学位論文要旨



No 216222
著者(漢字) 柳,宇
著者(英字)
著者(カナ) ヤナギ,ウ
標題(和) 空調システムにおける微生物汚染の実態と対策に関する研究
標題(洋)
報告番号 216222
報告番号 乙16222
学位授与日 2005.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16222号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 教授 野城,智也
 東京大学 助教授 大岡,龍三
 愛知淑徳大学 非常勤 吉澤,晋
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は,微生物による室内空気汚染の改善に資する研究成果をまとめたものである。とくに,本研究は,室内空気質に大きな影響を及ぼす空調システム内の微生物汚染の実態を把握し,その汚染特性に応じた対策手法を確立することを目的としている。

 近年,SARS・新型インフルエンザウィルス・鳥インフルエンザウィルス・ウエストナイルウィルスのようなウィルスによる健康障害のほか,細菌(結核菌,レジオネラ属菌など)・真菌による室内空気汚染問題に関する話題が多方面から注目を集めている。

 微生物に関わる室内空気汚染の問題はSBS(Sick Building Syndrome,シックビルティングシンドローム)とBRI(Building-related illness,ビル関連病)の2種類に大別される。SBSは"原因物質は特定されない(No specific causative agent has been identified)"特徴を有し,また症候群であるゆえに,医学的に確立した単一の疾患ではなく,環境要素に関わる,居住者に由来するさまざまな健康障害の総称である。これに対して,BRIは原因物質が特定でき,レジオネラ症(Legionnaires' disease),加湿器熱(Humidifier fever),過敏性肺炎(Hypersensitivity pneumonia)がその代表例である。

 レジオネラ症,加湿器熱,過敏性肺炎の何れを取ってみても空調設備そのものに関わる問題であり,いわゆるBRIというものはその特徴からすればむしろ空調設備関連病とも言うべきであろう。何れにしても空調設備に関連した微生物汚染問題はその汚染の原因から,(1) 環境中の微生物粒子が空調システムを介して室内に侵入することによって生じるものと,(2) 空調システム自身が微生物の温床となり室内の汚染源となるものの2種類に分類することができる。両者は全く関係がないものではないが,本研究の内容は主として後者に関するものである。以下に,本論文の各章で得られた主な知見と結論を示す。

 第1章は,空調システムにおける微生物の汚染と対策に関する研究を実施した背景,既往研究結果のまとめ,本研究の位置づけと目的,および各章の構成と概要について述べた。

 本研究は,微生物による空気汚染の問題の中でも,とくに室内に調和された空気を搬送する空調システムの空気搬送系に着目し,それにおける微生物生育環境を含めた汚染実態を明らかにした上で,その汚染特性に応じた対策方法を確立しようとするものである。本研究はそのため以下に示す検討を行った。

(1)空調システム内における微生物の生育環境と汚染実態を定量的に把握するとともに,温湿度環境の調整による微生物汚染の制御を検討。

(2)空調システム内における微生物汚染の工学的な対策といったハードな面の手法を確立するための検討。

(3)空調設備の維持管理面の現状を把握し,日常の維持管理といったソフト面の対策方法を検討。

 第2章は,まず微生物の分類・性状を概述し,空調システムにおける微生物汚染問題の性質について述べた。次に,実環境下における微生物の生育環境を温湿度との物理的尺度のみならず,カビセンサーによる生物的な尺度からその微生物の生育状況を定量的に評価した。その結果,冷房期と暖房期を問わず空調システム内の温湿度環境は生育ための最低相対湿度を95%以上とする好湿性微生物と,70%以下とする好乾性微生物の生育にとって適さないものの,冷房期のコイル下流からダクト内までの間では,70〜95%の広い相対湿度範囲を適とする微生物の生育にとって好環境となっていることが明らかにされた。さらに,相対湿度70%以上の累積頻度,即ち,相対湿度が70%以上に保たれる時間の長さが微生物の生育状況を左右し,その累積頻度が30%を超えると微生物の生育速度はそれに比例して速くなることを見出した。また,空調運転停止後の温湿度調整によって,微生物の増殖を抑制できることを明らかにした。

 第3章は,空調システム内での測定という特徴を踏まえて,付着微生物量,浮遊微生物濃度の測定方法と測定装置を検討した上で,夏期冷房時と冬期暖房時における空調システム内各箇所の付着微生物量,浮遊微生物濃度に関する実態調査を行った。その結果,空調システム内の各箇所において,細菌を主とした総菌,黄色ブドウ球菌,真菌が検出され,とくに,気化式加湿器の素材表面において,約50[cfu/cm2]の総菌,360[cfu/cm2]の真菌が検出され,空調システム全体に対する微生物汚染の対策を施す必要があることが明らかにされた。また,一ビルではあるが,空調システム内から微生物が発生し,室内に侵入することが測定結果より示された。

