学位論文要旨



No 216232
著者(漢字) 長袋,洋
著者(英字)
著者(カナ) ナガブクロ,ヒロシ
標題(和) 新規アセチルコリンエステラーゼ阻害薬TAK-802の下部尿路機能に対する作用の薬理学的研究
標題(洋)
報告番号 216232
報告番号 乙16232
学位授与日 2005.04.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16232号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 助教授 桑原,正貴
 東京大学 助教授 堀,正敏
内容要旨 要旨を表示する

排尿筋低活動は加齢あるいは前立腺肥大症(benign prostatic hyperplasia: BPH)、糖尿病、多発性硬化症などの慢性疾患により起こる排尿障害の原因のひとつと考えられている。現在のところ排尿筋低活動に伴う排尿障害に対する最も有効な治療法は間歇的自己導尿であり、その普及とともに新規薬物開発の対象からは除外されてきた。しかしながら、間歇的自己導尿には尿路感染や膀胱損傷などの問題点も少なくなく、また患者の精神的負担を考慮すると真に効果のある薬物治療は依然として求められている。

病態モデルにおいて膀胱へのアセチルコリンエステラーゼ(acetylcholinesterase: AChE)陽性神経である骨盤神経の投射密度が低下することから、排尿筋低活動にはこの部分的徐神経による平滑筋収縮力の低下が関与すると考えられており、排尿筋の収縮力の回復を目的にコリン作動性薬剤が臨床において使用されている。実際、ムスカリン受容体作動薬は膀胱の収縮を促し、またコリンエステラーゼ(ChE)阻害薬は神経インパルスによる膀胱収縮を増強することが報告されているが、それらの臨床効果は必ずしも明確でない場合が多い。

本研究により、私は非カルバメート骨格でAChE阻害活性を有する新規化合物群に膀胱収縮を高める作用を見出した。それらの化合物群を精査した結果、既存のカルバメート系ChE阻害薬およびムスカリン受容体作動薬と比較し、TAK-802(8-[3-[1-[(3-fluorophenyl)methyl]-4-piperidinyl]-1-oxopropyl]-1,2,5,6-tetrahydro-4H-pyrrolo[3,2,1-ij]quinolin-4-one)が排尿筋低活動に起因する排尿障害に対し、より有効で安全な治療薬となりうることを示唆する次の知見を得た。

TAK-802はヒト赤血球由来のAChEの活性を強力に阻害し、そのIC50値は1.5 nmol/Lであった。またAChE阻害作用に高い選択性を有し、非特異的ChEであるブチリルコリンエステラーゼ(butyrylcholinesterase: BuChE)活性を阻害しなかった。一方、カルバメート系阻害薬であるジスチグミンやネオスチグミンはAChEとBuChEを同等の濃度範囲で阻害した。ラットにおける筋線維束攣縮(ニコチン様作用)と消化管運動(ムスカリン様作用)の観察から、TAK-802はジスチグミンに比べニコチン様作用に対するムスカリン様作用の相対効力が3倍以上強いことを明らかとした。

TAK-802(0.001‐0.01 mg/kg, i.v.)およびジスチグミン(0.003‐0.3 mg/kg, i.v.)はラットおよびモルモットにおいて用量依存的な膀胱収縮の増大作用を示した。この増大作用はアトロピンの同時投与により完全に拮抗されたことから、両薬物が膀胱において排尿反射により遊離されたアセチルコリン(acetylcholine: ACh)の作用を増強することが示された。ムスカリン受容体作動薬であるベタネコールの投与後には基底レベルの膀胱内圧上昇が認められ、反射性の膀胱収縮は減弱する傾向にあった。

モルモット摘出膀胱筋標本において、TAK-802(0.003‐0.1 μmol/L)とカルバメート系阻害薬(ジスチグミン(0.1‐3 μmol/L)、ネオスチグミン(0.01‐1 μmol/L)、ピリドスチグミン(0.3‐30 μmol/L))はニコチン誘発収縮を濃度依存的に増大した。それらの増大作用は、AChE阻害活性と相関していたことから、ChE阻害薬はニコチン処置により遊離された内因性AChの作用を一様に高めることが確認された。カルバメート系阻害薬は基底張力をも増大する作用を示したが、TAK-802は全く基底張力に影響しなかった。このChE阻害薬による基底張力増大作用はAChE阻害活性と相関しないことから、別の作用機序が考えられた。

