学位論文要旨



No 216292
著者(漢字) 佐藤,尚哉
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ナオヤ
標題(和) 不全心筋における筋小胞体機能低下へのαアドレナリン受容体慢性刺激の関与とその代償性機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 216292
報告番号 乙16292
学位授与日 2005.07.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16292号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
内容要旨 要旨を表示する

【序】

高齢化社会を迎えた先進国においては、心不全の罹患率及びそれによる死亡率が急増している。心不全は「心筋障害による低心拍出と臓器うっ血を伴う神経液性因子の異常状態を示す症候群」と定義されていることからもわかるように、心臓ポンプ機能の低下だけでなく神経液性因子の過度の活性化がその背景にある。心臓を血液ポンプとして機能させるのは心筋の収縮及び弛緩であり、心筋細胞の収縮及び弛緩は細胞質内カルシウムイオン(Ca2+)濃度に依存しておこる。細胞内Ca2+貯蔵庫である筋小胞体から筋小胞体Ca2+ release channelによりCa2+が放出されて細胞質内Ca2+濃度が上昇すると収縮がおこる。また、放出されたCa2+が筋小胞体Ca2+-ATPaseにより筋小胞体に再取り込みされて細胞質内Ca2+濃度が低下すると弛緩がおこる。従って、これら筋小胞体Ca2+調節蛋白の機能変化は心筋の収縮及び弛緩機能に大きな影響を及ぼすが、不全心筋における収縮及び弛緩機能の低下と筋小胞体Ca2+調節蛋白の発現及び機能の変化との関連は十分解明されていない。また、神経液性因子の過度の活性化も心不全の特徴である。心不全患者ではアドレナリン、アンジオテンシン、エンドセリンなど神経液性因子の血中濃度が健常人よりも高く、その程度は心不全の重症度と相関がある。しかし、神経液性因子への長期間にわたる暴露が筋小胞体Ca2+調節蛋白の発現に影響を与えるか、またその結果として心筋細胞機能に影響を与えるかは解明されていないし、筋小胞体機能低下の代償機構としての細胞膜Na+/Ca2+ exchangerに及ぼす影響も知られていない。そこで本研究では、心不全モデル動物を用いて不全心筋における収縮及び弛緩障害への筋小胞体Ca2+調節蛋白の発現及び機能変化の関与を、また培養心室筋細胞を用いて神経液性因子による筋小胞体Ca2+調節蛋白の発現変化とその細胞機能への反映、さらに筋小胞体Ca2+調節機能低下に対する代償機構のかかわりについて検討を行った。

不全心における収縮・弛緩障害と筋小胞体機能低下の関連

Streptozotocin(40 mg/kg)を静脈内投与して7ヶ月後の糖尿病性心筋症ラットを心不全モデルとして用いた。心不全ラットより摘出した左心室乳頭筋(2Hz電気刺激)では収縮張力の低下、収縮・弛緩時間の延長、βアドレナリン受容体アゴニストに対する反応性低下など心不全に特徴的な変化がみられた。摘出した左心室乳頭筋をsaponin(50mg/mL)で処理して筋小胞体機能を保持したスキンドファイバー標本を作製し、筋小胞体のCa2+放出及びCa2+取り込み機能の評価を行った。10-6.5M以上のCa2+濃度ではCa2+-induced Ca2+ release機序によるCa2+濃度依存的な筋小胞体からのCa2+放出がみられたが、不全心筋ではどのCa2+濃度におけるCa2+放出も正常心筋より低下していた(図1)。また、筋小胞体のCa2+取り込みは取り込み時間依存的に増加し、取り込み時間が120秒を越えるとほぼプラトーに達したが、不全心筋ではどの取り込み時間でのCa2+取り込みも正常心筋より低下していた(図2)。次に左心室乳頭筋から蛋白を抽出し、筋小胞体のCa2+ release channel及びCa2+-ATPaseの蛋白量をウェスタンブロットにより定量したところ、不全心筋では筋小胞体Ca2+ release channel及びCa2+-ATPaseの蛋白量は低下していた。以上より、心不全の心筋では筋小胞体のCa2+release channel及びCa2+-ATPaseの蛋白量の低下にともない筋小胞体のCa2+放出及びCa2+取り込みが低下しており、それが収縮・弛緩障害の重要な機序の一つであると考えられる。

