学位論文要旨



No 216244
著者(漢字) 塩村,耕
著者(英字)
著者(カナ) シオムラ,コウ
標題(和) 近世前期文学研究 : 伝記・書誌・出版
標題(洋)
報告番号 216244
報告番号 乙16244
学位授与日 2005.04.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16244号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 月村,辰雄
内容要旨 要旨を表示する

近世は文献資料の時代である。前代に比して格段に多くの書物や文書が作られ、流通し、残された。それらの中に古人は生き続ける。そのことはさまざまな文学研究の方法の中で、文学者の人間性に直接迫るという伝記的研究を、とりわけ有効としている。いっぽう、膨大な文献資料を正確に解読するとともに、モノとしての価値や意義を的確に判断するためには、書誌学的な知見の集積を必要とする。中でも文学の成立基盤を成す出版は近世初頭に本格化、この時代の文学のもつ性格を決定的に変化させた。近世の出版は近代のそれと異なった部分が大きく、文学の背景を知るためには、当時の出版の基本的構造を解明する必要がある。本論文は、以上のように伝記的研究・書誌学的研究・出版史研究の視座より、西鶴を中心とする近世前期の文学を総合的に解明しようとする試みである。

序章では、文献資料に取り組む基本的な姿勢を論じた。まず戦国を生きた一女性の残した名文として知られる「裁断橋銘文」を取り上げ、近代以降の誤った文字の読みを正した上で、何よりも文脈を重視すること、つまり「何が書かれているか」よりも「どのように書かれているか」を解明することが、文献資料に対する文学研究の立場であることを強調した。次に、論者が年来取り組んでいる西尾市岩瀬文庫所蔵古典籍の悉皆調査と書誌記述の経験に基づき、人と書物とのかかわりについて総括した。すなわち、「ホモ・メモル・モリ(=死を知る人)」としての人間の精華が、書物を通して、死を乗り越えて異世代間のコミュニケーションをはかる人、「ホモ・リブラリウス(=本の人)」であり、近代以降は意識が希薄となってしまった、その営みについて具体的に考察を加えた。

第1章「近世前期文人伝」は、注目すべき数人を取り上げた伝記的研究の実践例である。近世大坂俳壇の先駆者、津田休甫は西軍の将宇喜多秀家の旧臣で、八丈島へ流される主君との別れに際し、頭・腰・心を丸めたという劇的な少年時代を送る。以後、乞食放浪の生活に入り、のち大坂の遊里と若衆歌舞伎という、近世の悪所に身を潜める。同時に畸人として世人に愛され、新興の文芸ジャンルである俳諧の名人として名高く、次世代の西鶴が限りない敬慕の念を寄せた。そのような人生を、一次資料を博捜して跡づけ、特に西鶴への影響の意味を指摘した。また西鶴同時代の啓蒙的著述家、山雲子について、従来謎であった出自や前半生を解明した。時に俗文学にも手を染めるこのような著述家を「俗学者」と位置付け、同時代への影響の大きさに比して、伝記が不明であることの多い俗学者の人生や活動の実態の一端を明らかにした。伝記の解明は、書肆と画工が禅僧に依頼して成った新発見の墓碑銘、新発見のものを含む著作群、著者がかつて仕えた備前岡山藩資料を通しておこなった。特に、出版界との関係の深さ、説法的世界への傾斜を指摘し、同時代の文壇のあり方を考察した。

第2章「西鶴の諸相」では複雑な西鶴文学を様々な視点と方法により論じた。西鶴は同時代文学の中であらゆる点から見て突出しているが、それがどのような人生に由来するのか、いまだ解明されていない。殊に作家自身を作中で演技させるという特異な手法を駆使するが、そこに表れた作家と実像との差異も不明である。また、西鶴は文学活動の基盤を全面的に出版に置いており、当時の出版制度の解明や、西鶴本のモノとしての吟味も不可欠である。つまり、文学を伝記・書誌・出版の見地から解明する典型的な例として、西鶴を取り上げた。

