学位論文要旨



No 216286
著者(漢字) 宇藤(飯田),朋子
著者(英字)
著者(カナ) ウトウ(イイダ),トモコ
標題(和) 飼育下におけるマアナゴの繁殖生理学的研究
標題(洋)
報告番号 216286
報告番号 乙16286
学位授与日 2005.07.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16286号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 會田,勝美
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 助教授 金子,豊二
内容要旨 要旨を表示する

資源減少が問題になりつつあるマアナゴでは、資源回復の一手段として、種苗生産技術の開発が望まれている。種苗生産には生殖に関する知見が必要だが、本種は産卵場や産卵回遊経路が不明であるばかりか、性分化から成熟に至る過程についての知見も乏しい。そこで本研究では、種苗生産技術の確立のために基礎となる、本種の性分化から成熟に至るまでの過程を明らかにし、ホルモンを用いずに水温操作のみで成熟させる方法の検討を行った。

性分化

性分化から初回成熟に至るまでの過程を調べるため、3 月に変態期までのレプトセファルスを捕獲し、水温 15℃の海水で飼育した。全個体が稚アナゴへと変態した4月以降、2〜3月に最低水温が10℃、10〜11月に最高水温が20℃になる海水(地下海水)で半年間飼育した。変態後から解剖を行い、生殖腺の組織学的観察を行った。また、配偶子形成過程を観察するため、11月に捕獲した、全長約20cm、体重約20gの稚アナゴを約1年間地下海水で飼育後、大きさから雌雄を選別した。雌魚だけに10℃下でヒト胎盤性生殖腺刺激ホルモン(HCG)を投与し、卵形成を促した。雌雄共、成熟に達するまで解剖を行い、生殖腺の組織学的観察を行った。

全長15cmに達する頃から生殖細胞の増殖が活発になり、性分化の開始が認められた。全長20cm以上の個体では、輸精管の形成、卵母細胞の出現が見られ、それぞれ精巣、卵巣の組織学的特徴が現れた。さらに、全長30cm以上の個体では、開腹時の目視観察により、精巣と卵巣を判別することができた。ここまでの過程は変態後、約半年間で終了した。引き続き、生殖腺の発達を観察した結果、変態から2年後、精子や卵黄球期の卵母細胞が観察された。これらの観察から、マアナゴは変態から約半年間後の全長30cmまでに性分化が終了し、2〜3歳の間に初回成熟が開始されることが明らかになった。

配偶子形成過程は、精子形成は7段階、卵形成は8段階に区分できた。精子形成は、一般的に魚類で報告されている過程と同様であった。卵形成は、卵黄胞期が特定できなかった以外は、ウナギと同様であった。

成熟の周年変化

成熟の周期性を検討するため、9〜11月に捕獲した稚アナゴを地下海水で3年間飼育し、生殖腺の組織学的観察を行った。また、血中ステロイドホルモン (T, testosterone; 11KT, 11-ketotestosterone; E2, estradiol-17β) 量の変化をELISA法により調べた。

雄魚では、飼育開始16〜18ヶ月後の2月に精子形成が開始され、5〜9月の間に排精が確認された。10月以降、精巣は退行したが、翌年1月より再び精子形成が開始し、3〜9月まで排精が確認された。血中11KT、T量は、精子形成の進行に伴い増加し、精子成熟時に減少する傾向があった。

雌魚では、飼育開始14ヶ月後の10月に卵母細胞内に卵黄顆粒が蓄積され始め、翌年の7月に第三次卵黄球期に達した。しかしそれ以上の進展はなく、9月以降卵巣は退行し、油球期までの未熟な卵母細胞のみになった。11月より卵巣内に新たに未熟な卵母細胞群が現れた。さらに、翌年1月には卵黄顆粒が蓄積し始め、5月には第三次卵黄球期に達した。しかし、GSI は前年の約半分の値であった。血中T、E2量は油球期後期から増加し始め、卵黄球期中は高値を維持し、卵巣退行時には若干減少した。

以上の結果から、マアナゴは雌雄共に飼育条件下で繰り返し成熟することが明らかになった。これは、雄魚は一生のうち、複数回繁殖期を迎えることを示唆している。また、雌魚は成熟が完了しなかったものの、成熟の周期性が確認されたことから、雄魚と同様、雌魚も一生に複数回産卵期を迎える可能性がある。

水温が雄魚の成熟に及ぼす影響

水温が雄魚の成熟に及ぼす影響を検討するために、2水温区 (20℃、10℃) を設定した。捕獲した稚アナゴを、約1年間地下海水で飼育後、雄魚を選別し供試魚とした。精子形成開始前の1月に、水温を20℃又は10℃一定にした水槽へ雄魚を移した。移動後、ほぼ1ヶ月毎に1年間サンプリングを行い、精巣の組織観察、血中T、11KT量の測定を行った。

20℃区では、精子形成が進んだ個体は、全数の約10%であった。それらの個体の精子は輸精管内にも観察されたが、精子には鞭毛がなく、形態が異常であった。血中11KT、T量は、地下海水で飼育した場合とほぼ同様の変化を示した。

