学位論文要旨



No 216287
著者(漢字) 深見,克哉
著者(英字)
著者(カナ) フカミ,カツヤ
標題(和) 魚醤の香気成分に関する研究
標題(洋) Studies on the volatile compounds in fish sauce
報告番号 216287
報告番号 乙16287
学位授与日 2005.07.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16287号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 木暮,一啓
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

魚醤は、古代より魚と塩を原料として作られた伝統的、褐色の液体調味料で、アジア各国で広く用いられ、各地でそれぞれの固有の名前を持つ。とくに東南アジアにおいて、魚醤は調理には欠かせない素材であるとともに、アミノ酸、ペプチド、ビタミン、ミネラルの供給源としても重要である。近年、アミノ酸バランス、ペプチド、香気などに由来する特徴的な風味とエスニックブームにより、魚醤はヨーロッパ、日本などで市場を拡大し、加工食品へ利用される機会が多くなってきた。しかし、魚醤特有の香気のため、大豆醤油のように一般的に広く浸透するまでに至っていない。

魚醤には3つの特徴的香気、すなわちアンモニア様、チーズ様、肉感様の香気がある。アンモニア様香気には、アンモニア、アミン類、窒素含有化合物が関与し、チーズ様香気には、低分子脂肪酸とメチルケトン類が関与していると考えられている。また、肉感様香気は、ピラジン、ピリジン、ピリミジン類の窒素化合物とアルデヒド類が協調して形成すると考えられている。これらの多くの研究にもかかわらず、魚醤中の香気成分の役割は明確でなく且つ、本質的に不快と感じさせる香気成分の特定には至っておらず、その有効な除去方法は見いだされていなかった。

本研究は、このような背景の下、タイ産の魚醤を対象に、香気成分の同定を試みた。次に、魚醤中の不快と感じる香気成分を軽減する目的として、魚醤中より単離した微生物を用いる方法を検討した。さらに、有効と認められた微生物の種属の特定と食品中の分布を明らかにしたもので、得られた研究成果の概要は以下の通りである。

魚醤中の特徴的香気成分の同定

まず、タイ産魚醤を対象に従来魚醤の分析に用いられることのなかった、香気成分の化学的変化が少ないと考えられるパージアンドトラップ法を用いて、その捕香量とアロマ抽出希釈測定法(AEDA法)の希釈に対する有効性を予備実験で調べた。その結果、パージ時間と吸着量との間に相関が認められたので、パージアンドトラップ法を用いてタイ産魚醤中の特徴的香気成分の詳細な分析と、AEDA法を用いてそれら香気成分のタイ産魚醤に対する寄与度の測定を行った。まず、回収した香気成分を、ガスクロマトグラフィー-マススぺクトロメトリー(GC-MS)を用いた物質の同定を、さらにGCを用いたスニッフィングによるフレーバー希釈値(抽出した香気成分の希釈した分母の値)の測定を行った。その結果、フレーバー希釈値64以上の香気成分として、2メチルプロパナール(2MPと略記)(焦げ臭)、2-メチルブタナール(2MB)(焦げ臭)、2パンタノン(2P)(フルーツ臭)、2-エチルビリジン(2EP)(草臭)、ジメチルトリサルファイド(DMTS)(魚臭)、3-メチルチオブロパナール(3MTP)(草臭)、イソ吉草酸(3MBA)(蒸れ臭)の7種類を同定した。

次に、これら香気成分が魚醤香気にどのように関与しているのかを調べた。まず、脱臭法について検討し、アルカリ処理により脱臭した魚醤の香気成分を測定した結果、2MP、2MB、2EP、DMTSが減少することが判明した。そこでこの脱臭した魚醤に当該4種の香気成分を再添加し、定量的記述分析法(QDA法)で官能評価し、魚醤の特徴的香気である、焦げ臭、魚臭、蒸れ臭、糞便臭、腐敗臭、チーズ臭、肉感、アンモニア臭に分けて、脱臭魚醤と比較した。その結果、2EPはチーズ臭を強くし、2EPとDMTSは、いずれも魚臭に共役して糞便臭に関与していることが判った。2EPは2MPおよび2MBと共役し、肉感を強くする効果が認められた。さらに4種類の香気成分は、いずれも蒸れ臭に共役して腐敗臭に関与することが明らかとなった。