伝記的な研究として、現存する西鶴の書簡を分析読解し、そこからしばしば相手の地を訪ねる旨予告するものの、それらが一切履行されておらず、異常ともいうべき腰の重い人であったことを考証した。さらに、作品中に見える徴証も援用し、「西鶴=旅の人」説および「西鶴=有徳人」説の通説を否定した。また、論者はかつて西鶴同時代の大坂案内記類の諸本をすべて調査して校本を作製刊行しており、そこから得た知見に基づき西鶴の住んだ地域の住民層を分析し、西鶴の伝記や文学との関わりを考察した。すなわち、住民層から見ても「西鶴=有徳人」説は否定さるべきで、周辺住民の遊芸愛好の志向と西鶴のそれとが関係すること、さらに終生西鶴が町屋と武家地とのまさに境界上に住んだことと、その文学が複雑な性格をもつこととは無関係ではないと指摘した。

書誌学的文献学的研究として、まず西鶴の異文テキストを論じた。西鶴文学のすべてのテキストは版本のみであって、原稿の存在も知られていない。わずかに知られる2つの異文テキストを取り上げ、そのうちの1つ、後世の随筆『見聞談叢』に引かれる一文が、西鶴遺稿集『西鶴織留』の一章の由緒ある異文、つまり別稿本に基づく可能性が高いことを論証した。次に、通説では西鶴作とされている『浮世栄花一代男』について、現存する伝本をすべて調査した上で、西鶴生存中の元禄6年正月の刊記は、別人の作を西鶴作に装うための書肆による改竄で、むしろ、再版とされる、没後の元禄11年の刊記が初版である可能性が高いとし、西鶴真作ではないことを指摘した。また、同書と同じ版元より刊行された西鶴遺稿集『万の文反古』についても、内容の分析より、他作を含むことを論証した。

さらに、文献探索の過程で得られた知見に基づき、西鶴に特異な「暗示的手法」、すなわち周知の典拠話に、ことさらなる改変を加えて読者に提示し、それによって重層的な読みをもたらすという創作手法を指摘し、西鶴文学のもつ複雑な性格の一端を解明した。たとえば、『好色五人女』巻4の八百屋お七の物語では、お七の刑死を知った恋人の吉三郎が、周囲の者がどのように止めても自害しようとしたのに、お七母親が何事かを吉三郎の耳元でささやくと、あっさりと自害を思い止まるという謎の場面があり、何をささやいたのか答えが与えられていない。この問題について、挿画の粉本の解明により、お七には暗示的に小野小町の面影が重ねられていることを指摘し、行文の分析より、小町不死伝説を踏まえ、当時世上で語られた「お七生存巷説」を重層的な構造として備えていると指摘した。また遺稿集『西鶴名残の友』の中で、唯一見られる、西鶴同時代の巨人である芭蕉を評した文言「只俳諧に思ひ入て心ざしふかし」について、通説では好意的な評価と理解されている。これに対し、話の構造および典拠となった笑話を分析し、文脈によって暗示的に読者に示された反語で、強烈な皮肉であると結論づけ、そのことは蕉風俳諧をはじめとする連歌風俳諧の隆盛に嫌悪感を抱いていた、西鶴晩年の俳諧観と矛盾しないことを指摘した。

おなじく、文献探索の過程で得られた、注釈的研究の成果として、西鶴作中に見られる、同時代の勧進能興行、道中扇、伊勢の御師の活動について、実態が従来未解明であったが、新資料に基づく新たな知見を呈した。

第3章「書誌と出版」では、まず『さいとり』という、書誌学的に見て注目すべき、新出の近世初期絵入り歌謡古版本を取り上げ、まず版相より成立を推定した。そして、収められた鳥刺し舞芸能について、他の文献資料に残る痕跡や民俗芸能資料を集成し、テキスト上の価値を意義付けた。その結果、中世人のもつ「自然人」へのあこがれが、祝言性を伴って歌い演ぜられた芸能と結論付けた。また、書誌調査の過程で発見した、近世前期の有職故実版本の表紙裏に貼られた反古より、小説の絵組みを指示した文書を発見し、それが浮世草子作家月尋堂が裁判ものの小説『鎌倉比事』の挿画を指示したものと考証した。同類の挿画指示書は従来全く知られておらず、西鶴本をはじめとする浮世草子がどのように製作されたか、示唆するものとした。

