学位論文要旨



No 216238
著者(漢字) 福井,恒明
著者(英字)
著者(カナ) フクイ,ツネアキ
標題(和) グレイン論に基づく都市の地区イメージ形成に関する研究 : 歴史的街並みを中心として
標題(洋)
報告番号 216238
報告番号 乙16238
学位授与日 2005.04.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16238号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 内藤,廣
 東京大学 教授 藤野,陽三
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 助教授 中井,祐
内容要旨 要旨を表示する

近年、都市中心部におけるまちづくりが活発になっている。まちづくりの手段としては、自治体による公共施設や公共空間(街路や広場)の整備、民間の建物に対する形態規制や看板規制などのコントロールがあるが、こうした手段を用いる目的は「ある統一的なイメージを形成する」という点であろう。

まちのイメージ形成という点では公共施設や街路といったまちの骨格よりも商店などの民間施設が重要であると考えられる。街路を整備しても沿道にとりたてた特徴がなければまちのイメージは形成され得ないし、アスファルト舗装の街路でも沿道建物の統一感によって個性を感じさせるまちになっていることもある。このように民間施設はまちのイメージ形成上重要な計画対象であるが、これらに対しては看板規制や形態規制・誘導のルールを決め、自治体が助成金などを出しながら少しずつ改善を進めていくことが多い。街並み全てを整備するには長い時間と費用、関係者の継続的な努力が必要となる。

しかし、我々があるまちを訪れてその場所の個性(例えば歴史的な、高級な)を感じる時には、沿道の要素全てが歴史的であったり高級であったりする必要がないことに気づく。銀座や表参道も全てが高級店ではない。割合にすれば3割から5割か、あるいは数は少なくても特徴ある要素が連担していればまちの個性として我々は認識できるのではないだろうか。

まちに統一的なイメージが形成されるには、まちを構成する要素がどの程度の件数あり、また、どのように立地していればいいのだろうか。このことに関する知見は予算や人材の限られたまちづくりの現場において、潜在的に極めて需要が高いと考えられる。

まちのイメージについては数多くの既存研究があるが、その多くは分析的視点にとどまり、イメージ形成を目的としたまちづくりや都市デザインに適用可能な知見は極めて少ない。そのため、計画論に適用可能なイメージ分析論の必要性は社会的に高まっていると言える。

上記のような問題意識に基づき、本研究は、地区(ディストリクト)のイメージ形成を体系的に捉え、分析論的かつ計画論的に論ずる汎用的な枠組みとして、「グレイン論」の枠組みを提案することを目的とする。

また、グレイン論の適用例として「歴史性」のイメージを選び、街路および地区の歴史性評価をグレイン論により分析し、これを通じてグレイン論の有効性を示すことを目的とする。

グレイン論は次のようなメカニズムで地区イメージを捉えると仮定するモデルである。

人間が環境を認識する際の単位を「意味をもったひとまとまりの実体あるいは現象」であると設定する。この認識単位を地区の構成単位と捉え、「グレイン(粒)」と定義する。グレインには大きさの差の概念はなく、属性と分布だけが問題となる。地区はさまざまな属性を持つグレインの集合として捉えられる。人は街路を歩き、あるいは地区内を回遊することによってグレインの属性や分布を直感的に把握し、街路あるいは地区のイメージを形成するのだと考える。すなわち、地区のイメージは、グレインの属性、分布によって説明可能であると考える。

グレインの属性判別は対象とするイメージに依存する。一定のイメージを設定すると、そのイメージ形成への寄与の度合いに応じて主要グレイン、補助グレイン、中立グレイン、阻害グレインとカテゴリー分けすることができる。この分類に基づいてイメージの分析を行う。

以上のような仮説と定義に基づいて、地区イメージを分析する枠組みを「グレイン論」として定義した。また、既存の地区イメージに関する研究とグレイン論との関係を整理した。

