学位論文要旨



No 216255
著者(漢字) 森部,英生
著者(英字)
著者(カナ) モリベ,ヒデオ
標題(和) 社会教育裁判・判例の研究
標題(洋)
報告番号 216255
報告番号 乙16255
学位授与日 2005.05.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第16255号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,一子
 東京大学 教授 土方,苑子
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 小川,正人
 東京大学 助教授 鈴木,眞理
内容要旨 要旨を表示する

社会教育法制論は、教育法学がそうであるように、個別具体的な法条を解釈することを通して、あるべき(=正しい)社会教育法規の適用に貢献しようとする「社会教育法解釈学」とでも呼ぶべき分野、社会教育関係法令が現実の政治や政策、人々の法意識・法価値観や教育運動等とどのように関わり合いながら作動し変容していくかを考察しようとする「社会教育法社会学」とでも呼ぶべき分野、さらには、社会教育関係法令ないし社会教育法制論そのものが有する根本的・原理的諸問題を、法システムや法規範構造や権利・義務といった基本的・基礎的レベルにまで掘り下げて検討しようとする「社会教育法理学」とでも呼ぶべき分野など、そこには幾つかの分野・アプローチがあり、斯界ではこれらが複雑に関連し合いながら、旺盛な研究が行われている。

ところで、社会教育においては、学校教育におけるほどではないにしても、様々な場面で紛争・事件が生起し、それは種々のやり方(例えば、調停や斡旋や人事委員会裁決、苦情処理や当事者間の話し合いや住民運動等々)で解決・処理がなされうるが、これを法的な手続=裁判に係属させて決着を図ることもある。このうち裁判は、当該紛争・事件を中立な第三者たる裁判所が、訴訟当事者の主張を聞き、事実を認定し、法令を解釈・適用して裁定する公権的過程であり、法が現実の場面でどのように運用されるかを示す実例として、実定法学にとってはもちろん基礎法学にとっても、不可欠の研究対象をなしている。社会教育裁判について言えば、それは、社会教育に関する紛争・事件を「事後的・法的」に解決・処理するという点で一定の限界を有するものではあるが、それだけに却って、わが国の社会教育に一体何が起きているのか、それをめぐってどのようなことが問題となっているのかを、集約的かつ鮮明に浮かび上がらせているのである。社会教育訴訟とその裁定結果たる判決・決定等は、このように、わが国の社会教育の現実の一面を如実に映し出すものとして、社会教育法制論にとって絶好の生きた研究素材である。問題は、それら社会教育裁判・判例をどのような視座と方法において研究するか、にある。

社会教育法制論は、すでに豊かな蓄積を有し、教育法学においても確たる一領域を占めているが、社会教育をめぐる裁判・判例についての研究は、幾つかの貴重な試みはあるものの、学校教育裁判・判例の研究に比べ、今日に至るまで未だ必ずしもその担い手は多くなく、十分に充実しているとは言い難い。それは、学校教育分野におけるほど裁判事例が多くないという事情にもよるが、社会教育学がその性格上、社会教育の自由をはじめ、社会教育活動の独自性や関係職員の専門性、さらにはボランティア・NPOといった、多様で広範な分野に常に関心と精力を注がなければならないという事情にもよると思われる。しかし一方で、その間にも、社会教育裁判・判例は、徐々にではあれ確実にその数と内容を増大させており、それは社会教育が有している諸問題の顕現化であるわけだから、これに目を向けて検討に付すことは、社会教育法制論・社会教育学にとって避けるわけにはいかない作業である。裁判・判例の研究が法学にとって不可欠であるように、社会教育裁判・判例の研究が社会教育法制論において不可欠であることに、改めて関係者の注意を促し、その一層の本格化を急ぐべきだとの感を強く持つ所以である。

