学位論文要旨



No 216265
著者(漢字) 島田,洋蔵
著者(英字) Shimada,Yozo
著者(カナ) シマダ,ヨウゾウ
標題(和) 半導体超格子中のトンネリング現象とそのテラヘルツダイナミクスに関する研究
標題(洋) Tunneling phenomena and their terahertz dynamics in semiconductor superlattices
報告番号 216265
報告番号 乙16265
学位授与日 2005.05.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16265号
研究科 工学系研究科
専攻 電気工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 助教授 田中,雅明
 東京大学 助教授 高橋,琢二
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

この四半世紀の間、半導体技術は急速な進歩を遂げ、分子線エピタキシー法に代表される結晶成長技術や半導体プロセス技術の向上により、高品質な半導体の微細構造(半導体量子ナノ構造)の作製が可能となってきた。中でも、層ごとに半導体物質が変わるヘテロ構造を多層に積み重ねた超格子構造の提案は、電子の振動現象であるブロッホ振動を利用した新しいテラヘルツ光デバイスの可能性を示唆した。さらにこの物質系は従来予想もされなかった興味ある現象を数多く示し、物質内の電子を所望の層内に閉じ込めておくことのできる新しい物質群を作り出すことを可能にし、新たな半導体デバイスの研究開発分野をも開拓した。この超格子に代表される半導体量子ナノ構造の特徴的な物性値、例えば量子化準位やその準位間エネルギー等は、ちょうどテラヘルツ電磁波のエネルギーに相当する。そのため、半導体量子ナノ構造を用いることによって、その特徴を活かした様々なテラヘルツ光デバイスの可能性が開けてきた。

本研究は半導体超格子構造を用いたテラヘルツ光デバイスの実現を目指し、半導体超格子中のトンネル効果とそのキャリアダイナミクスを明らかにすることを目的としている。本研究では、まず、化合物半導体超格子構造を分子線エピタキシー法により作製し、その電子伝導特性から量子化準位の形成とシークェンシャル共鳴トンネル現象について明らかにした。次に、超格子中の超高速電子伝導現象を調べるため、相関法による時間分解テラヘルツ分光系を構築し、超格子中のミニバンド伝導に伴うテラヘルツ放射を評価した。さらに、単一量子井戸テラヘルツ光検出器を作製し、光励起された量子井戸内電子のトンネリングプロセスの解明を行った。

半導体超格子中のシークェンシャル共鳴トンネリング

ドープされた半導体超格子中のサブバンド間遷移やシークェンシャル共鳴トンネリング現象は、量子井戸赤外フォトディテクタや、量子カスケードレーザーなどの新しい光デバイスへの応用可能性のため注目を集めている。一般に、エネルギー障壁層が比較的厚く、量子井戸間の結合が弱い超格子中の典型的な電子伝導特性は、シークェンシャル共鳴トンネル現象として特徴付けられ、周期的な微分負性抵抗(NDR)や、階段状のプラトー特性、バイアスのスイープ方向によるヒステリシス等のユニークな伝導現象を示す。本研究では、量子井戸構造中の量子化準位の形成とシークェンシャル共鳴トンネル現象の定量的理解およびそのダイナミクスの解明を目的に、ドープした超格子構造中のヘテロ界面と垂直方向の電子伝導特性の評価を行った。

超格子試料は、量子井戸内のキャリア密度の異なる複数の試料を作製し、キャリア密度と伝導現象の相関を詳細に評価した。特に、シークェンシャル共鳴トンネル効果では、各量子井戸層でトンネル電子の位相情報が失われるということに着目し、超格子全体を隣接する2つの量子井戸間の2次元−2次元トンネル伝導というセグメントに分け、それを直列に接続したものとして、超格子全体の電流−電圧特性が理解できるという独自のモデルを提案し、それにより電流−電圧特性に現れる微分負性抵抗の有無を、トンネル確率と供給関数のスペクトル形状の兼ね合いにより、定量的に説明することに成功した。また、同モデルを用いて、超格子に強磁場を印加することにより現れるシュタルクサイクロトロン共鳴トンネル電流中の微分負性抵抗の出現・消滅を、ランダウ準位の占有率と準位のブロードニングの関係により説明できることを明らかにした。さらに、超格子にステップ電圧や三角波電圧を印加することにより、高電界ドメイン形成のダイナミクスについて評価し、高電界ドメインの形成には有限な時間が必要で、その時間はトンネル抵抗を介して高電界ドメインの境界を充電する時間に相当することが明らかになった。また、ドメイン境界がエミッタ側からコレクタ側に遷移していく過渡現象を明らかにし、低キャリア密度素子のユニークな現象として、DCバイアスに対する高電界ドメイン形成の過渡現象に伴う持続的な電流振動現象の観測にも成功した。