グレイン論においては、地区を形成する要素であればどのようなものでもグレインとなりうる。商業地を例に取れば、商店が扱う商品、看板、店舗全体、ビルなど、さまざまなスケールの要素をグレインとすることができる。グレイン論は要素の大きさの違いを無視してその分布と密度に着目する点にその特徴がある。これは人が地区のイメージを認識する際には、要素の大きさに極端な差がない限りにおいて、要素の大小よりも要素の数や分布の方が重要な要因となっているという仮説に基づいている。したがって、これが成立しないほど大きさの異なる要素を同等のグレインとして取ることはできない。例えばデパートと個人商店をグレインとして同等に扱うことは困難である。

グレイン論が対象とする地区イメージは、それに対応するグレイン属性の決定が可能であれば、どのようなものでも可能である。中華街、電気街、古本屋街、ラブホテル街といった業種に対応した-ものから、現代的な、歴史的な、しゃれた、懐かしい、人情味のあるといったやや抽象的なイメージまで、さまざまなイメージを扱うことが考えられる。対象とする地区イメージの形成を説明するのに適切なグレイン属性分類を設定できるかどうか、という点のみが適用の条件となる。

次に、グレイン論を用いた分析の例として、「歴史性を感じる」イメージを取り上げ、以下のような点について分析を行い、グレイン論の有効性を明らかにした。

「歴史性を感じる」イメージに対応するグレイン属性分類の提案

本論文で取り扱う「歴史性」は、地区への一般的な来訪者を想定して「その場所の文化、活動が時間的に蓄積し、それが継承されていると感じられること」定義した。グレイン分類は、予備実験による改善を経て次の11種類とした。

主要グレイン(直接歴史的印象を高めていると考えられるもの)

P1

P2

P3

補助グレイン(それ自体の歴史的印象は強くないが、主要グレインの印象を補助的に高めていると考えられるもの)

S1

S2

中立グレイン(歴史的印象に寄与も阻害もしないと考えられるもの)

NS

NR

阻害グレイン(歴史的印象を阻害していると考えられるもの)

D1

D2S

D2R

D3

街路単位でのイメージ分析

街路景観の静止連続画像露出により街路上の歩行を再現する室内実験を行い、街路の歴史性印象評価を計測した。この評価値と街路沿道のグレイン構成比率および街路条件との関係を分析し、「歴史性を感じる」ための定量的条件を導出した。「歴史性を感じる」の目安を7段階評価(+3〜-3)の+1と設定した場合、主要グレインの中のP1グレイン(歴史的ファサードを持ち、その状態で長い時間が経過していると思われるグレイン)がグレイン全体の20-30%以上あること、阻害グレインの比率が、主要グレインと補助グレインの和の10-20%以下であるというグレインの定量的条件を示した。また、重回帰分析によってグレイン構成から歴史性印象評価の予測式を算出した。この予測式は、単に街路のグレイン分布から評価を予測するだけでなく、実際のまちづくりの現場において、主要グレインや補助グレインの増加、阻害グレインの削減などといった具体的な方策がイメージにどれほどの効果を上げるかを確認し、効率的な整備を行うための有用なツールとなる。

地区のイメージ分析

交差点における各方向の提示と街路の連続静止画像提示の組み合わせによって、進行方向を選択しながら地区を歩く状況を再現する実験を行い、地区の歴史性印象評価および各街路セグメントの評価を計測した。分析の結果、地区全体の評価はセグメントの評価を強調する傾向にあることがわかった。また地区に「歴史性を感じる」ための定量的条件を導出した。「歴史性を感じる」の目安を7段階評価(+3〜-3)の+1と設定した場合、評価+1以上の街路セグメントの割合が、経路全体の40-50%以上必要であること、評価+1以上のセグメントの割合から評価-1以下のセグメントの割合を引いた値(歴史的な印象の街路の割合から歴史的でない印象の街路の割合を引いた値)は30%-40%以上必要であることがわかった。

同時に歴史性印象評価に影響した要素の記述から、グレインに着目して歴史性印象評価を分析することが妥当であることの傍証を得た。

さらに、ここで得た知見を通じて、実験対象とした川越、佐原、栃木、郡上八幡、古川の5地区についてグレイン論の観点から分析を行った。

以上より、本研究の成果は、第一に地区のイメージの分析・計画のための枠組みとしてグレイン論を提示したこと、第二に実際にグレイン論を用いて地区の歴史性印象分析を行い、イメージ形成に必要なグレイン構成の条件を導出し、グレイン論の妥当性と適用可能性を示したことである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はまず最初に地区イメージ形成の新たなモデルとして「グレイン論」を提案し、このモデルに基づいて「歴史的イメージ」を対象とした街路イメージならびに地区イメージに関する具体的な分析を行い、地区イメージ形成の要因について定性的・定量的な分析を行っている。

本論文の成果として評価しうる点は以下のようにまとめられる。

(1)「グレイン論」は、人間の環境認識単位を「グレイン(粒)=意味を持ったひとまとまりの実体あるいは現象」と仮定し、グレインの集積によって地区イメージが形成されるとするモデルである。本論文ではモデルに関する認知科学的裏付けが弱く、今後その点の補強が望まれる。しかし、景観評価に関する既存研究の多くにおいては評価要因を建物のファサードや舗装などの実体的要素などに固定しており、自ずと分析対象とするイメージ内容にも制約があったことに比べ、「グレイン論」では対象とするイメージが分析者によって設定可能である点、対象とする要素や地区のスケールについても可変である点などから、より地区イメージ形成の本質に関わる汎用性の高いモデルであると評価できる。

また「グレイン論」は個別のグレインに対する評価が集積することによって地区に対する評価が形成されると考える立場であり、既存研究に比べてより人の環境認知に近いアプローチであると評価することができる。

(2)次に「歴史的イメージ」を対象として、グレインの定義と分類(主要グレイン3種、補助グレイン2種、中立グレイン2種、阻害グレイン4種の11種類)を行い、これに基づいて具体的な街路イメージ分析を試みている。グレイン分類は定性的であるが、既存研究に比べて簡易な判別方法で定量的分析を行っている。ある街路が歴史的イメージを有すると判断されるためのグレイン構成比の条件を示し、また、歴史的イメージの強さを沿道のグレイン構成比から計算する式(歴史性印象評価予測式)を提案するなど、明解な分析結果を示している点が評価される。

(3)地区イメージの分析においては、地区内を回遊する状況を室内で再現する実験を行い、主に回遊経路と地区イメージとの関係について分析を行った。その結果、経路と地区イメージが密接に関連し、経路となった街路ごとのイメージ評価よりも地区イメージ評価の方が強調される傾向があることを示した。また、ある地区が歴史的イメージを有すると判断されるための経路評価の条件を定量的に分析した。地区内の回遊に着目することは地区イメージ形成の初期段階を論ずる上で有効なアプローチであると思われるが、これまでこの視点に着目した研究はなく、本論文がその視点に立った分析を行い、定量的な成果をあげたことは評価に値する。

(4)(2)(3)の成果は、「グレイン論」の有効性の検証としては十分とは言えない。しかし、「歴史的イメージ」に限定されているとはいえ、グレインの分類・構成と歴史性のイメージとの関係が明確に示されており、同様の手法によってさまざまなイメージの分析が可能となると判断される。従来の研究が厳密な都市構成要素の測定を必要とする割に適用範囲が限定されていたことを考えれば、「グレイン論」はより簡便かつ本質的な都市イメージ分析手法確立への試みとして高く評価できる。

(5)以上の成果は分析論的な立場からの新規性に留まらず、まちのイメージ形成を目指すまちづくりの現場に直接適用することが可能であり、計画論的な有用性を合わせ持つ。これまでまちづくりの現場では、街並の整備水準とその効果に関する議論が不十分であり、本論文の成果は「まちのイメージ形成」というまちづくりの本質的な目的達成につながる極めて有用な知見であると評価できる。

本論文は、第一に、都市の地区イメージ分析の汎用的かつ本質的な枠組みとして「グレイン論」というモデルを提案した点、第二に、歴史的イメージを対象として街路・地区スケールでの定量的な分析を行い、地区イメージ形成について重要な知見を提案した点で高く評価することができる。そして、これらの成果は都市イメージに関する研究の新たな展開の可能性を十分に感じさせるものであり、同時にまちづくりの実務における活用が期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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