学位論文要旨



No 216233
著者(漢字) 伊藤,喜之
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ヨシユキ
標題(和) ヨーグルト乳酸菌の安全な遺伝子操作系の構築に関する研究
標題(洋)
報告番号 216233
報告番号 乙16233
学位授与日 2005.04.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16233号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 明治大学 助教授 中島,春紫
内容要旨 要旨を表示する

ヨーグルト乳酸菌Lactobacillus delbrueckii subsp. bulgaricus (L. bulgaricus;LB)とStreptococcus thermophilus(S.thermophilus; ST)の遺伝子操作法を確立し、実用レベルで安全性を追求した組換え菌を作製することを目的として、以下のような研究を行った。

第1章 L. bulgaricus宿主・ベクター系の構築

それまで非常に困難で全く前例がなかったLBの形質転換を可能にするために、ベクターの材料となるLBのnativeプラスミドの検索を行った。LB 50株以上を調べた結果、唯一M-878株中にプラスミドpBUL1(7894bp)を見出した。配列中には4つのORFが存在した。intergemcなXbaIサイトにエリスロマイシン(Em)耐性遺伝子(ermA)を結合し、Lactococcus lactis subsp. lactis (Lc. lactis) IL1403株へ形質転換したところ、Em耐性の形質転換体が得られ組換えプラスミド(pX3)を保持していた。pBUL1の複製には、8-nt.モチーフと繰り返し配列を含むori領域とその上流のDNA primaseと推定される2559-bpのORFが必要であった。既知の類縁菌由来プラスミドのうち、pWS58との類似性が認められた。

M-878株のpBUL1キュアリング株BGを宿主とし、pX3を用いてエレクトロボレーションによる形質転換条件を検討した。パルスによるダメージを抑えるため菌内の電圧差が少なくなるように菌形ができるだけ短くなる培養条件を検討した結果、培地の初発pHを5.5とすることが有効であった。さらに48℃で5〜10分間処理することにより自己溶菌活性を誘導して細胞壁を弱化させること、パルス後の培養にミルク成分を主体とするEXBG培地を用いること、などを組み合わせて、1〜10/ugpX3と低い頻度ながら初めてLBの形質転換に成功した。本法法でLBの他株および同種2亜種(lactis、delbrueckii)でも形質転換が可能であった。

LBの形質転換株からpX3を調製し、BG株へ形質転換したところ、4x104/μgと頻度が103倍以上向上した。さらに、pX3をキュアリングした形質転換株の一株(T-11)では、IL1403から調製したpX3でも高い頻度で形質転換が可能で、T-11由来のpX3をBG株に形質転換しても頻度が向上しなかったことから、BG(=M-878)株に制限修飾(RM)系があり、T-11は両活性の欠損株であると考えられた。BG(RM+)とT-11(RM-)の形質転換体から調製したpX3を種々の制限酵素で切断すると前者ではTthHB8I(5′-TCGA-3′)で一部の認識部位だけが切れなくなっていた。またRM+株の染色体はXho I(5′-CTCGAG-3′)で全く切断されないが、T-11株染色体は切断が可能であった。そこで、M-878由来ライブラリをXho Iで切断し、耐性を発現するクローンとしてRM遺伝子をクローニングした。R遺伝子(4443 bp)はDNA/RNA helicaseモチーフDEAD-boxとATP/GTP結合モチーフを持ち、III型のRM系であると推定された。M遺伝子(792 bp)にはN6アデニン・メチレースの保存モチーフがあったが、4つのうち2つしかなく、残り2つはR遺伝子の後半部に存在していた。修飾活性の認識は、新規な配列5′-CTCGA-3′と推定された。修飾活性の発現にR遺伝子の後半部がtransに必要である点で極めて特徴的であった。修飾活性に必要なR遺伝子後半とM遺伝子を染色体に組み込んだ中間宿主を作製してプラスミドを修飾することにより、M-878株系統のRM+野生株へも高頻度で形質転換を行うことが可能となった。

