学位論文要旨



No 216284
著者(漢字) 菊池,安希子
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,アキコ
標題(和) 関東圏中学生の有機溶剤使用に関連する要因についての研究 : 質問紙調査の結果から
標題(洋) Factors Associated with Volatile Solvent Use Among Junior High School Students in Kanto,Japan : Results from a Questionnaire Survey
報告番号 216284
報告番号 乙16284
学位授与日 2005.06.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第16284号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,進昌
 東京大学 助教授 熊野,宏昭
 東京大学 助教授 綱島,浩一
 東京大学 助教授 山崎,喜比古
 東京大学 助教授 上別府,圭子
内容要旨 要旨を表示する

緒言

日本において最も乱用されている違法薬物は、有機溶剤(シンナー)と覚せい剤である。生涯使用率では、有機溶剤の方が覚せい剤よりも乱用率が高く、かつ、有機溶剤は覚せい剤の乱用への「ゲイトウェイ・ドラッグ」であることが指摘されている。有機溶剤乱用は14才から16才で開始されることが多く、中学生の「シンナー遊び」経験の危険要因を検討することは薬物乱用防止対策上、有用と考えられるが、日本における中学生の薬物乱用の危険要因を検討したこれまでの研究は、主として単変量による解析を用いてきたため、各要因の危険度を相対的に比較することが出来なかった。

これらのことをふまえて本研究では、1993年に関東圏にある中学校から得られたデータを用いて、有機溶剤乱用に関連する危険要因の検討を多変量解析を用いて行った。

1993年は、日本の薬物乱用状況の歴史的過渡期にあたる。この時期には違法性薬物の入手可能性が高まり、薬物乱用者の年齢層が若年にまで広がり、外国人による薬物販売ルートが出現したと言われている。一方で1993年は、学習指導要領の改訂に伴い、中学校でも薬物に関する教育が実施され始めた年であった。以上のことから、1993年時点における中学生の薬物乱用に関する研究は、その後の日本においてとられた若年者に対する薬物乱用防止施策の評価を行う際のベースライン的意味を持つと思われた。

方法

対象

1993年11-12月に関東地方一都六県(東京、茨城、栃木、群馬、千葉、埼玉、山梨、神奈川)の公立中学校13校の生徒7978人に対し、無記名自記式アンケートを実施した。

測定変数

本研究では、以下の項目について検討した:

1)有機溶剤使用:「生涯経験の有無」及び「過去1年の経験の有無」

2)危険要因:「人口学的変数(性別、学年)」、「起床時間(日常生活の規則性)」、「学校生活」、「家庭環境」、「友人関係(親しい友人の有無)」、「仲間からの圧力(シンナー遊び誘われ経験)」、「喫煙(経験、頻度)」、「飲酒スタイル(飲酒経験なし、大人の監督下でのみ飲酒、大人の監督外での飲酒)」、「身近にシンナー経験者はいるか」、「シンナーの害の知識(急性中毒死、精神病症状、無動機症候群、フラッシュバック)」、「遵法意識(未成年の飲酒・喫煙禁止、シンナー乱用禁止について)」

データ解析

先行研究との比較のため、「シンナーの生涯経験の有無」を従属変数、各危険要因を独立変数として、単変量のロジスティック回帰分析を行った。次に、「シンナーの生涯経験の有無」を従属変数として危険要因全てを投入し、多変量のロジスティック回帰分析を行った。より簡便なモデルを得るため、ステップワイズ法による変数選択(投入基準α=.05、除去基準α=.05)を行い、最終モデルを得た。

先行研究及び単回帰分析でシンナー経験と関連が認められつつ、多変量解析で有意な関連を失った飲酒スタイルにつき、クロス表から喫煙との関係を確認した。

飲酒スタイル別にシンナー生涯経験と各危険要因の関連について多変量ロッジスティック回帰分析を行い、変数選択で最終モデルを得た。

シンナー遊びの持続要因の検討のため、「生涯経験ありだが過去1年は使用していない群(推定中断群)」と「過去1年使用経験あり群(新規使用者+継続使用者)」における「シンナー遊び誘われ経験」を比較した。

