学位論文要旨



No 216219
著者(漢字) 大橋,誠一
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,セイイチ
標題(和) オルビウイルス流行株の変異に関する分子遺伝学的研究
標題(洋) Study on Molecular Evolution of Orbiviruses
報告番号 216219
報告番号 乙16219
学位授与日 2005.03.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16219号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 久和,茂
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 東京大学 助教授 堀本,泰介
内容要旨 要旨を表示する

 レオウイルス科オルビウイルス属に属するウイルスにはブルータングウイルス (BTV) やアフリカ馬疫ウイルス (AHSV) などの国際的に最重要家畜伝染病に指定されている疾病の病原ウイルスから、流行性出血熱ウイルス (EHDV) やパリアムウイルス (PALV) などの家畜の病原ウイルスが含まれている。これらのウイルスでは補体結合反応やゲル内沈降反応においても交差反応は認められず、全く異なる抗原性を有する。各ウイルスには中和試験で異なる抗原性を示す複数のウイルスが知られており、これらはウイルス血清群として分類されている。BTV血清群には24血清型、AHSV血清群には9血清型、EHDV血清群には8血清型、PALV血清群には11血清型が存在し、多様な抗原性が認められる。オルビウイルスのゲノムは10分節から成る2本鎖RNAで構成され、それぞれのRNA分節は第10分節を除き、単一のウイルスタンパクをコードしている。10本のウイルスゲノムは内外2層から成るキャプシッドに覆われ、内殻は血清群特異抗原であるVP3およびVP7、外殻は血清型特異抗原であるVP2とVP5で構成される。VP2は中和抗原でもあり、これをコードする第2分節は最も変異しやすいRNA分節である。オルビウイルスのRNA分節は同一血清群内のウイルスが同時に感染すると分節の交換が起こることがある。この現象を遺伝子再集合といい、哺乳動物細胞内だけでなくベクターとなる吸血昆虫の細胞内でも起こる。遺伝子再集合はウイルスの性状に大きな変化を誘導し、オルビウイルスの遺伝子および抗原性の多様性を作り出している。BTVやAHSVでは遺伝子解析が進み、RNA分節と病原性の関係が一部明らかになりつつある。また、これらのウイルスでは蓄積された多くの遺伝子データを用いた分子疫学的解析がなされ、血清群内あるいは血清群間のウイルス相互の遺伝学的関連性が明らかになり、オルビウイルスの分子進化機構に関する知見が得られている。

 上記の現状を踏まえ、これまでに、わが国では多くの新興・再興アルボウイルス感染症の流行があり、畜産上大きな被害を引き起こしている。近年、これまで日本で確認されていなかったアルボウイルスや性状が変化したと考えられるウイルスの流行が報告されている。しかし、わが国ではオルビウイルスの遺伝学的、病原学的研究はほとんど行われてこなかった。現在わが国で流行しているオルビウイルスの遺伝学的多様性を解析することは、より的確な疾病の防疫にも重要であると考えられる。本研究ではイバラキウイルス (IBAV) とPALV血清群の国内流行株について、その抗原性の変異と病原性の変化について分子遺伝学的解析を行った。

第1章 IBAVおよびEHDV分離株の制限酵素切断パターン(RFLP)による識別

 1997年に九州を中心としてイバラキ病が流行した。さらに、同時期、同地域で牛の死流産が多発した。ウイルス分離を実施したところ、感染牛や不顕性感染牛の血液およびベクターとされるヌカカからIBAVが分離された。さらに、妊娠牛の血液や流産胎子の臓器からもIBAVが分離されたことから、早急にこれら分離株の性状解明が求められた。最初に1997年分離株とそれ以前のIBAV分離株の抗原性が同一か否かを検討するため交差中和試験を実施した。1959年に国内で最初に分離されたIbaraki-2株と1987年分離株は抗原的に同一であった。しかし、1997年分離株ではこれらの分離株と抗原的に差が認められた。さらに、遺伝子の変異頻度が小さい第3分節をターゲットとしたPCR-RFLP解析を行った。PCR産物を制限酵素Hae IIIで消化した場合、全てのIBAV 国内分離株は同様のパターンを示したが、IBAVと血清学的に近縁であることが報告されているEHDV血清型2型(EHDV-2)オーストラリア分離株は切断されなかった。さらに、PCR産物をSau 3AIで消化すると、1997年分離株のパターンは過去に分離されたIBAVやEHDVのそれとは異なっていた。1997年に九州、中国および近畿地方で分離されたIBAV 114株は全て同一のパターンを示した。このことから、1997年に流行したIBAVは遺伝的に単一のIBAVであるが、従来の分離株とは遺伝子レベルおよび抗原性状が異なる変異株であること示唆された。