第2章 Lactococcus lactis由来プラスミドpSY1の解析および乳酸菌用ベクターへの利用

Lc. lactis M-128C株中に新規なプラスミドpSY1(2763 bp)を見出した。pSY1にermAを結合して作製したpSYE2でもT-11株を形質転換することができた。pSY1はLactococcus lactis subsp. cremoris Wg2株由来のpWVO1と非常に類似しており、特にrepAは99%以上相同で、pWVO1と同様にrolling-circle型の複製を行うと推定された。pSY1とpWVOl上の同じ部位にermAを同方向に挿入したプラスミドを構築して比較した結果、pSY1ベースのプラスミドはpWVO1ベースに比べてT-11株への形質転換頻度が約102高く、この違いは両プラスミドで異なるsingle-strand originを含む領域に起因していると推定された。

pSYE2にStreptococcus bovis α-アミラーゼ遺伝子(amyA)のプロモーターおよびシグナル配列を結合して異種遺伝子分泌発現ベクターpSECE1を構築した。レポーターとしてStaphylococcus aureus nuc、B. subtilis amyEn+、E. coli blaのmature部を結合してLBなどの乳酸菌に形質転換し、これらが培地中に分泌発現していることを確認した。また、amyAプロモーターだけを結合した発現ベクターpSBEA1も構築した。これらによりヨーグルト乳酸菌での異種遺伝子発現を容易に行えるようになった。

乳酸菌での染色体への組み込みでは、温度感受性(ts)複製ベクターを用いて低温で形質転換体を取得した後、複製できなくなる高温で組み込みを誘起させることが一般的である。tsベクターとしてよく利用されるpWVO1ベースのpG+host5ではLB T-11を形質転換することができなかったが、 pG+host5 repAのts変異をpSYE2に移植したPSG+E2ではP-11を形質転換することができた。 PSG+E2はIBおよびST中で、32℃ではプラスミドとして複製するが42℃では複製できずに染色体に組み込まれ、再度32℃に下げると組み込まれていたプラスミドが染色体から切り出される。pSG+E2を利用することによりヨーグルト乳酸菌染色体上の遺伝子の操作と余分なベクター配列の除去が可能となった。

第3章 ヨーグルト乳酸菌で利用可能な、安全な選択系の開発

組換え体の安全性という観点からは、薬剤耐性遺伝子の使用を避けること、導入した遺伝子が容易に伝播しないこと、歴史的に安全とみなされている(GRAS)な生物由来の材料のみを用いること、が望ましい。ヨーグルト乳酸菌で利用可能な、薬剤耐性を用いない安全な形質転換体選択法として、以下を検討した。

チミジン合成酵素遺伝子(thyA)をLBおよびSTから新規にクローニングし、選択マーカーとしての利用を検討した。ST ATCC 19258株から高濃度のトリメトプリム処理により、チミジン要求性を示すthyA・変異株を取得し、宿主とした。野生型thyAをpSY1あるいはpBUL1に結合したプラスミドを形質転換するとチミジン要求性が相補され、thyAが安全な選択マーカーとして利用できることが示された。また、pSY1のts複製変異を用いて、ST染色体へのthyAとamyA遺伝子の組み込みを行うことができた。

また、乳糖資化性による選択の利用を検討した。 LB、STでは、乳糖はlactose permeaseによって取り込まれ、菌体内β-ガラクトシダーゼによって分解される。両菌のβ-ガラクトシダーゼ遺伝子LacZを破壊して宿主とするため、遺伝子内部を欠失させた断片をpSG+E2に結合し、LB T-11株およびST ATCC 19258株に導入して二重交叉(DCO)による遺伝子破壊を行った。得られたlacZ遺伝子破壊株は、乳糖を主糖源とするスキムミルク(SM)培地では生育できず、グルコースを加えると生育した。野生型のST lacZあるいはLB lacZとpSY1を連結し、ATCC 19258 lacZ破壊株を形質転換したところ、グルコースを含まないSM培地プレートでコロニーが出現し、pSY1にlacZが結合したプラスミドを保持していた。これらのプラスミドでLB T-11 lacZ破壊株を形質転換し乳糖資化性で選択することも可能であった。

両菌のlacZはDNA相同性が約50%しかないため、 LB lacZ破壊株に対してST lacZを選択マーカーとして持つtsプラスミドを用いてIB染色体上の遺伝子操作ができる(逆の組み合わせも可能)。さらにその遺伝子改変株に対してpSY1(ts)とlacZだけからなるプラスミドを用いてDCOを行うことによりlacZを再生させ乳糖資化性を元に戻すことができる。これら一切の操作を薬剤耐性を使わず乳糖資化性のみでの選択により行うことが可能である。実例として、LB lacZ遺伝子破壊株のD-乳酸脱水素酵素(LDH)遺伝子をST由来のL-LDH遺伝子と交換し、最後にlacZを野生型に戻した例を示す。