次に、カルバメート系阻害薬はAChEとBuChEのどちらも阻害するのに対し、TAK-802はAChEの阻害に高い選択性を有していることに着目した。TAK-802(0.1 μmol/L)とBuChE選択的阻害薬であるiso-OMPA(10‐100 μmol/L)を同時処置しAChEとBuChEの両酵素を阻害することにより、基底張力が増大したことからカルバメート系阻害薬は両コリンエステラーゼを阻害することにより、摘出膀胱筋の基底張力を増大する可能性が示唆された。しかし、TAK-802とiso-OMPAの同時処置による基底張力増大の最大値はネオスチグミンやピリドスチグミン単独の最大値に比べ小さく、またAChEとBuChEの選択性がネオスチグミンよりも低いジスチグミンで、基底張力の増大作用が微弱であったことから、カルバメート系阻害薬の基底張力増大作用にはコリンエステラーゼ阻害とは別の化合物の構造に由来する機序の関与も考えられた。上記の薬物処置による基底張力増大作用はすべてアトロピン処置により消失したことから、AChとムスカリン受容体を介することは確認できたが、詳細な機序はいまだ不明である。

プレッシャーフロースタディー(pressure flow study: PFS)は膀胱内圧と尿流率を同時に測定することにより、尿道閉塞と膀胱収縮力とを評価しうる唯一の臨床検査方法として広く用いられている。ラット、モルモットあるいはミニブタなど動物モデルを用いたPFSもいくつか報告されており、尿道閉塞や膀胱収縮力、また薬剤投与によるパラメータの変化などが測定可能である。本研究ではウレタン麻酔モルモットを用いてPFSを行い、TAK-802と既存薬の作用を検討した。

TAK-802とカルバメート系阻害薬の尿流動態に対する作用は予想外に異なるものであり、それぞれの薬物に明確な差異が認められた。すなわちTAK-802(0.003‐0.03 mg/kg, i.v.)は排尿量および最大尿流率(maximum flow rate: Qmax)を有意に増大し、このとき最大尿流時膀胱内圧(intravesical pressure at Qmax: Pves(Qmax))または膀胱コンプライアンスに変化は認められなかった。一方、ジスチグミン(0.03‐0.3 mg/kg, i.v.)およびネオスチグミン(0.01‐0.1 mg/kg, i.v.)はPves(Qmax)を有意に増大し、排尿量やQmaxに変化は認められず、また膀胱コンプライアンスは有意に低下した。ベタネコール(0.1‐1 mg/kg, i.v.)の投与によっては膀胱容量および膀胱コンプライアンスの低下が認められ、排尿量やQmaxに影響は認められなかった。モルモットにおいて外尿道括約筋部の尿道内圧は0.3 mg/kg, iv以上のジスチグミンの投与により有意に上昇し、この尿道内圧の上昇は神経‐筋接合部のニコチン受容体拮抗薬であるd-ツボクラリンの前処置により完全に消失した。一方、TAK-802は0.03 mg/kg, ivまでの投与量で尿道内圧に影響しなかった。

これらの結果からTAK-802は蓄尿機能に影響することなく排尿時の膀胱収縮力を増大することにより膀胱の排出能を高めること、またカルバメート系阻害薬は膀胱コンプライアンスの低下により膀胱の蓄尿能を低下させ、さらに外尿道括約筋の収縮により尿道抵抗を増大し膀胱の排出能をも損なうことが示唆された。カルバメート系阻害薬の外尿道括約筋の収縮作用と膀胱コンプライアンス低下作用は、それぞれ先に示したカルバメート系阻害薬の強いニコチン様作用と摘出膀胱筋の基底張力増大作用に起因する可能性が考えられた。ベタネコールは排尿時だけでなく蓄尿期にも膀胱平滑筋を収縮するため膀胱の蓄尿能を著しく低下させ、また排出能を高めないことが示された。