 第4章は,微生物汚染の温床となっているダクト内の汚染実態の解明とダクト清掃による微生物汚染の低減効果について検討した。

 まず,築後19年のオフィスビルにおいて,給気ダクト内で1.9〜2.8g/m2,還気ダクト内で2.4〜13.5g/m2の付着粒子量が測定され,付着総真菌数は付着粒子重量に比例し,1gの付着粒子に約42,000個の真菌が存在することを定量し,ダクト清掃によって粒子状物質と同時に微生物も除去されることを明らかにした。また,清掃作業中に発生したダクト内浮遊粒子を除去するため,ダクト清掃直後から入居するまでの間において半日間のクリーンアップ運転が必要であるという重要な指針を得た。

 次に,面積率により付着粒子重量を予測する方法を検討した。また,ダクト内の付着粒子量は時間経過に従って指数関数的に高くなることを明らかにした。給気,還気ダクト内に付着する粒子の粒度分布は何れも対数正規分布に従い,それぞれの個数幾何中位径は2〜4μm,4〜7μmであり,堆積粒子径が40μm以上に成長すると再飛散しやすくなることを明らかにした。

 さらに,空調用ダクト清掃効果を評価するための簡易評価法である「デジタル画像法」を提案し,9つビルの実測値より検証を行った結果,その有効性を確認した。デジタル画像法は操作が容易に行え,試料の採取から解析結果までの一連の操作が短時間で可能なため,ダクト清掃効果の評価,とくに清掃後のような付着粒子量の少ない場合に対しても適用できることを明らかにした。

 第5章は,微生物汚染の温床となっているコイルに関して,無機系抗菌剤を施した場合の抗菌効果を評価し,その適用について検討を行った。

 まず,フィルム密着法に準じて,抗菌材の抗菌性能に関する試験を行った結果,本研究に用いた抗菌材は,大腸菌,黄色ブドウ球菌に対して強い抗菌性能を有することを確認した。さらにコイル表面中の金属イオンを微量分析より定量し,その結果から抗菌メカニズムの考察を行った。

 次に,コイルのフィンに抗菌処理を施したファンコイルユニットでの抗菌性能評価方法と抗菌性能を定量的に評価するための指標API(Antibacterial Performance Index)を提案し,実際の空調運転時を想定しての評価を行い,フィルム密着法の結果を検証するとともに,API指標での比較を行い,その有用性を確認した。

 第6章は,実環境下で,エアフィルタによる微生物粒子の捕集性能について検証を行った結果,エアフィルタによる浮遊微生物粒子の捕集率と粒径別浮遊粒子の捕集率との間に有意な相関関係が認められ,浮遊黄色ブドウ球菌,浮遊総菌,浮遊真菌に対するそれぞれの捕集率は1μm以上,2μm以上,5μm以上の浮遊粒子に対する捕集率とほぼ等しいことを見出した。また,浮遊粒子のみならず,浮遊微生物粒子の除去の視点からも中性能フィルタの設置が望ましいことを明かにした。

 さらに,黄色ブドウ球菌数は総菌数の間に有意な相関関係にあり,その20%強を占めること,また,これは筆者らが病院の待合室・病室・集中治療室での測定結果と一致し,黄色ブドウ球菌は総菌の代表指標として用いられることを明らかにした。

 第7章は,空調設備の維持管理現状を把握するために行った全国規模のアンケート調査について解析を行った。その結果,地域と建築規模の間と空調設備については有意な差がなく,その維持管理も同じように行われていることがわかった。また,建築物衛生法の対象であるか否かによって,中性能フィルタの設置やコイル・加湿器の清掃において有意な差が認められ,建築物衛生法の有用性を再確認した。

 アンケート調査の結果より,維持管理の面による微生物汚染の低減の面においても,中性能フィルタの設置,コイルと加湿器の定期清掃が重要である一方,清掃のしやすい空調機の設置が望ましいことを明らかにした。

 第8章は,第1章〜第7章の内容を総括した。

 本研究は,微生物の生育環境の定量,汚染実態の把握,諸対策の検討に関する一連の研究成果から空調システムにおける微生物汚染の実態を解明し,その汚染特性に応じた対策手法を提案するものとなっている。本研究は今までなかなか系統的に解明されて来なかった空調システム内微生物汚染の実態システムに捉え,その対策方法を定量的に提案するものであり,今後この分野の技術開発,対策研究に大きく貢献できるものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は建物の空調システムの微生物汚染にかかわる諸問題を系統的に分析し、その対策を定量的に論じたものである。空調システムに関連した微生物汚染に関わる問題は、例えば「加湿器病」のように比較的古くから知られている。最近では、過敏性肺炎が空調システムに関連する問題として注目されている。しかしながらこれらの問題に関して、疫学または臨床医学的な観点からの検討は行われて来たが、工学的な衛生の問題という観点から建物の空調システムが系統的に検討されたことは殆どない。空調システム内に限らず、微生物の生育は、酸素、栄養源、温湿度が必要な条件となっている。空調システムはこれら条件を兼ね備えるものであり、細菌、真菌といった微生物の温床となっている。本論文ではこのような背景の下、建物の空調システムの微生物汚染に関して、屋外空気の取入れ口から室内への調和空気の吹き出し口まで、すなわち空調システムの入口から出口まで微生物汚染の成因と対策に関して詳細かつ定量的な検討を加えている。本論文の構成と特徴は以下の通りである。