マルソウダ魚醤もろみから単離した微生物による魚醤香気成分の改良

富山県において、マルソウダを原料に醤油麹を用いて作成した魚醤がタイ産魚醤に比べ、不快臭が少ないことから、マルソウダ魚醤もろみにタイ産魚醤特有の不快臭の産性を抑制する細菌が存在すると考え、その単離を試みた。22%食塩を含む栄養培地とグルコース・酵母エキス・ペプトン(GYP)培地より、6株の微生物が単離された。これら単離した菌を大量培養した後に、遠心単離で集菌してタイ産魚醤に添加して香気改良の効果を予備的に調べた。R4NuおよびR5Gの2株が有望と考えられたので、まず、R4Nuを用いてタイ産の魚醤を処理し、詳細に官能評価した。その結果、口に入れての評価、臭いを嗅いだときの評価とも、魚臭、蒸れ臭、糞便臭、腐敗臭が軽減するとともに、未処理魚醤に比べて、好ましい(+2)から嫌い(-2)と配点したQDA法による評価は、それぞれ+0.143および+0.857を得た。一方、GC-MSを用いて魚醤に特徴的な7香気成分の微生物添加による変化を調べたところ、2EP、DMTSはいずれも約1/2に減少し、3MBAはわずかに増加したが、2MP、2MB、2Pおよび3MTPは変化しなかった。さらに上記7成分以外の香気成分で、ヂメチルジサルファイド(DMDS)(魚臭)および酪酸(BA)(チーズ臭)はそれぞれ約1/2および2/3に減少し、3-メチルブタノール(3MBol)および2、6-ジメチルピラジン(2、6DMPyr)はそれぞれ約10倍および80倍に増加した。なお、3MBolおよび2、6DMPyrは閾値が高いため、魚醤の香気改良には、影響がないと判断された。

以上の結果を基に、試験管内のモデル実験により、分離微生物R4Nu株による2MP、2MB、2P、2EP、DMTS、3MTP、3MBA、DMDSおよびBAの9香気成分の資化の可能性を検討した。その結果、2MP、2MB、2EP、3MTPおよびDMDSは、微生物の作用により減少することが判った。2EPおよびDMDSの変化は魚醤中の変化と一致したが、モデル実験では2MPおよび2MBが減少して、3MBAが増加する点で、魚醤中の変化とは一致しなかった。また、分析した全9香気成分については微生物単独による2次代謝産物の産生は認められなかった。従って、タイ産魚醤への微生物添加で減少しなかった香気成分2MP、2MBおよび3MBA、さらに微生物添加で増加した香気成分3MBolおよび2.6DMPyrは、魚醤中のアミノ酸から生成されている可能性が考えられた。そこで、タイ産魚醤と同じアミノ酸濃度と22%食塩およびpH5.4に調整した合成魚醤で香気成分の生成を観察したところ、2MBおよび2MPはそれぞれ、イソロイシンおよびバリンから生成されることが示された。さらに、ロイシンから経時的に3-メチルブタナールが生成し2次代謝産物として3MBolが生成すること、および3MBolより3次代謝産物として3MBAが生成されること、が明らかになった。

以上の微生物処理した魚醤の香気成分の変化、香気成分添加モデル実験結果、合成魚醤による香気成分生成試験結果の比較、および魚醤中の微生物添加後の香気成分の変化と香気成分の添加モデル実験による資化分析結果から、(1)当該微生物R4Nu株は、2MP、2MB、2EP、3MTPおよびDMDSを減少させる能力をもつこと、(2)合成魚醤中のアミノ酸から2MB、2MP、SMBolおよび3MBAが合成されるため、微生物を魚醤に添加したときの香気成分の変化において見かけ上これら香気成分が減少しなかった、ことが示唆された。一方、(3)微生物による3MTPの資化能力は認められたにもかかわらず魚醤中で変化せず、合成魚醤からの生成もみられなかったこと、(4)2、6DMPyrの微生物処理魚醤での増加についての原因は明らかにできなかったこと、などからさらに検討が必要と考えられた。