超格子中のテラヘルツゲイン

超格子中のブロッホ振動はフェムト秒領域の超高速現象であり、従来のDC的な観測手法ではこの超格子中の電子伝導現象を観測することができなかった。そのため、超格子中の電子伝導を解明する上で、超高速な電子伝導現象を時間スケールで観測する手段を確立することは非常に重要である。そこで本研究では、半導体中の超高速キャリアダイナミクスを観測するため、相関法による時間分解テラヘルツ分光測定系を構築し、超格子中の電子伝導に伴い放射されるテラヘルツ電磁波を時間分解測定し、超格子中の過渡的な伝導現象の解析を行った。

本研究で開発した時間分解テラヘルツ分光系は、擬似的な自己相関法によるものでフェムト秒パルスレーザーとマイケルソン干渉計から構成され、テラヘルツ電磁波の検出器としてボロメータを用いている。ボロメータはテラヘルツ電磁波のパワーを測定するものでそれ自体には時間分解能は無い。そこで、マイケルソン干渉計により時間遅延を伴う励起レーザーパルス列を生成し、これより生成された二つのテラヘルツ電磁波の相関信号を遅延時間に対してボロメータにより測定している。また、キャリアダイナミクスの測定に適したミニバンド構造の異なる数種類の超半導体格子構造を分子線エピタキシー法により作製した。

まず、フーリエ分光法を用いた光電流スペクトルの評価より超格子中のミニバンドとワーニエ・シュタルク・ラダーの形成が明瞭に観測され、良好な素子構造が形成されていることが確認された。次に、時間分解テラヘルツ分光測定法を用いて超格子中のミニバンド伝導を評価し、ブロッホ振動に伴うテラヘルツ放射を室温において観測することに成功した。この結果より、ブロッホ振動が室温においても励起される比較的ロバストな現象であることが分かった。また、測定されたテラヘルツ放射の時間波形が、ミニバンド中を伝導する電子の電界に対するステップ応答と等価であることに着目し、テラヘルツ放射のフーリエスペクトルよりブロッホ振動する電子の伝導率スペクトルに関する情報を得、数テラヘルツまでの電磁波に対してブロッホ振動電子が利得を有しているという強い実験的示唆を得ることに世界で初めて成功した。

また、印加電界の増大に伴って数テラヘルツ程度までブロッホ振動が確認されたが、ある電界以上ではブロッホ振動によるテラヘルツ放射は観測されなくなった。しかし一方で、測定されるテラヘルツ放射強度は電界に従って強くなり、テラヘルツ放射強度の電界依存性に周期的なピーク特性の存在が観測された。このテラヘルツ放射強度の電界依存性に現れた周期特性のフーリエ解析の結果より、高電界下におけるテラヘルツ放射は第1ミニバンドと上位のミニバンドとの相互作用による伝導現象であり、観測されたテラヘルツ放射はミニバンド間ツェナートンネリングによるものであることが明らかになった。

サブバンド間テラヘルツ光吸収とフォトカレントダイナミクス

単一量子井戸テラヘルツ光検出器はバンド曲がり効果により高性能なテラヘルツ光検出器として機能することが期待されるとともに、そのシンプルな構造から量子井戸構造中の光吸収メカニズムの解明に有利である。単一量子井戸にテラヘルツ光を照射すると、サブバンド間遷移により電子が励起準位に励起され、量子井戸から脱出し、その結果量子井戸中の荷電状態が変化し、バンド曲がりが起こる。本研究ではこのバンド曲がり効果を積極的に用いた高感度のテラヘルツ光検出器の実現に向けて、単一量子井戸テラヘルツ光検出器の光電流のダイナミクスを評価するとともに、バンド曲がりがトンネル電流に与える影響を解析した。特に、波長可変性とパルス性の特徴を有する自由電子レーザーを励起光源として利用し、量子井戸内の光励起キャリアの過渡的な伝導現象を評価した。自由電子レーザーの発振波長は単一量子井戸テラヘルツ光検出器のピーク吸収波長にチューニングし、自由電子レーザーパルスに同期した過渡的な光励起電流の時間応答を測定した。その結果、低バイアス領域では、自由電子レーザーのマクロパルスに対応した速い応答の光電流のみが観測されたのに対し、高バイアス領域では速い成分のほか、自由電子レーザーのマクロパルスがターンオフした後も緩やかに減衰する遅い応答の光電流の存在が明らかになった。この光電流成分の起源を明らかにするため、光励起によりキャリアが脱出することによるバンド曲がり効果を取り入れたバンド計算を行い、遅い電流成分が、エミッタ層やコレクタ層から共鳴的に量子井戸内に電子を再充電するプロセスが禁止されるために発生することを示した。また、この長い時定数の光電流成分は、テラヘルツ光検出器の感度を格段に向上させるために有効であり、従来の量子井戸テラヘルツ光検出器の感度を改善する可能性を示している。

