学位論文要旨



No 216296
著者(漢字) 久保田,啓介
著者(英字)
著者(カナ) クボタ,ケイスケ
標題(和) 胃癌リンパ節微小転移の研究 : real-time RT-PCR法の応用
標題(洋)
報告番号 216296
報告番号 乙16296
学位授与日 2005.07.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16296号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 助教授 渡辺,聡明
 東京大学 助教授 千葉,滋
 東京大学 助教授 川邊,隆夫
 東京大学 講師 朝蔭,孝宏
内容要旨 要旨を表示する

背景

リンパ節転移は胃癌の最大の転移・再発形式、予後規定因子のひとつである。肉眼的に根治手術が行われた症例においても、術後のリンパ節再発がしばしば認められる。このような症例では手術の時点で残存するリンパ節に既に微量の癌細胞が転移・生着していたと考えられる。そこで従来のH&E染色を用いた病理学的診断よりも感度の高い微小な癌細胞・転移巣の検出方法が望まれていた。TNM(2002)分類においてはmicrometastases(MM)の中でisolated tumor cells(ITC)が厳密に区別され、ITCに限定すると予後には影響しないとする考え方が優勢である。微小転移の予後への影響については今後prospectiveな大規模研究により確認される必要がある。この為にも現時点では、感度・特異度の高い、正確でかつ実用的な検出法を確立しておく必要がある。

リンパ節中微量癌細胞・転移巣の検出の為に従来用いられてきた免疫組織学的方法、分子生物学的方法には各々問題点がある。免疫組織学的方法では転移巣が割面外に存在することに起因する偽陰性判定が存在しうる。また診断には熟練された高度の専門的知識を必要とする。従来のRT-PCR法に代表される分子生物学的方法では、1)測定手技に時間を要する、2)再現性に難がある、3)定量性がほとんどなく、発現の弱い検体の判定が主観的になりやすい、4)混入した単核球等によるmRNA発現のため低頻度ながら偽陽性判定が出現する、などの課題が指摘されてきた。

最近、蛍光プローブを用いてPCR反応をリアルタイムにモニターできる新しいPCR法(real-time RT-PCR法)が開発され、多検体のmRNAの定量を簡便に行うことが可能となってきた。胃癌リンパ節中微量癌細胞・転移巣の検出にreal-time RT-PCR法を用いた報告はこれまでになく、特にH&E染色法、免疫組織染色法と比較しての検討は未だなされていない。

目的

本研究では、胃癌リンパ節中微量癌細胞・転移巣の検出におけるLightCyclerを用いたreal-time RT-PCR法の実用性・有用性を検討し、H&E染色法、免疫組織染色法との比較・検討によりその導入の意義を明らかにすることを目的とした。

方法

患者とリンパ節

対象は21例の胃癌患者から採取したリンパ節392個。深達度別には、M癌4例、SM癌5例、MP癌3例、SS癌2例、SE癌5例、SI癌2例。病理組織学的リンパ節転移は11例、71個に認めた。対照として非癌手術症例4例の31個のリンパ節を採取した。全てのリンパ節は半切し、半分を通常のH-Eと免疫染色に、残る半分をreal-time RT-PCRに用いた。

免疫組織染色

免疫染色は、AE1/AE3とCEA、CK20に対して、腫瘍原発巣と全てのリンパ節に対して行った。染色強度は3段階に評価した。スコア1:染色されないか、5%以下の少数個の癌細胞のみが染色される、スコア2:中等度に染色される、スコア3:ほぼ均一(80%以上)に染色される。

real-time RT-PCR

AGPC変法を用いてtotalRNAを抽出した。抽出したtotalRNAからランダムヘキサマー、逆転写酵素を用いて反応させ、得られたcDNAは-80℃で保存した。ハイブリダイゼーションプローブを用いて、CEA、CK20、GAPDHに対するシングルステップのreal-time RT-PCRを行った。CEAのPCRは95℃0秒、50℃10秒、72℃10秒で、50サイクルの増幅を行った。CK20とGAPDHにおいては、各々アニーリング55℃、エクステンション20秒であった。癌細胞1個から1×105個に相当する、10倍ごとに段階希釈したCEAmRNA、CK20mRNAの外部標準を用意した。GAPDH mRNAの外部標準としては、細胞1×102個から細胞1×107個相当の10倍ごとの段階希釈溶液を用意した。毎回のPCRは、患者サンプルとともに、6個の外部標準と、1個の対照とを併せて、同時に行った。サンプルごとのmRNAの相対値は、スタンダードの対数値に対してプロットして検量曲線を作成し定量した。

統計学的解析

mRNA値、CEA/GAPDH比の群間での有意差の検定にMann-WhitneyのU検定を、mRNA値と免疫染色強度の相関性の解析にSpearmanの順位相関解析を用いた。p値0.05未満で有意差ありと判定した。

