学位論文要旨



No 216289
著者(漢字) 加藤,昌彦
著者(英字) Kato,Atsuhiko
著者(カナ) カトウ,アツヒコ
標題(和) ポー・カレン語文法
標題(洋) A Pwo Karen Grammar
報告番号 216289
報告番号 乙16289
学位授与日 2005.07.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16289号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊本,裕
 東京大学 教授 上野,善道
 東京大学 助教授 西村,義樹
 大阪外国語大学 教授 藪,司郎
 東京外国語大学 教授 峰岸,真琴
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、ビルマ(ミャンマー)連邦カレン州パアン市(Hpa-an, Karen State)周辺で話されるポー・カレン語(Pwo Karen)パアン方言(Hpa-an dialect)の文法を包括的に記述することである。カレン系諸言語は、シナ・チベット語族チベット・ビルマ語派に属するとされる。ポー・カレン語はその1言語である。

ポー・カレンは人口100万人を擁するとも言われる民族であり、40種近く存在するとされるカレン系諸民族の中ではスゴー・カレン(Sgaw Karen)とならんで人口が多い。それにもかかわらず、政治上の理由で調査が困難なこともあって、ポー・カレン語文法に関する包括的な研究はこれまでなかった。ポー・カレン語文法を包括的に記述した研究は、おそらく本論文が初めてである。また、個々の文法現象について詳しく扱った研究もこれまで筆者のものしかないと言ってもよく、そのため、本論文で述べる様々な事実は、他の研究者によってほとんど言及されたことがない。

本論文は、全部で32の章から成る。これらを第I部から第IV部の九つの部に分ける。以下にそれぞれの部および章の概要を述べる。

第I部 序論

第I部(第1章から第4章)では、本論文での議論を展開するにあたっての前提となる基本的な事項の説明や定義を行う。

第1章では、本論文で扱うポー・カレン語のチベット・ビルマ諸語およびカレン諸語における系統的位置づけや、話者の置かれた社会的状況などについて概説する。

第2章では、この言語の音素体系を記述する。

第3章では、本論文で用いる品詞分類と分類の基準を示す。品詞には、名詞、動詞、副詞、助詞、感嘆詞の5つを設定する。この章では助詞の分類も行う。助詞には、側置助詞、従属節助詞、一般助詞、名詞修飾助詞、動詞助詞、副助詞、文末助詞という7種類を設定する。

第4章では、ポー・カレン語の基本的語順を示し、さらに、「主語」「目的語」「主題」等を始めとする、本論文での記述に必要な様々な基本的概念の定義を行う。ポー・カレン語はいわゆるSVO型の孤立語的特徴を持った言語である。

第II部 形態論

第II部(第5章から第7章)では、形態論レベルの現象を記述する。ポー・カレン語における形態論的現象には、接辞による派生、複合、繰り返し(reduplication)による派生がある。第5章では接辞による派生を、第6章では複合を、第7章では繰り返しによる派生を扱う。ポー・カレン語においては接辞と考えられる形式の数はあまり多くない。

第III部 名詞に関連する諸問題

第III部(第8章から第14章)では、名詞や名詞句に関連する文法現象についての議論、あるいは、名詞句に付く助詞の記述を行う。

第8章では、名詞句の構造を記述する。

第9章では、名詞の下位範疇の一つである代名詞とその機能について論じる。

第10章では、やはり名詞の下位範疇の一つである数詞および助数名詞について論じる。

第11章では、様々な側置助詞を記述する。側置助詞というのは、他の言語のいわゆる前置詞や後置詞に相当する形式である。側置助詞には、名詞句の前に付くものと、前後両側に付くものとがある。

第12章と第13章では、側置名詞および場所名詞という名詞の下位範疇を取り上げて記述する。これらは、品詞としては名詞に属するが、側置助詞と共通する特徴を持ち合わせている。

第14章では、様々な名詞修飾助詞を記述する。これらは名詞句の前や後に付いて名詞句を修飾する。

第IV部 動詞に関連する諸問題

第IV部(第15章から第18章)では、動詞や動詞句に関連する文法現象についての議論、あるいは、動詞に付く助詞の記述を行う。

第15章では、本論文で用いる動詞の分類方法およびその分類基準を示す。本論文では、動詞を、意志性(意志動詞/無意志動詞)、語彙アスペクト(動態動詞/状態動詞)、他動性(自動詞/他動詞)の三つの観点から分類する。

第16章では、動詞句という単位の定義を行い、動詞句という単位を設定する理由を述べる。

第17章では、この言語の動詞連続の定義を行い、連結型と分離型という二つのタイプの動詞連続を記述する。連結型は動詞と動詞の連続であり、形態論的な特徴と統語論的な特徴を合わせ持っている。一方の分離型は動詞句の連続である。それぞれのタイプについて、他動性や意志性や語彙的アスペクト等の観点から分析する。

第18章では、動詞に付く助詞である動詞助詞の記述を行う。動詞助詞の一部は、文の中核とも言える動詞述語の項の数や意志性やアスペクト特性を変更する働きを持つという点で重要である。

