学位論文要旨



No 216278
著者(漢字) 久保田,一石
著者(英字)
著者(カナ) クボタ,カズイシ
標題(和) 質量分析を用いた創薬標的蛋白質の研究
標題(洋)
報告番号 216278
報告番号 乙16278
学位授与日 2005.06.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16278号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 多比良,和城
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 助教授 鈴木,勉
 東京大学 講師 新海,政重
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

質量分析は物質の質量を測定する方法である。従来、蛋白質・ペプチドのような不揮発性高分子はイオン化効率が悪く、質量分析には不向きな試料とされてきた。しかしながら、1980年代、1990年代の質量分析装置の革新、蛋白質配列データベースの拡充、及びソフトウェアの開発により、現在では質量分析により、フェムトモルレベルの蛋白質の同定、翻訳後修飾の解析が可能となっている。創薬プロセスでは、初めに創薬の標的となる標的蛋白質の探索が行われる。この創薬標的蛋白質の探索も、創薬標的蛋白質候補を探索するステップと、見出された候補蛋白質が医薬品の標的として適切であるか評価するステップに分かれる。本研究はこの最新の質量分析による蛋白質解析技術を、創薬標的蛋白質の探索に応用することを目的とした。

2. 破骨細胞分化過程における分泌蛋白質の研究

骨組織は間質系細胞株由来の骨芽細胞による骨形成と、血球系由来の破骨細胞による骨吸収を順次繰り返す、骨リモデリング機構により一定の骨量を維持する動的な組織である。そこで、近年報告された均一な株化細胞(RAW264.7細胞)を用いた破骨細胞実験系を用いて、破骨細胞分化過程における分泌蛋白質について検討した。

2-1. 2次元電気泳動法及びショットガン解析によるプロテオーム解析

破骨細胞分化過程における分泌蛋白質の増減を解析するために、網羅的蛋白質解析であるプロテオームの2つの手法、2次元電気泳動法及びショットガン解析法の一つisotope-coded affinity tags (ICAT)法を用いた。その結果、変動していた蛋白質として、cathepsin類、osteopontin, legumain, MIP-1 ,等これまで報告のあった蛋白質が同定される一方、新たにHE1, GILT, PCDGF等これまでに報告のない蛋白質も同定された。これらの蛋白質は破骨細胞による骨リモデリング過程の調節蛋白質候補であり、かつ新規創薬標的候補であると考えられる。

2-2. 破骨細胞が分泌する骨芽細胞分化抑制因子の精製及び同定

破骨細胞へ分化誘導したRAW264.7細胞培養上清を骨芽細胞分化アッセイに供したところ、骨芽細胞の分化を抑制した。そこで、この培養上清中から骨芽細胞分化抑制因子の微量精製、同定を試みた。その結果、質量分析により活性物質がPDGF BBであることが示唆された。この骨芽細胞分化抑制活性が、中和抗体で中和されたことから、この骨芽細胞分化抑制因子はPDGF BBであることが確認された。PDGFが骨代謝に影響を及ぼすことはこれまでも知られていたが、破骨細胞または破骨細胞前駆細胞が骨芽細胞の分化をPDGF BBを分泌することにより直接制御することは初めての知見であった。PDGF BBは骨リモデリング過程において重要な因子であると同時に、骨疾患治療薬の有望な創薬標的候補であると考えられる。

3. 2'-PDEの同定及び機能解析

2-5Aシステムはインターフェロン(IFN)を介した抗ウイルス・抗腫瘍機構であり、調節分子として2-5Aを用いる。この2-5Aは、一般的なRNaseにより分解されず2'-phosphodiesterase (2'-PDE)と呼ばれる酵素により分解されることが示唆されていたが、これまでその実体は明らかにされていなかった。2'-PDEは2-5Aシステムの負のレギュレーターと考えられるので、その阻害剤は2-5Aシステムを活性化し、抗ウイルス、抗腫瘍作用を持ち、創薬標的候補として有望であると考えられる。そこで、この2'-PDEの精製及び同定を試みた。牛肝臓より質量分析を前提とした微量蛋白質精製により、機能未知遺伝子が同定され、この遺伝子の全長をクローニングし、組換え体を構築したところ2'-PDEであることを確認した。

