学位論文要旨



No 216256
著者(漢字) 松本,真規子
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,マキコ
標題(和) 腎間質領域で生じる虚血に起因する尿細管間質障害は、コバルト投与によって誘導される腎保護的遺伝子の働きにより改善される
標題(洋) The tubulointerstitial injury due to hypoxia was ameliorated by cobalt:involving renoprotective gene induction associated with HIF stabilization
報告番号 216256
報告番号 乙16256
学位授与日 2005.05.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16256号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 木村,唯一
 東京大学 講師 久米,春喜
 東京大学 講師 大野,実
 東京大学 講師 関根,孝司
内容要旨 要旨を表示する

近年,臨床的ならびに実験的に腎機能障害の程度は糸球体障害の程度よりむしろ,尿細管間質障害の程度に相関することが報告されており,尿細管間質障害の腎機能低下に果たす重要性が示唆されている。蛋白尿は,尿細管間質障害を惹き起こす最も重要なmediatorの1つであるが,ある種の腎疾患では高度蛋白量が認められないにもかかわらず間質障害を伴って腎機能が低下することが報告されており,蛋白尿以外にも病態進行を規定している重要な因子があると考えられる。その機序の1つとして近年、尿細管間質領域の慢性的な虚血が尿細管間質障害進行に関与するという仮説が提唱されている。慢性虚血は何らかの原因で尿細管間質領域への血流が障害された場合に起こりうる。実際,傍尿細管毛細血管数の減少と組織障害もしくは腎機能低下が相関することが実験的に報告されており,血管障害による血流低下が病態悪化と関連することが示唆されている。しかしながら,尿細管領域が本当に虚血状態に陥っているのか,また,虚血が障害の原因となりうるのか,それとも障害の結果出現しているにすぎないのか、については明らかになっていない。そこで我々は,まず片腎摘出Thy-1腎炎ラットを用いた実験において,尿細管領域での虚血の有無と病態進行との関係を明らかにした。

片腎摘出後、1,2週目にThy-1抗体を投与し、進行性の腎障害が認められる片腎Thy-1腎炎モデルを作製した。抗体投与終了後2週目には有意な糸球体硬化病変が認められ,硬化病変の程度は病態惹起11週においても同様に重度認められた。一方、尿細管間質障害の程度は2週目に軽度認められ、その後11週にかけてより進行していることが明らかとなった。また、細胞内低酸素マーカーpimonidazoleとその抗体を用いた免疫組織化学的解析により,1週目から皮質尿細管領域の酸素分圧が片腎コントロールと比して低下していることが明らかになった。皮質尿細管の低酸素が、尿細管間質障害進行に先立って病態早期から出現していることから、低酸素が尿細管間質障害進行の原因となりうると考えられる。

この虚血状態がどのようにして出現するか、その機序を明らかにするため、傍尿細管毛細血管網の密度を調べたところ、尿細管間質障害と同様に、2週目では軽度の減少、11週目には著しい毛細血管の減少が認められた。しかしながら、低酸素に陥った尿細管は皮質に幅広く分布していたのに対し、傍尿細管毛細血管の減少は組織障害に強い部位に限局されていたことから、尿細管の酸素分圧を低下させる機序として、解剖学的な傍尿細管毛細血管の減少の以外の機序の存在が考えられた。そこで、生理的条件下で毛細血管内皮細胞に結合しうるビオチン化レクチンを尾静注し、傍尿細管毛細血管内のレクチン潅流の程度を比較したところ、コントロールに比し病態群では有意にレクチン潅流が減少しており、この領域の血流量低下が示差された。さらに、傍尿細管毛細血管内の赤血球流速を直接測定するintra vital microscopy法によっても、病態群での傍尿細管毛細血管内の血流低下が明らかとなった。これらの結果は、毛細血管数の減少だけではなく、血流量の低下も病態早期の慢性虚血の原因になっていることを示差している。

