学位論文要旨



No 216237
著者(漢字) 桐渕,協子
著者(英字)
著者(カナ) キリブチ,キョウコ
標題(和) イネにおけるジャスモン酸応答性遺伝子の機能解析
標題(洋)
報告番号 216237
報告番号 乙16237
学位授与日 2005.04.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16237号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 阿部,啓子
 農業生物資源研究所 チーム長 南,栄一
 東京大学 助教授 野尻,秀昭
内容要旨 要旨を表示する

植物は動物のように動き、移動することが出来ない。そのため、低温、高温、乾燥、強い紫外線などの環境ストレスに対する植物独自の抵抗性を持っていると考えられている。また、非常に多くの病原菌の感染から防御する動物の免疫反応のような、しかし植物独自の抵抗性機構をも有している。近年、分子生物学の発展によりこれら防御応答の分子レベルにおいての研究がなされているが、依然として未解明な部分が多い。これらのことを明らかにするためには、植物が病原菌の感染シグナルをどのようなメカニズムで核内に伝えるか、そしてそのシグナルがどのような遺伝子の発現を誘導するのか、そしてその遺伝子産物がどのように機能することによって防御応答に繋がるのかを理解する必要がある。最近、これら防御応答に植物ホルモンの一種であるジャスモン酸(jasmonic acid;JA)が関与していることがわかってきた。JAは他の植物ホルモンとクロストークして働き、病害抵抗性のみならず、様々な機能を有することがわかってきている。

我々のグループはイネ培養細胞を用いて、JAのシグナル伝達機構に関する研究を行ってきた。イネ培養細胞においては病原菌感染シグナルの一つであるキチンエリシター処理により抗菌性二次代謝産物(ファイトアレキシン)生産が誘導されるが、このシグナル伝達系において、JAがシグナル物質として重要な機能を果たしていることが明らかにされた。

本研究はJAのシグナル伝達経路解明の一環として行われたもので、イネ培養細胞において、JAによってmRNAレベルが増加する遺伝子をクローニングし、その機能解析を行うことを目的とするものである。

第2章においては、JA処理2時間のイネ培養細胞cDNAライブラリーを作製し、ディファレンシャルスクリーニングにより、JA処理でmRNAレベルが増加する遺伝子のcDNAクローニング及び機能解析を行った。その結果、二種のJA応答性遺伝子RRJ1とRRJ2のcDNAクローニングすることに成功した。RRJ1は、337アミノ酸からなるタンパク質をコードしていると推測された。推定アミノ酸配列はイネのシスタチオンγ-リアーゼ完全に一致した。シスタチオンγ-リアーゼはシスタチオンからシステインに変換する酵素であり、得られたシステインの多くは抗酸化剤として働く、グルタチオンへと変換され、防御応答に関わる遺伝子発現を制御していると考えられる。RRJ1のcDNAのフラグメントは、イネいもち病菌Magnaporthe griseaに感染させたイネ葉からのESTクローンとして登録されており、培養細胞だけでなく、イネ植物体においても発現しているものと考えられる。これらのことから、植物の病害応答の一つとして合流アミノ酸の生合成代謝が誘導され、それには、JAが関与している事が示唆された。RRJ2は605アミノ酸からなるタンパク質をコードしていると推測され、イネのピルビン酸デカルボキシラーゼ酸配列とほぼ一致した。ピルビン酸デカルボキシラーゼは嫌気条件下でアルコールデヒドロゲナーゼとともに機能し生物のエネルギー獲得に関与している。最近の研究で、ピルビン酸デカルボキシラーゼは嫌気的条件下以外でも、植物体でABA処理、マンニトール処理や傷害ストレスに対しても発現することが分かっている。さらに、植物が病原菌感染後や障害に対し、多くのエネルギーを防御応答に向けることが考えられ、RRJ2はその場合のエネルギー獲得のために働く酵素であると考えられる。

