学位論文要旨



No 216271
著者(漢字) 岩田,浩太郎
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,コウタロウ
標題(和) 近世都市騒擾の研究 : 民衆運動史における構造と主体
標題(洋)
報告番号 216271
報告番号 乙16271
学位授与日 2005.06.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16271号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 藤田,覚
 東京大学 教授 近藤,和彦
 東京大学 助教授 吉澤,誠一郎
 東京大学 助教授 保谷,徹
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、18〜19世紀初頭を中心に日本近世の都市騒擾の歴史的構造とその特徴について各地の騒擾事例の個別実証研究を基礎に考察している。民衆運動史における構造論と運動論の統一的把握をめざす立場から都市騒擾研究の方法的な革新をはかり、都市騒擾を近世社会の全体性のなかに可能な限り位置づける研究をおこなった。そして、幕藩制の特質やアジア・ヨーロッパとの比較検討をふまえて近世都市騒擾の日本的特徴について考察し、さらに日本近世の都市騒擾における中央と地方、特殊と普遍に関する試論を提起した。

総論「都市騒擾と近世社会」では、地方の事例発掘や三都の騒擾の濃密な実態分析を進める課題など、個別実証研究の意義について述べた。そして、戦後の研究史の批判的検討をおこない、「構造論ぬきの階級闘争史」といわれた変革主体の存在証明のための騒擾の運動論的研究や「階層論的都市住民論」と括られる階層的矛盾一般の存在証明のための騒擾の構造論的研究などの問題点を指摘した。その上で、運動論と構造論の有機的な関連による都市騒擾の内在的分析の課題を指摘し、本論文の視点と方法につき(1)行動分析の方法的意義、(2)意識分析の視点と方法、(3)要因分析の固有な領域、(4)近世都市騒擾の日本的特徴、の4点を述べた。とくに、騒擾に参加した人々の行動様式と意識形態に着目して運動過程を復元し、彼らが真に問題としたことを究明し、その成果をふまえて従来未解明の次元を含む政治的社会的経済的な構造要因につき研究をおこない、騒擾の歴史的意義を多角的に考察するという、いわば運動論的分析構造論的分析の方法意識について論じた。

第一部「都市打ちこわしの世界像」では、主に天明の江戸・大坂打ちこわしを事例とし、下層民衆の行動様式を時系列的に整理して運動過程を復元する運動論的分析を起点に、幕藩制下の中央都市における米騒動型の騒擾の運動形態や論理、正当性意識の発展過程を検討した。また、運動の社会的結合=対抗関係の構造論的分析と騒擾の意味化=政治化過程の分析を通じて、騒擾の歴史的意義に関する考察をおこなった。民衆は値段相対→喧嘩・口論→打ちこわし→押買などの継起的な集合行動をとり米屋や富商家に対して米の安売りと施米施金を強要し実現する規律だった運動を居町および周辺隣町を単位におこなった。それが連鎖的に市中全域に波及する形で前代未聞の規模の騒擾が展開したことを解明した。小商人・職人・日雇など店借層を中心とする運動主体の結集は、町家敷毎の店衆の共同性のほか周辺隣町域の職業・生活上の諸関係や町火消活動の共同性などの地域的な結合関係を基盤としていた。彼らの主張は、米屋は元値段に基づいた正路な商業行為を行うべきであり、飢饉などの危機時には居町および周辺隣町域の買い手を救済すべく値段相対に応じるべきであるとするもので、18世紀における価格認識の形成と通俗道徳的な経済倫理の普及を歴史的な背景としていた。運動形成の時点で民衆が問題としたのは、町や地域からの安売り要求に応じず掛売りをも拒否し便乗値上げもおこなった舂(搗)米屋仲間の売買のあり方であったが、その背景には蔵米相場遵守を規則とし幕藩制的価格体系の補完機構としての本質を持った舂米屋仲間の独自な営業展開があったことを確認できた。仲間や町など共同組織・利益集団の複層として存立している都市社会の分節的構造の矛盾が経済変動のなかで露呈した点が市中全域規模の騒擾発生の一構造要因となったことを解明した。また藩邸が抱える内なる日用=武家奉公人層も扶持方増金を求める争闘をおこなっていた事実を発掘し、藩邸社会を組み込んだ都市騒擾論を提起した。さらに、騒動勢の正当性意識の発展過程について考察し、騒擾の拡大段階から幕政批判と人々の成立を求めた木綿旗の設置など騒動勢の高揚した可能意識が表明され、身近な宗教的民俗的な神威を動員して打ちこわしの民衆的権威が構築されたことを検証した。また、騒擾に参加しなかった諸身分・階層においても象徴的世界が形成され、全国諸都市で同時多発した諸国騒動は仁政を怠った公儀に対する天の戒告であるとする天譴論的世界が武家方を含む広範な身分・階層に共通して形成されたことを論証した。そして、天譴論的世界の形成が騒擾後の改革論における諸言説を規定し、寛政改革政権による大政委任論を含む公儀の支配正統性の再編を必然化したとする試論を提出した。

