学位論文要旨



No 216293
著者(漢字) 鈴木,孝禎
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,タカヨシ
標題(和) 合理的設計による新規ヒストン脱アセチル化酵素阻害薬の創製
標題(洋)
報告番号 216293
報告番号 乙16293
学位授与日 2005.07.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16293号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 柴,正勝
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 夏苅,英昭
 東京大学 教授 松木,則夫
内容要旨 要旨を表示する

ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)は、ヒストンN末端領域のアセチル化されたリシン残基からアセチル基を除去する反応を触媒することにより遺伝子発現を調節する重要な役割を担っている。また、HDAC阻害薬は、invivoで癌の増殖を抑えることから、新たな作用機序の抗癌剤として期待されている。

既存のHDAC阻害薬のほとんどは、スベロイルアニリドヒドロキサム酸(SAHA)のようなヒドロキサム酸系化合物である。しかしながら、一般にヒドロキサム酸を有する化合物は体内動態が悪く、毒性の懸念も多い。それ故に、より体内動態の改善した抗癌剤、より副作用の少ない抗癌剤になり得る新たなHDAC阻害薬の開発が望まれている。これまでに、製薬会社の化合物ライブラリーを基にした探索により、いくつかの非ヒドロキサム酸系HDAC阻害薬が見出されたが、それらのHDAC阻害活性は、ヒドロキサム酸系化合物に遠く及ばない。新たな方法により、非ヒドロキサム酸系HDAC阻害薬を見出す必要がある。

一方で、HDACの構造研究に関しては、大きな進展が見られている。1999年、FinninらによりヒトHDACホモログであるHDAC-like protein (HDLP)とTSA、SAHAの複合体の結晶構造が、2004年にはヒトHDACのアイソザイムの一つであるHDAC8とヒドロキサム酸系阻害薬の複合体の結晶構造が発表された。酵素活性中心には、Zn2+が存在し、ヒドロキサム酸部分のカルボニル基とヒドロキシ基の酸素がZn2+に配位しており、さらにカルボニル基の酸素はTyr297(HDLPの番号)と、窒素原子に付いた水素はHis132と、ヒドロキシ基の水素はHis131と水素結合を形成していることが明らかとなった。また、この結晶構造からHDACによるヒストン脱アセチル化のメカニズムも推定されている。

HDACの構造や触媒メカニズムは明らかになりつつあるものの、HDAC阻害薬の開発研究は、天然物や製薬会社のケミカルライブラリー由来の化合物を基に見出されたリード化合物からの展開がほとんどであり、偶然に頼る部分が大きいのが現状である。そこで、私は、より効率的なアプローチとして、HDACの構造的特徴や触媒メカニズムを考慮した合理的なドラッグデザインによるHDAC阻害薬の創製を目的とし、本研究に着手した。

HDAC阻害薬における新規zinc-binding group(ZBG)の探索

私は、SAHAをリード化合物とし、大きく分けて2つの方法により図1に示すようなヒドロキサム酸を持たないHDAC阻害薬を設計した。ひとつは、酵素の静的状態である結晶構造を基にした設計、もうひとつは、酵素の動的状態である触媒反応を考慮した設計である。

[酵素の結晶構造を基にした設計(1)―二座配位型ZBGを持つ化合物の設計―]

HDACホモログであるHDLPあるいはHDAC8とSAHAの複合体のX線結晶構造解析の結果から、ヒドロキサム酸はHDACの活性中心にあるZn2+に二座配位し、さらにTyr及び2つのHisと水素結合することが分かっている(図2)。このデータを基に、Zn2+、Tyr、Hisと同様の相互作用をすると考えられるヒドロキシウレア1、セミカルバジド2、ヒドロキシスルホンアミド3を設計した。

[酵素の結晶構造を基にした設計(2)― 一座配位型ZBGを持つ化合物の設計―]

