学位論文要旨



No 216290
著者(漢字) 谷,知子
著者(英字)
著者(カナ) タニ,トモコ
標題(和) 中世和歌とその時代
標題(洋)
報告番号 216290
報告番号 乙16290
学位授与日 2005.07.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16290号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 末木,文美士
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、序章「中世和歌とその時代」、第一章「九条家と和歌」、第二章「藤原良経と和歌」、第三章「歌ことばと中世の風景」、第四章「中世和歌と仏教」、第五章「建礼門院右京大夫とその周辺」という、五章によって構成されている。

序章「中世和歌とその時代」では、各論に先立って、中世和歌とは何か、中世和歌が生み出された時代とはどういう時代であったのか、という問題についての総論を述べた。日本における和歌の歴史は長いが、なぜかくも長い年月を経て、和歌は生き残ってきたのか。また、和歌は、他のジャンルに比べて、歴史、政治、宗教と深く関わりあう特徴を有しているのは、なぜなのか。その一つの答えが、和歌の「力」であると考えている。また、和歌は変わらないように見えて、実はしたたかに変貌してきた。それぞれの時代のあり方に即しつつ、さまざまなものを貪欲に取り込みながら、力を保ってきたのである。第一章以下の各章の具体論をつなぐ糸を、序章にてまずは明らかにし、問題のありかを示した。

第一章「九条家と和歌」では、藤原兼実を創始者とし、良通、良経を経て、道家によって完成された九条家と和歌の関わりを論じた。九条家については、歴史学の分野では研究が進められてきたが、文学研究の分野では、九条家という視点で研究されることは少なかった。本論文第一章は、九条家、具体的には藤原(九条)兼実・慈円・良経の和歌活動を中世という時代の中でとらえつつ、その活動の輪郭や意味を明らかにすることを試みた。第一節では、藤原忠平の創建以来、藤原氏の氏寺として機能してきた法性寺が、藤原忠通・兼実・良経三代にわたる、仮想型の「隠遁」の場であったことを検証した。第二節では、兼実女任子の入内屏風和歌の成立過程を明らかにし、屏風絵の復元を試みた。それはまさに兼実の理想とした世界を具現化、可視化した世界であったことを明らかにした。第三節では、九条家三代にわたる伝統行事「内大臣就任初度詩歌会」の存在を明らかにしたうえで、九条家の家記が歌学形成に深く関与していた可能性を探った。さらに藤原定家作とされる大東急記念文庫蔵『和歌会次第』の注記群を細かく読むことによって、定家の歌学に流れ込んだ九条家の家記や故実の存在を実証した。第四節〜第七節は、九条家及び慈円、後鳥羽院周辺で行なわれた舎利講や舎利信仰の実態を明らかにしつつ、そこで詠まれた和歌を集成し、検討した。なぜ舎利信仰と和歌が結びつくのか。和歌と舎利は、「力」への指向性、聖性への信仰、王権との関わりの深さ、家や血脈によって相承されるという点で、多くの共通点を有している。兼実の舎利講は、忠通の伝統を受け継ぐ九条家の伝統行事として尊重され、詠歌の場ともなっていたが、通常の歌会や歌合の場ではないために、従来和歌研究の対象とされることはなかった。たしかにここで詠まれる歌は、文学的営為としてはやや特異なものかもしれないが、和歌、中世和歌の本質を示唆する重要な歌の場として注目したい。また、第七節では、九条家の舎利と南都再建との関わりにも言及し、中世に形成された聖武天皇像について論じた。第八節では、建久六年二月後京極良経公卿勅使発遣が、東大寺供養を伊勢神宮に祈願するという前代未聞の催しであったこと、その是非を論ずる議定の場に、古代の前例、即ち東大寺大仏創建の時代に橘諸兄が公卿勅使として伊勢神宮に発遣された例が持ち出されていることを指摘し、古代伝承の中世的再生の一例として論じた。

