学位論文要旨



No 216297
著者(漢字) 藤井,秀幸
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,ヒデユキ
標題(和) 包括的な地上観測に基づく植生域地表面のマイクロ波放射伝達モデルの開発
標題(洋) Development of a microwave radiative transfer model for vegetated land surface based on comprehensive in-situ observations
報告番号 216297
報告番号 乙16297
学位授与日 2005.07.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16297号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 安岡,善文
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 佐藤,愼司
 東京大学 助教授 沖,大幹
 東京大学 講師 鼎,信次郎
内容要旨 要旨を表示する

衛星マイクロ波リモートセンシングは,全球規模の水文量のモニタリングに有効な手段である.とりわけ,受動型センサーであるマイクロ波放射計は,高い頻度でデータを取得でき,多周波・多偏波観測が容易である特長を有する.計測対象の放射伝達特性に基づいて,適切な周波数・偏波を選択することにより,輝度温度の観測値から,様々な水文量の推定が可能である.従来,海洋における水文量の推定に利用されてきたが,土壌水分や積雪量などの陸域の地表面水文量の推定にも利用されている.ところが,陸域に広く分布する植生については,マイクロ波放射計を用いた水分量推定の議論は少ない.植生は直接的・間接的に水循環に大きくかかわる水文量である.また,植生水分量をも含む地表面状態を把握することは,陸域の降水リモートセンシングにおいて必要不可欠である.降水リモートセンシングは,地表面射出を主な放射源とする.しかし,陸域では,地表面射出を決める地表面水文量の分布は,時間的にも空間的にも変動が大きい.そのため,地表面水文量を推定することが先決である.

植生は多様な幾何学的特徴を有する.このことが植生水分量の推定を困難にする原因の1つになっている.マイクロ波リモートセンシングは,水がマイクロ波帯で高い誘電率を示す性質を利用するが,放射伝達特性は,誘電率のほか,対象の形状・サイズ・向きなどの幾何学的特徴によっても変化する.そのため,多様な幾何学的特徴を持つ植生の放射伝達は,非常に複雑になる.従来の地表面の放射伝達モデルは土壌水分推定の観点から植生の影響を評価したものが多く,植生の幾何学的特徴は考慮されていない.必ずしも十分な精度で植生水分量が推定できるとは限らず,むしろ,植生に関する放射伝達のパラメーターは,モデルの不確定要素を調整するための性質が強い.また,植生被覆状態の不均一性も,植生水分量の推定に影響を及ぼす.従来のモデルでは,被覆状態の不均一性は考慮されていない.

植生は陸域に広く分布する.植生の幾何学的特徴や植生被覆状態の不均一性を考慮できる植生の放射伝達モデルは,植生水分量の推定ばかりでなく,土壌水分や積雪量の推定精度の向上の面からも必要とされている.

本論文の目的は,衛星マイクロ波リモートセンシングに利用可能な植生域地表面の放射伝達モデルの構築である.植生の幾何学的特徴と,被覆状態の不均一性の2点に着目して,地表面放射伝達のモデル化を行った.植生観測に有利な10GHz帯と18GHz帯を対象とし,放射伝達モデルへ植生の幾何学的特徴を考慮するために,植生観測データによる半経験的なアプローチを採用した.

半経験的なアプローチは,放射伝達モデルにおける植生に関するパラメーターを,観測データから直接決定する方法である.本手法の利点は,対象植生の幾何学的特徴を反映したパラメーターが得られることである.また,対象植生の幾何学的特徴を調べることによって,パラメーターの推定結果の評価を行うことができる.ただし,パラメーターの推定には,マイクロ波放射計の輝度温度データのほか,放射伝達を決める土壌や植生の物理量の測定が必要である.さらに,物理量に加えて,対象植生の被覆状態や幾何学的な情報を得る場合,その観測は非常に詳細なものとなる.その結果,観測のスケールは自ずと限られる.