次に病態モデルにおけるTAK-802と既存薬の薬物効果を検討した。尿道部分狭窄(bladder outlet obstruction: BOO)ラットは代表的なBPHモデルである。BOO処置により1回排尿量の減少、排尿頻度ならびに残留尿量の増加が認められた。TAK-802(0.001‐0.1 mg/kg, p.o.)およびジスチグミン(0.1‐1 mg/kg, p.o.)はともに排尿頻度には影響せず、それぞれ0.003および0.3 mg/kg, p.o.以上で1回排尿量を増大した。TAK-802は用量依存的に残留尿量を減少させたが、ジスチグミンの残留尿量減少作用は単一用量でのみ認められ、TAK-802に比べ弱い作用であった。一方、ベタネコール(3‐30 mg/kg, p.o.)は1回排尿量へ影響を及ぼさず、排尿頻度を増加させることで用量依存的な残留尿量減少作用を示した。TAK-802の4日間反復投与によりBOOによる膀胱重量の増加は用量依存的に抑制された。

以上の結果より、BOOモデルにおいて、TAK-802およびジスチグミンは過活動膀胱を起こすことなく、一回排尿量を増加させるが、TAK-802はジスチグミンに比べ残尿量減少作用が強力であることが示された。ベタネコールも残尿量を減少させるが、これは排尿頻度の増加による作用であり、ChE阻害薬とは全く異なることが明らかとなった。さらに、狭窄早期のTAK-802投与はBOOによる膀胱肥大を抑制することが示唆された。

BPHに伴う排尿障害には前立腺腫の肥大による尿道の機械的閉塞と膀胱出口部の平滑筋収縮による機能的閉塞の2つの異なる原因が存在する。先のBOOモデルは物理的に尿道を狭窄するため、前者の機械的閉塞のモデルといえる。実際、BOOによる排尿機能や膀胱平滑筋組織の変化はBPHによるそれと類似しており、BPHの動物モデルとして広く認められている。ところで、BPHの薬物療法で最も使用されているアドレナリンα1拮抗薬は膀胱刺激症状と排尿動態のいずれのパラメータに対しても有効である。BOOモデルにおいて、アドレナリンα1拮抗薬の膀胱刺激症状抑制効果については一部再現されているが、排尿動態の改善作用については報告されておらず、また機械的に尿道を狭窄するBOOモデルにおいて、その作用発現はあまり期待できない。そこで、アドレナリンα1拮抗薬の尿流動態改善作用を認める機能的尿道閉塞モデルを作成し、さらに臨床にて想定されるTAK-802とアドレナリンα1拮抗薬の併用の効果を検討した。尿道の機能的閉塞はアドレナリンα1作動薬であるフェニレフリンを持続的に投与することで誘起し、PFSにて各種尿流動態パラメータを測定した。

ウレタン麻酔モルモットにおいてフェニレフリンの静脈内注入(0.001‐0.006 mg/animal/min)は、用量に依存してQmaxおよび排尿効率を低下させ、最大膀胱内圧(intravesical pressure: Pves max)およびPves(Qmax)を増大させた。本機能的尿道閉塞モデルにおいてTAK-802(0.001、0.010 mg/kg, i.v.)およびタムスロシン(0.003、0.010 mg/kg, i.v.)は、それぞれの単独投与によってもQmaxおよび排尿効率を増大したが、それらを併用することにより相加的なQmaxおよび排尿効率の増大が認められた。TAK-802の単独投与によっては有意かつ用量依存的なPves maxの増大が認められたが、その作用はタムスロシンの併用により完全に消失した。

以上の結果より、アドレナリンα1作動薬の投与による尿道の機能的な閉塞はBPHと同様な尿流動態パラメータの変化を惹起し、本モデルにおいてα1拮抗薬単独よりもTAK-802との併用により、尿流動態がさらに改善されることが示唆された。またTAK-802の単独投与は排尿時の膀胱内圧を有意に上昇させたことから、尿道閉塞を有する患者では高圧排尿の誘発が危惧されるが、アドレナリンα1拮抗薬との併用によりその作用は軽減される可能性も示唆された。

以上の成績より、非カルバメート骨格を有するTAK-802は、AChE阻害に高い特異性を有することにより、既存のコリン作動性薬剤と異なり、蓄尿機能を損なうことなく排尿機能を亢進することが明らかとなった。臨床試験において十分な安全性が確認されれば、特異的AChE阻害薬であるTAK-802は、既存薬よりも高い効果を発揮する排尿筋低活動に伴う排尿障害の治療薬となり得る可能性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