まとめ

本研究は半導体量子ナノ構造を用いたテラヘルツ光デバイスの実現を目指し、半導体超格子および量子井戸構造中のトンネル効果とそのキャリアダイナミクスを明らかにすることを目的に研究を行った。評価した超格子および量子井戸構造素子は、すべて化合物半導体ヘテロ構造で分子線エピタキシー法により作製した。まず、弱結合超格子中のヘテロ界面と垂直方向の電気伝導評価では、シークェンシャル共鳴トンネル現象と高電界ドメイン形成のダイナミクスについて明らかにした。次に、超格子中の超高速電子伝導現象を調べるため、相関法による時間分解テラヘルツ分光測定系を構築し、超格子中のミニバンド伝導に伴うテラヘルツ放射を評価した。その結果、ブロッホ振動によるテラヘルツ放射の観測に成功するとともに、ブロッホ電子のテラヘルツ電磁波に対するゲインの存在について、世界で初めて実験的にその可能性を示した。さらに、単一量子井戸テラヘルツ光検出器を作製し、自由電子レーザーを用いたキャリアダイナミクスの評価により光励起された電子のトンネリングプロセスを解明し、バンドベンディング効果による高感度化の解析を行った。

審査要旨 要旨を表示する

半導体結晶成長技術の進歩により、高品質な半導体超薄膜ヘテロ構造の作製が可能となってきた。特に、数ナノメートル程度の膜厚の電子閉じ込め層とエネルギー障壁層を有する半導体超格子構造や量子井戸構造中では、電子の波動性に基づく量子閉じ込め効果、トンネル効果など、様々な量子力学的効果が現れ、テラヘルツ光デバイスへの応用が期待されている。本論文は、"Tunneling phenomena and their terahertz dynamics in semiconductor superlattices"(「半導体超格子中のトンネリング現象とそのテラヘルツダイナミクスに関する研究」)と題し、半導体超格子構造や量子井戸構造中におけるキャリアの伝導ダイナミクスやサブバンド間遷移過程に関する物理的な知見を得るとともに、テラヘルツ光デバイスへの応用可能性を議論したものであり、5章より構成されており、英文で記されている。

第1章は序論であり、本論文が対象としている半導体超格子構造や量子井戸構造について、電子のコヒーレントな振動的トンネル効果であるブロッホ振動や、多重量子井戸内のサブバンド間遷移を応用した量子井戸テラヘルツ光検出器や量子カスケードレーザなど、デバイス応用に関するこれまでの研究の背景を簡潔に紹介するとともに、本研究の目的について述べている。また最後に本論文の構成を示して、各章の概略を説明している。

第2章では、エネルギー障壁層が比較的厚く、量子井戸間の結合が弱い超格子構造中で起きるシークェンシャル共鳴トンネル伝導の定量的理解とそのダイナミクスについて議論を行っている。一般に、超格子中のシークェンシャル共鳴トンネル伝導は、周期的な微分負性抵抗や階段状のプラトー電流−電圧特性、バイアスのスイープ方向によるヒステリシス等の特徴的な振る舞いを示す。本研究では、シークェンシャル共鳴トンネル効果においては、各量子井戸層でトンネル電子の位相情報が失われるということに着目し、超格子全体を隣接する2つの量子井戸間の2次元−2次元トンネル伝導というセグメントに分け、それを直列に接続したものとして、超格子全体の電流−電圧特性が理解できるという独自のモデルを提案し、それにより電流−電圧特性に現れる微分負性抵抗の有無を、トンネル確率と供給関数のスペクトル形状の兼ね合いにより、定量的に説明することに成功している。また、同モデルを用いて、超格子に強磁場を印加することにより現れるシュタルクサイクロトロン共鳴トンネル電流中の微分負性抵抗の出現・消滅を、ランダウ準位の占有率と準位のブロードニングの関係により説明できることも示している。さらに、超格子にステップ電圧や三角波電圧を印加することにより、高電界ドメイン形成のダイナミクスについて評価し、高電界ドメインの形成には有限な時間が必要で、その時間はトンネル抵抗を介して高電界ドメインの境界を充電する時間に相当することを明らかにしている。