一方,細胞が低酸素に晒された場合,転写因子hypoxia-inducible factor-1(HIF-1)が活性化され多くの遺伝子発現を変化させることにより,低酸素に対する適応反応が誘導されることが分かってきている。我々は,HIFを介した低酸素に対する適応反応を誘導することにより,虚血に起因する障害を改善させうると仮定した。HIFのサブユニットの1つHIF-alphaは、通常酸素分圧では速やかにユビキチン分解されるが、この酸素依存的反応はコバルトによって阻害される。よってコバルトは、正常酸素濃度であってもHIFの下流に位置する遺伝子発現を活性化することができる。そこで,虚血障害に対する塩化コバルトの効果をラット虚血再還流腎不全モデルで調べた.Day-10から2mM塩化コバルトを自由飲水させ,dayOで片腎摘,day1で45分間の虚血を行い,day3で腎障害の解析を行った。コバルト非投与群では虚血再還流により著しい腎機能低下と尿細管間質障害,マクロファージ浸潤が認められたが,コバルト投与群ではこれらが有意に抑制された。また,半定量的RT-PCRを用いた実験により、コバルト投与群の腎臓ではheme oxygenase-1,erythropoietin,glucose transporter 1,vascular endothelial growth factorなどの転写レベルが上昇していることが明らかとなった。さらに、免疫組織化学的手法により、HIF-lalphaタンパクが安定化されていることが示され、HIFシグナルがコバルト投与によって活性化されていることが示差された。これらの結果から,コバルトによりHIFシグナルの下流に位置する種々の遺伝子発現が上昇し、低酸素に対する適応反応が誘導された結果、虚血再還流障害が抑制されたと考えられる。

我々は腎疾患の病態早期から皮質尿細管領域が慢性的に虚血状態に陥ること、そしてこれが、尿細管間質障害進行に原因として関与しうることを示した。このような虚血に起因する障害を抑制することは、尿細管間質障害を抑制する上で有効であると考えられる。HIFシグナルを活性化し、低酸素に対する適応反応を誘導することは、そのような治療的手段の1つとなりうることを実験的に示した。

審査要旨 要旨を表示する

腎疾患で腎機能低下に非常に大きな関与を持つと考えられる尿細管間質障害の進行機序についてはまだ解明されていない点が多く、進行性腎疾患の治療を考える上で課題となっている。本研究では、尿細管間質領域の低酸素状態が組織障害進行に関与するという仮説に基づき、まずラットの実験糸球体腎炎モデル(片腎Thy-1腎炎モデル)を用いて尿細管間質領域が間質障害に先立って低酸素状態に陥るか否かを検討し、この虚血が生じる原因を解析した。さらに、虚血再還流障害モデルを使用して、低酸素応答性転写因子であるHIFの活性化が低酸素に起因する障害を抑制できるか、を検証した。これらの研究結果として、以下の知見が得られた。

片腎摘出Thy-1腎炎モデルでは、極めて病態早期の段階から尿細管間質領域が低酸素状態に陥っており、間質領域へのマクロファージ浸潤などに代表される組織障害はこれに続いて進行していた。これらの結果から、尿細管間質領域の低酸素状態は、単なる組織障害の結果として生じているのではなく、組織障害の原因として腎疾患進行に関与することが明らかとなった。

片腎摘出Thy-1腎炎モデルの尿細管間質領域の低酸素状態は、間質領域を栄養している傍尿細管毛細血管数が維持されている段階から観察されたことから、低酸素を引き起こす新たな機序が考えられた。本研究では、intravital microscopy法を用いて微小血行動態を調べることにより、傍尿細管毛細血管の血流量が低下することを明らかにしており、腎局所の低酸素状態は血管数そのものの減少だけでなく、血流量低下に起因することが示された。

転写因子HIFは、通常酸素濃度においては、プロリンリン酸化を受けることによってユビキチン分解されるが、細胞内酸素分圧が低下するとプロリンリン酸化が進まず、分解を免れて核移行し、低酸素環境に適応するための種々の遺伝子発現が誘導される。このプロリンリン酸化のための酵素活性には、酸素と共に鉄が必要とされ、よってコバルトや鉄のキレート剤は酸素濃度が維持された状態であってもHIFへのプロリンリン酸化を誘導し、HIFによる遺伝子発現を誘導することができる。塩化コバルトをラットに投与し、その後虚血再還流障害を惹起した結果、媒体投与群と比べて有意に虚血による障害が抑制されることが明らかとなった。この時、腎臓において低酸素応答性の遺伝子EPO,VEGF,HO-1,Glutlの転写量が増加していること、同時にHIFも安定化されていることが明らかとなった。これらの結果から、HIFを安定化し低酸素応答性遺伝子発現を腎臓で誘導することにより、虚血による尿細管間質障害を抑制しうることが示された。

以上、本論文は尿細管間質領域の低酸素状態が、その後の間質障害進行に原因として関与することを明らかとし、腎局所の低酸素が病態進行を抑制するための重要なステップであることを明らかにした。また、本研究では、低酸素に起因する障害を抑制する手段として、転写因子HIFとその下流に位置する一連の低酸素応答性遺伝子の活性化が有効であることを示唆しており、今後の尿細管間質障害に対する治療を考える上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク