学位論文要旨



No 216243
著者(漢字) 押川,渡
著者(英字)
著者(カナ) オシカワ,ワタル
標題(和) 鉄鋼材料の大気腐食挙動と寿命予測に関する研究
標題(洋)
報告番号 216243
報告番号 乙16243
学位授与日 2005.04.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16243号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 教授 鈴木,俊夫
 東京大学 教授 山口,周
 東京大学 教授 小関,敏彦
 東京大学 教授 藤野,陽三
内容要旨 要旨を表示する

鉄塔や鋼橋などの鋼構造物からなる社会資本は、その整備と維持管理が極めて重要である。現在の低経済成長の中で、鋼構造物の長寿命化はますます重要であり、定期的な劣化診断とそれに基づく補修が不可欠であるが、それとともに新たに環境の評価技術が必要とされている。この視点を基本とし、本論文では、Fe-Ag対ACM(Atmospheric Corrosion Monitor)腐食センサを利用して、種々の環境下における炭素鋼の腐食挙動を解析し、環境の評価技術手法について検討した。本論文は、以下の5章から構成されている。

第1章は、序論であり、大気腐食の概要を詳述し、本研究の目的を明確化した。社会資本である鋼構造物の損傷、老朽化の原因のうち、腐食は大きなウェイトを占めている。鉄鋼材料の大気腐食に及ぼす因子には、気温、相対湿度、降雨量等の気象因子と海塩、NOx、SOx等の大気汚染因子が挙げられる。前者は金属表面に水膜を形成する要素であり、後者は水膜に溶解しその水膜特性を左右し、結果として、金属表面の濡れ現象に大いに関与し、濡れ現象を理解することが大気腐食を理解する上で重要となっている。また、実際の大気環境は水溶液環境と異なり薄い水膜下での腐食挙動のため、通常の電気化学的手法を適用することが難しい現状にある。最近、このような薄い水膜下において、時々刻々変化する腐食挙動をモニタリング可能なACMセンサが開発されており、ACMセンサによるモニタリング技術ならびに環境評価技術の構築の必要性について解説した。

第2章では、大気腐食を最も特徴づける水膜特性について検討し、水膜の組成と水膜厚さを熱力学的に算出する手法を提案した。大気腐食の水膜厚さに関しては、Tomashovが提案したモデル、すなわち水膜厚さが厚くなるにしたがい、「乾き大気腐食」→「湿り大気腐食」→「濡れ大気腐食」→「浸漬腐食」と分類されるモデルがよく知られており、水膜厚さが1μmで腐食速度が最大になるとされてきたが、その科学的根拠については未確定な点が多々ある。他方、実環境下では、降雨以外に海塩等の強電解質が表面に付着することで、周囲の相対湿度に応じて吸湿や乾燥を繰り返し、水膜厚さが変化し、それに伴い水膜の濃度も変化することとなる。そこで、海塩の主成分である塩化物イオンを含む種々の単独の水溶液と平衡する大気の相対湿度を平均活量係数から算出した。塩化物水溶液の種類に.関係なく、大気と平衡する相対湿度は塩化物イオン濃度が決定すれば求めることができ、実測値と一致することを明らかにした。またこの手法は、海塩をNaCl-MgCl2系とみなし、海塩中の塩化物イオン濃度と相対湿度の関係を求めることで、実測値と一致をみ、海塩のような多成分系においても適用可能であることを初めて明らかにした。更に、付着海塩が吸湿して形成する水溶液の密度と組成の関係を用いて水膜厚さを推定し、水膜厚さは海塩付着量(Ws)が10-2g/m2以上であれば、Wsに比例して増加すること示した。また、腐食速度に及ぼす水膜厚さの影響は、Tomashovモデルと全体的な傾向は一致していたが、腐食速度が最大になる水膜厚さは、Tomashovの約1μmに対し、水膜厚さ約56μmで0.28mm/yになることを示した。それ以上の水膜厚さでは約0.16mm/yとほぼ一定であり、浸漬腐食状態と同程度の腐食速度になることを明らかにした。