本論文は,数メートル規模の観測に対応した地上可搬型マイクロ波放射計システム(Ground Based Microwave Radiometer system, GBMR)の開発を行うことによって,半経験的なアプローチに対応したデータの取得を可能にした.GBMRを,高性能のマイクロ波放射計と,安定して運用するためのコンテナ型プラットホームで構成し,より多くの植生のデータを効率的に得るために可搬性を重視した設計とした.

本論文で取り扱った植生域地表面の放射伝達モデルは以下のとおりである.

基本モデルには,放射・吸収特性に基礎をおく従来の放射伝達モデルを援用し,10GHz帯と18GHz帯に適応させるため,植生パラメーターbと単一散乱アルベドωcの2つの植生に関するパラメーターを導入した.bは,放射・吸収特性の幾何学的特徴への依存性を表わすパラメーターである.ωcは消散に占める散乱の割合で定義される.ωcは対象物の形状やサイズ,傾きへ強く依存するため,本モデルではωcを植生の幾何学的特徴を表わすパラメーターとして扱った.これらのパラメーターは,衛星観測と同一条件において取得したGBMR観測データより決定した.本モデルは,従来のモデルを援用することで実用性が高く,既往の水文量推定アルゴリズムへも応用しやすい特長を持つ.

植生の幾何学的特徴を表わすbとωcの取り扱い方が本モデルの特色である.bとωcは植生タイプごとに決まり,1つの植生タイプに対して1組の値をとる.また,植生の成長にともなう幾何学的特徴の変化に対しても1組の値をとる.植生タイプは,植生を構成する要素に着目して,各要素の形状・方向性によって定義する.これは,理論的なモデルにおける植生の取り扱いに準じている.そのため,bとωcの推定結果を従来の知見と比較しやすい.

さらに,bとωcをパラメーターとする基本モデルを,植生被覆率を導入することによって拡張した.拡張モデルは,裸地と植生の2つの被覆が混在するフットプリントにおいて,それぞれの被覆面からの地表面射出を,植生被覆率を用いて個別に取り扱う.bとωcの基本モデルはフットプリント内に植生が一様に分布した状態を仮定しているが,植生被覆を導入することにより,不均一なフットプリントへも適用可能である.また,一群をなす植生域の中に複数の植生タイプが混在する場合に対応するため,bとωcのそれぞれの混合モデルを示めした.

本論文は,次の3つの植生タイプを対象として検討を行った.

(1)鉛直方向に伸びた茎と水平方向に広がる葉で構成される植生.

(2)主に水平方向に広がる葉で構成される植生.

(3)主に鉛直方向に伸びた茎で構成される植生.

マイクロ波リモートセンシングでは垂直偏波と水平偏波が利用される.上記の3つのタイプは,幾何学的特徴の影響が偏波情報へ顕著に現れる植生タイプである.具体的には,(1)と(3)の植生タイプとしてソバ(ソバ,Fagopyrum esculentum Moench, buckwheat )を選択し,(2)の植生タイプとしてクローバー(クリムゾンクローバ,Trifolium incarnatum L )を選択した.ソバは基本的には(1)の植生であるが,収穫期のソバは,落葉して葉の影響がなくなるため,植生タイプ(3)となる.

はじめに,bとωcの推定を行なった.bとωcの推定結果は,次のとおりである.

各植生タイプのbの結果は,茎と葉の放射・吸収特性に関する知見から判断し,妥当であった.茎のbは,細い茎ほど水平偏波の値が小さく,垂直偏波の値が大きい.太い茎になると水平偏波の値が大きくなり,垂直偏波の値とほぼ等しくなる傾向にある.これらの茎の太さによる偏波特性は,植生媒体中における波長λ'と茎の直径によって特徴づけることができる.また,葉のbの値は,葉の厚さによって変化する.葉が薄くなると,水平偏波が大きくなる傾向にある.

一方,各植生タイプのωcの結果は0.1以下の値となった.この値は,既往の研究の成果と一致している.ただし,周波数や偏波ごとに一律な傾向は見られなかった.一般に,散乱特性は,形状や,対象のサイズと波長との相対的な関係によって複雑な挙動を示す.