心室筋細胞において筋小胞体Ca2+調節蛋白を低下させる因子

心不全において過度に増加している神経液性因子(アドレナリン、アンジオテンシン、エンドセリン)が筋小胞体のCa2+ release channel及びCa2+-ATPaseの遺伝子発現に影及ぼす影響について調べた。成熟ラットの心臓より単離培養した心室筋細胞に48時間の慢性的なαアドレナリン受容体刺激(norepinephrine 10μM+propranolol 2μM)、βアドレナリン受容体刺激(norepinephrine 10μM+prazosin 3μM)、アンジオテンシン受容体刺激(angiotensin II 1μM)及びエンドセリン受容体刺激(endothelin-1 30nM)をそれぞれ与えた後、ノーザンブロットにより筋小胞体のCa2+ release channel及びCa2+-ATPaseの遺伝子発現を測定した。αアドレナリン受容体の慢性刺激は筋小胞体のCa2+ release channel、Ca2+-ATPaseいずれの遺伝子発現も有意に減少させたが、他の受容体刺激はどちらの遺伝子発現に対しても有意な影響を及ぼさなかった。

αアドレナリン受容体慢性刺激の心室筋細胞機能への影響

次にαアドレナリン受容体刺激による筋小胞体のCa2+ release channelやCa2+-ATPaseの遺伝子発現の減少が心筋細胞機能に与える影響について検討した。成熟ラットの心臓より単離培養した心室筋細胞に48時間の慢性的なαアドレナリン受容体刺激を与えた後、αアドレナリン受容体刺激薬を洗い流して1時間経ってから細胞内Ca2+指示薬fura-2により細胞質内Ca2+濃度([Ca2+]i)を、画像解析により細胞長変化を同時に測定した。αアドレナリン受容体刺激薬を洗い流して1時間経ってから測定を行ったのは、本実験の目的がαアドレナリン受容体刺激の心筋細胞機能への急性効果を調べることではなく、Ca2+ release channel及びCa2+-ATPaseの遺伝子発現低下が心筋細胞機能にどう反映されるかを調べることだからである。2Hz電気刺激時の定常状態ではαアドレナリン受容体刺激により心筋細胞の収縮期及び弛緩期[Ca2+]iの減少、最大[Ca2+]iまでの時間及び[Ca2+]i減衰時間の延長がみられた(図4)。また、細胞収縮性の指標である細胞短縮率の減少、細胞収縮及び弛緩時間の延長もみられた。これら細胞機能の刺激頻度(0.5〜5Hz)依存性を調べたところ、高頻度刺激による収縮期[Ca2+]i及び細胞短縮率の増加はαアドレナリン受容体慢性刺激により著しく減弱していた。以上より、αアドレナリン受容体慢性刺激は心室筋細胞において[Ca2+]i及び収縮性の低下や動態の遅延をもたらし、これらの変化は高頻度刺激時に顕著となることがわかった。

