学位論文要旨



No 216247
著者(漢字) 三木,啓司
著者(英字)
著者(カナ) ミキ,ヒロシ
標題(和) 脂肪細胞分化におけるインスリン受容体基質-1(IRS-1)およびIRS-2の役割
標題(洋)
報告番号 216247
報告番号 乙16247
学位授与日 2005.04.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16247号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 助教授 後藤田,貴也
内容要旨 要旨を表示する

脂肪細胞の分化は、増殖因子やホルモン・サイトカイン・脂質などの生理活性物質が細胞に対して複雑に関与しながら、制御されている。増殖因子やホルモンなどの内分泌因子がレセプターに作用して下流シグナルを伝達することにより転写因子の活性化および核内移行が起こり、転写調節あるいは転写後調節を介して、脂肪細胞の分化が制御される。近年、脂肪細胞の分化とインスリン抵抗性の間には密接な関連性があることがわかってきた。この関連性が注目されたのは、インスリン抵抗性改善薬であるチアゾリジン誘導体が核内受容体型転写因子peroxisome proliferator-activated receptor(PPAR)γのアゴニストとして働き脂肪細胞分化を促進させるという報告が発端であった。チアゾリジン誘導体は脂肪細胞の分化を促進させ小型化の脂肪細胞を増加させる一方で、肥大化した脂肪細胞はアポトーシスにより減少させる。その結果、全体として脂肪細胞の小型化が進み、TNFαなどのインスリン抵抗性惹起因子の分泌が減少しアディポネクチンなどのインスリン抵抗性改善因子の分泌が増加することで、インスリン抵抗性を改善していると考えられている。またチアゾリジン誘導体が脂肪細胞の分化を促進させ血中の遊離脂肪酸が脂肪細胞に流入することで、骨格筋への遊離脂肪酸の流入量が減少し骨格筋中での脂肪毒性が解除され、インスリン抵抗性が改善されるメカニズムも報告された。以上のように、脂肪細胞を積極的に分化させるとインスリン抵抗性は改善される。

このような観点から脂肪細胞の分化のメカニズムを解明することは重要であり、脂肪細胞の分化をコントロールすることで、肥満症およびインスリン抵抗性の新たな治療法や治療薬が確立される可能性がある。脂肪細胞分化のメカニズムを考える上で、転写因子とシグナル伝達についての研究は重要である。脂肪細胞分化に働く転写因子の研究はこれまで多くの研究者に注目され、特にC/EBPδ、C/EBPβ, PPARγ、 C/EBPαの発現およびカスケードに関する研究は詳細に解明されてきた。一方、脂肪細胞分化に関わるシグナル伝達分子に関する知見は未だ少なく、たとえば脂肪細胞分化過程でPI-3kinaseの活性化が起こることやAktが関与していることなどが知られていたが、 PI-3kinaseの上流の分子については不明な点が多い。インスリン受容体基質-1(IRS-1)およびIRS-2はPI-3kinaseを活性化させる分子として知られており、脂肪細胞分化においてIRS-1およびIRS-2はどのような役割を果たしているのかは、肥満症およびインスリン抵抗性の発症メカニズムを考える上で、興味深いテーマである。そこで今回、IRS-1およびIRS-2の脂肪細胞分化における役割について、IRS-1欠損マウスおよびIRS-2欠損マウスからの胎児由来線維芽細胞を使用したloss-of・functionの実験方法で、その研究を行った。

研究結果

結果1.IRS-1、IRS-2は脂肪細胞分化に必須の分子である。

IRS-1ヘテロ欠損マウスとIRS-2ヘテロ欠損マウスより4種(野生型、IRS-1欠損型、IRS-2欠損型、IRS-1/IRS-2ダブル欠損型)の胎児線維芽細胞を調製し脂肪細胞へ分化させることで、脂肪細胞分化過程におけるIRS-1およびIRS・2の役割を検討した。4種の細胞を脂肪細胞に分化させ、Oil-Red O染色と細胞内中性脂肪含量で分化の程度を評価したところ、IRS-1欠損型細胞及びIRS-2欠損型細胞は野生型に比してそれぞれ約60%、約15%脂肪細胞分化が抑えられていた。これらの結果より、IRS-1、IRS-2は互いに、脂肪細胞分化過程において完全にはその機能を代償することができないことが分かった。また、IRS-1/IRS-2ダブル欠損型細胞はOil-Red O染色で赤く染まらず、細胞内中性脂肪含量の上昇も認められず、脂肪細胞に全く分化しなかった。IRS-1およびIRS-2は脂肪細胞分化に必須の分子であることがこれらの結果より判明した。