本論文は、わが国の社会教育裁判・判例につき、これを、社会教育の紛争・事件をめぐる人々の訴訟提起に対する裁判所の「教育法的正義の実現」のための一連の過程、と捉えた上で、単にその個別事例についての評釈に終始することなく、憲法・教育基本法体制下での教育裁判・判例全体のダイナミクスとの関連においてその動向を探るとともに、その新たな分類・類型化を試み、また、法学界での議論状況を参考にしながら、基礎的・原理的な次元で総体的にこれを考察し、ひいては、個々の判例の解読・理解の深化にも資そうとしたものである。そして社会教育裁判・判例についてのこの試論を、いずれ、「教育法理学」とでも称すべき新たな研究地平の開拓の端緒としたい、とも考えるのである。

本論文は、研究の目的と方法を述べた序章、社会教育裁判状況の鳥瞰と分類・類型化を試みた第1部(第1章〜第4章)、社会教育判例における代表的な法理と思われる「教育権・学習権」「条理」「社会通念」の3つを検討した第2部(第5章〜第7章)、そして、社会教育裁判における「教育法的正義」を総括的に論じた終章、で構成される。

第1章「教育裁判の動向」では、旧法制下の裁判制度と関連させながら戦前の教育裁判がどのようであったかを概観した後、戦後の憲法・教育基本法制下での教育裁判状況を、これまでに私が把握しえている2164件ほどについて、その全般的な動向を、表とグラフを示しながら検討した。そこでは、戦後の教育状況と一定の対応関係を持って教育訴訟が提起されている様子が述べられる。第2章「社会教育裁判の動向」は、それら教育裁判のうち、社会教育裁判に焦点を当てて論じたもので、旧法制下の社会教育裁判状況を一瞥した後、憲法・教育基本法・社会教育法制下での、これまでに私が把握しえている136件(審級別に数えると延べ185件)ほどの社会教育裁判・判例について、章末にその全てを一覧表に掲げ、やはり表とグラフを示しながらその動向を検討したものである。しかし、社会教育裁判にあっては、その件数が未だ多くないこともあり、教育裁判全体にみられるような特徴的な傾向は、これを明確には窺い知ることができなかった。

第3章「教育裁判の分類と類型」では、教育法学界の先行研究と法学界の裁判論・訴訟論等を参照し、その示唆を受けながら、教育裁判を仮説的に「政策形成型」「管理是正型」「個別解決型」の3つに類型化し、それぞれの類型モデルの特色と、これに属すると思われる代表的なケースを挙げて紹介するとともに、この3つの類型に照らし、教育裁判が独自な方向で推移してきていることを指摘した。第4章「社会教育裁判の分類と内容」は、第3章を受けて社会教育裁判に焦点を絞り、先行諸業績を踏まえながら、そこで提示した3つの類型モデルと、伝統的・一般的な方法に基づいて試みた6つの分類(施設、事故、教育・学習活動の実施・内容、関係当局・職員・指導者の職務・業務、関係団体の構成・事業、文化財の取得・移転・消滅)を適宜組み合わせて整理の上、それぞれの分類に属すると思われる事例の内容を紹介・検討したものである。

第5章「社会教育判例における『教育権・学習権』」では、教育法学の最も重要なキーワードの1つである「教育権・学習権」について、教育法学・法学における教育権論・権利論に触れつつ、教育判例・社会教育判例の各判決理由の中で、この語がどのような文脈と内容において援用されているかを紹介・検討した。遺憾ながらしかし、社会教育判例にあっては、「教育権・学習権」をストレートに言明している判決は現段階では見当たらなかった。第6章「社会教育判例における『条理』」は、やはり教育法学における重要タームの1つである「教育条理」ないし「条理」が、教育判例・社会教育判例の中でどのように用いられているかを、教育法学における条理論や、それと関連が深いと思われる法学界における「事物の本性」論にも言及しながら、具体的な判決を紹介・検討した。検討を通して、教育判例・社会教育判例における「条理」の内容が、その少なからぬ援用例とは裏腹に、いささか不安定・不明確であることが知られた。第7章「社会教育判例における『社会通念』」は、他の多くの判例一般においても用いられている「社会通念」が、教育判例・社会教育判例でどのように使われているかを、法学における議論と関連させて、具体的な判決を引用しながら紹介・検討したものである。「教育権・学習権」「条理」に比し、「社会通念」が相対的に、比較的有効に作用しているケースの存在が認められた。