第3章は、エネルギー障壁層が薄く、量子井戸間の結合が強い、広いミニバンドを有する超格子構造中で起きるコヒーレントなトンネル伝導現象(ブロッホ振動)について、そのダイナミクスを明らかにする新しい手法の構築を行うとともに、それを用いてブロッホ振動する電子の伝導率について考察している。1970年、江崎らにより提案された半導体超格子中をブロッホ振動する電子を用いた発振器・増幅器は、その実現可能性に様々な疑問が投げかけられてきた。一般に、超格子中のブロッホ振動の周期はサブピコ秒領域にあり、従来の直流的な手法ではブロッホ振動を観測することはできない。本論文では、超高速に伝導する電荷が放射するテラヘルツ電磁波を、フェムト秒レーザパルスを用いて時間領域で測定する系(時間分解テラヘルツ分光系)を構築し、超格子中に光励起された電子の伝導ダイナミクスの解析を行っている。電界を印加した超格子試料にフェムト秒レーザパルスを照射したところ、ブロッホ振動に伴う振動的なテラヘルツ放射を極低温から室温まで明瞭に観測することに成功している。さらに、測定されたテラヘルツ放射の時間波形が、ミニバンド中を伝導する電子の電界に対するステップ応答と等価であることに着目し、テラヘルツ放射のフーリエスペクトルよりブロッホ振動する電子の伝導率スペクトルに関する情報を得、数テラヘルツまでの電磁波に対してブロッホ振動電子が利得を有しているという強い実験的示唆を得ることに、世界で初めて成功している。このことは、ブロッホ発振器・増幅器の実現可能性に実験的に初めて支持を与えるものとして重要な成果である。また、放射されるテラヘルツ電磁波波形と強度の電界依存性より、ブロッホ利得の最高周波数が、基底ミニバンドから上位ミニバンドへのジーナートンネル過程により制限されていることも明らかにしている。

第4章では、単一量子井戸中有に形成される量子準位間のサブバンド間遷移を用いた高感度テラヘルツ光検出器の可能性について議論している。単一量子井戸にテラヘルツ光を照射し、サブバンド間遷移により電子が励起準位に励起され、量子井戸から脱出すると、量子井戸中の荷電状態が変化し、バンド曲がりが起こる。このバンド曲がり効果を積極的に用いた高感度のテラヘルツ光検出器の実現に向けて、単一量子井戸テラヘルツ光検出器の光電流のダイナミクスを評価するとともに、バンド曲がりがトンネル電流に与える影響を理論的に考察している。単一量子井戸(二重障壁)素子構造に自由電子レーザパルスを照射し、単一量子井戸テラヘルツ光検出器の光電流波形を測定したところ、低バイアス領域では自由電子レーザのマクロパルスに追従した速い応答の光電流のみが観測されるのに対し、高バイアス領域では速い成分の直後に、自由電子レーザのマクロパルスがターンオフした後も緩やかに減衰する遅い応答の光電流成分があることが見出された。光励起によりキャリアが脱出することによるバンド曲がり効果を取り入れたバンド計算を行い、遅い電流成分が、エミッタ層やコレクタ層から共鳴的に量子井戸内に電子を再充電するプロセスが禁止されるために発生することを明らかにしている。また、この長い時定数の光電流成分は、テラヘルツ光検出器の感度を格段に向上させるために有効であり、従来の量子井戸テラヘルツ光検出器の感度を百倍程度改善する可能性を示している。

第5章は結論であり、本研究で得られた主要な成果をまとめている。

以上のように本論文は、半導体超格子構造や量子井戸構造中の電子の波動性に基づくトンネル効果、サブバンド間遷移効果など、様々な量子力学的効果について、電気伝導測定や時間分解テラヘルツ分光法、自由電子レーザパルスなどを駆使することにより、キャリアのトンネルダイナミクスを明らかにするとともに、テラヘルツ領域におけるブロッホ発振器・増幅器やサブバンド間遷移を利用した高感度テラヘルツ光検出器の実現可能性を示したものであり、電子工学に貢献するところが少なくない。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50266