学位論文要旨



No 216231
著者(漢字) 大西,茂彦
著者(英字)
著者(カナ) オオニシ,シゲヒコ
標題(和) 冷凍農産物の組織軟化機構の解析及びその制御法に関する研究
標題(洋)
報告番号 216231
報告番号 乙16231
学位授与日 2005.04.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16231号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 吉村,悦郎
 東京大学 講師 安保,充
内容要旨 要旨を表示する

農産物は,一般的に水分含量が高く長期保存が非常に難しい。腐敗の防止,栄養成分の減少抑制あるいは色や香りなどの官能的な性質の保持という観点において,冷凍は農産物の保存に最も適している。しかし,解凍後にその組織が軟化することが問題となる。この組織軟化は,凍結時に生じた氷結晶が組織構造を損傷させる,いわゆる冷凍傷害により発生する。農産物の力学的物性は細胞膨圧を強く反映しており,この細胞膨圧は細胞原形質膜の状態により大きく変化する。細胞原形質膜は非常に脆弱な構造体であり冷凍傷害の主要な損傷場所であると考えられている。この冷凍傷害を防止し,冷凍-解凍後の組織軟化を抑制できれば,農産物の長期冷凍保存の可能性は飛躍的に広がる。しかしながら,冷凍傷害による農産物組織の軟化メカニズムに関する知見は十分得られておらず,その防止法もいまだ確立されていない。本研究では,冷凍傷害によって農産物組織内部で発生する損傷と力学的物性の変化を定量的に測定した。また,加熱あるいは化学物質処理後の力学的物性変化,あるいは,農産物とは異なる組織構造を有する食品を冷凍-解凍した際の力学的物性変化との比較を行うことで,組織軟化発生のメカニズムに関する知見を得た。また,本研究で得られた,「農産物の冷凍傷害による組織軟化を防止するためには,細胞原形質膜の損傷を最小限に抑制する必要がある」という知見に基づき,浸透圧脱水凍結法の有用性について提案を行う。

本研究では,まず農産物の冷凍傷害による軟化現象を評価するため,農産物組織の力学的物性及び細胞原形質膜の状態を定量的に測定する方法を検討した。従来,農産物の力学的物性は,応力緩和法あるいは破断法で測定されているが,これらの方法は試料と検出器との機械的なカップリングを適切に行わなければ正確な値を測定できない。そこで,本研究では力学的物性測定にリード共振法を採用した。本法は,片持ち梁状に保持した試料の一端に振動を与え,自由端の振幅を解析することで動的粘弾性を測定する。よって,試料と検出器の機械的なカップリングという問題が発生せず,農産物の力学的物性測定に適している。一方,細胞原形質膜の状態評価にはインピーダンス測定法及びCole-Coleプロット解析法を採用した。農産物組織の周波数範囲50〜1MHzのインピーダンスを測定すると,新鮮な組織ではインピーダンスのβ1緩和として知られる周波数依存性が観測される。また,50〜1MHzの周波数範囲で農産物組織のレジスタンス及びリアクタンスを測定し,Cole-Coleプロットを行うと,健全な細胞原形質膜を有する組織では,特徴的な円弧(Cole-Coleの円弧)を示す。これらの現象は,農産物組織が細胞原形質膜で囲まれた閉鎖的な細胞構造の集合体として形成されていることを表している。冷凍-解凍後には,インピーダンスの周波数依存性及びCole-Coleの円弧のいずれも観察されなくなるため,これらの電気的物性を測定することにより,細胞原形質膜の健全性を評価することができた。また,農産物組織に含まれる水分子は,細胞の内外で異なった性質を有すると考えられるが,組織を冷凍した際に放出される潜熱を示差走査熱量計で測定することで,この農産物組織内の水の不均一性が冷凍-解凍処理によって次第に失われていく様子を評価することができた。