この2'-PDEが創薬標的として妥当であるか調べるために、その機能解析を行った。2'-PDE過剰発現株を作製し、IFN及び二本鎖RNAによる影響を調べたところ、2'-PDE過剰発現株では有意ににその効果が減弱された。さらにHeLa細胞におけるワクシニアウイルスアッセイ系において、2'-PDEのsiRNAによる抑制、及び化合物による酵素阻害は、共に有意にウイルス増殖を阻害した。これらの結果により2'-PDEは仮説どおり2-5Aシステムの負のレギュレーターとして作用し、本酵素が創薬標的として有望であることが示された。

4. PADIによるシトルリン化部位の研究

翻訳後修飾の一つに蛋白質中のArg残基が脱イミノ反応しシトルリン(Cit)残基になるシトルリン化反応が知られている。この反応はCa2+依存性酵素であるpeptidylarginine deiminase (PADI)によって触媒されており、このうちhPADI4は関節リウマチ治療薬の標的蛋白質候補と目されている。

4-1. hPADI2及びhPADI4のシトルリン化部位の比較

hPADI4の創薬標的としての妥当性評価のために、関節リウマチ患者の滑膜組織で発現している二つのヒトPADIアイソフォーム、hPADI2及びhPADI4によるシトルリン化部位の同定及び比較を、質量分析を用いて行った。脱アミド化部位を誤ってシトルリン化部位と判定しないために、シトルリン化部位の同定基準は非常に厳格なものとした。結果としてモデル基質として用いたフィブリノーゲンにおいて、hPADI2及びhPADI4の間で多くのシトルリン化部位が共通であったが、一部に差異も観察された。また、そのシトルリン化部位には明確なモチーフは観察されなかった。PADIアイソフォーム間での基質特異性の比較は、PADIの関節リウマチ発症における役割の解明、さらに創薬標的としての妥当性評価の重要な基礎的知見と考えられる。

4-2. 安定同位体標識を用いた新規シトルリン化部位決定法

前節で行った方法はシトルリン化部位と脱アミド化部位を区別するために、MS/MSスペクトルの精査が必要であり、その解析は非常に労力を要するものであった。そこで、PADIによるシトルリン化反応においては酸素原子がH2Oより取り込まれる事を利用し、50% H218Oによる安定同位体標識を利用した新規シトルリン化部位同定法について検討した。この50% H218O中で行う新しい方法と、これまでの天然のH2O中で行う方法で行い、比較検討した結果、新しい安定同位体標識を用いた方法は、これまでの方法と比較し、同定したシトルリン化部位は完全に一致し、同等のペプチドカバー率を示しながら、そのスループットはMS/MSの精査を必要としないために大幅に向上した。シトルリン化部位の迅速な同定はPADIの妥当性評価・機能解析を行う上で有用であり、関節リウマチ治療薬の研究開発に貢献すると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

質量分析は1980年代の革新的な二つのイオン化法の発見、それに続く1990年代の質量分析装置の革新、蛋白質アミノ酸配列データベースの拡充、ソフトウェアの開発により近年飛躍的に進歩し、フェムトモルレベルでの蛋白質の同定、翻訳後修飾の解析が可能となってきた。この質量分析技術を用いた蛋白質解析は、蛋白質の網羅的解析であるプロテオーム解析の最重要基盤技術であり、プロテオーム解析以外にも様々な応用が試みられている。

一般に医薬品は蛋白質に作用することで効果を発揮する。そのため現代の創薬プロセスでは、初めに創薬の標的となる標的蛋白質の探索が行われる。画期的な新薬の研究開発には、画期的な新規標的蛋白質が必須であり、効率的な創薬標的蛋白質の探索研究は創薬における最初の重要なステップである。

本論文では近年急速に発展した質量分析による蛋白質解析技術を用いて、骨代謝疾患治療薬の標的探索、抗ウイルス・抗腫瘍薬の標的探索及び妥当性評価、関節リウマチ治療薬の妥当性評価法の開発など創薬標的蛋白質研究の成果について述べている。