結果

免疫組織染色

H&E染色で転移陽性として判定されたリンパ節は、すべてAE1/AE3染色においても陽性に染色された。H&E染色では転移を認めなかったリンパ節321個中の11個(3.6%)がAE1/AE3染色により陽性と判定され、このうちの2個がMM、9個がITCと判定された。AE1/AE3による免疫組織染色に比べ、CEAとCK20による免疫組織染色では染色性は比較的弱かった。

real-time RT-PCR法の評価

LightCyclerを用いたreal-time RT-PCR法は、免疫組織染色法の様に専門的知識を必要とせず、基本的な分子生物学的手法のみで可能な簡便な方法であった。また、リンパ節の処理開始から結果の解析まで約3時間を要するのみで、迅速な方法であった。H&E染色法による病理学的転移陽性リンパ節はすべてreal-time RT-PCR法でも陽性と判定された(図)。また、H&E染色法による病理学的転移陰性リンパ節321個中の68個(21.2%)がreal-time RT-PCR法陽性と判定された。進行度別の検討では、壁深達度が深くなるほど高い定量値が検出された。対照群ではCEA、CK20ともにすべて定量値0であり、すなわち非癌細胞が発現するmRNAを検出することに由来する偽陽性判定は一切認めなかった。検出率は、標的としてCEA mRNAを用いる方(検出率18.4%:59/321)が、CK20mRNAを用いる場合(検出率10.0%:32/321)と比較してより高い傾向にあった。ただし、CEAで陰性でCK20で陽性となるリンパ節も一部に存在した。

免疫組織染色法、real-time RT-PCR法の関連性

real-time RT-PCR法は免疫組織染色法と比較して陽性リンパ節の検出能が高かったが、その一方で免疫組織染色法にて陽性と判定されるリンパ節に対してreal-time RT-PCR法にて陰性と判定される検体が存在した(表)。組織形態学的なMM、ITCの判定結果は、real-time RT-PCR法の定量値の結果と相関を認めなかった。このことは組織形態学的にはITCと判定されるリンパ節の中にも、実際には(ITCではない)MMと同程度の癌細胞、あるいは極端な場合にはmassiveな転移の含まれているものが存在する可能性があることを示唆する。すなわち単一あるいは限られた切片数の中で判定を行うH&E染色法、免疫組織染色法には限界があり、リンパ節全体の癌細胞の転移状況を把握するためにはreal-time RT-PCR法が必要である。real-time RT-PCR法によるmRNAの定量値は免疫組織染色強度と非常によく相関しており、上述のごとき免疫組織染色法陽性のリンパ節でreal-time RT-PCR法陰性と異なる判定が生じる原因は、標的mRNAの発現の低さが原因と考えられた。

考察

real-time RT-PCR法には以下の利点がある。1)対象リンパ節全体の検索が可能であり、基本的な分子生物学的手法のみで判定可能である。2)再現性があり、検出域が極めて広くなる。3)極めて迅速な方法である。4)非常に高感度で検出域が広い。5)定量的であるため、客観的な判定が可能である。上記のごとくreal-time RT-PCR法はリンパ節中微量癌細胞・転移巣の検出に応用可能性の高い方法であると考えられる。

胃癌リンパ節微小転移の予後に与える影響については、いまだ議論が分かれる。近年では、MMの中でITCを厳密に区別し、ITCに限定すると転移・再発、予後には寄与しないという考えが優勢である。今回の結果からは、1切片のみの免疫組織染色標本でITCと判定されるリンパ節において、切片外の部分にMMを潜在的に有している可能性がありうることが示唆された。リンパ節全体の転移状況の把握にはreal-time RT-PCR法が必要不可欠であると考えられる。

対照リンパ節の蓄積により将来的には0以上のカットオフ値が設定される可能性もあり得ると思われる。今回の方法では、免疫組織染色法にて陽性と判定されるリンパ節に対してreal-timeRT-PCR法にて陰性と判定される検体が存在し、今後は高感度・高特異度を有する新規のマーカーを導入する必要がある。今回の実験方法ではリンパ節の処理開始から定量結果を得るまで約3時間を有したが、近年報告され始めたTRC法、LAMP法などの新規手法の導入についても検討を要する。微小転移検出の予後への寄与、またその予測に基づいた追加補助化学療法の適応決定などへの応用可能性は、real-time RT-PCR法による定量値の解析と免疫組織染色法の結果とを組み合わせて今後検討、実現されていくものと考えられる。

結論

LightCyclerを用いた定量的real-time RT-PCR法は、胃癌リンパ節中微量癌細胞・転移巣の検出において、迅速、簡便で、安定した再現性を有する方法である。免疫組織染色法と比べ、極めて高感度で、更に定量的であることから臨床応用しうる可能性が高い。H&E染色法、免疫組織染色法は胃癌リンパ節中微量癌細胞・転移巣の検出に有力な方法ではあるが、単独ではリンパ節全体の転移状況の把握には限界があり、real-time RT-PCR法の導入・併用が必要と考えられた。現時点ではreal-time RT-PCR法の陽性判定が、真に転移の存在を反映するか否かの確証は得られておらず、今後の課題である。当面はreal-time RT-PCR法の結果を参考にして、免疫組織染色法、H&E染色法を併用しながらの転移診断を行うことが臨床上最も応用可能性が高いと考えられた。図免疫組織染色法との比較におけるreal-time RT-PCR法によるmRNAの相対的定量値表免疫組織染色法とreal-time RT-PCR法の陽性リンパ節検出能の比較