第2章 IBAVおよびEHDV分離株の構造タンパク質遺伝子による分子系統樹解析

 第1章で得られた結果より、IBAV変異株と考えられる1997年分離株についてより詳細に解析するために構造タンパクをコードする遺伝子の塩基配列を決定し、EHDV血清群内の遺伝学的関係を解析するために、IBAV分離株、EHDV北米およびオーストラリア分離株について分子系統学的関連性を明らかにした。

 過去のIBAV分離株と1997年分離株の塩基配列の相同性を比較すると、内殻タンパクをコードする第3および第7分節はともに5%の相違が認められた。アミノ酸配列においては相同性が98%以上であった。またこれらの配列に基づく分子系統樹解析ではVP3領域では1997年分離株はEHDV-2の中で、オーストラリア分離株に近縁であるが、VP7領域ではIBAVおよびEHDVは北米、オーストラリアおよび日本のそれぞれの分離地域ごとに3グループに分けられ、オーストラリアと日本で流行しているウイルスは遺伝的に近縁であると考えられた。一方、外殻タンパクであるVP2およびVP5をコードしている第2および第6分節について同様に解析したところ、第6分節では第3、第7分節同様、塩基配列の相同性は従来の分離株とは7%の相違が認められたが、アミノ酸配列の相同性は97%以上であった。しかし、第2分節では1997年分離株は従来のIBAV分離株だけでなくEHDV-2 オーストラリア分離株とも相同性が70%以下であった。Ibaraki-2株とおよそ30年後に分離された1987年分離株の間でもわずか3%未満しか変異が認められなかった。これらのことから1997年分離株は短期間に急激に変異したと考えられ、遺伝子再集合に起因するものと考えられた。第2分節の分子系統樹解析でも1997年分離株は独立したグループを形成し、このウイルスが新型のIBAVであることが明らかとなった。この1997年分離株は嚥下障害や飲水困難を主徴とするイバラキ病発症牛だけでなく、流産胎子やその母牛からもこのウイルスが分離されていることから、この遺伝子再集合により抗原性だけでなく病原性の変化があった可能性が示唆された。

第3章 チュウザンウイルス (CHUV) およびPALV血清群の構造タンパク質遺伝子による分子系統樹解析

 2001年から翌年春にかけて九州で16年ぶりにチュウザン病が発生した。しかし、感染牛のCHUVに対する中和抗体価はこれまでの感染時の抗体価よりも低くかった。そのため、この2001年分離株の遺伝学的特性および抗原性の解明を試みた。さらに1985年以降、日本国内で分離されたPALV血清群ウイルス9株と台湾、オーストラリアおよびアフリカ分離株の相互の遺伝学的関係について明らかにするため、血清群特異抗原をコードし、ウイルスの地域性を反映する第7分節および血清型特異抗原をコードする第2分節の分子系統学的解析を行った。第7分節の塩基配列は日本分離株間で95.1-100%、日本分離株と台湾分離株間で96-100%、日本分離株とオーストラリア・アフリカ分離株間で84.2-92%であった。これらのウイルスを分子系統樹解析すると、地域特異性が認められ、日本および台湾、オーストラリアおよびアフリカの3つのグループに分かれた。一方、血清型特異的抗原であるVP2をコードする第2分節の塩基配列を比較したところ、日本分離株は塩基配列の相同性によりCHUVグループとディアグラウイルス(DAGV)やニアビラウイルス(NYAV)と同じグループの2つに分かれた。さらに、分子系統樹解析でも、CHUVを含むグループとDAGVやNYAVを含む2つのグループに分けられた。異なるグループに分かれた日本分離株間の抗原性状を比較するため、DAGVを含むグループからDAGVおよび2001年分離株、CHUVを含むグループからCHUV 31株を用いて交差中和試験を行った。2001年分離株は抗DAGV血清でDAGVと同等の512倍で中和されただけでなく、 抗CHUV血清でも64倍と低い値ながら中和された。以上のことより、2001年分離株はCHUVとDAGVとの間で第2分節の遺伝子再集合が起こり、遺伝学的、抗原的にユニークな性状を示したと考えられた。