結果

対象者

対象者7978人中、7744人(97.1%)から回答を得た。「シンナー遊び」生涯経験があると答えた者は90人(男子63人、女子26人、不明1人)であった。

解析の結果

1)単変量解析の結果

性別 男子は女子に比して粗オッズ比(以下粗OR)が2.22であった。学年 いずれの学年もシンナー遊び経験とは有意な関連を示さなかった。起床時間不規則な者は規則的な者に比べて粗ORが3.82であった。学校生活粗ORは「とても楽しい」と答えた者に比べ「あまり楽しくない」者では2.43、「全く楽しくない」者では16.66であった。家庭環境「うまくいっている」者に比べ、「どちらともいえない」者の粗ORが3.17、「うまくいっていない」場合は粗ORが6.95であった。親しい友人「いる」者に比べ「いない」者の粗ORは5.93であった。喫煙経験「経験なし」に比べ、粗ORは「何回か」で6.75、「時々」で28.19、「毎日のように」では96.44であった。飲酒経験大人の監督外で飲酒経験がある者は、飲酒経験がない者に比べ粗ORが8.50であった。身近にシンナー経験者がいるか 「身近にシンナー遊びをしている人がいる」者は、いない者に比べ粗ORが20.08であった。シンナー遊び誘われ経験誘われた経験のない場合に比べ、ある場合のORは70.17であった。シンナーの害の知識「急性中毒死」「精神病状態」「無動機症候群」の知識の有無とシンナー遊び経験には有意な関連はなかった(p>0.05)。フラッシュバックを知っているかについては、シンナー遊び経験者は、経験のない者に比べ粗ORが2.32であった。飲酒禁止への遵法意識い遵法意識」の粗ORが10.24であった。喫煙禁止への遵法意識 遵法意識が「高い」場合に比べ、「中等度」では粗ORが4.70、「低い」場合には17.95であった。シンナー乱用禁止への遵法意識「高い」場合に比べ粗ORは、「中等度」で8.36倍、「低い」場合で28.23倍であった。

2)多変量解析の結果

全要因変数をモデルに投入したところ、「性別」「家庭環境」「喫煙経験」「身近にシンナー経験者がいるか」「シンナー遊び誘われ経験」「シンナー乱用禁止にへの低い遵法意識」がシンナー遊び経験に関連していた。調整ORは「シンナー遊び誘われ経験あり」の8.18と「毎日のようにたばこを吸う」の7.29で最も高かった。ステップワイズ法による変数選択の結果、「性別」「家庭環境」「喫煙経験」「身近にシンナー経験者がいるか」「シンナー遊び誘われ経験」「シンナー乱用禁止に対する低い遵法意識」が選択され、最も調整ORが高かったのは「毎日のようにたばこを吸う」の8.51と「誘われ経験」の8.50であった。

3)飲酒の効果についての検討

クロス表で確認したところ、飲酒は喫煙の入門薬物になっている可能性が示唆された。飲酒スタイル別解析では以下の結果が得られた:飲んだことがない群では、選択された変数は、「起床時間の不規則性」(調整OR=7.61)、「誘われ経験」(調整OR=38.20)、「喫煙禁止への低い遵法意識」(調整OR=16.38)であった。一方、「大人の監督下でのみ飲む群」では「性別」(調整OR=5.41)、「家庭環境」(調整OR=3.04)、「喫煙経験」(調整OR=18.90)、「誘われ経験」(調整OR=16.24)、「身近にシンナー乱用者がいるか」(調整OR=12.75)が有意な関連を示した。「大人の監督外で飲酒経験がある群」では、「学校生活」(調整OR=3.47)「喫煙経験」(調整OR=10.12)、「誘われ経験」(調整OR=12.46)、「シンナー乱用禁止への低い遵法意識」(調整OR=6.87)が有意な関連を見せた。

4)シンナー遊びの持続要因の検討

「生涯経験ありだが過去1年は使用していない群(推定中断群)」では「過去1年使用経験あり群(新規使用者+継続使用者)」に比較して「シンナー遊び誘われ経験」ありとした者の率が有意に低かった(x 2=5.47,df=1,P<O.05)

考察

本研究の結果、以下のことが示された:1)「喫煙経験」と「シンナー遊び誘われ経験」が、シンナー遊び経験と最も強い関連を示した。2)「身近にシンナー乱用者がいること」「シンナー乱用禁止への低い遵法意識」、「性別」、「家庭環境」も有意な関連を示した。3)飲酒スタイルは、多変量モデルにおいては「シンナー遊び」と有意な関連を示さなかった。4)シンナー遊びの害の知識があることと、シンナー遊び経験がないことは、有意な関連を示さなかった。