第二章「藤原良経と和歌」では、歌人良経論を試みた。章は分かったが、いずれの節も第一章と関りあう部分が多い。良経は九条家の中で、歌人としての評価が最も高い人である。『新古今集』の仮名序を草し、巻頭歌作者に選ばれるなど、『新古今集』の中核をなす歌人であった。数多くの歌を詠み残し、その大半は家集『秋篠月清集』に収められている。また、新古今時代の幕開けとも言われる建久期歌壇を主催し、定家ら新進歌人を庇護し、育てた。良経の和歌は、新古今時代にあって、定家と同じ方向性を有しながら、独自の世界を築きあげている。新古今時代、中世における歌人良経の意義について、また良経の資質ともいわれる「隠遁志向」や脱俗性、長高さの背景についても解き明かした。第一節、第三節、第四節は、それぞれ「治承題百首」「南海漁父百首」、『千五百番歌合』雑十首、家集中の「隠遁」志向の歌を丁寧に読むことによって、家を継承し、国政を担ってゆく「公」の意識と、閑居、隠遁への憧れを持つ「私」の意識との、相反する二面を良経が有していたことを指摘し、そしてその二面を良経は、心は私に、身は公に捧げるという、心身分離のかたちで均衡を保っていたのではないかと推測した。それは、第一章第一節で述べた、法性寺との関わりにおいても確かめることができた。こうした良経の「隠遁」を、吏隠同一を理想とする、平安文人貴族の系譜に位置付けたい。第二節では、有名な俊成の判詞で取り沙汰されることの多い、『六百番歌合』における良経の「草の原」詠を取り上げ、この歌が『源氏物語』取りではなく、叙景歌として詠まれた可能性が高いことを指摘した。耳馴れないけれども、『源氏物語』を典拠とした「草の原」という歌ことばを提唱することによって、新しい世界を築こうとした俊成の意図を読み取るべきではないか。

第三章「歌ことばと中世の風景」では、歌ことばに焦点をあてた。歌ことばが、和歌の本質や、時代性を端的に表す場合がある。例えば、第一節、第二節では、「たのし」「諸人」という歌ことばを通史的に辿った。いずれも祝賀の場において詠まれる歌ことばで、その意味や実体は希薄であり、ある種記号的な役割を果たしている。「たのし」「諸人」が描き出す風景とは、まさに君臣和楽の風景であり、主君の徳によって民や国が富み栄えることを証し立てているのである。また、「たのし」の用例をたどっていくと、はからずも酒宴と国政の類似性が浮かび上がってくることも興味深い。第三節では、新古今時代に生まれた新奇な歌ことばが、『新古今集』からは排除されながら、後の京極派の時代になって再生されたいくつかの例を取り上げた。第四節では、建久五年夏良経邸で催された「名所題歌会」における「深草里冬」詠を論じた。新古今歌人たちの「深草里冬」には、『伊勢物語』一二三段と俊成詠との二つの世界の「消失」が詠みこまれている。こうした歌の風景を「消失の景」と名づけ、本歌取の隆盛や、艶・幽玄といった理念の確立、さらに言えば、中世人の信仰や思想のあり方とも関わる詠法として注目した。

第四章「中世和歌と仏教」では、行尊の初度大峰修行、新古今歌人の六道の歌、末法辺土思想を取り上げ、中世和歌と仏教の問題に迫った。第一節では、第二類本『行尊集』の初度大峰修行歌群が、従来言われてきたような遊戯的性格の強い歌群ではなく、聖地と自らを一体化させようとする宗教的行為を表した歌群であったことを指摘した。第二節では、西行、寂然、慈円、良経の六道の歌を丁寧に読むことによって、題材や表現に見られる共通点、逆にそれぞれの個性や立場を明らかにした。第三節では、辺土思想に末法思想が絡み合った危機意識が浸透する中世において、和歌が王権と結びつき、平安時代にはない言説が付与されていった過程を検証した。