10℃区では、精子形成はほとんどの個体で進行し、精子の形態異常は観察されなかった。さらに、長期間成熟状態が保たれ、5月から実験終了まで排精魚が出現し続けた。血中11KT、T量は低値であった以外は、20℃区とほぼ同様に推移した。

以上の結果から、水温は精子形成及び精子の変態に強く関与していることが明らかになった。高水温は精子形成および精子変態を抑制し、低水温は成熟の年周期性を消失させることが推測される。また、ステロイドホルモンは水温に関わらず、同様の推移を示したことから、水温はステロイドホルモン分泌よりも、その後の生理機構に影響を及ぼすことが推測される。

水温が雌魚の成熟に及ぼす影響

水温が雌魚の成熟に及ぼす影響を検討するため、3水温区(20℃、10℃、6℃)を設定した。捕獲した稚アナゴを約1年間地下海水で飼育後、雌魚を選別して供試魚とした。1月に雌魚を各水温区へと移動後、ほぼ1ヶ月毎に1年間サンプリングを行い、卵巣の組織観察を行った。

20℃区では第二次卵黄球期まで進んだが、夏以降は卵巣が退行した。一方、10℃、6℃の2区では一部の個体が第三次卵黄球期まで進んだ。10℃区では実験終了時に一部の個体で卵巣の退行が確認されたが、6℃区では実験終了まで卵巣の退行は観察されなかった。

これらの結果から、20℃は卵形成の進行を抑制することが明らかになった。また、10℃でも一部で退行が観察されたことから、6℃が卵形成の進行に適していると推測される。しかし、6℃でも核移動期に進まなかったことから、一定水温では核移動期以上に発達させることが困難であると推察される。

水温操作による雌魚の成熟および排卵

雌魚の最終成熟及び排卵を促すために、一定水温とそれに続く昇温効果について検討を行った。捕獲した稚アナゴを約1年間地下海水で飼育後、雌魚を選別して供試魚とした。まず、(1)6℃期間と卵形成について検討した。3月下旬に11℃から2〜3℃/月で6℃まで水温を下げた。6℃一定を2ヶ月及び8ヶ月(6℃区)保つ2区を設けた。6℃2ヶ月では、その後2℃/月で水温を12℃まで昇温し、実験終了の翌年1月まで12℃を保った (12℃区)。次に、(2)6℃とそれに続く昇温のタイミングを検討した。4月初めに12℃から2℃/月で6℃まで水温を下げ6℃を5ヶ月保った後、約1ヶ月で6℃から12℃又は10℃へ昇温した。この昇温は12〜2月まで、計3回行った。昇温には卵径が400〜700 m台の個体を用いた。最後に、(3)これまで最も成熟に適していると考えられる条件で、排卵までの経過を観察した。4月中旬に12℃から2℃/月で6℃まで水温を下げた。6℃を5ヶ月保った後、約1ヶ月で6℃から10℃まで昇温した。昇温には卵径600 m以上の個体を用いた。3実験とも、卵巣の組織観察および血中T、E2量の測定を行った。

(1)6℃2ヶ月目には第二次卵黄球期に達していた。その後、両区共に実験開始から半年後に第三次卵黄球期まで進んだ。実験終了時、12℃区では卵巣の退行が顕著であった。6℃区では退行せず卵径の増大が続いた。しかし核移動期には達しなかった。この結果から、卵黄球期中の水温上昇は卵形成を進行させる効果が低いことが推測される。

(2)昇温した個体中、卵径が顕著に増大したのは昇温前卵径が600 m以上の個体であった。血中E2量は昇温後に減少する傾向があった。また、2月に行った10℃への昇温により、死亡していたものの、排卵魚が1尾得られた。これより、昇温はステロイドホルモンの分泌に影響すること、最終成熟への進行には、卵黄球期終了後の昇温が効果的であるということが明らかになった。

(3)一定水温とその後の昇温により、放卵魚1尾を得た。放卵された卵は浮上せず、白濁していた。腹腔内に残っていた排卵後の卵に人工授精を試みたが、授精しなかった。排卵された卵、放卵された卵の卵径は、995±46 m、1,001±18 mであった。また、放卵魚の推定GSIは47であった。

以上の結果、水温操作のみで雌魚の排卵を誘導することに成功し、ホルモンを使用しない催熟法の確立が可能であることが示された。

本研究によりマアナゴの性分化から成熟に至る過程、水温と成熟との関係が明らかになり、水温操作により排精、排卵の制御が可能であることが示された。この結果、ホルモンを使用しない種苗生産技術確立への展望が開かれた。また本種はこれまで考えられてきた、一生に一度の産卵ではなく、飼育下では一生に複数回の繁殖期をもつことが雄魚で明確になり、雌魚ではその可能性が示唆された。飼育下では初回成熟が3歳までに開始されたことから、天然魚も早ければ3歳までに産卵場へと移動する可能性がある。さらに、雄魚の成熟および雌魚の排卵が10℃で見られたことから、産卵は10℃前後の水温域で行われることが予想される。今後、水温条件をさらに検討して排卵率を向上させ、受精卵、孵化仔魚を作出することが課題である。本研究の成果は、本種の種苗生産技術の確立はもちろんのこと、生態の解明や資源管理方法などに関する基礎的知見にもなると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

