学位論文要旨



No 216301
著者(漢字) 谷,徳孝
著者(英字)
著者(カナ) タニ,トクタカ
標題(和) 船体ブロックの工作精度に対する残留応力制御型TMCP鋼板の有効性に関する研究
標題(洋)
報告番号 216301
報告番号 乙16301
学位授与日 2005.07.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16301号
研究科 工学系研究科
専攻 環境海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 青山,和浩
 東京大学 教授 影山,和郎
 東京大学 助教授 武市,祥司
 東京大学 名誉教授 野本,敏治
 九州工業大学 教授 寺崎,俊夫
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

近年、鋼板製造時の加熱・圧延温度や圧下量、冷却速度を制御した厚鋼板製造法が開発され、強度と共に溶接性に優れた高張力鋼板が実用化され広く適用されている。その中でも、TMCP(Thermo-Mechanical Control Process)鋼板は、優れた溶接性と大入熱溶接の適用による高能率溶接が可能なため、日本の造船業とともに発展してきた。これまで、船舶の大型化および軽量化に伴って、TMCP鋼板は広く使用されてきており、大型タンカーにおいては、TMCP鋼板の使用量は鋼材全体の70%に達している。

しかし、TMCP鋼板は、制御圧延および加速冷却により材質制御されるために、製造過程で発生する不均一冷却に起因した残留応力分布により、時として面内/面外の形状不良が発生し、工作精度の低下を引き起こすことがあり、造船所を初めとする需要家からは、"TMCP鋼板は、従来鋼板に比べて、変形が大きく変形量がばらつく。"と苦情が出ることがあった。

今回、TMCP鋼板の製造工程において、ハード・ソフト面から構成される形状・残留応力制御技術を構築することによって、従来のTMCP鋼板が有する歪および形状の問題を解消した残留応力制御型TMCP鋼板を開発した。本鋼板は、言うまでもなく、従来のTMCP鋼板に比べ、残留応力は制御され残留応力分布の均一化が実現されている。そのため、船舶建造時の切断変形、溶接変形等の安定化が図られることにより、工作精度向上に寄与するものと考えられる。

本研究においては、船体平行ブロックの建造工程を対象として、従来のTMCP鋼板のもつ残留応力に起因する問題点を明確にするとともに、従来鋼板の課題を解消した残留応力制御型TMCP鋼板を船体ブロックに適用する場合における工作精度や生産性の向上効果に対する有効性を検証した。

従来のTMCP鋼板の残留応力レベルの明確化と残留応力制御の必要性

従来のTMCP鋼板の残留応力状態とその発生原因を調査したところ、残留応力は約100N/mm2程度あり、その分布形態は鋼板によって大きく異なること、鋼板の残留応力は圧延工程における不均一な温度分布により生じることがわかった。この残留応力は、平坦度不良や切断後の横曲がり等の形状不良を引き起こすことに加えて、切断や溶接といった加工工程での変形ばらつきや誤差の要因となるため、残留応力の少ない鋼板が望まれている。

一方、造船所においては、生産性向上およびコストダウンを狙いとして、効率的な大型ブロックの建造法が採用されている。その際、船体ブロックに対しては、高い工作精度が要求されており、鋼材に対しては、同一の条件で加工すれば同一の形状となる再現性のある鋼板が求められている。

従来のTMCP鋼板の残留応力に起因する不具合を防止し、造船所の生産性向上に貢献するためには、残留応力制御型TMCP鋼板の開発が必要である。

残留応力制御のための要素技術の構築

TMCP鋼板の残留応力は、主に加熱から圧延、加速冷却工程での製造条件の違いに起因した不均一な温度分布によって発生するため、鋼板の残留応力制御においては、まず、残留応力の原因となる不均一な温度分布を極小化する必要がある。鋼板の温度分布を極力小さくしても不可避的に発生する残留応力については、後の熱処理やローラレベラ矯正により制御する。また、鋼板1枚1枚の残留応力レベルを判定し、許容値以内であることを保証する。鋼板の機械的性質については、従来のTMCP鋼板と同等になるように制御する。これらの考え方をベースに残留応力制御型TMCP鋼板製造のための基盤技術を確立し、量産化のための製造体制および品質保証体制を構築した。

本鋼板実用化に向けた数値解析による有効性検討

残留応力制御型TMCP鋼板を船体ブロックに適用するにあたり、工作精度への有効性を明確にする必要がある。船体ブロック建造における工作精度に及ぼす鋼板の圧延残留応力の影響を系統的に検討した研究例は少ないため、切断や溶接時の面内変形を対象として圧延残留応力の影響を検討した。

検討に際しては、複雑な船体ブロックの組立工程を対象として、一貫して数値解析を用いて、鋼板の残留応力の影響を検討し、切断・溶接加工時の変形ばらつきに鋼板残留応力が影響していることを理論的に説明した。