第3章では、大気腐食モニタリング用の各種センサに関して現状を解説した。大気腐食のモニタリングには少なくとも1年以上の測定が必要であり、使用する装置も長期間の使用に耐えられるものでなければならない。現在、比較的良く使用されているセンサはACMセンサと交流インピーダンス法であり、前者は対象とする金属をアノードとしてカソードには異なる種類の金属を採用し両極間に流れるガルバニック電流をモニタリングするものである。それに対し、後者は同種対の2枚の金属間に10mV程度の交流電圧を印加し、その時のインピーダンスと位相差を測定するものであり、低周波数側で腐食速度、高周波数側で溶液抵抗を求めることができるという特徴を有する。しかし、実環境下では、腐食速度、濡れ時間だけでなく、飛来海塩粒子量、海塩付着量、水膜のpH等の環境因子のモニタリングを含めた総合的なモニタリングシステムの確立が必用であり、その目的に向けた簡便かつ新規なACMセンサ開発について述べた。

第4章では、降雨がかかりにくく水膜厚さが薄い屋内と降雨の影響のある屋外における炭素鋼の腐食挙動を第3章で開発したACMセンサを中心としたモニタリングにより検討した。腐食量の測定にはナノグラムオーダーの微小重量変化を測定可能なQCMセンサも利用した。屋内では、一般的に腐食速度は小さいが、これは雨がかからないことおよび外部からの海塩等の付着物の侵入が少ないことによるものである。そのような環境下では特に高性能のセンサが重要であることから、ACMセンサとQCMセンサで同時にモニタリングすることで、RHと海塩付着量(Ws)の影響について検討した。RHが高いほど、またWsが多いほど腐食量が大きくなることを明示し、海塩付着量や湿度条件などの環境条件に依らず、ACMセンサ出力の平均日電気量が求まれば、炭素鋼の腐食速度を推定できることも示した。これらの関係は、スチールハウス等の屋内環境に使用される部材の寿命予測にも適用可能である。他方、屋外においては、地理的および季節の影響のため、気温、相対湿度、飛来海塩量等の環境因子の変動が大きく、降雨の影響も大きい。また、1日の間でも夜間と日中では大きく異なるなど、時々刻々変化しているのが常であり、それに伴い、表面の濡れ状態も変化する。例えば、環境因子のうちで最も腐食に影響を与える海塩粒子の測定において、飛来量が同じでも降雨による洗浄作用が少ない箇所の付着量は最大0.3g/m2に達するのに対し、降雨の当たる箇所では1日あたり0.01g/m2程度となる。これら種々の環境変化の影響をACMセンサで長期間モニタリングすることで評価した。結果として、ACMセンサが、時々刻々変化する腐食状況のモニタリングに有効なこと、および海塩付着量を推定できること、さらにセンサ出力を解析することで降雨・結露。乾燥時間が求められることを示し得た。またACMセンサ出力は降雨の影響を多少受けるが、降雨時のセンサ出力を20%と仮定すると、海洋環境であればセンサ出力から炭素鋼の腐食速度が推定できることを明らかにした。以上のように、長期間のACMセンサモニタリングにより環境評価の基礎を構築した。

第5章では、長期の腐食量を短期間の腐食量から予測する手法について検討した。暴露期間が長期になると一般に腐食速度は低下する傾向にあるが、これは表面に生成する腐食生成物(さび)の影響である。そこで、実際の長期暴露試験の腐食量を短期暴露試験の腐食量の積算量と比較することで、腐食生成物の抑制効果について検討した。非常に環境の厳しい部位では、腐食生成物の抑制効果がみらず長期間の腐食量は短期間の腐食量の積算値に一致したが、比較的環境がマイルドな場合は、腐食量が約20μmから腐食生成物の抑制効果が現われ始めることなどから、腐食量が約20μmに到達する期間が異なるだけで、その後の抑制効果の傾向は暴露環境に依らないことが判明した。更に、抑制効果が現われた後の腐食量は、短期間の腐食量の積算値の平方根で予測可能であることなども明らかにした。総体として、ACMセンサによる短期間の腐食量を積算することで、長期の腐食量の予測が可能であることを示し得た。

