した.スギ林での研究事例は非常に少ないために明確な傾向は把握できなかった.一方で,ヒノキ林のTF %Pに関するこれまでの研究事例を整理すると,林分の胸高断面積合計(BA)の増大に伴いTF %Pが低下する傾向が見られたが,本報で得られたBAの大きい壮齢林で得られた結果を加味すると,その傾向はかならずしも一般的ではないことが把握された.(5)本報で得られたスギ・ヒノキ壮齢林の上層木の樹幹流下量係数(aS)を,既往の報告で得られているスギ・ヒノキ林や他の針葉樹の値と比較し,その特徴を抽出した.比較した針葉樹の中では,BAが同程度であればヒノキ林分は大きいaSを示すことが確認された.また,ヒノキ林分のaSは,BAの増加に伴い大きくなることがわかった.(6)スギ,ヒノキ壮齢林における下層木のSFを,滋賀県のヒノキ・アカマツ混交林やマレーシアのボルネオ島の低地熱帯林における下層木のSFの特性と比較した.その結果,森林タイプが異なっているにも関わらず,それぞれ森林の下層木毎のaSには大きな差異がないことが明らかとなった.

 第三章では,TFの林分平均値を推定する際に問題となる樹冠通過雨量の空間分布,特に,林外降水量よりも多い樹冠通過雨量が発生する場所(集中滴下点)ついての検討を行った.第二章での実験対象となった同じヒノキ壮齢林において,集水面積が約50 cm2の小雨量計(グリッド)400個を格子状に隙間無く並べた雨量計を用いて,幾つかの下層木の樹冠下における約2 m2の範囲の樹冠通過雨量の空間分布を集中的に調べた.その結果,以下のことが示された.(1)ヒノキ壮齢林のアオキの樹冠下では樹冠通過率が1.0以上のグリッド,すなわち集中滴下点の出現が確認された.これらの集中滴下点は,シラカシやヤブムラサキの樹冠下では観測されなかった.(2)集中滴下点が頻繁に出現した約0.5m2(100グリッド)の範囲を対象にして,降雨毎の集中滴下点の発生頻度を調べた結果,降水量の少ない場合には集中滴下点の出現頻度は少ないが,降雨量が多い場合には平均6グリッドの集中滴下点が出現していた.また,降水量が比較的大きいにも関わらず,集中滴下点の出現が全く確認されない降雨が,全9降雨の観測のうち2降雨存在した.その原因についての検討は今後の課題となった.(3)1点の集中滴下点の大きさについて検討をおこなった結果,本研究で観測された集中滴下点の大きさは半径約7 cmの円の範囲であることがわかった.(4)樹冠通過雨のコレクターの集水面積と樹冠通過雨量の頻度分布形の関係についての検討をおこなった結果,集水面積が大きくなるほど樹冠通過雨量の頻度分布のばらつきは小さくなる関係が示された.この関係を,樹冠通過雨量の林分平均値やその誤差範囲の推定に応用していくことが今後の課題となった.