第五章「建礼門院右京大夫とその周辺」では、新古今時代からやや時代が遡る平家の時代に生きた二人の歌人、建礼門院右京大夫と藤原隆房を取り上げた。まず第一節では、建礼門院右京大夫の伝記をまとめた。第二節では、『建礼門院右京大夫集』六一番〜六四番に込められた作者の主題を考察し、作品の成立の問題に迫った。第三節では、作者が自らを『源氏物語』の場面や登場人物の心情と重ねる歌が各所に見られることを指摘し、俊成や定家たち新古今歌人たちの『源氏物語』受容の先蹤として位置付けた。『建礼門院右京大夫集』はおそらく何段階かの過程を経て成立したと思われる。第四節では、そうした『建礼門院右京大夫集』の成立過程、作品構造を検証することで、作品世界、作品の主題に迫った。第五節「『艶詞』試論」は、『隆房集』第三類として位置付けられた『艶詞』について論じた。『艶詞』は『隆房集』と比較するに、細かい本文異同が相当数見受けられる。隆房以外の第三者による改変の可能性も含め、成立、構造、『伊勢物語』の影響などについて詳しく論じた。

以上、九条家と和歌をめぐる諸問題を中心にして、中世和歌、中世という時代に迫ることを試みた。「中世和歌とは何か」「和歌の力とは何か」という問いは重く、容易に答えの出るべくもない問題であるが、それぞれの事例から見えてきたものを積み重ね、本書全体で中世和歌とその時代の一端を象ることを志した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、中世成立期の和歌文学について、とくに九条家という場に着目しながら、政治および信仰との関わりを重視しつつ、その特質を解明しようとするものである。まず序章において全体の構造と執筆意図を説明したあと、本論は五つの章から成る。

第一章「九条家と和歌」は最も中心となる章で、摂関家である九条家の関わった場と、そこで生み出された和歌を主とする文学作品について論じる。まず法性寺が藤原忠通および良経にとって精神的隠遁の地であるとし(第一節)、また兼実の娘任子の入内に際して企画された『文治六年任子入内屏風和歌』が、屏風と和歌ともに兼実の理想とした世界を具現化していると説き(第二節)、ついで九条家の家記が歌学書的役割をも持ち、その家説が藤原定家の歌学にも摂取されているとする(第三節)。さらに第四節から第七節で、九条家および大懺法院で催された舎利講および舎利信仰の意義と和歌との関わりに大きく筆が割かれ、良経の公卿勅使体験に触れる第八節とともに、古代再生への意欲が現世的意味を持つことを指摘したうえで、それが新古今歌風とも関連すると論じる。

二章「藤原良経と和歌」は、九条家のうち、とくに良経についての歌人論に四節を割り当て、いずれも良経の定数和歌を丁寧に読み解きながら、そこから吏隠同一を理想とする平安文人貴族の系譜に立つ、公私相反する二面性の存在などの特質を析出している。

第三章「歌ことばと中世の風景」は、新古今時代の和歌表現を正面に据えて論じる。第一節は「たのし」、第二節は「諸人」、第三節は玉葉風雅に継承された特異表現、第四節は消失を詠んだ和歌を、緻密に分析している。いずれも単なる語誌・語法ではなく、広い表現史的展望に立脚することによって、中世和歌固有の性格に触れている。

第四章「中世和歌と仏教」は、行尊の初度大峰修行の和歌(第一節)、六道の歌(第二節)、末法思想・辺土思想と中世和歌の関わり(第三節)を論じる。いずれも、仏教信仰と和歌が相互に意味付けあう中世和歌の特質を、具体的に分析している。

第五章「建礼門院右京大夫とその周辺」は、『建礼門院右京大夫集』(第一〜四節)と『艶詞』(第五節)という二つの日記的私家集について、その成立の問題を中心に論じる。ともに全歌の注釈作業を基盤に新見を提示しつつ、中世初期の私家集の特質を指摘している。

本論文は、従来、表現研究、歴史的研究、思想的研究がそれぞれ別個になされていた感のある中世和歌研究に対して、九条家という場を中心としつつ、『新古今和歌集』を生み出した時代背景と和歌を総合しながら論じようとしている点に最大の特色がある。そしてどの論も、多くの創見を含む丁寧な作品読解に支えられているだけに、中世和歌研究の新たな方向性を説得力に富んだ形で示したものと評価することができる。

本論文は、題目に比して中世後期の和歌への言及に乏しく、また第五章など構成にやや統一感を欠くなどの難点もあるが、本審査委員会は上記のような研究史的意義を認め、本論文が博士(文学)に十分値するとの結論に至った。

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