一座配位型ZBGを考案するにあたり、Zn2+が高い硫黄親和性を持つことに着目した。特に他の亜鉛含有酵素であるアンジオテンシン変換酵素やマトリックスメタロプロテイナーゼの阻害薬でZBGとしてよく用いられる官能基であるチオールは、Zn2+とだけではなく、活性中心のアミノ酸残基との相互作用も期待できる。そこで、SAHAのヒドロキサム酸をチオールに変換した化合物4及びチオエステル5、スルフィド6を設計した。

[酵素の結晶構造を基にした設計(3)―不可逆的阻害を意図した化合物の設計―]

HDLPあるいはHDAC8の3次元構造から、酵素の活性中心はヒスチジンなどの求核性の高いアミノ酸から構成されていることが分かっている。我々は、それらのアミノ酸残基と共有結合を形成し、不可逆的に酵素を阻害し得る化合物として化合物7、8、9を設計した。

[酵素の触媒反応を考慮した設計(1)―基質アナログの設計―]

酵素活性ポケットに取り込まれた基質のアセチル化されたリシンは、Zn2+に配位した水分子から求核攻撃を受け、脱アセチル化されると考えられている(図3a)。そこで、アセトアミドのカルボニルのα位に不対電子をもつヘテロ原子を導入すれば、その原子がZn2+に配位し、脱アセチル化に必要な水分子も加水分解の反応点から追い出し、自身は加水分解されることなく、HDACを阻害することができると考え(図3b)、ヘテロ原子の置換したアセトアミド10〜13を基質アナログとして設計した。

[酵素の触媒反応を考慮した設計(2)―遷移状態アナログの設計―]

HDACの基質であるアセチル化されたリシンがHDACにより脱アセチル化される際の遷移状態構造は、アミドカルボニルがZn2+に配位した水分子から求核攻撃を受け、テトラヘドラルな炭素を含む構造になると考えられている(図4a)。このテトラヘドラルな炭素を硫黄に置き換えた構造、すなわちスルホン誘導体が遷移状態構造に類似していることから酵素と強く複合体形成する可能性に着目し(図4b)、スルホンアミド14、スルホン15を遷移状態アナログとして設計した。

化合物1〜15を合成しHDAC阻害活性評価を行ったところ、Zn2+の硫黄親和性の高さを考慮し一座配位型ZBGを持つ化合物として分子設計したチオール4、ヘテロ原子含有基質アナログとして分子設計したメルカプトアセトアミド12が、既知の非ヒドロキサム酸系HDAC阻害薬を大きく上回り、リード化合物であるSAHAに匹敵する酵素阻害活性を示した(SAHAのIC50=0.28μM、4のIC50=0.21μM、12のIC50=0.39μM)。本研究で見出されたチオール及びメルカプトアセトアミドは、低分子HDAC阻害薬において、ヒドロキサム酸と同等の活性を示した初めてのZBGである。

Lineweaver-Burkのプロットを行い、チオール4、メルカプトアセトアミド12の酵素阻害機構を調べたところ、化合物4および12のHDAC阻害機構は、基質に対して可逆的競合阻害であることが明らかとなった。Macromodel 8.1を用いた結合様式解析により、化合物4では、硫黄原子が亜鉛イオンに強く配位し、Hisに水素結合している水分子およびTyrと相互作用することによりHDACを阻害すると推定された。また、化合物12についても同様にMacromodel 8.1を用いて結合様式を推定したところ、化合物12のメルカプトアセトアミドが亜鉛に強力に配位することにより、脱アセチル化に必要な水分子を加水分解の反応点から引き離し、自身が加水分解されることなく、HDACを阻害すると考えられた。

つぎに、より活性の高いチオールをZBGに固定し、linker部位およびcap部位(芳香環部位)の構造活性相関を調べ、構造最適化を試みた結果、SAHAよりも強いHDAC阻害活性を有する化合物16〜19を見出した(図5)。