第二部「構造変動と都市騒擾」では、都市騒擾の要因を解明するためには、当該都市の階層的矛盾のほかさらに多次元の政治的社会的経済的な要因の検討により矛盾激化の特有な構造を考察する必要があるとする観点から構造論的研究を実施した。都市経済変動の巨視的考察という方法を試み、惣町一揆論をめぐる論争上のアポリアである下層民だけでなく諸階層が参加した社会経済的背景の検討をおこなった。江戸高間伝兵衛打ちこわし・大坂家質騒動・日光惣町一揆を事例に、巨大化による需要構造の変質(江戸)、家質金融を基礎とした信用取引の肥大化(大坂)、普請作事の経済効果依存の増大(日光)といった18世紀における各都市の再生産構造の特性と幕府政策による矛盾激化の構造をふまえて各騒擾の運動過程を全体的に位置づける考察をおこなった。また、享保期江戸の騒擾分析から町奉行の政策観が高米価の実現による四民の再生産論に基礎をおくものであったことを究明し、石高制・兵農分離制をとる幕藩制の体制原理が日本近世の食糧価格規制を世界史的にみて特異なものとしたとする論点を獲得した。また、天明期の諸国騒動を事例に、18世紀後半以降騒擾が全国的連続的に展開するようになる社会経済的背景について考察した。天明江戸打ちこわしにおいて米屋以外の他商売の者=「素人」が米穀買い占めを理由に多数打ちこわされた運動過程をふまえて米穀市場の存在形態に関する研究を実施し、田沼政権の米穀売買勝手令などの市場政策により天明期には「脇々米屋素人」が米穀流通に参画し投機的な取引をおこなえる特有な市場環境が形成されていたことを解明した。その成果をふまえて、大坂市場の米穀流通量の実証分析をはじめ全国米穀市場変動に関する研究を実施し、18世紀における地方商品生産地帯=飯米需要地の形成および中央市場離脱を志向する諸藩政改革による諸地方米穀市場の形成と連動化、大坂市場の供給基盤の狭隘化、新たな米穀取引ネットワークの広域的な形成と勝手令による下り米流通の活発化、という諸事態により、西国→大坂→江戸および諸地方米穀市場→江戸の米穀流通がみられ、諸国の米価騰貴=食糧危機の連鎖の構造が形成されたことを指摘した。この連鎖の構造との関わりで、大坂を起点に江戸を頂点とした諸国騒動の展開過程を検証し、大坂市場の統制強化により全国市場の掌握をはかろうとした田沼政権の諸政策を契機に激化された幕藩制経済総体の諸矛盾の展開のなかに諸国騒動を位置づける構造論的分析をおこなった。