図 免疫組織染色法との比較におけるreal-time RT-PCR法によるmRNAの相対的定量値

表 免疫組織染色法とreal-time RT-PCR法お陽性リンパ節検出能の比較

審査要旨 要旨を表示する

本研究は胃癌根治手術症例の重要な予後規定因子であるリンパ節転移の判定にreal-time RT-PCR法の手法を導入し、その実用性・有用性、導入の意義を明らかにすることを目的にH&E染色法・免疫組織染色法と比較検討したものであり、下記の結果を得ている。本論文中では、「微小転移」という用語は「H&E染色法では検出されなかった微量の癌細胞。転移巣で、免疫組織染色法により初めて認識されたもの、あるいはreal-time RT-PCR法を用いた場合はH&E染色法では癌細胞・転移巣の検出されなかったリンパ節において標的mRNAが定量によって検出されたもの」として定義されており、改訂TNM(2002)分類のMicrometastasis(MM:径2mm以下の転移)、Isolated tumor cells(ITCs:径0.2mm以下の転移で、癌組織への分化、間質との相互反応、脈管への浸潤像を伴わないもの)とは異なる意味で区別して用いられている。

H&E染色で転移陽性と判定されたリンパ節は、すべてAE1/AE3による免疫組織染色法においても陽性と判定された。H&E染色では癌細胞の転移を認めなかったリンパ節中の11個、3.6%が免疫組織染色法および連続切片のH&E染色標本の確認により転移陽性と判定され、組織形態学的検討でこのうちの2個がMM、9個がITCと判定された。

LightCyclerを用いたreal-time RT-PCR法は、基本的な分子生物学的手法のみで可能な客観性・再現性のある方法であった。また、リンパ節の処理開始から結果の解析まで約3時間を要するのみの迅速な方法であった。

real-time RT-PCR法の結果は、対照群(非癌症例リンパ節)では定量値はすべて0であった。微量でも標的mRNAの検出されるリンパ節は「real-time RT-PCR法陽性」とする判定基準を用いると、H&E染色法による病理学的転移陽性リンパ節はすべてreal-time RT-PCR法でも陽性と判定された。また、H&E染色法による病理学的転移陰性リンパ節中の68個、21.2%がreal-time RT-PCR法陽性であった。現時点ではこれらのリンパ節の全てが癌細胞・転移巣を検出しているものとは確証されないが、少なくとも一部は転移癌細胞を検出しているものと思われる。

上記に関連して、今回の研究では深達度Mの全ての4症例においてreal-time RT-PCR法陽性リンパ節が検出された。3例は大きさ、組織型、潰傷瘢痕などの因子により微小転移の存在する可能性があるものと思われる。しかしM癌症例より検出されたreal-time RT-PCR法の定量値は非常に低く、一部には偽陽性判定が含まれている可能性があり、将来的には対照リンパ節の蓄積により0以上のカットオフ値が設定される可能性もあり得る。

real-time RT-PCR法はH&E染色法、免疫組織染色法と比較して陽性リンパ節の検出能が高かったが、その一方でH&E染色・免疫組織染色法にて癌細胞の存在が確認されるリンパ節において陰性と判定されるサンプルも存在した。real-time RT-PCR法によるmRNAの定量値は免疫組織染色強度と非常によく相関しており、上述の判定の相異が存在した原因は標的mRNAの発現の低さが原因と考えられ、今後は高感度・高特異度を有する新規のマーカーを導入する必要があると考えられる。

組織形態学的なMM、ITCの判定結果は、real-time RT-PCR法の定量値の結果と相関を認めず、組織形態学的にはITCと判定されるリンパ節の中にも、MMと同程度の癌細胞、極端な場合にはmassiveな転移の含まれているものが存在することが示唆された。すなわち実地臨床上全症例・全てのリンパ節を全割してH&E染色法・免疫組織染色法を行うことは不可能であることを考えると、リンパ節全体の癌細胞の転移状況を把握するためにはreal-time RT-PCR法が必要であると考えられた。

以上、本論文はreal-time RT-PCR法を用いて胃癌リンパ節転移の検出を行い、H&E染色法・免疫組織染色法と比較してその実用性・有用性を検討したものであり、単一あるいは限られた切片数の中で判定を行うH&E染色法・免疫組織染色法には実務的に限界があり、real-time RT-PCR法が必要であることを明らかにした。ただし現時点ではreal-time RT-PCR法の陽性判定が、真に微小転移の存在を反映するか否かの確証は得られておらず、今後の課題である。当面はreal-time RT-PCR法の結果を参考にして、H&E染色法・免疫組織染色法を併用しながらの微小転移診断を行うことが臨床上最も応用可能性が高いと考えられる。本研究は今後の胃癌のリンパ節転移の診断、治療法の決定に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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