チオール系HDAC阻害薬の癌細胞増殖抑制評価

ヒドロキサム酸系HDAC阻害薬の生物活性として、抗癌作用がよく知られている。そこで、高いHDAC阻害活性を持つチオール4の癌細胞増殖抑制試験を行った。しかし、チオール4は、肺癌細胞であるNCI-H460細胞に対し、弱い増殖抑制活性(34% inhibition at 50μM)しか示さなかった。この活性の弱さは、チオール4の低い細胞内移行性が原因であると考え、チオール4のプロドラッグ化の検討を行った。その結果、チオール4をS-イソブチリル化した化合物20が、EC50=20μMで癌細胞増殖抑制活性を示した。このS-イソブチリル化体自身はHDAC阻害活性が弱いことから(IC50=56μM)、S-イソブチリル化体20は、チオール4に比べ効率的に細胞膜を透過し、細胞内で高いHDAC阻害活性を持つチオール1に変換されたものと考えられる。さらに、化合物20のベンゼン環を他の芳香環に変換したところ、3-ビフェニル21、3-ピリジン22、4-フェニル-2-チアゾール23に強い癌細胞増殖抑制作用が見られた(EC50=2〜3μM、図6)。特に化合物23は、9種類の癌細胞を用いたマルチパネル評価で、現在、抗癌剤として臨床開発が行われているSAHAに匹敵する活性を示した(SAHAの平均EC50=3.7μM、23の平均EC50=3.8μM)。

HDAC阻害薬によりHDACの機能を停止させると相対的にヒストンアセチル化酵素の働きが強くなり、ヒストンは過剰にアセチル化された状態となる。このヒストンの高アセチル化により、p21遺伝子の転写活性化が起こることが知られている。そこで、化合物23が実際に、癌細胞内のHDACを阻害していることを確かめるため、ウエスタンブロット解析によりヒストンの高アセチル化及びp21の誘導を調べた。その結果、化合物23は、用量依存的にヒストンを高アセチル化し、p21を誘導していることが分かった。この結果から、化合物23の癌細胞増殖阻害作用と細胞内のHDAC阻害には良い相関があることが示された。

以上、私は、SAHAをリード化合物として、非ヒドロキサム酸系HDAC阻害薬の合理的設計、合成、酵素阻害活性評価を行った結果、SAHAと同等の活性を示すチオール4及びメルカプトアセトアミド12を見出した。また、チオール系HDAC阻害薬のプロドラッグ化により、強い癌細胞増殖作用を持つ化合物を見出した。特に化合物23は、SAHAに匹敵する強い癌細胞増殖抑制作用を示した。また、ウエスタンブロット解析の結果から、化合物23から生成したチオール体が細胞内のHDACを阻害することにより癌細胞の増殖を抑制することが示唆された。本研究により見出されたチオール4は、HDACの活性中心に在るZn2+の硫黄親和性の高さを利用して合理的に分子設計することにより見出された化合物であり、今後のHDAC阻害薬開発のための新規リード化合物として有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

鈴木孝禎は「合理的設計による新規ヒストン脱アセチル化酵素阻害薬の創製」と題し、以下の研究をおこなった。

ヒストン脱アセチル化酵素阻害薬における新規zinc-bindinggroup(ZBG)の探索

ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)は、ヒストンN末端領域のアセチル化されたリシン残基からアセチル基を除去する反応を触媒することにより遺伝子発現を調節する重要な役割を担っている。また、HDAC阻害薬は、invivoで癌の増殖を抑えることから、新たな作用機序の抗癌剤として期待されている。既存のHDAC阻害薬のほとんどは、スベロイルアニリドヒドロキサム酸(SAHA)のようなヒドロキサム酸系化合物である。しかしながら、一般にヒドロキサム酸を有する化合物は体内動態が悪く、毒性の懸念も多い。それ故に、より体内動態の改善した抗癌剤、より副作用の少ない抗癌剤になり得る新たなHDAC阻害薬の開発が望まれている。これまでに、製薬会社の化合物ライブラリーを基にした探索により、いくつかの非ヒドロキサム酸系HDAC阻害薬が見出されたが、それらのHDAC阻害活性は、ヒドロキサム酸系化合物に遠く及ばない。新たな方法により、非ヒドロキサム酸系HDAC阻害薬を見出す必要がある。