付録「近世前期江戸の出版界について―付、元禄末年以前の江戸版元と出版物一覧」は、論者が別に公表した「初期大坂の出版界について―付、元禄末年以前の大坂版元と出版物一覧」と一具を成すもので、京・大坂・江戸の三都のうち、元禄期以前の江戸の出版界について概観した。それまで上方版の重版を専らおこなってきた江戸の出版界が、西鶴本の重版を契機にして、貞享年間に重版を行わなくなり、以後独自の新作を生み出すようになるという変化を指摘した。このことは西鶴本が直接江戸の読者をも意識するようになったことを意味し、西鶴本の質的な変化をももたらした。このように江戸出版界の動向は上方のそれとも深く関わっている。いっぽう、前期の江戸の出版物は、上方版とは異なった一種独特の造本意識が見られ、殊に挿画には優れた版画を備えたものがあり、美術的価値が高い。しかしながら、比較的に残存が少ないために、研究が進んでいない。ここに付された江戸の版元と出版物の一覧は、論者の年来の手控えに基づくもので、従来ある同種一覧に比して飛躍的に多くのデータを収めており、今後の近世前期出版史研究の基礎となるものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、井原西鶴を中心とする近世前期文学を、伝記的研究、書誌学的研究、出版史研究の3つの視座から詳細に検討し、その特質を総合的に解明したものである。構成は、序章として「裁断橋銘文の一字の読み」等2編の論考を置き、以下、第1章「近世前期文人伝」に「二人の艶隠者伝」等4編、第2章「西鶴の諸相」に「西鶴伝の一、二の問題」等11編、第3章「書誌と出版」に「さいとり考」等3編の論考を配し、同章末には付録「近世前期江戸の出版界について―付、元禄末年以前の江戸版元と出版物一覧」を収める。

序章では、熱田の「裁断橋銘文」や岩瀬文庫の悉皆調査に基づく新出資料を具体的に引きながら、生の有限性を乗り越えうる文献資料の意義について論じる。

第1章では、文学史的には重要な存在でありながら従来その伝記が未詳であった、俳人の津田休甫や啓蒙的著述家の山雲子こと坂内直頼等々を取り上げ、新発見の資料により詳細な事績を明らかにするとともに、「艶隠者」や「俗学者」という新たな概念を導入して、その文業の意義を同時代文壇中に的確に位置づける。

第2章では、近世前期文学中の最大の存在である西鶴を様々な方向から解明する。本論文の立てた3つの視座からの分析が最も有効であるのが西鶴であり、その結果、本章ではとりわけ大きな成果を挙げている。例えば、西鶴の居住地を同時代の大坂案内記類と照合し、西鶴が富裕な町人だったとする通説に疑問を呈するとともに、町屋と武家地の境界に一貫して住んだことが、町人作家でありながら、武士の生態への興味をも持った、複雑で特異な西鶴文学の性格を形成したとする。また、西鶴最晩年の作とされてきた『浮世栄花一代男』の改題本を含めた全ての現存本の書誌を詳細に検討し、この作品が実は西鶴作を装い、西鶴没後に刊行されたものであることを鮮やかに立証する。さらに、西鶴作品には、周知の典拠にことさらな改変を加え、作中に暗示的に提示することで、重層的な読みを読者にもたらす「暗示的手法」が使われていることを指摘して、『好色五人女』のお七には小町の面影が重ねられていることを明らかにし、従来の作品論を格段に深めている。

第3章では、書誌学的・出版史的な観点から、特に注目すべき書物を取り上げ、文学や芸能にかかわる新たな知見を提示する。新出の近世初期の絵入り歌謡版本『さいとり』を手がかりに、関連資料を博捜し、未詳の古芸能である「さいとり舞」(鳥刺し舞)を明らかにし、また浮世草子の挿絵の絵組みを指示した文書を発見し、浮世草子の制作の一端を明らかにする。末尾の江戸版元とその出版物の一覧は、文字通りの労作で、元禄末までの江戸の書肆が網羅されており、今後、近世前期の出版研究はもとより、文化研究全般の基礎資料となるべきものである。

従来の近世前期文学の研究は、限られた数の作品に関する、主として版本の諸版の整理に限られていたが、本論文は数々の新資料と博捜を重ねた厖大な関連資料を駆使して、伝記や作品成立にかかわる事実の解明を大幅に進捗させ、また伝記・書誌・出版という多様な視座を導入することによって、平板な作家論・作品論から抜け出し、近世前期の文化状況・文壇状況と切り結んだ作家論・作品論に高めているところに画期的な意味がある。「暗示的手法」の分析結果は、それがまさに「暗示的」であるがゆえに若干の異論があり得るかもしれないが、西鶴の深層の方法にまで踏み込んだ意義は、極めて高く評価できる。よって、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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