資源減少が問題になりつつあるマアナゴでは、資源回復の一手段として、種苗生産技術の開発が望まれている。種苗生産には生殖に関する知見が必要だが、本種は産卵場や産卵回遊経路が不明であるばかりか、性分化から成熟に至る過程についての知見も乏しい。そこで本研究では、種苗生産技術の確立のために基礎となる、本種の性分化から成熟に至るまでの過程を明らかにし、ホルモンを用いずに水温操作のみで成熟させる方法の検討を行った。結果の大要は以下のとおりである。

性分化

3月にレプトセファルスを、11月に稚アナゴを捕獲して飼育し、性分化から初回成熟に至るまでの過程を調べた。その結果、マアナゴは変態から約半年間後の全長30cmまでに性分化が終了し、2〜3歳の間に初回成熟が開始されることが判明した。

成熟の周年変化

成熟の周期性を検討するため、9〜11月に捕獲した稚アナゴを3年間飼育し、生殖腺の発達過程を調べた。雄魚では、飼育開始16〜18ヶ月後の2月に精子形成が始まり、5〜9月の間に排精した。10月以降、精巣は退行したが、翌年1月より再び精子形成が始まり、3〜9月まで排精が確認された。血中11-ketotestosterone(11KT)、testosterone(T)量は、精子形成の進行に伴い増加し、精子成熟時に減少する傾向があった。

雌魚では、飼育開始14ヶ月後の10月に卵黄顆粒が蓄積され始め、翌年の7月に第三次卵黄球期に達した。しかしそれ以上の進展はなく、9月以降卵巣は退行した。11月より未熟な卵母細胞群が現れ、5月には第三次卵黄球期に達した。血中T、estradiol-17β 量は油球期後期から増加し始め、卵黄球期中は高値を維持し、卵巣退行時には若干減少した。以上の結果から、マアナゴは雌雄共に飼育条件下で繰り返し成熟することが判明した。

水温が雄魚の成熟に及ぼす影響

水温が雄魚の成熟に及ぼす影響を検討するために、2水温区 (20℃、10℃) を設定した。捕獲した稚アナゴを、約1年間飼育後、精子形成開始前の1月に、水温を制御した水槽へ雄魚を移し1年間飼育しサンプリングを行った。

20℃区では、精子形成が進んだ個体は約10%であり、出来た精子も鞭毛が無く異常であった。一方、10℃区では、精子形成は殆どの個体で進行し、精子の形態も正常で、長期間成熟状態が保たれた。以上の結果から、高水温は精子形成および精子変態を抑制し、低水温は成熟の年周期性を消失させることが判明した。

水温が雌魚の成熟に及ぼす影響

水温が雌魚の成熟に及ぼす影響を検討するため、3水温区(20℃、10℃、6℃)を設定した。捕獲した稚アナゴを約1年間飼育後、1月に雌魚を各水温区へと移動後、ほぼ1ヶ月毎に1年間サンプリングを行った。

20℃区では第二次卵黄球期まで進んだが、夏以降は卵巣が退行した。一方、10℃、6℃の2区では一部の個体が第三次卵黄球期まで進んだ。10℃区では一部の個体で卵巣の退行が認められたが、6℃区では実験終了まで卵巣の退行は観察されなかった。

これらの結果から、6℃が卵形成の進行に適していることがわかったが、6℃でも核移動期に進まなかったことから、一定水温では核移動期以上に発達させることが困難であると考えられた。

水温操作による雌魚の成熟および排卵

雌魚の最終成熟及び排卵を促すために、一定水温とそれに続く昇温効果について検討を行った。捕獲した稚アナゴを約1年間飼育後、供試魚とした。まず、(1)6℃期間と卵形成について検討した。6℃2ヶ月目には第二次卵黄球期に達し、半年後に第三次卵黄球期まで進んだ。2ヶ月後から12℃まで昇温した区では卵巣の退行が顕著であった。6℃区では退行せず卵径の増大が続いたが、核移動期には至らなかった。次に、(2)6℃とそれに続く12℃又は10℃へ昇温のタイミングを検討した。その結果、卵径が600μm以上の個体で昇温により卵径が顕著に増大し、排卵魚も1尾得られたことから、最終成熟の誘発には、卵黄球期終了後の昇温が効果的であるということが判明した。最後に、(3)これまで最も成熟に適していると考えられる昇温条件で、排卵までの経過を観察した結果、放卵魚1尾を得た。

以上、本研究は、マアナゴの成熟過程、さらに水温と成熟との関係を明らかにするとともに、水温操作により排精、排卵の制御が可能であることを示し、ホルモンを使用しない採卵技術確立への展望を開いたものである。さらに、排精・排卵が10℃で見られたことから、産卵は10℃前後の水温域で行われることを明らかにした。本研究の成果は、本種の種苗生産技術の確立はもちろんのこと、生態の解明や資源管理方法などに関する基礎的知見にもなると考えられ、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)として価値あるものと認めた。

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