学位論文要旨



No 216283
著者(漢字) 物部,寛子
著者(英字)
著者(カナ) モノベ,ヒロコ
標題(和) 小児急性中耳炎の予後に関する外的、内的因子についての臨床疫学的研究
標題(洋)
報告番号 216283
報告番号 乙16283
学位授与日 2005.06.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16283号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 講師 高見沢,勝
 東京大学 講師 金森,豊
 東京大学 助教授 山岨,達也
 東京大学 講師 渡邊,孝宏
内容要旨 要旨を表示する

急性中耳炎は3歳までに50〜71%の乳幼児が少なくとも1回は罹患すると言われ、耳鼻咽喉科診療において最も頻繁に経験する疾患の1つである。この疾患は小児外来診療での抗生剤投与の対象となることの最も多い疾患の1つであり、患児やその家族にとってストレスが大きいばかりではなく、国全体でその治療に要する費用は医療経済に与える影響も大きい。

これまで急性中耳炎の治療には抗菌薬の投与が広く行われてきているが、広域スペクトラムの抗生剤使用にもかかわらず炎症症状の再燃や、数ヶ月以上滲出性中耳炎が持続し、鼓膜換気チューブの留置を余儀なくされる事はよく経験することである。こういった急性中耳炎の難治化についてはペニシリン耐性肺炎球菌の増加にみられる起炎菌の薬剤耐性化や、急性中耳炎の病態において宿主が免疫学的に未熟であることが関与すると考えられている。

このような長期化・難治化する急性中耳炎の病態について、細菌の薬剤耐性化が問題となる一方で、近年急性中耳炎患者の中耳貯留液から病原となる菌は70%程度から検出されるにすぎないといわれ、小児急性中耳炎の病原微生物として呼吸器ウィルスの果たす役割にも多くの注目が集まってきている。ウィルスが急性中耳炎に対する抗生剤への反応性を低下させ、中耳炎の早期再燃をみるのか、またはウイルス性急性中耳炎は治癒しやいのか、ウイルス感染例において急性中耳炎から滲出性中耳炎へ移行、遷延化する例が多いのかについて様々な議論がなされているが、検体を採取した時期とウイルス感染が起きた時期は必ずしも一致せず、検体にウィルスゲノムが検出されたことの有無がすなわち感染の有無を示すことにはならない。本研究ではこのような観点に基づき、予後との関係には言及せず、検出されたウィルスゲノムと一般細菌検査の結果のみを示し、ウィルスゲノムが検出されうる期間、反復して検出されうる可能性について考察した。

研究1では小児急性中耳炎症例で得られた中耳貯留液から呼吸器ウイルスRNAをmultiplex-nested reverse transcriptase polymerase chain reaction (multiplex-nested RT-PCR)を用いて検出し、79人の急性中耳炎症例から採取した初診時の中耳貯留液中の呼吸器ウイルスゲノムの有無について、通常の細菌培養による結果とともに示した。細菌の重複感染を3耳で認めたため(肺炎球菌+インフルエンザ菌2例、肺炎球菌+モラキセラ菌1例)のべ82耳における結果では82耳中36耳(44%)、全79耳中35耳(44%)で呼吸器ウイルスゲノムを認めた。細菌の発育がなく、呼吸器ゲノムのみ認めたものは11耳で全体の14%であった。呼吸器ウイルスゲノムを認めた35耳中最も多く認めたものはrespiratory syncytial virus typeA(RSV-A)23耳(66%)であり、adenovirus9耳(26%)、human rhinovirus3耳(9%)、respiratory syncytial virus typeB(RSV-B)2耳(6%)、influenza virus typeA(H3N2)(以下influenza virus)を2耳(6%)の順となっていた.このうちRSV-Aとadenovirusの重複感染を3耳で認めた。

またRespiratory syncytial virus typeAのウイルスゲノムを認めたのは23人中15人(65%)が2歳以下の低年齢であった。

中耳貯留液の検体は急性期に採取するように努めたが、いつ感染が起きたかを同定することは事実上困難であり、また小児急性中耳炎の発症機序から鑑みて上気道炎発症時に病原となるウイルスの侵入の如何に関わらず、急性炎症所見をきたしうる。実際に対象とした症例のうち、急性感染症状や所見が軽快しない、または増悪したために、初診後3日から10日の間で再度鼓膜切開を行い、初診時には呼吸器ウイルスゲノムが検出されなかったにも関わらず、その後に検出された例が4例存在した。このような事実は、初診時の所見や検査結果のみで炎症発症の原因について言及することの困難さを示すものと思われた。またRSV-Aやadenovirusのウイルスゲノムは10日前後継続して検出され、上気道感染と比較しても中耳からの排出は遅れる可能性や、RSV-Aでは1ヶ月以上の間隔で検出され、気道と同様に中耳でも反復感染を起こしている可能性が示唆された。このような報告はこれまでになく、中耳炎の発症や感染の持続に関して、新しい視点を与えるものと考えている。