次に,モデルの検証を行った.「1つの植生タイプに対してbとωcが1組みの値をとる」という本モデルの特長を検証するため,解析には植生タイプ(1)のソバと植生タイプ(2)のクローバーのデータを使用した.植生タイプ(1)のソバは,成長プロセスに応じて3つの期間を設け,それぞれの解析期間ごとに推定したbとωcを,異なる期間へ相互に適用してモデルの適合性を調べた.植生タイプ(2)のクローバーの検証は,最もクローバーが良く生育したフットプリントで取得したデータから推定したbとωcを用いて,生育状況の異なる他のフットプリントにおいてモデルの適合性を調べた.クローバーの検証では,裸地と植生域の被覆が混在したフットプリントを対象として選択し,植生被覆率によって拡張した放射伝達モデルのほか,フットプリント内を均一としたモデルを用いて,植生被覆に対する検討も行った.

検証の結果,両植生タイプともに,輝度温度の推定値は,成長過程全般にわたって観測値に良く一致した.ソバの検証において,bとωcを相互に適用した結果も,お互いに同じ程度の推定誤差に収まった.成長に伴って茎や葉のサイズが変化し,bとωcの値が変化するが,その影響は小さいと言える.つまり,1組のbとωcで表現することが可能である.植生タイプ(1)のソバの結果については,比較的細い茎が多い期間で,水平偏波の輝度温度の推定精度が低下する傾向があったが,この輝度温度の精度低下が植生水分量の推定に及ぼす影響は小さかった.これは,水平偏波の土壌面の放射が小さいために,植生水分量に対する輝度温度の変化の幅が広いことに起因する.

植生被覆率を導入した拡張モデルと,フットプリント内を均一としたモデルの比較では,植生被覆率を導入したモデルを用いた輝度温度の推定結果が,各周波数・偏波ともに,観測値と良く一致した.一方,フットプリント内を均一とした放射伝達モデルを用いた輝度温度の推定結果は,水平偏波で著しい精度低下を示した.これは,土壌面の放射が小さく,裸地と植生とのコントラストが大きいためである.水平偏波は,植生水分量に対する輝度温度の変化の幅が広く,植生水分量の推定には有利である.しかし,植生被覆状態の不均一性の影響が大きいため,植生被覆率を適切に与えることが必要である.

最後に,他の植生へのモデルの適合性を調べるため,イネ,トウモロコシ,ダイズへの応用を試みた.それぞれの植生の形状と方向性を踏まえて,イネとトウモロコシは植生タイプ(3),ダイズは植生タイプ(1)のモデルを採用した.その結果,各植生とも,良い適合性を示した.イネは,生育初期に鉛直方向に伸びた葉のみで構成されているが,分げつ期を終えると茎が伸び,タイプ(3)へ近い形状になる.本モデルのイネへの適用結果は,茎と葉で構成されるイネに対して非常に良い一致を示した.

以上のように,放射伝達モデルにおける植生の幾何学的特徴をbとωcによって表わし,それらをGBMR観測データから直接決定することによって,衛星マイクロ波リモートセンシングに利用可能な植生域地表面のマイクロ波放射伝達モデルの構築を行った.さらに,植生被覆率を導入することによって,被覆状態が不均一なフットプリントにも対応した.本論文は,ソバとクローバーを対象としてモデル化を行ない,その結果が形状や方向性が似た植生へ適用可能であることを示した.

植生は多様な幾何学的特徴を有する.今後,形状と方向性の観点から植生タイプを体系化し,本手法を用いてモデル化を行うと同時に,植生分類や土地被覆推定に関する多くの取り組みが行われている可視・赤外リモートセンシングや能動型マイクロ波リモートセンシングから得られる情報を併用することで,衛星観測による陸域地表面水文量の推定が可能になると考える.