 以上の研究により、オルビウイルスにとって、遺伝子再集合は遺伝学的および抗原的多様性を生む重要な機構であることが示された。また、遺伝子再集合が野外で起きていることが示されるとともに、その結果、ウイルスの病原性の変化にも寄与することが示唆された。日本および近隣の東アジア地域を循環しているオルビウイルスの遺伝学的・抗原的バリエーションを解析することは、オルビウイルスを原因とするアルボウイルス感染症の分子生物学的診断やより効果的なワクチン開発に貢献するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 オルビウイルス属には重要な家畜伝染病の原因ウイルスが含まれ、多様な抗原性が認められる。オルビウイルスのゲノムは10分節の2本鎖RNAで構成され、RNA分節は同一血清群内のウイルス間で交換が起こることがあり、この現象を遺伝子再集合という。これまでに、わが国では多くのオルビウイルス感染症が流行しているが、オルビウイルスの遺伝学的、病原学的研究はほとんど行われていない。日本で流行しているオルビウイルスの遺伝学的多様性を解析することは、ウイルスの流行動態の解明にも役立つと考えられる。本研究ではイバラキウイルス (IBAV) とパリアムウイルス(PALV)血清群の国内流行株について、抗原性の変異と病原性の変化について分子遺伝学的解析を行った。

 第1章では1997年にイバラキ病発症牛やベクターからだけでなく、流産胎子や母牛の血液からも分離されたIBAVの性状解析を行った。1997年分離株とそれ以前のIBAV分離株の抗原性を比較すると1959年に日本で最初に分離された株と1987年分離株は抗原的に同一であったが、1997年分離株はこれらの分離株と区別できた。さらに、第3分節のPCR-RFLP解析を行ったところ、制限酵素Hae IIIで消化した場合、全てのIBAV 分離株は同様のパターンを示し、流行性出血熱ウイルス(EHDV)血清型2型(EHDV-2)と区別できた。さらに、Sau 3AIで消化すると、1997年分離株のパターンは過去に分離されたIBAVとは異なっていたが、1997年に分離された114株は全て同じであった。このことから、1997年に流行したウイルスは遺伝的に単一のIBAVであるが、従来の分離株とは遺伝子レベルおよび抗原的に異なる変異株であることが示唆された。

 第2章では、IBAV変異株と考えられる1997年分離株の構造タンパクをコードする分節の全塩基配列を決定し、IBAVが属するEHDV血清群のウイルスと共に分子系統学的解析を行った。過去のIBAV分離株と1997年分離株の塩基配列の相同性は、第3および第7分節はともに5%の相違が見られた。またVP7領域に基づく系統樹解析では、IBAVおよびEHDVは北米、オーストラリアおよび日本のそれぞれの分離地域毎に3グループに分けられ、オーストラリアと日本で流行しているウイルスは遺伝的に近縁であると考えられた。一方、VP2およびVP5をコードしている第2および第6分節について解析したところ、第6分節では第3、第7分節と同程度の相同性であったが、第2分節では1997年分離株は従来のIBAV分離株だけでなくEHDV-2分離株とも相同性が70%以下であった。以上のことから1997年分離株の第2分節は遺伝子再集合に起因する大変異と考えられた。第2分節の系統樹解析でも1997年分離株は独立したグループを形成し、このウイルスが新型のIBAVであることが明らかとなった。この1997年分離株は嚥下障害を主徴とするイバラキ病発症牛だけでなく、流産胎子やその母牛からも分離されていることから、遺伝子再集合により抗原性だけでなく病原性が変化したと考えられた。

 第3章では国内で流行している別種のオルビウイルスであるチュウザンウイルス(CHUV)について遺伝的特性と抗原性の関係について解析した。 2001年に流行したウイルスは野外調査の結果からCHUVと抗原性に差が見られた。そこで国内で分離されたPALV血清群ウイルスおよび海外分離株の第7分節および第2分節の塩基配列を決定し、分子疫学的解析を行った。第7分節の塩基配列の相同性は80%以上と高く、分離株間でよく保存されていた。第7分節に基づいた系統樹解析では日本と台湾、オーストラリアおよびアフリカの3つのグループに分かれ、地域特異性が認められた。一方、第2分節では、日本分離株は塩基配列の相同性によりCHUVグループとディアグラウイルス(DAGV)グループの2つに分けられた。さらに、系統樹解析では、CHUVグループ、DAGVグループおよびその中間体の3つのグループに分けられた。これらのグループ間の抗原性を比較したところ、中間グループの2001年分離株は抗DAGV血清でDAGVと同程度で中和されるだけでなく、抗CHUV血清でも低い値ながら中和されたことから、2001年分離株はCHUVとDAGVとの間で第2分節の遺伝子再集合が起こり、血清型が変わるほどの抗原性の変化を生じたと考えられた。

 以上本論文は,オルビウイルスの抗原性の変異と病原性の変化が遺伝子再集合に起因していることを解明し、わが国で流行しているオルビウイルスの遺伝的多様性に関し新知見を与えたもので,学術上,応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50121