以上の感染を起こす病原側の問題の他に、感染を受ける宿主側のもつ危険因子(リスク・ファクター)も同様に問題となる。急性中耳炎の発症/反復に関するリスク・ファクターとして大きく外的因子と内的因子に分けられ、外的因子として保育所生活、短期間の授乳、両親の喫煙を、内的因子として年齢、免疫異常、遺伝的素因(家族歴、人種、human leukocyte antigen HLA-A2),アトピー性素因などが挙げられている。

臨床上でもこれら、特に外的因子にあたるものについては患児の保護者から、または小児科から「集団保育は続けていいのか」「授乳期間は長くしたほうがいいのか」などの質問を受けることも多く、これらの質問にevidenceをもって答えるのは我々耳鼻咽喉科医の役割でもある。また、興味深いことに、実際に小児急性中耳炎の診療にあたり、以前から中耳炎の増悪因子とえられていた保育所生活の児が全て反復、難治化するわけではなく、反復する児が考えられるリスク・ファクターを全てもっていない、ということもしばしば経験した。

これらのことを背景として、研究2では中耳炎の発症/反復、経過と予後に関するリスク・ファクターを理解し、当施設においての結果をevidenceとしてまとめ、診療にあたることが必要であると考え、リスク・ファクターとしての外的因子や年齢の中耳炎の経過、予後に対する影響を検討した。解析の対象としたのは初診時の年齢、性別、集団保育の有無、兄弟の有無、母乳栄養の期間、中耳貯留液と上咽頭から検出された細菌の種類についてである。また、予後判定の基準として、初診時より1カ月後に中耳貯留液が持続している症例を中耳貯留液の持続、1ヶ月以内に治療開始前と同様の急性症状の再燃をみた症例を早期再燃、6ヶ月以内に急性中耳炎を3回以上反復した症例を反復性中耳炎、初診後1週間で急性感染症状が持続または増悪する症例を感染持続と定義し、用いた。

単変量解析で、年齢、集団保育が統計上有意な差を認めたため、この2つの因子について乳児院の児を含まない群でさらにstepwise multiple logistic regression analysisを行った。この結果、年齢2歳以下は反復性中耳炎を発症する独立した危険因子(odds ratio,11.44;CI,1.38-94.61,p=0.007)であり、集団保育を受けていない状態は早期再燃を起こす独立した危険因子(odds ratio,8.28;CI,1.62-42.43,p=0.011)であった。

本研究を通じ、小児急性中耳炎への呼吸器ウイルス感染の関与、リスク・ファクターの関与が一層明らかになった。この研究で得られた知見は実際の診療にあたる者として重要であり、今後の治療に結びつくものである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は小児急性中耳炎において重要な感染原である呼吸器ウィルスの関与について、その感染の頻度、細菌との混合感染、反復感染する可能性について、さらに小児急性中耳炎の予後に関与する因子について明らかにすることを目的としてものであり、以下の結果を得ている。

5ヶ月から6歳までの小児急性中耳炎症例79人において急性期に鼓膜切開により中耳貯留液を採取し、multiplex-nested RT-PCR法により呼吸器ウィルスゲノム検索を行い、79耳中35耳44%で中耳貯留液中から呼吸器ウイルスゲノムを検出した。このうちRSV-Aが最多で23耳66%であった。

急性中耳炎症状・所見増悪時に中耳貯留液を反復して採取した例では、中耳貯留液からRSVを反復して検出された3例がみられ、RSVは気道感染と同様に中耳でも反復感染することが示唆された。

adenovirusとRSVでは中耳貯留液中から10日前後の間隔で再度検出される例が存在し、気道感染と比較しても中耳からのウイルスの排出は遅れる可能性が示唆された。

感染を受ける側のリスク・ファクターとして、初診時年齢、性別、集団保育の有無、兄弟の有無、母乳栄養の期間、中耳貯留液と上咽頭から検出された細菌の種類を中耳炎の予後に影響を与える因子として解析を行った。初診時より1ヵ月後に中耳貯留液が持続している場合を中耳貯留液の持続、1ヶ月以内に治療開始前と同様の急性症状の再燃をみた症例を早期再燃、6ヶ月以内に急性中耳炎を3回以上反復した症例を反復性中耳炎、初診後1週間以内に急性感染症状が持続または増悪する症例を感染持続として、単変量解析を行い、有意となった因子に関して多変量解析を行ったところ、2歳以下の低年齢が反復性中耳炎のリスク・ファクターであり、集団保育に入っていないことが早期再燃に関するリスク・ファクターであった。

以上、本論文を通じ、小児急性中耳炎への呼吸器ウィルスの関与について、ウィルスゲノムの検出される頻度や期間が一層明らかになった。また、急性中耳炎の予後に関して従来予後不良の危険因子とされていた集団保育下にあることが必ずしも中耳炎の反復や再燃をきたす原因とはならないことも明らかとなった。

本研究で得られた知見は実際の診療にあたる者として重要であり、今後の治療に結びつくものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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