第6章は総括である。

以上のように、本論文は、大気の相対湿度と平衡的多成分系の塩を含む水膜の組成および形成する水膜の厚さを熱力学的に算出する手法を提案し、実測値と一致することを初めて明らかにするとともに、水膜厚さ評価を可能としACMセンサによるモニタリングによる環境評価技術の構築に寄与したものである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、大気環境下における炭素鋼の腐食挙動を明らかにするため、金属表面に形成される水膜特性を熱力学的に検討し、水膜厚さを水膜組成と相対湿度の関数として導出する方法を検討するとともに、独自に開発した大気腐食センサによるモニタリングにより実環境下において長期の暴露試験を行ない、総合的に炭素鋼の大気腐食挙動を検討したものである。本論文は全6章から構成されている。

第1章は序論であり、大気腐食に関与する濡れ、海塩粒子等の因子について詳述するとともに寿命予測の現状について述べ、本研究の位置付け及び目的を明確化している。

第2章では、大気腐食を最も特徴づける水膜特性について熱力学的に検討し、多成分系塩化物が吸湿し形成される水膜の組成とそれに平衡する大気の相対湿度(RH)との関連を求めるとともに、水膜濃度と密度から水膜厚さを推定する手法を提示している。また、実測値との対応から本手法の妥当性を示し、具体例として、NaClおよびMgCl2を主成分とする海塩付着量(Ws)が1g/m2の場合、NaClの溶解が始まるRH:75%以上では、水膜厚さ(d) は3〜30μmであるのに対し、RH:75%以下ではMgCl2のみが吸湿作用を示すためdは0.3〜0.7μmと極端に薄くなることや、腐食速度(CR)とdとの関連では、d = 56μmでCR は最大値:0.28mm/yを示し、dが更に厚い場合にはCR は 約0.16mm/yと浸漬腐食状態と同程度になることなどを明らかにしている。

第3章では、大気腐食モニタリング(ACM)用の各種センサに関して現状を解説し、現在使用されているACMセンサや交流インピーダンス法との比較検討から、実環境下では、腐食速度、濡れ時間だけではなく、飛来海塩粒子量、海塩付着量、水膜のpH等の環境因子を含めた総合的なモニタリングシステムの確立が必要であることを指摘し、本研究で開発した簡便かつ新規なACMセンサの構成、性能、意義等について述べている。

第4章では、降雨がかかりにくく水膜厚さが薄い屋内と、降雨の影響のある屋外における炭素鋼の腐食挙動を、第3章で開発したACMセンサと水晶微量天秤(QCM)を併用したモニタリングにより比較検討した結果について述べている。特に、ACMセンサが、時々刻々変化する腐食状況のモニタリングに有効なこと、海塩付着量を推定できること、さらにセンサ出力を解析することで降雨・結露・乾燥時間が求められることを示している。またACMセンサ出力は降雨の影響を多少受けるが、海洋環境であれば炭素鋼の腐食速度が推定できることも明らかにし、ACMセンサモニタリングによる環境の長期評価の可能性を提示している。

第5章では、前章を受け、数カ月から1年程度の短期の腐食量から10年程度の長期の腐食量を予測する手法について、宮古、銚子、清水、沖縄を含めた全国7か所での略1年間にわたる実地暴露試験をもとに検討した。特に、暴露期間が長期になると腐食生成物(さび)の影響を受けることを考慮して、腐食生成物の腐食抑制効果について検討し、非常に環境の厳しい部位では、長期間の腐食量は短期間の腐食量の積算値に一致するが、比較的環境がマイルドな場合は、腐食量が約20μmから腐食生成物の抑制効果が現われるため、短期間腐食量の積算値を0.5乗で補正する必要があることなども明らかにしている。

第6章では本研究で得られた成果を総括している。

以上を要するに、本研究は熱力学を基礎に、大気腐食が海塩が付着した表面上の水膜厚さに支配されることを明示するとともに、独自に開発したACMセンサで腐食環境の経時変化を詳細に調べ、結果として炭素鋼腐食の長期予測を可能としたものであり、材料工学に対する貢献は大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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