これまでのHDAC阻害薬の探索研究とは異なる効率的なアプローチとして、HDACの構造的特徴や触媒メカニズムを考慮した合理的なドラッグデザインを行った。具体的には、(1)酵素の静的状態である結晶構造を基に、二座配位型ZBGを持つ化合物(1〜3)、一座配位型ZBGを持つ化合物(4〜6)、不可逆的阻害を意図した化合物(7〜9)を設計し、(2)酵素の動的状態である触媒反応を考慮し、ヘテロ原子含有基質アナログ(10〜13)、遷移状態アナログ(14,15)を設計した(Fig.1)。

化合物1〜15を合成しHDAC阻害活性評価を行ったところ、Zn2+の硫黄親和性の高さを考慮し一座配位型ZBGを持つ化合物として分子設計したチオール4、ヘテロ原子含有基質アナログとして分子設計したメルカプトアセトアミド12が、既知の非ヒドロキサム酸系HDAC阻害薬を大きく上回り、リード化合物であるSAHAに匹敵する酵素阻害活性を示した(SAHAのIC50=0.28μM、4のIC50=0.21μM、12のIC50=0.39 μM)。本研究で見出されたチオール及びメルカプトアセトアミドは、低分子HDAC阻害薬において、ヒドロキサム酸と同等の活性を示した初めてのZBGである。

つぎに、より活性の高いチオールをZBGに固定し、linker部位およびcap部位(芳香環部位)の構造活性相関を調べ、構造最適化を試みた結果、SAHAよりも強いHDAC阻害活性を有する化合物16〜19を見出した(Fig.2)。

チオール系HDAC阻害薬の癌細胞増殖抑制評価

ヒドロキサム酸系HDAC阻害薬の生物活性として、抗癌作用がよく知られている。そこで、高いHDAC阻害活性を持つチオール4の癌細胞増殖抑制試験を行った。しかし、チオール4は、肺癌細胞であるNCI-H460細胞に対し、弱い増殖抑制活性(34% inhibition at 50μM)しか示さなかった。この活性の弱さは、チオール4の低い細胞内移行性が原因であると考え、チオール4のプロドラッグ化の検討を行った。その結果、チオール4をS-イソブチリル化した化合物20が、EC50=20μMで癌細胞増殖抑制活性を示した。このS-イソブチリル化体自身はHDAC阻害活性が弱いことから(IC50=56μM)、S-イソブチリル化体20は、チオール4に比べ効率的に細胞膜を透過し、細胞内で高いHDAC阻害活性を持つチオール1に変換されたものと考えられる。さらに、化合物20のベンゼン環を他の芳香環に変換したところ、3-ビフェニル21、3-ピリジン22、4-フェニル-2-チアゾール23に強い癌細胞増殖抑制作用が見られた(EC50=2〜3μM、Fig.3)。特に化合物23は、9種類の癌細胞を用いたマルチパネル評価で、現在、抗癌剤として臨床開発が行われているSAHAに匹敵する活性を示した(SAHAの平均EC50=3.7μM、23の平均EC50=3.8μM)。また、ウエスタンブロット解析の結果、化合物23による細胞内ヒストンの高アセチル化、p21の誘導が確認され、これらの化合物による癌細胞増殖抑制作用は細胞内HDACを阻害した結果であると考えられた。

以上の業績は、薬学分野における医薬品化学の進歩に有意に貢献するものであり、博士(薬学)の授与に値するものと考えられる。

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