第3章ではより早いJA応答性を示す遺伝子を探索するため、JA処理30分のイネ培養細胞から作製したcDNAライブラリーを用いて、ディファレンシャルスクリーニングを行い、RERJ1と命名した一種のJA応答性遺伝子のcDNAを単離した。RERJ1は310アミノ酸からなるタンパク質をコードしており、その推定アミノ酸配列と相同性の高いものは見つからなかったが、MybDやガン遺伝子産物であるMycなどを代表とする一群の転写因子に見出されるDNA結合モチーフである塩基性領域へリックスーループーヘリックス(basic helix-loop-helix;bHLH)モチーフを有していた。bHLH転写因子はゲノム解析が終了したシロイナズナやイネにおいて、それぞれゲノム中に100個以上存在し、スーパーファミリーを形成しているが、生物学的機能解析が明らかになったものはごく一部で、大部分は機能未知のままである。RERJ1は現在機能が研究されている植物のbHLHタンパク質とは系統樹上はなれており、RERJ1は、今までに無い新規の機能を持つ転写因子である可能性が考えられた。RERJ1は培養細胞でJA応答性を示すだけでなく、イネ植物体においてもJAに応答して発現が見られた。JAは様々な生物学的、非生物学的環境ストレスに対する防御応答に関与している植物ホルモンであることが示唆されていることから、RERJ1もストレス応答に関与している可能性が考えられた。植物体におけるRERJ1遺伝子の様々な環境ストレスに対する応答性を解析したところ、傷害、乾燥などのストレスに対して、RERJ1が応答性を示した。RERJ1のストレス応答ががJAを介しているか否かをRERJ1発現前後での内生JAレベルの定量したところ、RERJ1の発現時には内生JAの増加が認められRERJ1の発現にはJAが関与していることが強く示唆された。

第4章では、さらにRERJ1の生物学的機能を解析するため、センス、アンチセンスRERJ1 mRNAの過剰発現イネを作製し、それらの表現型の解析を行った。また、RERJ1過剰発現株を用いて、マイクロアレイ解析を行い、RERJ1の制御下にある遺伝子の探索を試みた。センス体において生長抑制が見られ、ノーザン解析の結果、センスRERJ1遺伝子の発現が強いほど生長抑制が見られたことから、RERJ1が伸長生長の制御に関与している可能性を示唆していると考えられた。このことは第二葉鞘伸長抑制検定を行うと、野生型ではJA濃度依存的に第二葉鞘の伸長抑制が観察されるのに対して、アンチセンス体において、JAによる伸長生長の抑制は見られなかったことからも支持されうる。さらに、野生型ではJAによりネクローシスが誘導されるが、アンチセンス体ではネクローシスがみられないことから、RERJ1は病害抵抗性にも関与している可能性が示唆された。RERJ1過剰発現株由来のカルスを用いて、マイクロアレイ解析を行った結果、up-regulateされた遺伝子の中には転写因子が含まれており、RERJ1が早期に発現することも踏まえて、シグナル伝達系の比較的上流で働いていることが示唆された。さらに、乾燥ストレス時の転写因子DREと結合するタンパク質もup-regulateされたことはRERJ1が乾燥ストレスに対して発現することの証拠にもなると考えられた。

以上、JAに対して早期に応答するRERJ1遺伝子は、イネの伸長生長や病害抵抗性に関与し、様々な環境ストレスに対する応答性を示した。さらに、RERJ1の発現にはJAが関与していることが示された。これらのことは、マイクロアレイ解析の結果からも示唆された。今後、RERJ1の標的遺伝子を同定し、RERJ1を中心としたシグナル伝達のネットワークを解明して行くことが必要と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

植物は、病原菌感染、害虫による食害などの生物的ストレスや乾燥、高浸透圧、低温、高温、紫外線等の非生物的ストレスから防御する植物独自の抵抗性機構を有している。最近、これら防御応答に植物ホルモンの一種であるジャスモン酸(JA)が関与していることがわかってきた。イネ培養細胞においても病原菌感染シグナルの一つであるキチンエリシター処理により防御応答の一つとして抗菌性二次代謝産物であるファイトアレキシンの生産が誘導されるが、この系において、JAがシグナル物質として重要な機能を果たしていることが明らかにされた。しかしながら、JAのシグナル伝達系については、殆ど未解明の状態である。そこで、本研究ではJAのシグナル伝達経路解明研究の一環として、イネ培養細胞からJA応答性遺伝子を単離し、その機能解析を行うことを目的とした。