これらにより、ヨーグルト乳酸菌LBおよびSTにおいて、効率的で安全性が追求された遺伝子操作が可能となり、今後ますます進展が期待される両菌の遺伝的解析を基に、より魅力的なヨーグルト菌の創生への応用が期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はヨーグルトの製造に使用される主要な乳酸菌Lactobacillus delbrueckii subsp. bulgaricus (L. bulgaricus)とStreptococcus thermophilus (S. thermophilus)の遺伝子操作法を確立し、実用レベルで安全性を追求した組換え菌を作製することを目的として行われた研究であり、3章よりなる。

第1章では、L. bulgaricusの宿主・ベクター系の構築について述べている。それまで非常に困難で全く前例がなかったL. bulgaricusの形質転換を可能にするために、L. bulgaricusが保持するプラスミドの検索を行った。50株以上を調べた結果、ただ1株(M-878株)から見出し、pBUL1と命名した。本プラスミドにエリスロマイシン(Em)耐性遺伝子(ermA)を結合し、Lactococcus lactis subsp. lactis (Lc. lactis) IL1403株へ形質転換したところ、Em耐性の形質転換体が得られ、組換えプラスミド(pX3)を保持していた。M-878株のpBUL1キュアリング株 BGを宿主とし、pX3を用いてエレクトロポレーションによる形質転換条件を検討し、培地の初発pHを5.5とすること、48℃で5〜10分間処理すること、パルス後の培養にミルク成分を主体とする EXBG 培地を用いることなどを組み合わせて、1〜10/μg pX3と低い頻度ながら初めてL. bulgaricusの形質転換に成功した。

第2章では、Lactococcus lactis由来プラスミドpSY1の解析および乳酸菌用ベクターへの利用について検討を行っている。Lc. lactis M-128C株中に新規なプラスミド pSY1を見出した。次に、pSYE2にStreptococcus bovis α-アミラーゼ遺伝子のプロモーターおよびシグナル配列を結合して異種遺伝子分泌発現ベクターpSECE1を構築した。レポーターとして Staphylococcus aureus nuc、B. subtilis amyE+、E. coli blaを結合してL. bulgaricusなどの乳酸菌に形質転換し、これらが培地中に分泌発現していることを確認した。

第3章では、ヨーグルト乳酸菌で利用可能な、安全な選択系の開発について述べている。薬剤耐性を用いない安全な形質転換体選択法として、チミジン合成酵素遺伝子(thyA)をL. bulgaricusおよびS. thermophilusから新規にクローニングし、選択マーカーとしての利用を検討した。S. thermophilus ATCC 19258株からチミジン要求性を示すthyA-変異株を取得し、宿主とした。野生型thyAを pSY1 あるいは pBUL1 に結合したプラスミドを形質転換すると要求性が相補され、thyA が安全な選択マーカーとして利用できることを示した。さらに、乳糖資化性による選択の利用を検討した。L. bulgaricus、S. thermophilus では、乳糖はlactose permeaseによって取り込まれ、菌体内β-ガラクトシダーゼによって分解される。両菌のβ-ガラクトシダーゼ遺伝子lacZを破壊するため、遺伝子内部を欠失させた断片をpSG+E2に結合し、L. bulgaricus T-11株およびS. thermophilus ATCC 19258株に導入して遺伝子破壊を行った。野生型のS. thermophilus lacZあるいはL. bulgaricus lacZとpSY1を連結し、ATCC 19258 lacZ破壊株を形質転換したところ、グルコースを含まないスキムミルク培地プレートでコロニーが出現し、pSY1にlacZが結合したプラスミドを保持していた。両菌のlacZはDNA相同性が約50%しかないため、L. bulgaricus lacZ破壊株に対してS. thermophilus lacZを選択マーカーとして持つtsプラスミドを用いてL. bulgaricus染色体上の遺伝子操作が可能であった。さらにその遺伝子改変株に対してpSY1(ts)とlacZだけからなるプラスミドを用いてlacZを再生させ乳糖資化性を元に戻すことができた。この応用例として、L. bulgaricus lacZ遺伝子破壊株のD-乳酸脱水素酵素(LDH)遺伝子をS. thermophilus由来のL-LDH遺伝子と交換し、最後にlacZを野生型に戻すことが可能であることを示している。

以上、本論文は、ヨーグルト乳酸菌 L. bulgaricusおよび S. thermophilus の効率的で安全な遺伝子操作法を確立したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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