第V部 副詞と感嘆詞

第V部(第19章から第20章)では、名詞と動詞以外の自由形式すなわち副詞と感嘆詞について論じる。

第19章では副詞を扱う。副詞には動詞句の中に現れるものと文頭に現れるものとがある。

第20章では感嘆詞を扱う。

第VI部 従属節に関連する諸問題

第VI部(第21章から第23章)では、従属節に関連する諸問題を扱う。従属節には、副詞節、補文、関係節の三つがある。

第21章では、様々な従属節助詞を記述する。従属節助詞には、副詞節を作る働きを持つものが多い。

第22章では、補語として機能する従属節を補文と定義し、様々な補文を見ていく。

第23章では、関係節を定義し、三つのタイプの関係節(前置型、後置型、標識介在型)のテキストにおける現れを、統計的な手法を用いて考察する。主要部名詞が関係節の主語に相当する場合は後置型が多く使われ、主要部名詞が関係節の非主語に相当する場合は前置型が多く使われる。

第VII部 その他の助詞

第VII部(第24章から第26章)では、これまでの章で扱うことのできなかった助詞についての記述を行う。

第24章では副助詞の記述を行う。副助詞とは副詞的な働きをする助詞である。

第25章では文助詞の記述を行う。文助詞は、文の前や後に付いて、話者の主観的な態度などを表す働きを持つ。

第26章では一般助詞の記述を行う。一般助詞は、様々な品詞の単語に付く助詞で、主題を表す助詞などを含む。

第VIII部 その他の重要な文法現象

第VIII部(第27章から第29章)では、第VII部までで扱わなかった重要な文法現象を見る。

第27章では、「疑問語」を定義し、どのような疑問語があるかを概観する。疑問語とは、特定の文末助詞の出現を惹起する語である。

第28章では、二つのタイプの使役構文を定義し、それぞれの特徴を記述する。TYPE 1 は、いわゆる迂言的な使役表現であり、TYPE 2 は、補文を取る使役表現である。使役構文においては、被使役者の有生性や動詞の意志性が文の容認度を左右する。

第29章では、類似要素反復という現象を記述する。これは、東アジアから東南アジアにかけての孤立語的な特徴を持つ諸言語によく見られる、類似の意味を持つ要素を二つ並べるという現象である。

第IX部 付録

最後の第IX部(第30章から第32章)は参考資料である。

第30章は、本論文の分析に用いた様々な資料のリストである。

第31章には、筆者が採取したパアン方言の昔話4篇を挙げる。

第32章は、東部方言と西部方言の対照基礎語彙集である。東部方言と西部方言は互いに通じない。この語彙集を見ることによって、両方言の異同を観察することができる。西部方言として挙げたのは、チョウンビョー(Kyonbyaw)方言の形式である。

審査要旨 要旨を表示する

加藤昌彦氏の「ポー・カレン語文法」は、チベット・ビルマ語族の中で重要な位置を占めるカレン諸語のうちの代表的な言語を、長年の現地調査から得られた豊富なデータに基づいて、音韻から形態・統語に至る文法現象について精密に記述した最初の包括的な文法である。加藤氏は既に、このグループの言語の専門家として内外のチベット・ビルマ語学者の間で高い評価を受けているが、本論文はそのような評価を裏書きするきわめて重要な成果であるといえる。チベット・ビルマ語の中で特異な位置を占め、そのためこの語族の諸言語の分類の鍵と見なされるカレン語の研究は、チベット・ビルマ語全体の研究に大きく貢献するものである。東南アジア特有の、語形変化に乏しい「孤立語」的性格をもつ言語の文法研究に際して、加藤氏は、様々な言語理論に過不足なく目を配りながら、方法としては、本論文冒頭に定義した、もっとも基礎的な言語学的概念を一貫して用いて、言語の構造全体を解明することに成功している。

文法記述の大きな部分を占めるのは、名詞・動詞・従属節などに付加される多数の助詞(particles)で、その意味と機能が数多くの実例に基づいて精密に記述されている。しかし本論文の記述の中でも圧巻は、動詞連続(serial verb construction)と、これに関連する使役を含む諸問題を扱う部分である。動詞連続とは、2つ(またはそれ以上)の動詞が、互いのつながりを示す要素を持たないまま、緊密な意味上のまとまりをなして並置される文法現象で、アフリカや南北アメリカの先住民の諸言語に加えて、とくに南アジアから中国に至る広い地域で見られ、中でも東南アジアはこの現象がもっとも高度に発達している地域と考えられている。加藤氏は、様々な言語学的な手続きを用いて、この現象をまず連結型と分離型に分類し、動詞連続と、一見類似して見えるがそれとは区別されるべき言語現象を峻別することによって、動詞連続の論理的な構造を明らかにすることに成功している。本研究が、将来この問題を扱おうとする世界の言語学者が無視できない、重要な成果であることは疑いない。さらにこれと並んで重要な部分は、関係節・補文などの従属節に関わる統語現象を扱った部分で、ここでは特に、前置型と後置型の関係節のような異なったタイプの文型が、どのような基準で使い分けられているかを、きわめて説得力のあるやり方で分析している。

本論文全体として、明晰で、常に論理的なステップを積み重ねて結論に至る記述方法が、説得力を与えている。当然のことながら、未だ将来の調査に待たざるを得ない問題も、みずから数多く指摘しているが、それも本論文全体を通じて見られる、言語事実を最優先に考えるという態度の反映であるといえる。

以上の理由により、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するにふさわしい水準に達しているものと判断する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/38120