次に,農産物の冷凍傷害とそれによって引き起こされる組織軟化の関係について考察を行った。冷凍した農産物組織の力学的物性は,組織の中心温度の低下及び100k Hzのインピーダンス値の減少に伴い低下した。この時,組織のインピーダンスは低周波数側を中心に大きく低下し,また,新鮮時に観察されるCole-Coleの円弧は完全に消失した。また,凍結-解凍後の農産物組織の力学的物性及び電気的物性を経時的に測定し,比動的弾性率あるいは比動的粘性率と比インピーダンス値との関係を解析した結果から,農産物の力学的物性が,細胞原形質膜の健全性の変化に非常に鋭敏であり,また,動的弾性率の方が,氷結晶の生成による細胞原形質膜の破壊及びこれによって引き起こされる細胞膨圧喪失の影響を受けやすいことが明らかとなった。次に,8種類の農産物の,冷凍-解凍前後の力学的物性を測定したところ,新鮮時(冷凍-解凍前)の農産物の動的弾性率は細胞膨圧に依存しており,一方,動的粘性率は細胞壁及び細胞間構造の物理的強度によって決定されていた。しかし,冷凍-解凍後は,動的弾性率あるいは粘性率のいずれも細胞壁及び細胞間構造の物理的強度によって決定されることが示唆された。この結果は,冷凍前の動的粘性率,冷凍後の動的弾性率及び粘性率が,細胞壁及び細胞間構造の強度の指標と考えられる粗繊維含量と相関関係を示すことでも裏付けられた。農産物と同様,細胞構造を有する食品の冷凍前後の電気的物性及び力学的物性を測定したところ,筋肉組織は,冷凍前後で電気的物性及び力学的物性がほとんど変化しなかった。筋肉組織もまた細胞性組織ではあるが,大部分が筋繊維で構成されているため細胞原形質膜で覆われた閉鎖的な細胞構造の率が植物組織と比較して小さいと考えられる。よって,筋肉組織は高い冷凍耐性を有しており,冷凍-解凍後の力学的物性もほとんど変化しなかった。肝臓組織は,冷凍によりインピーダンス値が減少するとともに新鮮時に観測されたCole-Coleの円弧が消失したことから,植物組織と類似した細胞構造を有しており,これが凍結傷害により破壊されていると考えられた。ゲル状食品である蒲鉾,豆腐及び蒟蒻の,冷凍-解凍前後の電気的及び力学的物性を測定したところ,蒲鉾はいずれの物性もほとんど変化せず,組織の冷凍耐性が高いことが示唆された。豆腐及び蒟蒻は,冷凍-解凍後にインピーダンスが増加した。また,蒟蒻においては,冷凍後に力学的物性が増加していた。これらの結果は食品を構成する高分子の変性を反映しているものと考えられた。以上の結果から,農産物が他の食品と異なり冷凍-解凍により容易に軟化するのは,植物組織が細胞原形質膜及び細胞壁で閉鎖された細胞構造の集合体として構成されているためであると判断した。

農産物組織を加熱した際の電気的物性及び力学的物性を経時的に測定したところ,冷凍-解凍時とは異なり,2つの軟化段階,すなわち,細胞原形質膜の破壊による細胞膨圧喪失を原因とする初期の組織軟化と,細胞壁及び細胞間組織の変化に起因する後期の軟化が存在した。加熱時において,これら2つの現象は同時に発生するが,変化の速度が異なるため経時的な分析において2つの軟化段階を示すものと考えられる。農産物組織を冷凍-解凍した際には,このような現象は観察されなかったため,この2つの要因が同時に発生しているものと考えられる。冷凍傷害による組織軟化のメカニズムについて理解するには,冷凍傷害によって発生する細胞原形質膜と細胞壁-細胞間構造の損傷を分離して考察する必要がある。そこで,ニンジン及びジャガイモ組織の細胞原形質膜を,クロロホルム蒸気で選択的に破壊し,電気的物性及び力学的物性を測定した。この時の動的粘弾性の低下は細胞膨圧の喪失のみに起因しているため,冷凍-解凍時の力学的物性変化と比較することにより,冷凍傷害による組織軟化に対する2つの要因の寄与度についての情報が得られた。すなわち,冷凍傷害による組織軟化の主たる原因は細胞原形質膜の損傷による細胞膨圧の喪失であり,細胞壁及び細胞間構造の損傷は力学的物性の変化に対して補助的な役割を果たしていると判断した。

最後に,農産物の浸透圧脱水凍結法について検討を行った。農産物組織は,細胞原形質膜及び細胞壁-細胞原形質膜で囲まれた閉鎖的な組織である上に,水分含量が高いことが特徴である。この組織構造が破壊されると,農産物組織は軟化するが,細胞原形質膜は極めて脆弱な構造体であるため,組織内で氷結晶が生じると容易に損傷を受ける。よって,冷凍-解凍後の組織軟化を抑制するためには,組織の凍結率を下げる必要がある。浸透圧脱水は,空気乾燥と比較して穏和な条件で組織内の水分含量を減少させることができるため,農産物組織の凍結率を下げるための前処理として有効と考えられる。農産物組織を50%蔗糖溶液中で浸透圧脱水し,冷凍・解凍・復水前後の力学的物性を測定したところ,浸透圧脱水したニンジン及びブロッコリー組織の動的粘弾性は,新鮮時と比較して減少したが,無処理で冷凍した組織よりは高い値を示した。組織のインピーダンス測定において,細胞原形質膜の健全性の指標であるCole-Coleの円弧の半径とニンジン及びブロッコリー組織の力学的物性の間には,良い相関が見られた。冷凍・解凍後の細胞組織から流出するドリップ量を測定したところ,浸透圧脱水した組織の方が,無処理のものよりドリップ量が少なく,光学顕微鏡による冷凍・解凍後の組織表面の観察においても浸透圧脱水した組織の状態は,無処理のものより損傷が少なかった。これらの結果から,浸透圧脱水凍結法は,冷凍傷害から細胞組織,特に細胞原形質膜を保護することで冷凍・解凍後の組織軟化を防止していると結論づけた。

これまで,冷凍農産物は,主に微生物的あるいは栄養成分的な品質に焦点が当てられ,ほとんどすべての農産物で発生する解凍後の組織軟化はあまり注目されなかった。しかし,食品に求められるものは,微生物的安全性と栄養成分だけではない。食品に固有の食感もその重要な機能である。本研究で得られた知見により,今後冷凍農産物の力学物性的な品質が向上すると共に,冷凍保存可能な農産物の範囲が飛躍的に拡大するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