αアドレナリン受容体慢性刺激による筋小胞体機能低下に対する代償機構

収縮期に上昇した細胞質内Ca2+の一部を弛緩期に細胞外に排出させる細胞膜Na+/Ca2+ exchangerに対するαアドレナリン受容体慢性刺激の作用について検討した。成熟ラットの心臓より単離培養した心室筋細胞に慢性的な(48時間)αアドレナリン受容体刺激を与えたところ、Na+/Ca2+ exchangerの遺伝子及びタンパクの発現は有意に上昇した。このNa+/Ca2+ exchangerの発現上昇が細胞機能に反映されるかを調べるためにαアドレナリン受容体刺激を48時間与えた後、αアドレナリン受容体刺激薬を洗い流して1時間経ってから2Hzでの電気刺激を開始し、Na+/Ca2+ exchanger活性の指標であるveratridine(Na+ channel活性化薬)による細胞収縮性増加に対する作用を検討した。αアドレナリン受容体刺激はveratridineによる細胞短縮率増加の最大反応を低下させたが、最大反応で規格化した用量依存曲線は左方にシフトさせた(図5)。これはNa+/Ca2+ exchangerの反応性が亢進していることを示している。以上より、αアドレナリン受容体慢性刺激はNa+/Ca2+ exchangerの発現を増加させ、その増加は細胞機能にも反映されること、また、このNa+/Ca2+ exchangerの増加は筋小胞体のCa2+調節機能低下に対して代償的に作用する可能性があることがわかった。

まとめ

不全心筋では筋小胞体のCa2+ release channel及びCa2+-ATPaseの蛋白量の低下をともなって筋小胞体のCa2+放出、Ca2+取り込みが低下しており、これが収縮・弛緩障害に関与していると考えられた。筋小胞体のCa2+調節蛋白を低下させる因子としては、心筋細胞において筋小胞体のCa2+ release channel及びCa2+-ATPaseの遺伝子発現を低下させ、収縮・弛緩機能を低下させたαアドレナリン受容体刺激が重要な役割を果たしていると考えられた。さらに、αアドレナリン受容体刺激による細胞膜Na+/Ca2+exchangerの発現及び活性の増加は筋小胞体のCa2+取り込み低下に対して代償的に作用する可能性が示唆された。これらは不全心筋の病態生理を理解し、心不全の薬物治療を考える上で重要な知見である。

図1 摘出左心室乳頭筋の筋小胞体からのCa2+放出正常群の最大反応(pCa 6.0)に対する%として表示。平均±標準誤差。各群7例。*p<0.05,**p<0.01 vs. normal.

図2 摘出左心室乳頭筋の筋小胞体のCa2+取り込み正常群の最大反応(取り込み180秒)に対する%として表示。平均±標準誤差。各群7例。*p<0.05,**p<0.01vs.normal.

図3 αアドレナリン受容体刺激(α-ADR)による筋小胞体Ca2+調節蛋白の遺伝子発現変化 CRC, Ca2+ release channel;SERCA2, Ca2+-ATPase。平均±標準誤差。各群5例。**p<0.01,***p<0.001 vs. control.

図4 αアドレナリン受容体刺激(α-ADR)による細胞質内Ca2+の変化 平均±標準誤差。各群20例。***p<0.001 vs. control.

図5 αアドレナリン受容体刺激(α-ADR)によるNa+/Ca2+exchanger活性の変化 平均±標準誤差。各群20例。

審査要旨 要旨を表示する

心不全は「心筋障害による低心拍出と臓器うっ血を伴う神経液性因子の異常状態を示す症候群」と定義されており、ポンプとしての心臓機能の低下だけでなく、神経系やオータコイドなどの過剰活性化がその背景にある。心筋の収縮及び弛緩は細胞質内のCa2+濃度に依存しており、細胞内Ca2+貯蔵庫である筋小胞体は重要な役割を果たしている。しかし、不全心筋における収縮及び弛緩機能の低下と筋小胞体機能の変化との関連は十分解明されていない。また、神経伝達物質やオータコイドに長期間暴露された時の筋小胞体Ca2+調節機能変化については全く解明されていない。本研究では、心不全モデル動物を用いて不全心筋における収縮及び弛緩障害への筋小胞体Ca2+調節蛋白質の発現及び機能変化の関与を、また培養心室筋細胞を用いて神経液性因子による筋小胞体Ca2+調節蛋白の発現変化とその細胞機能への反映、さらに筋小胞体Ca2+調節機能低下に対する代償機構の有無について検討を行った。