第1章においては、序論として、植物におけるJA研究の現状、特にストレス応答とJAとの関連について概説した後、本研究の目的を述べた。

第2章においては、JAで2時間処理した培養細胞由来のcDNAライブラリーからディファレンシャルスクリーニングにより、JA応答性遺伝子RRJ1とRRJ2のcDNAを単離した。塩基配列解析の結果、RRJ1はシスタチオニンをシステインへ変換するシスタチオニンγ-リアーゼをコードしていることが分かった。システインは、タンパク質の立体構造の決定に関わるアミノ酸残基の一つであり、その多くは、直接間接にストレス軽減に働くグルタチオン合成に用いられる。また、RRJ1は、イネいもち病菌Magnaporthe griseaに感染したイネ植物体においても発現していた。一方、RRJ2は、ピルビン酸デカルボキシラーゼをコードしており、ストレス条件下におけるエネルギー代謝に関与しているものと考えられる。

第3章では、JA処理30分のイネ培養細胞由来のcDNAライブラリーからディファレンシャルスクリーニングを行い、早期JA応答性遺伝子RERJ1のcDNAを単離した。RERJ1の推定アミノ酸配列は、癌遺伝子産物であるMycなどを代表とする一群の転写因子に見出される塩基性領域ヘリックスーループーヘリックス(bHLH)モチーフを有していた。bHLH転写因子はゲノム解析が終了したシロイナズナやイネにおいて、それぞれゲノム中に100個以上存在し、スーパーファミリーを形成しているが、生物学的機能解析が明らかになったものはごく一部で、大部分は機能未知である。RERJ1は現在機能が同定されている植物のbHLHタンパク質とは分子系統樹上離れたcladeに分類され、RERJ1は、新規の機能を持つ転写因子である可能性が考えられた。また、RERJ1は培養細胞でJA応答性を示すだけでなく、イネ植物体においてもJAに応答して発現することが示された。また、傷害、乾燥などのストレス条件下におけるRERJ1の発現と内生JAレベルとの関連を調べることにより、RERJ1のストレス応答性はJA生合成を介していることが強く示唆された。

第4章では、RERJ1の生物学的機能を解析するため、センス、アンチセンスRERJ1 mRNAの過剰発現イネを作製し、それらの表現型の解析を行った。センス過剰発現体においては生長抑制が見られた。ノーザン解析の結果、センスRERJ1遺伝子の発現が強いほど強い生長抑制が見られたことから、RERJ1が伸長生長の制御に関与している可能性が考えられた。このことは、正常型イネ芽ばえではJA濃度依存的に伸長抑制が観察されるのに対して、アンチセンス体イネ芽ばえにおいては、JAによる伸長生長の抑制が見られなかったことからも支持された。さらに、野生型ではJAによりネクローシスが誘導されるが、アンチセンス体ではネクローシスがみられないことから、RERJ1は病害抵抗性にも関与している可能性が示唆された。また、RERJ1過剰発現体由来のカルスを用いて、マイクロアレイ解析を行ったところ、up-regulateされた遺伝子の中には病害抵抗性をはじめとするストレス応答やシグナル伝達に関与すると考えられる遺伝子の割合が多かった。さらに、乾燥ストレス応答配列DREに特異的に結合するタンパク質もup-regulateされていた。このことはRERJ1が乾燥ストレス応答性であることを支持するものと考えられる。

以上本論文は、イネ培養細胞からJA応答性遺伝子RRJ1、RRJ2、RERJ1のcDNAを単離し、それらがそれぞれイネのストレス応答において重要な役割を果たしている可能性を示したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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