排尿筋低活動は加齢あるいは前立腺肥大症(BPH)、糖尿病などの慢性疾患により起こる排尿障害の原因のひとつである。病態モデルにおいて膀胱へのアセチルコリンエステラーゼ(AChE)陽性神経の投射密度が低下することから、排尿筋低活動にはこの部分的徐神経による平滑筋収縮力の低下が関与すると考えられている。膀胱収縮力の回復を目的にベタネコール(BET)やジスチグミン(DIS)などのコリン作動性薬剤が使用されているが、それらの臨床効果は必ずしも明確でない場合が多い。本研究は、非カルバメート骨格でAChE阻害活性を有する新規化合物TAK-802が、既存薬に比べ排尿筋低活動に起因する排尿障害に対してより有効で安全な治療薬となりうることを示唆するかどうかを検討したものである。

第1章を緒言とした後、第2章では、TAK-802のコリンエステラーゼ阻害特性について検討した。TAK-802はAChE活性を強力に阻害し、ブチリルコリンエステラーゼ(BuChE)活性を阻害しなかった。一方、カルバメート系阻害薬であるDISやネオスチグミン(NEO)はAChEとBuChEを同等の濃度範囲で阻害した。またラットにおいてTAK-802はDISに比べニコチン様作用に対するムスカリン様作用の相対効力が3倍以上強いことを明らかとした。

第3章では、TAK-802の膀胱収縮に対する作用を検討した。TAK-802およびDISはラットおよびモルモットにおいてAChE阻害作用に基づく膀胱収縮の増大作用を示した。ムスカリン受容体作動薬であるBETは基底レベルの膀胱内圧を増大し、反射性膀胱収縮は減弱する傾向にあった。さらに、モルモット摘出膀胱筋において、TAK-802とカルバメート系阻害薬はニコチン誘発収縮を増大した。それらの増大作用は、AChE阻害活性と相関していた。TAK-802は基底張力に影響しなかったが、カルバメート系阻害薬はこれを増大する作用をも示した。TAK-802とBuChE選択的阻害薬iso-OMPAの同時処置による両コリンエステラーゼの阻害は、基底張力を増大した。

第4章では、TAK-802の尿流動態に対する作用を検討した。TAK-802は排尿量および最大尿流率(Qmax)を有意に増大し、このとき最大尿流時膀胱内圧(Pves(Qmax))または膀胱コンプライアンスに変化は認められなかった。一方、DISおよびNEOはPves(Qmax)を有意に増大し、排尿量やQmaxに変化は認められず、また膀胱コンプライアンスは有意に低下した。BETの投与によっては膀胱容量および膀胱コンプライアンスの低下が認められ、排尿量やQmaxに影響は認められなかった。モルモットにおける外尿道括約筋部尿道内圧はジスチグミンの投与により有意に上昇し、この作用はd-ツボクラリンにより完全に消失した。一方、TAK-802は尿道内圧に影響しなかった。

第5章では、BPHモデルにおけるTAK-802の作用を検討した。尿道部分狭窄ラットにおいてTAK-802およびDISはともに排尿頻度には影響せず、1回排尿量を増大した。TAK-802はジスチグミンに比べて強力にかつ用量依存的に残尿量を減少させた。一方、BETは1回排尿量へは影響せず、排尿頻度を増加させることで残尿量減少作用を示した。次にアドレナリンα1作動薬の投与による機能的尿道閉塞モデルにおけるTAK-802とアドレナリンα1拮抗薬タムスロシン(TAM)の併用効果を検討した。TAK-802およびTAMは、それぞれの単独投与によってもQmaxおよび排尿効率を増大したが、それらを併用群ではさらに顕著な効果が認められた。TAK-802はPves maxを増大したが、その作用はTAMの併用により完全に消失した。

以上の成績より、TAK-802は、AChE阻害に高い特異性を有することにより、既存のコリン作動性薬剤と異なり、蓄尿機能を損なうことなく排尿機能を亢進することが明らかとなった。今後臨床試験において十分な安全性が確認されれば、TAK-802は既存薬よりも高い効果を発揮する排尿筋低活動に伴う排尿障害の治療薬となり得る可能性が示された。これらの知見は、学術上の重要性はいうに及ばず、今後の泌尿器系作用薬の開発にとっても有用な知見と考えられる。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の論文として価値あるものと認めた。

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