審査要旨 要旨を表示する

陸域の水文量,すなわち土壌水分,積雪,植生水分量,降水などのモニタリングは,水循環変動のメカニズムを理解し,予測し,洪水防御や水資源の有効利用などの公共的利益に利用していく上で重要である.その際衛星観測は有用な手段であり,とりわけ衛星搭載マイクロ波放射計は,水に対する感度が高く,高頻度観測,多周波・多偏波観測が容易である等の特長を有する.本論文は,これら水文量観測の重要性や観測手段の有用性に鑑み,衛星搭載マイクロ波放射計による陸域水文量観測手法の確立のための基礎研究として,植生の効果を考慮したマイクロ波放射伝達モデルの開発を目指すものである.本論文は直接的には植生水分量観測のためのマイクロ波放射伝達モデルの構築に取り組んでいるが,この成果は植生域における土壌水分,積雪,降水など他の陸域水文量の算定の基礎としても重要である.

衛星搭載マイクロ波放射計の欠点の一つは空間解像度が粗いことである.そのため,一つの観測データの中に様々な地表面の影響が含まれており,衛星観測データからでは個々の地表面状態に対応するマイクロ波放射伝達モデルを開発することが困難である.そこで本論文では,数メートル規模の観測に対応した地上可搬型マイクロ波放射計システムを開発し,様々な植生それぞれの放射伝達特性を高精度で安定して観測する手法を可能にしている.

本論文で開発した植生域地表面のマイクロ波放射伝達モデルは,基本モデルとして放射・吸収特性に基礎をおく従来の放射伝達モデルを援用し,植生観測に適合する周波数帯に適応させるために2つの植生に関するパラメータを導入している.一つは植生水分による放射・吸収特性の幾何学的特徴への依存性を表わすパラメータで,他方は植生の幾何学的特徴によって決まる消散に占める散乱の割合を示すパラメータである.また,可視・赤外リモートセンシングから得られる植生被覆率情報を導入して,観測対象領域を裸地と一つの植生タイプが混在するものとして扱い,混合した地表面放射特性をそれぞれの被覆面からの放射特性の面積割合による線形和として表している点に特徴がある.

本論文では幾何学的形状が異なる3つの植生タイプ,すなわち,(1)鉛直方向に伸びた茎と水平方向に広がる葉で構成される植生,(2)主に水平方向に広がる葉で構成される植生,(3)主に鉛直方向に伸びた茎で構成される植生,を対象として,地上可搬型マイクロ波放射計システムを用いた観測実験を行い,開発したマイクロ波放射伝達モデルの妥当性を検討している.その結果,1つの植生タイプに対して2つのパラメータが成長段階に関わらずユニークな値を持つこと,植生被覆率の導入によりモデルによる推定精度が著しく向上することが明らかとなり,本論文で開発した植生域を対象とするマイクロ波放射伝達モデルの妥当性が実証された.

さらに上記観測実験で得られた各植生タイプごとの2つのパラメータ値を含むマイクロ波放射伝達モデルが,植生タイプは類似であるが種類が異なる植生に適用できるかについて観測実験をおこなった.すなわち上記実験で対象とした植生とは異なる3種類の植生を,上で定義した3つの植生タイプで区分し,それぞれの植生タイプに対する2つのパラメータ値を適用して,マイクロ波放射伝達モデルによる算定値を求めている.その結果を観測値と比較した結果,各植生とも良い適合性を示し,本論文で開発したマイクロ波放射伝達モデルの広範囲な適合性が実証された.

以上,要するに,本論文はこれまで困難とされてきた多様な植生の影響を,比較的単純化されたマイクロ波放射伝達モデルで表現し,衛星搭載マイクロ波放射計による陸域水文量の定量観測の基礎を築いたという点において多大な貢献をなしたものと高く評価できる.また本論文で開発された地上可搬型マイクロ波放射計システムは,高い観測精度と観測の容易性から国際的に注目されており,実際に多くの国際観測プロジェクトから参加要請を受けており,その有用性が衛星搭載マイクロ波放射計の高度利用に与えるメリットは高いと判断される.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49030