単離した微生物の同定と食品中の分布

マルソウダを原料に、醤油麹を用いて作成した魚醤より単離したR4NuおよびR5Gの種属を決定し、食品中の分布について検討した。両菌株とも、生理性状よりstaphylococcus属と推定されたので、当該分離菌の16SrRNAおよびrpoB遺伝子の塩基配列を決定し、Staphylococcus属のデータベースより当該分離菌2株は同一種で、Staphylococcus nepalensisに非常に近い種属と特定した。最終的にヒマラヤ産山羊の食道から単離されたS.nepalensisとのDNA-DNAハイブリグイゼーションによる分析から、本菌株をS.nepalensisと同定した。

次に、当該分離菌のrpoB遺伝子の特異的プライマーを設計して、東南アジアより集めた魚醤と醤油麹を対象に、S.nepalensisの分布を調べた。各試料より、18%NaClの栄養培地に生育する南株37株を単離してPCRに供試した結果、S.nepalensisはベトナム、タイ、フィリッピン、日本産の魚醤19種類からは単離されなかったが、マルソウダを原料に製造した魚醤の醤油麹に見つかった。S.nepalensisが食品から単離された例は本研究が初めてである。醤油麹は、富山県下の醤油製造場で作られていることから、本菌は醤油製造場に定着し醤油麹を製造するときに混入したものと考えられ、食経験のある菌であることが推測された。

以上、本研究により、魚醤から7種類の特徴的香気成分が特定され、その中の4種類の香気成分が、焦げ臭、腐敗臭、蒸れ臭および糞便臭に関与することが見い出された。さらに、魚醤の香気改善能力を示す微生物をマルソウダを原料とした魚醤もろみより単離し、上述した特徴的香気に対する作用を明らかにした。本微生物はS.nepalensisと同定され、伝統的な醤油麹中に由来することが示唆された。これらの成果は魚醤の香気に関する新しい知見を示したもので、食品化学、生物化学工学に資するところが大きいものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

魚醤は、古代より魚と塩を原料として作られた国有伝統的、褐色の液体調味料で、ある。アジア各国で広く用いられ調味料であり、東南アジアにおいて調理に欠かせない素材調味料である。アミノ酸、ペプチタイド、ビタミン、ミネラルの供給源としても重要な食品でもある。いままで魚醤の多くの研究にも係わらず、魚醤中の香気成分の役割は明確でなくかつ、本質的に不快と感じさせる香気成分の特定には至っておらずいない。さらには、これら魚醤中の不快な香気成分を、その有効な除去する方法も見いだされていなかった。本研究は、タイ産の魚醤を対象に、魚醤中の特徴的香気成分の同定をに関する香気の関与を明らかにすることを試みた。次に、魚醤中の特徴的香気成分(不快と感じる香気成分)を除去する目的で、魚醤中より単離した微生物を用いる方法をによる除去する方法を検討した。さらに、有効と認められた単離した微生物の種属の特定と食品中の分布をについて明らかにしたもので、得られた研究成果の概要は以下下記の通りである。

第1章では、タイ産魚醤を対象にパージアンドトラップ(P&T)法を用いて香気を回収し、ガスクロマトグラフィーーマススペクトロメトリー(GC-MS)で物質を同定した。さらに香気抽出希釈法を用いてスニッフィングによるフレーバー希釈値の測定を行ったところ、希釈値64以上の香気成分として、2-メチルプロパナール(2MPと略記)、2-メチルブタナール(2MB)、2-ペンタノン(2P)、2-エチルピリジン(2EP)、ジメチルトリサルファイド(DMTS)、3-メチルチオプロパナール(3MTP)、イソ吉草酸(3MBA)7種類を同定特定した。次に、脱臭した魚醤に脱臭により減少した香気成分を再添加し、定量的記述分析(QDA)法で脱臭魚醤と比較した。その結果、2EPはチーズ臭を強くし、2EPとDMTSは、いずれも魚臭に共役して糞便臭に関与していることが判った。2EPは2MPおよび2MBと共役し、肉感を強くする効果が認められた。さらに4種類の香気成分は、いずれも蒸れ臭に共役して腐敗臭に関与することが明らかとなった。