図1は、NCプラズマ切断機によるトランス材のスリットスロット切断を対象に、熱弾塑性FEM解析を用いて、過渡的なスリット側の長さ変化を解析した結果である。切断入熱や鋼板の残留応力により、切断過程で鋼板が動いている様子がシミュレートできている。鋼板残留応力がスリット側の長さ変化に及ぼす影響として、幅端部に圧縮応力を有する従来鋼板Bは、スロット切断では伸長しているものの切断完了後は1.5mm収縮しているのに対して、幅端部に引張応力を有する従来鋼板Cはスロット切断で収縮しているものの切断完了後は2mm伸長している。鋼板の残留応力状態の影響は大きく、残留応力により変形挙動が異なっていることがわかる。

船体ブロック建造における溶接工程や切断工程を対象として、このような数値解析を行うことにより、工作精度に及ぼす圧延残留応力の影響は大きく、鋼板の残留応力が変形ばらつきの原因になっていること、および、従来のTMCP鋼板の残留応力に関わる不具合を解消した残留応力制御型TMCP鋼板を船体ブロックに適用すれば、切断や溶接等の加工時の変形量が安定し、工作精度や生産性の向上効果が期待できることを理論的に立証した。

また、数値解析を用いた工作精度の検討において、溶接・切断条件や順序、拘束条件、仮付け条件などの製造プロセスが工作精度に大きな影響を与えていることがわかった。これらの影響については、造船所では何となくわかってはいるものの、多くの場合、熟練作業者の経験と勘により対応されてきたため、本研究で行った数値解析手法や解析結果を活用することにより、これらの影響の定量化・標準化が可能であり、技術の共有および技能伝承の手助けになり得ることがわかった。

本鋼板実用化に向けた実船適用による有効性検証

数値解析による検討は、モデル化の際に様々な理想状態を仮定するため、実際の挙動と一致していないことが考えられる。また、残留応力制御型TMCP鋼板の工作精度に対する有効性のみならず、生産性向上効果を把握するためには、実際の船舶に適用する必要がある。

そこで、30万トン級のダブルハルVLCC(Very Large Crude Carrier)の平行ブロックに本鋼板を適用することにより、その有効性を検証した。

図2は、本鋼板をトランスパネルおよびスキンパネルに適用し、トランスパネルの引き込み時間を従来鋼板のそれと比較した結果である。トランス引き込みにおいては、±1.5mm/12mの高い工作精度が要求されている。高い工作精度が達成できる本鋼板を適用したトランスパネルは問題なく引き込めたのに対して、従来鋼板を適用したトランスパネルは、鋼板の残留応力により工作精度が低く、引き込み時にトラブルが発生し、工数が増加する結果となった。本鋼板による工作精度向上効果および生産性向上効果が明らかになったといえる。

これら一連の実船適用結果により、従来のTMCP鋼板は、鋼板の残留応力に起因して変形ばらつきが発生すること、および、本鋼板を船体ブロックに適用すれば、工作精度が向上し、生産性が向上することを実証できた。また、今回検討した熱弾塑性FEMモデルの解析結果は実際の船体ブロックでの計測値とほぼ一致しており、本研究で行った解析モデルの信頼性は高いことがわかった。数値解析による理論的な検討と実際の船体ブロックへの適用による実証の両面から、本鋼板の有効性が明らかになった。

おわりに

複雑な船体ブロックの組立工程を対象として、切断・溶接加工時の変形ばらつきに鋼板残留応力が影響していることを理論的、実験的に説明できた。残留応力制御型TMCP鋼板を船体ブロックに適用することにより、ブロック精度の高度化や建造工数と建造コストの削減を達成できることを確認できた。今後、船体曲面ブロックや建築・橋梁分野への適用が期待できる。また、本鋼板の適用を前提とした新工法が開発されることにより、更なる生産性向上効果が達成できるものと考えられる。

さらに、本研究で行った数値解析手法および解析結果を利用することと、実際の施工において理論通りの形状となる残留応力制御型TMCP鋼板を活用することにより、熟練作業者の長年の経験やノウハウ、直感、勘やイメージといった経験的知識である暗黙知を、言葉や図表を通して表面化し他人が利用可能な形、すなわち形式知化することが期待できる。これにより、技術伝承や技術者の育成が効率的に行えることが期待される。また、次世代の生産システムにおいては、本解析モデルや解析結果を生産システムに組み込むことにより、設計者や作業者が仮想生産を行ったり、デジタルモックアップを製作したりすることが可能となるものと考えられる。これは、設計者や作業者の技術や経験の習得の手助けとなるだけでなく、効率的な構造物の設計や製作に役立つものと推察され、本研究の波及効果はきわめて大きい。