1.空調システム内における微生物汚染の特徴の解明

 第1章で微生物による汚染問題を概括したのち、第2章、3章で、実環境下における微生物の生育環境を、温湿度とバイオセンサーにより定量的に評価している。その結果、冷房期と暖房期を問わず空調システム内の温湿度環境は好湿性と好乾性微生物の生育には適さないが、冷房期の冷却コイル下流からダクト内までの間では、70〜95%の相対湿度範囲を適とする微生物の生育にとって好環境となっていることを明らかにしている。また、相対湿度70%以上に保たれる時間の長さが微生物の生育状況を左右し、その出現累積頻度が30%を超えると微生物の生育速度はこれに比例して速くなることを見出している。

2.空調用ダクト内汚染対策の評価とその効果評価方法の確立

 従来のダクト内に付着する微生物などを含む微粒子量の測定、評価には、拭い取り法、光透過法及び吸引法があるが、これらは付着粒子量が少ないダクトや、丸ダクト・小サイズダクトなどへの適用が困難であった。このような空調用ダクト内の汚染評価は、ダクト内の清掃にとって必要不可欠であるが、ダクト内清掃は一般に業務の行われない休日を利用して行われることが多く、清掃直後の休日あけには直ちに室内が使用されるケースが多いことから、現場での測定が容易でしかもその場で清掃の効果を評価できる簡便な方法が必要とされて来た。

 第4章では、本論文で新たに開発された「デジタル画像法」による付着微粒子量の評価について述べている。「デジタル画像法」は試料の採取と画像の解析により付着粒子量を求める方法である。この「デジタル画像法」により、現場で試料の採取から解析結果を得るまでの一連の作業に要する時間は30分程度であり、付着粒子量の少ないケースにも適応できるとしている。

 この方法は画像処理技術を駆使し、面積率という指標から付着粒子量を求めるという独創的な計測、処理方法である。また本論文では、単に空調用ダクト内の付着粒子量を簡易に測定、処理する方法を提案するだけでなく、実際に使用中の9つのオフィスビルの空調用ダクト内においてこの方法の検証を行い、その妥当性について明快な結果を得ている。

3.抗菌コイルの適用とその評価方法の提案

 冷房期、空調システム内の熱交換器(冷却コイル)の表面は湿度が高くなるため、多くの微生物が生育することが確かめられている。しかし、コイル清掃などにかかわる全国規模のアンケート調査(第7章)では、調査対象建物の70%以上が空調機の熱交換コイルの清掃が行われておらず、コイルでの微生物汚染に対して何らかの対策が必要なっている。

 第5章では、抗菌素材を熱交換コイルのフィンにコーティングしたものに関し、空調運転の状態でその抗菌性能を評価する方法を提案し、実際に評価を行っている。検討はまずフィルム密着法(JIS Z 2801)に準じて、抗菌材の抗菌性能に関する試験を行い、抗菌材の抗菌性能を確認した後、金属イオンを微量分析より定量し、その結果から抗菌メカニズムの考察を行っている。次に、抗菌性能を定量的に評価するための指標API(Antibacterial Performance Index)を提案し、実際の空調運転時を想定してフィンの抗菌性能評価を行い、API指標が実用的な指標であることを確認している。

4.浮遊微生物粒子に対するエアフィルタ捕集性能の解明

 事務所ビルの空気清浄装置には、粒子状物質による室内空気汚染を低減するために、中性能、低性能のろ過式エアフィルタが用いられている。このフィルタの性能評価は、微生物の種類に対応する粒径別の除去性能の測定が有用となるが、現状のエアフィルタの捕集率の評価はこれを考慮できない比色法または重量法によることがほとんどである。

 第6章では実際に建物で使用中のエアフィルタの粒径別捕集性能を計測し、その特性を明らかにしている。この結果は、フィルタの実際の設計に用いることのできる詳細なものである。また、エアフィルタの捕集率は浮遊粒子の粒径の対数関数で表されること、浮遊黄色ブドウ球菌の捕集率は浮遊粒子の1μm以上の捕集率にほぼ等しく、浮遊総菌では2μm以上の浮遊粒子の捕集率に、浮遊真菌では5μm以上の粒子の捕集率に近似していることなどを明らかにしている。

 以上、要約するに本論文はこれまで汚染の可能性が強く指摘されていながら、工学的見地から組織的、系統的に取り組まれていなかった建物の空調システム内の微生物汚染に関し、屋外空気の取り入れ口からエアフィルタ、空調システム内の熱交換コイル、加湿器、空調ダクト、室内への吹き出し口に至るまで、微生物の生育条件、抗菌素材の効用、清掃の効果の評価など系統的かつ包括的な検討結果を示している。この成果は、建物の衛生管理に大きな技術的寄与をなすものであり、建築環境工学、設備工学に大きく貢献するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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