結果2.IRS-1、IRS-2を介したPI-3Kinase活性が脂肪細胞分化に必要である

次にIRS-1およびIRS-2を介する細胞内情報伝達について検討するために、脂肪細胞分化過程のPI-3Kinase活性の上昇を測定したところ、IRS-1欠損型細胞は野生型に比し約50%低下していたのに対し、IRS-1/IRS-2ダブル欠損型細胞では著明に低下していた。PI-3Kinase阻害剤LY294002の添加で野生型細胞の脂肪細胞分化が抑制された結果を含めて、脂肪細胞分化過程に上昇するPI-3Kinase活性は脂肪細胞分化に必要であるという報告と一致した。脂肪細胞分化過程のMAPKのリン酸化を測定したところ、4種の細胞間で差は認められず、IRS-1およびIRS-2が存在していなくてもMAPK活性には変化がなく、今回の脂肪細胞分化が障害されている原因にMAPK活性の減弱は関与していないことが分かった。

結果3.IRS-1、IRS-2を介するPI-3Kinase活性が転写因子PPARγ、C/EBPαの発現を調節している。

次に、IRS-1およびIRS-2を介するシグナル伝達が脂肪細胞分化に関わる転写因子の発現をいかに制御しているかを検討するために転写因子のmRNAの発現を調べた。その結果、脂肪細胞分化初期に発現する転写因子C/EBPβの発現は4種の細胞間で変わらず、C/EBPδのmRNAの発現はIRS-1欠損型細胞およびIRS-1/IRS-2ダブル欠損型細胞で上昇していた。一方、脂肪細胞分化中期に発現してくる転写因子C/EBPα、PPARγのmRNA発現はIRS-1/IRS-2ダブル欠損型細胞で著明に低下しており、タンパクレベルでも低下していることを確認した。PI-3Kinase阻害剤LY294002の添加でC/EBPα、PPARγの発現が認められなかったことから、IRS-1およびIRS-2を介するPI-3Kinase活性がPPARγ、C/EBPαの発現を調節していることが判明した。

結果4.IRS-1、IRS-2はPI-3Kinase活性を介したPPARγの発現のみではなく、他の下流シグナル伝達経路を含めて脂肪細胞分化に関与している。

IRS-1/IRS-2ダブル欠損型細胞へのレトロウイルスを用いたPPARγ遺伝子の導入で脂肪滴は認められたが、その分化の程度は完全には回復しなかったことから、IRS-1およびIRS-2はPPARγの発現上昇のみに関与しているわけではなく、他の下流シグナル伝達経路も含めて脂肪細胞分化を調節していると考えられた。

結果5。IRS-1/IRS-2のダブル欠損型マウスの個体レベルの解析の結果invitro実験結果と一致する部分と乖離する部分が認められた。

これらin vitroの脂肪細胞分化実験系の解析結果が個体レベルにおいても説明できるか検討するために、IRS-1/IRS-2のダブル欠損型マウスの新生児の脂肪組織を解析した。IRS-1/IRS-2ダブル欠損マウス新生児の組織解析の結果、白色脂肪組織量は著明に低下していたが認められた。これは、in vitro実験の結果と相関しているものの完全に一致した結果ではなかった。in vitro実験は分化誘導剤として3-isobutyl-1-methylxanthinedexamethasone・インスリンおよびFetalCalfSerumを用いた実験系であるのに対し、胎盤中ではインスリンIGF-1・IGF-II・Growth Hormoneなどの増殖因子・ホルモン・生理活性物質が関与した種々の経路のシグナルがIRS-1/IRS-2シグナルを部分的に代償することで、ダブル欠損マウス新生児の白色脂肪組織は部分的に分化したのではないかと推察された。一方、ダブル欠損マウス新生児の褐色脂肪組織量は低下していなかった。ダブル欠損マウス新生児の褐色脂肪組織量が低下していなかった理由として、褐色脂肪組織においては、IRS-3がIRS-1/IRS2シグナルをほぼ完全に代償できた可能性が考えられた。

以上、IRS-1欠損マウスおよびIRS-2欠損マウスからの4種の胎児由来線維芽細胞を用いた研究により、IRS-1とIRS-2は脂肪細胞分化に必須の分子でありその両者には完全な相補性はないこと、またその役割としてPI-3kinaseの活性化を介してPEARγとC/EBPαの発現を上昇させる調節機構に関与していることを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