終章「社会教育裁判と教育法的正義」は、各章での検討を踏まえ、社会教育裁判・判例において「教育法的正義」が実質的にどのように実現されており、またされようとしているか、そもそも社会教育における「正義」とは何かを、古今東西の正義論に触れながら考察し、また、実際の判決を例示して検討し、これを本論文の総括とした。教育裁判・判例における「教育法的正義」は、教育法学における最も基本的な終局概念の1つに属しており、構築されるべき「教育法理学」のメインテーマにもつながるものである。而して、「社会教育的正義」の真の実現に向けて絶えず教育諸法理の点検と議論を続けることが社会教育法制論に課せられた責務であるというのが、本章の結びである。

これまでの(2004年3月現在)裁判事例の収集・把握には少なからず漏れがあるかもしれず、件数にも数え間違いがあるかもしれず、さらには、社会教育法制論・教育法学・法学の最新の議論や成果を迂闊にも見落としているかもしれないこと等を、私は恐れる。同時に、一方でしかし、私はまた、現段階で捕捉しえている延べ185件ほどの社会教育裁判例について、他の教育裁判例とともにその具体的内容を紹介・検討しながら総体として考察した本論文が、社会教育裁判・判例研究にいっそうの弾みがつくための問題提起となり、広く社会教育の研究と実践に携わる人々の目に触れて関心を呼び、社会教育法制論・社会教育学・社会教育実践の進展に些かでも寄与せんことを、切望する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、戦後日本で提訴された2164件に達する教育裁判の判例の全体的・歴史的動向をふまえ、そのなかで136件を数える社会教育にかかわる判例に焦点をあてて独自の類型化を試み、教育法理学的考察を試みた丹念な労作である。教育法学全体においても未開拓な分野にとりくんだ先駆的研究といえる。

本論文の目的は、社会教育裁判・判例の諸事例を素材としながら、人々がどのような意図で裁判に提訴し、裁判所がどのような法理を用いて権利・義務の配分に関する結論(=教育法的正義)を導き出してきたかを検討することである。

論文は序章、第1部(第1章〜第4章)、第2部(第5章〜第7章)、終章から構成されている。第1部の前半で、教育裁判全体の動向との関連において社会教育裁判の状況把握がなされる。それを受けて、第1部後半で、社会教育裁判の分類と類型化が試みられている。近年の訴訟類型論では「政策形成型」と「個別解決型」の2つの類型に分類されることが通説であるが、本論文では通説及び教育分野の裁判の具体的動向をふまえながら、社会教育裁判の独自性を表す類型化として「政策形成型」「管理是正型」「個別解決型」の3つの類型モデルを新たに提起し、さらに6つの分類と組み合わせてその特質を浮き彫りにしている。こうした類型化をつうじて、実定法の領域ごとの静態的な類型化を超えた、動態的・現実的な判例動向の把握の方法を提起している。

第2部では、第1部で帰納的に類型化した社会教育裁判の判例について、個々の事例に注目しつつ判例における法理の考察をおこなっている。ここでは第一に教育法学、社会教育法制論における基本概念としての「教育権・学習権」、第二に判例一般において頻出する「条理」のなかでも教育特有の用法とされている「教育条理」、そして第三に判例中に広く言及される「社会通念」という三つの法概念を抽出し、社会教育判例における具体的用法にそくして、判決における正義実現の論理がどのように構成され、これらの法概念が判決を正当化する論理としていかに援用されているかを検討している。以上の検討をつうじて、社会教育判例では、政策形成型の判例では「学習権」法理が、個別解決型では「教育条理」法理が、そして政策形成型と管理是正型では「社会通念」法理が援用されることが多いという傾向が明らかにされる。

終章では、社会教育裁判が実現しようとする「教育法的正義」を原理的に総括し、「法的正義」一般との関連をふまえた教育法理学研究の意義と課題が示されている。

本研究は、従来の法解釈学的、法政策論的研究の方法とは異なる、法理学的な社会教育法制度研究の端緒を開いた点が高く評価される。教育判例の独自の類型化の試みは今後の教育法学にも重要な示唆を与えている。このような点から博士(教育学)の学位論文にふさわしいものと判断された。

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