 第四章では,タイの丘陵性常緑林(コグマ試験地)における年間樹冠遮断量,その測定誤差,およびその年々変動を明らかにすることを目的として,4年間(1999-2002年)にわたって降水量(P),樹幹流下量(SF),および樹冠通過雨量(TF)を観測した.その結果,以下のことが整理された.(1)樹冠遮断観測プロット近辺に設けた互いに約200m離れた2地点での年降水量の差は,各年とも1〜2 %の範囲内であった.この差は,コグマ試験地でおこなわれた既往研究で報告されている年降水量の標高依存性で説明できる範囲であった.一方,2地点での毎日行われた観測毎のPの差は,約半数の観測において,Pに対して10 %以上の差を示していた.この差は,コグマ試験地内の降水量の空間分布が生み出したと考えられた.(2)樹冠遮断観測プロット内で8本の樹木が生成するSFを測定し,各樹木から生成される樹幹流下量と雨量の回帰直線より得られる係数と各樹木の大きさとの関係を明らかにした.また,その関係を用いて,プロット全体に供給されるSFを推定した結果,毎年のSFは25-40 mm(年降水量の1.5 %)という結果となり,低地天然熱帯林での既往報告と同様にSFが少ない林分であることが明らかになった.(3)30台のコレクターを用いてTFを測定した結果,4年間に観測された各年のTF %Pは86-91 %の範囲で年々変動していた.また,全観測回数(381回)のうち,44回の観測の結果において,観測毎に観測されるTFがPを上回るという現象が起きていた.その原因の一つとして,コグマ試験地での降水量の空間分布の不均一性により,樹冠遮断観測プロットより250 m離れている露場の降水量が,樹冠遮断観測プロットの真上の降水量より小さかったことが挙げられた.また,その他の原因として,霧の発生により本試験地の森林の樹冠部に降水以外の水分供給(FP)があった可能性が挙げられた.(4)コグマ試験地での4年間の樹冠遮断量は726.9 mmとなり,これは総降水量(7774.7 mm)の9.3 %に相当した.各年のI %Pは,7.6 %(2002年)から12.1 %(2000年)の範囲で年々変動していた.また,樹冠遮断観測プロットの真上における年降水量の測定誤差の範囲を考慮して,Iの測定誤差の範囲が示された.また,本章で示された樹冠遮断量を,タイ国内で報告されている樹冠遮断量,および東南アジアの低地熱帯林における研究事例と比較し,タイの山岳林および低地林におけるI %Pの特徴を明らかにした.

 第五章では,第四章でおこなったコグマ試験地における樹冠遮断量の研究の一貫として,同試験流域で発生する霧による森林樹冠への水分供給量(FP)について,3年間(1999年12月-2002年11月)の霧コレクターの毎時データを用いて検討した.霧コレクターには,強風時に降水成分が吹き込む可能性があるため,霧コレクターに降水が吹き込まない条件について検討した.その結果,ある風速(Uc)以下では降水が霧コレクターに吹きこまないことを見出した.この条件は,同じコレクターを用いた場合は,他の調査サイトでも適用可能であり,現行の霧モニタリング手法に対して有効な手法の提言ができた.コグマ試験地のFPを検討する前に,無降雨条件において霧の影響のみで発生する樹冠通過雨量(FDR)を抽出した結果,3年間で総降水量の0.4 %にあたる19.3 mmのFDRが発生しており,FDRという形態でコグマ試験地の林床に供給される水分量は非常に小さいことがわかった.次に,FDRの発生中の遮断蒸発強度がゼロであると仮定し,FDRと霧コレクターの貯留量の関係から,コグマ試験地におけるFPの定量化を試みた.その結果,3年間でコグマ試験地の樹冠に供給されたFPは,339.2 mm(総降水量の6.2 %)から 488.4 mm(同 9.0 %)の範囲であることが示された.コグマ試験地のFPは,降雨中あるいは直後に観測されることが多いため,同試験地の樹冠遮断量を評価する際には重要な因子となっている可能性が示唆された.また,コグマ試験地の霧は,夜間から午前中にかけて発生することが多く,乾季よりも雨季にその発生が卓越していた.コグマ試験地から北東に400 km離れた盆地に立地するシーサンパンナの熱帯季節林(標高750 m)について報告されている年間FPは,コグマ試験地における年間FPとほとんど同程度であったが,両サイトにおけるFPの季節変化は全く逆の傾向を示していた.この差異は,森林が立地している地形が異なることにより,霧の発生メカニズムが全く異なっていることが原因であると推察された.