「喫煙経験」は「シンナー遊び」との強い関連を見せ、頻度が高いほど調整オッズ比も上がるなど、量一反応関係もみられた。飲酒経験はアメリカにおいては違法性薬物への「ゲイトウェイ・ドラッグ」の一つに挙げられているものの、日本においては直接的に「シンナー遊び」への入門的役割を果たしていない可能性が示された。背景には飲酒文化の違いがあると考えられる。しかしながら、飲酒経験も、喫煙経験が媒介することにより、シンナー遊びに関連してくると考えられた。害の知識を持つことは、必ずしもシンナー遊びの抑止力にならないとの結果であったが、1993年が中学生に対する薬物教育開始の年であることを考えると、知識の提供方法を工夫することで、「薬物使用経験がある方が寧ろ知識を持っている」状況から、「知識を持っていることで薬物使用を避ける」状況が来る可能性も考えられる。シンナー遊びの持続要因に、同世代仲間からの圧力が関連しているとの結果から、薬物教育の際には、こうした圧力に対応出来るようにするための行動学的内容を含めたり、同世代仲間から直接の知識提供をしてもらうなどの方法が考えられる。また、飲酒スタイル別にシンナー乱用との関連要因が異なるため、上記、教育内容の伝達法の工夫に加え、大人の監督外で飲酒するハイリスク群ほど、家族への働きかけも行うなど多方向からのプログラムが有効であると考えられた。

本研究の結果は、中学生の薬物乱用防止対策上、有用な仮説を与えるものであったが、この仮説をさらに検証するためには、継時的研究が待たれる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、日本における薬物問題への対策上重要と考えられる中学生における有機溶剤乱用の危険要因を検討するために、1993年に関東圏の公立中学校13校の7978人に対して無記名自記式アンケートを実施し、得られたデータを解析した。本研究で得られた結果は、以下の通りである。

<測定変数>

1)有機溶剤(シンナー)使用:「生涯経験の有無」及び「過去1年の経験の有無」

2)危険要因:「人口学的変数(性別、学年)」、「起床時間(日常生活の規則性)」、「学校生活」、「家庭環境」、「友人関係(親しい友人の有無)」、「仲間からの圧力(シンナー遊び誘われ経験)」、「喫煙(経験、頻度)」、「飲酒スタイル(飲酒経験なし、大人の監督下でのみ飲酒、大人の監督外での飲酒)」、「身近にシンナー経験者はいるか」、「シンナーの害の知識(急性中毒死、精神病症状、無動機症候群、フラッシュバック)」、「遵法意識(未成年の飲酒・喫煙禁止、シンナー乱用禁止について)」

<結果の概要>

1)「有機溶剤生涯経験」を従属変数、各危険要因を独立変数とした多変量ロジスティック回帰分析を行った。その結果、「喫煙経験(毎日のようにたばこを吸う)」(調整OR=7.29、95%CI:2.58,20.54)と「シンナー遊び誘われ経験(あり)」(調整OR=8.18、95%CI:4.05,16.53)が「有機溶剤使用生涯経験」と最も強い関連を示した。この結果は、タバコが有機溶剤乱用への入門的役割を果たしていること、また、仲間からの圧力が有機溶剤開始の誘因になっていることを示唆している。

2)「身近にシンナー乱用者がいること」「シンナー乱用禁止への低い遵法意識」「性別(男)」「家庭環境(うまくいっていない)」も、多変量モデルにおいて「有機溶剤生涯経験」と有意な関連を示した。この結果から、シンナー乱用対策においては、「仲間からの圧力」「遵法意識」「家庭環境」などの側面も視野に入れる必要性が示唆された。

3)多変量モデルにおいて「飲酒スタイル」は「有機溶剤生涯経験」と有意な関連を示さなかった。これはアメリカなどにおける先行研究とは異なる結果であるが、飲酒文化の達いが理由として考えられた。しかしながら、有機溶剤経験者の内、72%が飲酒と喫煙も経験していたことからも、飲酒経験は、喫煙経験を媒介することにより「有機溶剤生涯経験」と関連してくる可能性が考えられた。

4) 「急性中毒死」や「無動機症候群」などの「シンナーの害の知識」があることが、有機溶剤乱用と有意な関連を示さなかったことから、知識を持っているだけでは乱用の抑止力になりきれないことが示唆された。しかしながら、1993年が中学生に対する薬物教育の開始の年であること、「フラッシュバック」については有機溶剤乱用経験者の方が知識を持っていたことから、その後の薬物教育の影響によって、「薬物使用経験がある方が寧ろ知識を持っている」状況から、「知識を持っていることで薬物使用を避ける」状況が来る可能性も考えられた。

5) 「シンナー遊び誘われ経験」が有機溶剤乱用の持続要因として考えられることから、薬物教育の際には、同世代仲間からの圧力に対応できるようにするための行動学的内容を含めたり、同世代仲間から直接の知識提供をしてもらうなどの方法が考えられた。

以上、本研究は、日本の薬物乱用状況上、転換期とされた1993年時点のものであることから、その後の変化を評価する際のベースライン的価値を持つものであり、また、中学生の薬物乱用に関する同種の先行研究では使用されて来なかった多変量解析を含めた解析を行うことで、要因間の危険度の相対的評価を行った。本研究は日本における若年者の薬物乱用防止対策上、有用な仮説をあたえるものであると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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