ストレプトゾトシン誘発糖尿病性心筋症ラットを用いて検討したところ、左心室乳頭筋において収縮張力の低下、収縮・弛緩時間の延長、βアドレナリン受容体アゴニストに対する反応性低下など心不全に特徴的な変化が観察され、心不全モデルとして適当であることを確認した。サポニンにより細胞膜に穴を開けた標本を用い、筋小胞体のCa2+放出及びCa2+取り込み機能の評価を行ったところ、10-6.5 M以上のCa2+濃度で誘起されるCa2+-induced Ca2+ releaseが不全心筋では有意に低下していた。また、筋小胞体へのCa2+取り込みも不全心筋で低下していた。次に、筋小胞体のCa2+ release channel及びCa2+-ATPaseの蛋白質量を定量したところ、不全心筋では両者とも低下しており、収縮・弛緩障害の主要な原因となっていることが示唆された。

心不全において過度に増加している神経液性因子(アドレナリン、アンジオテンシン、エンドセリン)が筋小胞体のCa2+ release channel及びCa2+-ATPaseの遺伝子発現に影及ぼす影響について調べた。成熟ラットの心臓より単離培養した心室筋細胞に48 時間の慢性的なαアドレナリン受容体刺激、βアドレナリン受容体刺激、アンジオテンシン受容体刺激及びエンドセリン受容体刺激をそれぞれ与えた後、筋小胞体のCa2+ release channel及びCa2+-ATPaseのmRNAを測定した。その結果、βアドレナリン受容体刺激、アンジオテンシン受容体刺激及びエンドセリン受容体刺激は全く影響しないが、αアドレナリン受容体の慢性刺激のみが筋小胞体Ca2+ release channelおよびCa2+-ATPaseのmRNA量を有意に減少させることを明らかにした。

次にαアドレナリン受容体刺激による筋小胞体のCa2+ release channelやCa2+-ATPase量の減少が心筋細胞機能に与える影響について検討した。成熟ラットの心臓より単離培養した心室筋細胞に48時間の慢性的なαアドレナリン受容体刺激を与えた後、細胞質内Ca2+濃度([Ca2+]i)と細胞長変化を同時に測定した。2ヘルツ電気刺激時の定常状態ではαアドレナリン受容体刺激により心筋細胞の収縮期及び弛緩期[Ca2+]iの減少、最大[Ca2+]iまでの時間及び[Ca2+]i減衰時間の延長および細胞収縮と弛緩時間の延長が認められた。これら細胞機能変化の刺激頻度依存性を調べたところ、高頻度刺激による収縮期[Ca2+]i及び細胞短縮率の増加はαアドレナリン受容体慢性刺激により著しく減弱していた。αアドレナリン受容体慢性刺激は心室筋細胞において[Ca2+]i及び収縮性の低下や動態の遅延をもたらし、これらの変化は高頻度刺激時に顕著となることがわかった。

収縮期に上昇した細胞質内Ca2+の一部を弛緩期に細胞外に排出させている細胞膜Na+/Ca2+交換系に対するαアドレナリン受容体慢性刺激の作用について検討した。慢性的なαアドレナリン受容体刺激によりNa+/Ca2+交換系の遺伝子及び蛋白質量が有意に上昇していた。また、αアドレナリン受容体刺激はveratridineによる細胞短縮率増加の最大反応を低下させ、用量作用曲線を左方にシフトさせた。これらの結果はNa+/Ca2+交換系の反応性が亢進していることを示している。以上より、αアドレナリン受容体慢性刺激はNa+/Ca2+交換系の発現を増加させ、筋小胞体のCa2+調節機能低下に対して代償的に働いている可能性が示唆された。

本研究において、不全心筋では筋小胞体のCa2+放出および取り込みが減少している原因として、筋小胞体のCa2+ release channel及びCa2+-ATPase量が低下していることを明らかにした。筋小胞体のCa2+調節蛋白を低下させる因子として、慢性的なαアドレナリン受容体刺激が重要な役割を果たしていることを提唱した。さらに、不全心筋においてNa+/Ca2+交換系が代償的に作用している可能性を示した。これらの知見は不全心筋の病態生理を理解し、心不全の薬物治療を考える上で重要であり、博士(薬学)の授与に値するものと認められた。

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