第1章は序論であり、論文の構成、研究の背景、研究の目的について述べている。

第2章では破骨細胞分化過程に分泌される蛋白質を対象として、骨代謝疾患治療薬の標的探索を行った結果について述べている。すなわち、破骨細胞分化過程で増減する分泌蛋白質の網羅的プロテオーム解析を行い、既に報告のある蛋白質のみならず、新規蛋白質の同定に成功している。プロテオーム解析の手法としては蛋白質の網羅性を高めるため、2次元電気泳動法とショットガン解析法の一種であるIsotope-coded affinity tags (ICAT)法を用いている。これらの同定された蛋白質は骨リモデリング過程の調節蛋白質候補であり、かつ薬剤の標的蛋白質候補であると述べている。さらに、破骨細胞分化過程で分泌される骨芽細胞分化抑制活性を見出し、その本体が血小板由来増殖因子であることを、複数種類のクロマトグラフィーの組み合わせによる精製、質量分析による同定、中和抗体を用いた妥当性評価により確認している。このような骨芽細胞分化抑制因子の同定は、質量分析を前提とした超微量蛋白質精製系を構築することにより初めて可能となった。破骨細胞より分泌される骨芽細胞分化調節因子は初の知見であり、血小板由来増殖因子は骨粗鬆症治療薬の有力な候補蛋白質であると述べている。

第3章では抗ウイルス・抗腫瘍作用を持つインターフェロン(IFN)の作用機序に関与するRNA分解を介した細胞またはウイルスの制御系を対象として、その調節分子5'-triphosphorylated,2', 5'-phosphodiester-linked oligoadenylates(2-5A)を分解する酵素2'-phosphodiesterase (2'-PDE)を創薬標的蛋白質として選定し、その精製・同定、その機能解析を通して薬剤標的としての妥当性評価について述べている。この2'-PDEと呼ばれる酵素は、その活性は古くから知られていながら、その実体は明らかにされていなかった。本研究において質量分析を前提とした超微量精製スキームを構築することにより、初めてそのクローニングに成功している。この2'-PDEの過剰発現株ではIFN・二本鎖RNAによる細胞増殖阻害が有意に軽減された。反対に、RNA干渉による2'-PDEの発現抑制、低分子化合物による2'-PDEの酵素阻害によって、有意にウイルス増殖が阻害された。これらの結果から、2'-PDEはRNA分解を介した細胞またはウイルスの制御系の負のレギュレーターとして作用し、本酵素が創薬標的蛋白質として有望であることが示されたと結論づけている。

第4章では翻訳後修飾の一つであり、関節リウマチ発症との関連が報告されているPeptidylarginine deiminase (PADI)によるフィブリノーゲンのシトルリン化部位を質量分析により解析し、関節リウマチ治療薬の妥当性評価を行う技術の開発について述べている。すなわち、有望な創薬標的蛋白質であるPADI4と、滑膜細胞で発現しているアイソフォームPADI2によるフィブリノーゲンのシトルリン化されるArg残基部位を、脱イミノ化反応によるシトルリン化に伴う+1 Daの質量変化を利用して同定する方法を開発した。さらに、Asn、Gln残基の脱アミド化に伴う+1 Daの質量変化とArg残基のシトルリン化に伴う+1 Daの質量変化を簡便に区別することが可能な新規シトルリン化部位同定法の開発も行った。すなわち、H218Oを反応液中に50%含ませることによって、シトルリン基に取り込まれるH2O由来の酸素が16O:18O=1:1となるため、質量スペクトル上でArg残基のシトルリン化に伴う+1 Daの質量変化:+3 Daの質量変化=1:1となる人工的な同位体ピークを生成させることが可能となり、効率的な同定を実現した。

第5章では本研究の総括及び今後の展望について述べている。

本論文は創薬標的蛋白質の探索及び妥当性評価を目的として、質量分析技術を最大限活用する実験系を考案・構築し、プロテオーム解析、超微量蛋白質精製、翻訳後修飾解析へと応用したものであり、化学生命工学、特に蛋白質工学、プロテオミクス、さらにゲノム創薬分野への発展に寄与するところ大である。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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