 第六章では,上記の各章において整理された樹冠遮断量に関する知見,今後の課題が整理されている.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、森林における重要な水文過程の一つである降水の樹冠通過あるいは樹冠遮断蒸発過程に関する定量的な評価を、我が国の代表的な森林の一つであるスギ、ヒノキ壮齢林とタイ北部の丘陵性常緑林の二林分を対象とした長期現地観測により明らかにするものである。

 第一章では、既往の樹冠遮断量の知見を整理し、上述の二種に注目する理由と研究課題がまとめられている。第二章では、3〜4年間の観測で明らかにされたスギ、ヒノキ壮齢林の樹冠通過雨量、樹幹流下量、および樹冠遮断量が示された。総降水量に対する樹冠通過雨量の割合は、スギ林で79 %、ヒノキ林で74 %で、樹幹流下量の割合はスギ林で5 %、ヒノキ林で10 %、樹冠遮断量の割合は、スギ林において約17 %、ヒノキ林において約16-18 %となった。得られた樹冠遮断量は既往報告と同様の値で、既往研究に比べて胸高断面積合計の大きい林での測定結果であるが、森林の蓄積の増加が樹冠遮断量をもたらさないことを示している。また、スギ・ヒノキ壮齢林の上層木、下層木の樹幹流下量について、直径の増加により樹幹流下量が増加するが、同じ直径ではヒノキがスギより大きいこと、下層木は森林タイプが異なっても直径ごとに同程度の値となることが示された。

 第三章では、樹冠通過雨量の林分平均値を推定する際に問題となる空間分布、特に林外降水量よりも多い樹冠通過雨量が発生する場所(集中滴下点)ついて、集水面積が約50 cm2の小雨量計400個を格子状に隙間無く並べた雨量計を用い、第二章での実験対象となった同じヒノキ壮齢林における調査結果が解析されている。ヒノキ壮齢林樹冠下では、下層植生がない場所の林内雨はほぼ一様であるが、下層植生の樹冠下に集中滴下点が存在する。特に、アオキの樹冠下では林外の雨量より大きい水量となる集中滴下点の出現することが、示されている。1点の集中滴下点の大きさは半径約7 cmの空間スケールである。

 第四章では、タイの丘陵性常緑林における年間樹冠遮断量、およびその年々変動を明らかにすることを目的として、4年間(1999-2002年)にわたって降水量、樹幹流下量、樹冠通過雨量が観測され、解析されている。その結果、1)降水観測について、互いに約200m離れた2地点での年降水量の差は小さいが、2地点での毎日行われた観測毎の雨量は、約半数の観測において10 %以上異なり、個々の降雨の空間分布が顕著である。2) 8本の樹木について各樹木から生成される樹幹流下量と雨量の回帰直線より得られる係数と各樹木の大きさとの関係を明らかにし、プロット全体に供給される樹幹流下量は年降水量の1.5 %と、低地天然熱帯林での既往報告と同様にSFが少ない林分であることを明らかにした。3) 30台のコレクターを用いてTFを測定した結果より4年間に観測された各年の樹冠通過雨量は年降水量の86-91 %であった。4年間の樹冠遮断量は726.9 mmで、これは総降水量の9.3 %に相当する、などタイの山岳林でこれまでにない精度で樹冠遮断の定量的検討がなされた。また、樹冠通過雨量の全観測回数(381回)のうち、44回で林外の降水量を上回るという現象が観測され、霧の発生により本試験地の森林の樹冠部に降水以外の水分供給(FP)があった可能性が挙げられた。

 第五章では、タイの丘陵性常緑林で発生する霧による森林樹冠への水分供給量について、3年間(1999年12月-2002年11月)の霧コレクターの毎時データを用いて検討している。霧コレクターには、強風時に降水成分が吹き込む可能性があるため、霧コレクターに降水が吹き込まない条件について検討し、降水が霧コレクターに吹きこまない風速条件が見出すなどの解析を進め、3年間でコグマ試験地の樹冠に供給されたFPは、339.2 mm(総降水量の6.2 %)から 488.4 mm(同 9.0 %)の範囲であることが示された。ただし、無降雨時の霧がもたらす通過雨量は3年間で19.3 mmとわずかである。また、夜間から午前中にかけて発生することが多く、乾季よりも雨季にその発生が卓越していた。盆地において発生する放射霧を対象とした既往研究が見られるに過ぎない現状において、本研究で示された東南アジアの山岳性霧の定量的評価は、新規性の高い知見である。

 第六章では、上記の各章において整理された長期観測による樹冠遮断量に関する知見がまとめられ、今後の森林流域の水収支評価における課題が整理されている。

 以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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