図1 数値解析によるスリットスロット切断時の過渡変形

図2 実船建造におけるトランスパネル引き込み時間

審査要旨 要旨を表示する

力学的強度と共に溶接性に優れた高張力鋼板の代表であるTMCP(Thermo-Mechanical Control Process)鋼板は,優れた溶接性と大入熱溶接の適用による高能率溶接が可能なため,日本の造船業の発展と共にその使用は拡大してきた。しかしながら,その製造プロセスでの不均一冷却に起因する残留応力分布のバラツキにより,面内/面外の形状不良が発生しまう工作精度問題が存在する。本研究は,従来のTMCP鋼板が有する残留応力が原因となって発生する工作精度の不良問題を明確にした上で,新開発の残留応力制御型TMCP鋼板を船体ブロックに適用する場合における工作精度や生産性の向上効果に対する有効性を数値解析によって論理的に示し,実際の船体平行ブロックの建造工程において実証する研究である。本論文は,6つの章で構成されている。

第1章では,残留応力制御型TMCP鋼板の開発の必要性も含め,本研究の背景と進め方に関して述べている。

第2章では,従来のTMCP鋼板の残留応力を測定し,残留応力状態を定量的に把握することによって,TMCP鋼板の残留応力発生の原因を明確に議論しており,残留応力レベルを低い値に制御した残留応力制御型TMCP鋼板を開発する上での具体的課題を整理している。また,造船において,鋼板の残留応力と工作精度の因果関係を確認した上で,高い工作精度を要求するためには,残留応力制御型TMCP鋼板の開発が必要であることを主張している。

第3章では,第2章で整理した従来のTMCP鋼板の課題を解決すべく,残留応力制御TMCP鋼板を製造する技術に関して議論している。加熱から圧延,加速冷却工程で発生する不均一な温度分布の解消技術や,熱処理やローラレベラ矯正による残留応力の除去技術などの残留応力を効果的に制御する要素技術の構築に関して整理している。また,基盤となる各要素技術や実際の製造方法について述べ,機械的性質,品質保証法について述べ,残留応力制御TMCP鋼板の実現性を明確に示している。

第4章では,残留応力制御型TMCP鋼板を船体ブロックに適用するにあたり,工作精度への有効性を論理的に明確にする必要があるとの観点から,熱弾塑性FEM解析を利用した熱切断,溶接施工における鋼板の変形解析手法を提案している。実験結果と比較することにより,熱弾塑性FEM解析モデルの精度検証を適切に処理し,前例の無い鋼船のような大規模な製品を対象とした解析結果を示している。この数値解析による検討により,複雑な船体ブロックの組立工程を対象として,切断・溶接加工時の変形ばらつきに対する鋼板の残留応力の影響を理論的に示している。さらに,溶接・切断条件や順序,拘束条件,仮付け条件などの製造プロセスが工作精度に与える大きな影響を確認し,提案する数値解析モデルの有効性も明確に示している。

第5章では,実際の船舶に残留応力制御型TMCP鋼板を適用することによって,工作精度の向上や工数削減の効果を議論し,さらに,第4章で提案した数値解析モデルの有効性を示している。本研究で示すアプローチの実船への適用結果により,従来のTMCP鋼板は,その残留応力に起因して変形ばらつきが発生すること,及び,残留応力制御型TMCP鋼板を船体ブロックに適用した場合,工作精度が向上し,生産性が向上することを定量的に示している。さらに,提案する熱弾塑性FEMモデルによる解析結果は実際の船体ブロックの計測値と良好な一致を示しており,提案する数値解析モデルの妥当性を示している。

第6章では,従来のTMCP鋼板の課題と残留応力制御型TMCP鋼板の製造法および品質保証法,実用化に向けた効果の把握に係わる研究成果を総括し,造船所において,残留応力制御TMCP鋼板を実用化することで部材の工作精度が向上し,工数の削減が可能であること,さらに,従来のTMCP鋼板では実現できなかった新工法によって,より一層の工数削減が可能であることを述べている。

以上のように,本論文は,数値解析手法および解析結果を利用することと残留応力制御型TMCP鋼板を活用することにより,実施工において鋼板の変形を予測可能とすることを示し,次世代の生産システムにおいて,提案する解析モデルや解析結果を生産システムに組み込むことにより,計算機による精度が高い仮想生産の試行の実現が期待される。また,本研究で示すように,複雑な現象とされてきた問題を計算可能とすることによって,熟練作業者の長年の経験やノウハウ,勘やイメージといった経験的知識である暗黙知を表出化し形式知化する可能性も期待できる。このように,本研究の波及効果は多岐に亘り,きわめて大きいものと評価できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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