野菜の長期保存方法として,冷凍が利用されているが,冷凍傷害により解凍後にその組織が軟化することが問題となる。本論文は,冷凍・解凍後の野菜組織の軟化機構とその防止法についての研究をまとめたもので,5章からなっている。

第1章では,冷凍野菜の栄養成分的あるいは酵素学的変化に関する既往の研究を取りまとめると共に,これらの分野と比較して冷凍野菜の力学物性変化に注目した研究が十分に行われていないことを指摘し,本論文の目的である冷凍・解凍後の野菜組織の軟化機構解明とその防止法の確立の意義が述べられている。

第2章では,野菜の冷凍傷害による軟化現象の定量的評価法について検討している。食品の力学物性測定に利用されている応力緩和法あるいは破断試験法は,検出器と測定試料の機械的カップリング等の問題から本研究には適さないため,これらの問題が生じないリード共振法による力学物性測定法を確立した。また,冷凍傷害による損傷箇所の一つと考えられている細胞原形質膜の健全性を,組織の電気物性変化で評価するインピーダンス測定法及びCole-Coleプロット解析法を確立した。

第3章では,野菜の冷凍傷害による軟化機構に関する検討を行っている。野菜組織の冷凍・解凍後の力学物性及び電気物性を測定した結果,野菜の力学物性が細胞原形質膜の損傷による細胞膨圧喪失の影響で急激に減少することが明らかとなった。細胞膨圧は,新鮮組織の動的弾性率に大きな影響を与えていた。冷凍前後の動的粘性率と冷凍後の動的弾性率については,細胞壁及び細胞間構造の物理的強度との関係が示唆された。次に,冷凍前後の細胞性食品あるいはゲル状食品の電気物性及び力学物性を測定し野菜組織と比較した。細胞性食品である筋肉組織は大部分が筋繊維であるため細胞原形質膜で覆われた閉鎖的な細胞構造の率が植物組織と比較して小さく,冷凍前後で物性がほとんど変化しなかった。肝臓組織は,電気物性から細胞構造が野菜組織と類似すると考えられ,その構造は冷凍・解凍により大きく変化した。ゲル状食品である蒲鉾はいずれの物性もほとんど変化せず,またコンニャクにおいては,冷凍後に電気物性及び力学物性が増加した。以上の結果から,野菜組織が冷凍傷害により容易に軟化するのは,細胞原形質膜及び細胞壁に囲まれた閉鎖的な構造の集合体として構成されているためであると考えられた。野菜組織を加熱した際の電気物性及び力学物性を解析した結果,細胞膨圧の喪失を原因とする初期の組織軟化と細胞壁等の変化に起因する後期の軟化が観察され、野菜組織を冷凍・解凍した際には,この2つの軟化が同時に発生していると考えられた。冷凍傷害によって発生する細胞原形質膜と細胞壁等の損傷を分離して評価するため,ニンジン及びジャガイモ組織の細胞原形質膜をクロロホルム蒸気で選択的に破壊したものの力学的物性を,冷凍・解凍したもののそれと比較した。その結果,冷凍傷害による組織軟化の主たる原因は細胞膨圧の喪失であり,細胞壁等の損傷は力学物性変化に対して補助的な役割を果たしていることが示唆された。

第4章では,野菜の浸透圧脱水凍結法について検討を行っている。第3章の研究で,冷凍傷害による野菜組織の軟化を抑制するためには,細胞原形質膜の保護が有効であると考えられた。しかし,この膜構造は極めて脆弱であり組織内で氷結晶が生じると容易に損傷を受けるため,その保護のためには組織の凍結率を下げる必要がある。浸透圧脱水は,穏和な条件で組織内の水分含量を減少させることができ,野菜組織の凍結率を下げる前処理として有効と考えられた。ニンジン及びブロッコリーの組織を50%蔗糖溶液中で浸透圧脱水し,冷凍・解凍・復水し力学物性を測定したところ,その動的粘弾性は,無処理で冷凍した組織より高い値を示した。細胞原形質膜の健全性の指標であるCole-Coleの円弧の半径とニンジン及びブロッコリー組織の力学物性の間には,良い相関が見られた。また解凍後に細胞組織から流出するドリップ量あるいは,光学顕微鏡による解凍後の組織表面観察の結果からも、浸透圧脱水した組織は無処理のものより冷凍傷害が少ないことが示唆された。以上の結果から,浸透圧脱水凍結法は,冷凍傷害から細胞原形質膜を保護することで冷凍・解凍後の組織軟化を抑制していると考えられた。

第5章では,本研究の総括を行い,本研究で得られた知見により今後冷凍野菜の力学物性的な品質が向上すると共に,冷凍保存可能な農産物の範囲が飛躍的に拡大するものと結論づけている。

以上,本論文は,野菜の冷凍傷害による組織軟化の機構を新規な手法で解析するとともにその有効な防止法を提案したもので,学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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