インスリン抵抗性のメカニズムの解明という観点から、インスリンやIGF-1などの主要な細胞内情報伝達分子であるIRS-1およびIRS-2の脂肪細胞の分化に果たす役割について、両者の各種欠損マウスから得られた胎児線維芽細胞を用いて検討を行ったものである。IRS-1欠損マウスおよびIRS-2欠損マウスからのホモ欠損細胞に加え、両者のダブルホモ欠損細胞を作成し、野生型も含め比較検討している。結果、IRS-1とIRS-2の両者が脂肪細胞分化過程において必要であり、かつ両者間に完全な相補性はないこと、両者はPI-3K活性化を介してPPARγやC/EBPαの発現調節に重要な役割を果たすことが示された。最後にダブル欠損マウスの個体レベルでの脂肪組織の解析も行っている。欠損マウスの細胞を用いたことにより、IRS-1とIRS-2の意義を、特異的かつstraight-forwardに明らかにしたものであり、示されたデータも明確で、優れた研究といえる。

本研究では得られた結果および考察は以下の通りでる。

4種(野生型、IRS-1欠損型、IRS-2欠損型、IRS-1/IRS-2ダブル欠損型)の胎児線維芽細胞を調製し脂肪細胞へ分化させることで分化の程度を評価したところ、IRS-1、IRS-2は互いに、脂肪細胞分化過程において完全にはその機能を代償することができないことが分かった。IRS-1およびIRS-2は脂肪細胞分化に必須の分子であることが判明した。

脂肪細胞分化過程のPI-3Kinase活性の上昇を測定したところ、脂肪細胞分化過程に上昇するPI-3Kinase活性と脂肪細胞分化には相関があった。一方、脂肪細胞分化過程のMAPK活性化は4種の細胞間で差は認められず、脂肪細胞分化が障害されている原因としてMAPKの活性化は関与していないことが分かった。

脂肪細胞分化に関わる転写因子mRNAの発現を調べたところ、脂肪細胞分 化初期に発現する転写因子C/EBPβの発現は4種の細胞間で変わらず、C/EBP6のmRNAの発現はIRS-1欠損型細胞およびIRS-1/IRS-2ダブル欠 損型細胞で上昇していた。一方、脂肪細胞分化中期に発現してくる転写因子 C/EBPα、PPARγのmRNA発現はIRS-1/IRS-2ダブル欠損型細胞で著明に 低下しており、タンパクレベルでも低下していることを確認した。 PI-3Kinase阻害剤LY294002の添加でC/EBPα、PPARγの発現が認められなかったことから、IRS-1およびIRS-2を介するPI-3Kinase活性がPPARγ、C/EBPαの発現を調節していることが明らかとなった。

IRS-1/IRS-2ダブル欠損型細胞へのレトロウイルスを用いたPPARγ遺伝子 の導入実験の結果、IRS-1およびIRS-2はPPARγの発現上昇のみに関与し ているわけではなく、他の下流シグナル伝達経路も含めて脂肪細胞分化を調 節していると考えられた。

IRS-1/IRS-2のダブル欠損型マウスの新生児の脂肪組織を解析したところ、白色脂肪組織量は著明に低下していたが認められた。in vitro実験は分化誘 導剤としてIBMX・DEX・インスリンおよび10%FCSを用いた実験系であ るのに対し、胎盤中ではインスリンIGF-1・IGF-II・GrowthHormoneな どの増殖因子・ホルモン・生理活性物質が関与した種々の経路のシグナルがIRS-1/IRS-2シグナルを部分的に代償することで、ダブル欠損マウス新生児 の白色脂肪組織は部分的に分化したのではないかと推察された。一方、ダブ ル欠損マウス新生児の褐色脂肪組織量は低下していなかった。ダブル欠損マ ウス新生児の褐色脂肪組織量が低下していなかった理由として、褐色脂肪組 織においては、IRS-3がIRS-1/IRS2シグナルをほぼ完全に代償できた可能性が考えられた。

以上、本論文は、遺伝子欠損マウス胎児由来線維芽細胞を用いた脂肪細胞への分化誘導実験系を研究手法として、脂肪細胞分化過程においてのIRS-1、IRS-2の役割を特異的かつstraight-forwardに解明した研究である。

本研究は、肥満症とインスリン抵抗性の発症メカニズムの観点から重要であり、インスリンとIGF-1を起点とする細胞内情報伝達シグナルが脂肪細胞分化に関わる役割を考える上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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