第2章では、富山県のマルソウダを原料に醤油麹を用いて作成した魚醤がタイ産魚醤に比べ、不快臭が少ないことから、この魚醤もろみに魚醤特有の不快臭の産性を抑制する細菌が存在すると考え、このその単離を試みた行った。22%食塩を含む培地より6株の微生物が単離された。これら単離した菌をした物をタイ産魚醤に添加して、香気の改良の効果で評価したところ、2株(R4NuとR5G)が選出された。まず、R4Nuを用いて、タイ産の魚醤を処理し官能評価したところ、の結果、口に入れての評価、臭いを嗅いだときの評価とも、評価スコアーにおいて、魚臭、蒸れ臭、糞便臭、腐敗臭が軽減するとともに、した。さらには、好ましさの官能評価の結果、未処理魚醤に比べて好ましいという評点を得た。魚醤に特徴的な7香気成分の微生物添加による変化を調べたところは、2EP、DMTSはいずれもが双方約1/2に減少し、3MBAはがわずかに増加したが、。2MP、2MB、2Pおよび、3MTPは変化しなかった。さらに上記7成分以外の香気成分で加えて、ヂメチルジサルファイド(DMDS)、および酪酸(BA)、はそれぞれ約1/2および2/3に減少し、3-メチルブタノール(以下3MBol)および2,6-2,6-ジメチルピラジン(以下2,6DMPyr)はそれぞれ約10倍および80倍に増加した。次に、R4Nu株による2MP, 2MB, 2P, 2EP, DMTS, 3MTP, 3MBA, DMDSおよびBAの9香気成分の資化の可能性をについて検討した。その結果、2MP, 2MB, 2EP, 3MTPおよび, DMDSは微生物の作用のによりから、R4Nuにより減少すさせられることが判った。魚醤中での香気成分の変化に対して、さらに、2MB,および 2MPはそれぞれ、イソロイシンおよび、バリンから生成されることが示され、ロイシンから、経時的に3-メチルブタナールが生成し代謝産物として3MBolが生成すること、および3MBolより3MBAが生成されることが明らかになった。

第3章ではマルソウダを原料に醤油麹を用いて作成した魚醤より単離したR4Nuおよび、R5Gそれぞれの種属を決定し、食品中の分布を検討した。生理性状の結果と、16S rRNAおよびrpoB遺伝子の塩基配列を用いてStaphylococcus属のデータベースと比較したところ、単離した2種類の菌は同一種で16S rRNAとrpoBの系統樹を作成しStaphylococcus nepalensisと推定された。最終的にヒマラヤ産山羊の食道から単離されたS. nepalensisとのDNA-DNAハイブリダイゼーションから本菌株をよりS. nepalensisと同定した。次さらに、当該分離菌のrpoB遺伝子の特異的プライマーを設計して、東南アジアより集めた魚醤とマルソウダを原料に製造した作った魚醤の醤油麹を対象によりS. nepalensisの分布を調べた。サンプル塩濃度18%NaClの栄養培地に生育する菌株37株を単離し、PCRに供試した結果、より、S. nepalensisはを探索した結果、魚醤19種類からは単離されなかったが、醤油麹からは見つかった。より、S. nepalensisが発見された。S. nepalensisが食品から単離された例は本研究が初めてである。

以上、本研究により、魚醤から7種類の特徴的香気成分が特定され、その中内の44種類の香気成分が、関してそれぞれ焦げ臭、腐敗臭、蒸れ臭および、糞便臭に関与することが見い出された。さらに、魚醤の香気改善能力を示す持つ微生物を、マルソウダを原料とした魚醤もろみより単離し、上述したそれぞれの特徴的香気に対する作用しての応答を明らかにした。本その微生物はS. nepalensisと同定され、において、種属を特定し、自然界において、伝統的な醤油麹中に由来する存在していたことがを示唆されたした。これらの成果は魚醤の香気に関する新しい知見を示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42870