第三部「地方都市騒擾の展開」では、遅れている地方都市騒擾の事例研究を進め、戸〆(閉店罷業)や米改めなどの運動形態を発掘し、中央とは異なる地方の都市騒擾の運動形態や論理、条件について考察した。伊予松山・越中富山・近江下坂本の事例分析を実施し、戸〆騒動は町衆の渡世・家業ひいては町方一統の成立を危うくする苛政を行った藩に対して町衆が商人・職人としての職分を一時的に放棄し惣町で閉店罷業(惣町戸〆)をすることで抗議し、惣町訴願の要求である仁政の実施をせまる実力行使の運動=惣町一揆の典型であるとその歴史的意義を考察した。そして、各地の惣町一揆の論理構造に関する検討をおこない、18世紀以降の町方における商人・職人の職分意識の歴史的展開にもとづく領主との双務的な関係意識が惣町一揆の正当性主張の根拠=中心的原理であったと論じた。また陸奥青森湊騒動の実証研究をおこない、米改めは惣町民が食糧危機打開のために集まり悪辣な買占めをした商家を打ちこわした後、惣町の多数の町家の蔵を開けて貯蔵米俵数を悉皆的に調査し、藩に御定値段を公布させてその安売公売を実現していく運動形態であり、地方都市における米騒動型の騒擾の典型として位置づけた。米改めの正当性は、惣町にある米は惣町民のために正しく売買されるべきであり危機時には米持ち町人の所有権や取引は惣町のために制限を受けるべきであるとする考えに基づいていたことを解明した。そして、米改めの運動形態や論理を江戸・大坂など中央都市の打ちこわしやヨーロッパ・中国(清代前期)の食糧蜂起と比較検討し、地方都市騒擾の方が比較史的に共通する運動形態や論理を有していたことを指摘し、総領主の蔵米販売市場の位置にある江戸・大坂の騒擾の方が幕藩制支配の規定性を強く受けた日本的特質を顕著にみることができると論じた。また、戸〆騒動についてもアジア各地の運動と類似した共通性をもち都市小営業者層の閉店罷業の一形態として位置づけられることを指摘し、総じて日本近世の都市騒擾の運動形態や論理における中央と地方、特殊と普遍をとらえる試論を提起した。

総じて本論文の方法的な特徴は、階級闘争史・人民闘争史の枠組みでおこなわれていた都市騒擾研究の方法を再検討し、行動様式や意識形態の独自性に着目して都市騒擾の運動過程を内在的に考察するとともに、運動論的分析構造論的分析の方法を採用して都市騒擾の政治的社会的経済的な要因の検証を多角的におこない、都市騒擾を近世社会の全体性のなかに位置づけてその歴史的意義を考察した点にある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、近世中期の都市を素材として、民衆運動の歴史的特質を、とくに社会経済構造との関わりを中心に多面的に解明しようとするものである。まず総論において研究史と相対する本書の方法と課題がていねいに述べられたあと、本論は十の章と二つの補論が三部にわけて構成されている。

第一部「都市打ちこわしの世界像」は三つの章と二つの補論からなる。ここでは素材の中心を天明期の江戸打ちこわしに求めて、都市食糧蜂起の行動様式・意識・論理構造・世界像などが検討される(1・2章)。また打ちこわしの記録とそこにみられる叙述や政治意識の特質を、新たな記録史料の発掘とともに解明してゆく(3章・補論1〜2)。

第二部「構造変動と都市騒擾」では、17世紀末〜18世紀末の江戸における都市経済の変容と都市騒擾の形成・展開との関係について考察を試みる。そこではまず、享保期の動向を高間伝兵衛打ちこわしに至る矛盾構造の解明という視点から追究し(4・5章)、また天明期の米穀売買勝手令の実施過程を精緻に辿りながら、江戸米穀市場の構造と、幕府政策の破綻への動向を検討する(6章)。さらに18世紀全般における幕藩制経済の問題にも視野をひろげ、江戸・大坂・日光など諸国における都市騒擾の性格を包括的に論ずる(7章)。

第三部「地方都市騒擾の展開」では、明和期から文化年間にかけて展開した地方都市における個性的な民衆運動の事例を紹介し、その特質をみる。そこではまず明和年間の松山や富山、文化年間の下坂本における「と戸じめ〆」(閉店罷業)という小営業による特異な運動形態を紹介し、これを惣町一揆の一種として性格付ける。また天明期青森湊における食糧危機の中でみられた民衆による「米改め・蔵改め」(有産者によって隠匿された米穀の摘発)行動を明らかにし、これを米騒動型騒擾として意義づける。

本論文は、近年低迷している近世の一揆・民衆運動史研究の現状に対して、社会経済状況の分析を基礎とし、運動主体である民衆の行動様式や意識を包括的に捉え返すことで停滞を打破し、新たな方向性を提起しようとする意欲的なものである。とくに、天明期江戸の幕政の動向や社会状況を絡めた打ちこわしの研究は、一方で、新史料の紹介や新たな運動形態の発見など多くの知見をもたらし、一揆・打ちこわし研究の一つの達成と評価できる。そして、ヨーロッパなど諸外国の食糧蜂起事例との比較史的考察をも含むなど、学界に裨益するところ大である。

本論文は、19世紀以降への言及が十分みられず、また内容構成のバランスなどに若干の難点をもつが、本審査委員会は、上記のような顕著な研究成果に鑑みて、本論文が博士(文学)に十分値するとの結論を得た。

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