学位論文要旨



No 216315
著者(漢字) 尾島,信彦
著者(英字) Ojima,Nobuhiko
著者(カナ) オジマ,ノブヒコ
標題(和) ニジマス熱ショックタンパク質遺伝子の発現調節機構に関する研究
標題(洋) Studies on the regulatory mechanisms involved in the expression of heat-shock protein genes from rainbow trout
報告番号 216315
報告番号 乙16315
学位授与日 2005.09.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16315号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

あらゆる生物は,熱ストレスに応答して細胞内に熱ショックタンパク質(heat-shock protein;HSP)の合成を誘導する.HSPは主に細胞内タンパク質のフォールディングを助ける働き,いわゆる分子シャペロン機能をもつ.この機能によりHSPは熱変性した細胞内タンパク質を修復し,熱ストレスによる細胞死を抑制すると考えられている.HSPの発現は転写レベルで制御されており,その特異的転写因子は熱ショック転写因子(heat-shock transcription factor;HSF)と呼ばれる.主要転写因子のHSF1はHSP遺伝子プロモーター上流域の熱ショックエレメント(heat-shock element;HSE)に特異的に結合し,HSP遺伝子の転写を促進する.

変温動物である魚類は,その発生,成長,代謝などにおいて環境水温の影響を直接的に受ける.したがって温度に対する適応応答は魚類の生存にとって必須で,その分子機構の解明は魚類の増養殖にも基礎的知見を与える.中でもサケ科魚類のように冷水に適応進化した魚種では,低い温度も熱ストレスになり得るため,熱ストレス抵抗性は特に重要と考えられる.魚類細胞においては他の動物細胞と同様,熱ストレスによるHSPの合成誘導がこれまでに観察されている.しかし魚類HSPの研究はその多くがタンパク質レベルでの誘導の観察にとどまっており,遺伝子レベルでは未だ不明な点が多い.

本研究は以上の背景の下,熱ストレスの影響を特に受けやすいと考えられる冷水性魚類ニジマスOncorhynchus mykissを対象に,HSPの構造と遺伝子発現特性,並びに発現調節機構を明らかにすることを目的として行われたもので,結果の概要は以下の通りである.

1.Hsp70の構造とmRNA発現特性の解析

Hsp70は脊椎動物における主要なストレス誘導性タンパク質で,そのアミノ酸配列は生物種間で非常に高く保存されている.一方,ニジマスは4倍体化した祖先種をもつと考えられており,重複したHsp70の存在が推定される.そこで,実際に重複遺伝子が存在するかどうかを明らかにするため,3ヶ月齢のニジマスを25℃,30分間の熱処理に付してHsp70の全長をコードするcDNAクローンを12個単離し,それらの塩基配列を決定した.その結果,2つのHsp70,すなわちHsp70aとHsp70bが同定された.これらHsp70の推定アミノ酸配列は互いに98.1%の同一率を示した.サザンブロット解析の結果,Hsp70aとHsp70bはニジマスゲノム上で異なる遺伝子として存在していることが示された.

次にHsp70aとHsp70bのmRNA発現特性をニジマスRTG-2細胞を用いて解析した.2つの遺伝子を区別して検出したノーザンブロット解析の結果,熱ストレスを与えた細胞において,長さの異なる2種類のmRNAの蓄積がいずれのHsp70にも観察された.各2種類のmRNA蓄積量をHsp70aとHsp70bで比較したところ,長短mRNAのいずれも熱ストレス下では常にHsp70bの方がHsp70aより蓄積量は高かった.一方,温度や時間を変化させたときに観察された発現動態は両遺伝子で類似していた.興味深いことに,Hsp70aとHsp70bの双方で検出された長短2種類のmRNAのうち,長い方のmRNAはいずれも28℃以上の強い熱ストレス下でのみ検出された.

これらの結果から,ニジマスにおいては予想通り重複したHsp70が存在し,熱ストレスの強さにより各mRNAの発現パターンが変化することが明らかとなった.また,ニジマスを対象に遺伝子の発現特性を正確に調べるためには,まず重複遺伝子の包括的な同定が必要であることが示唆された.

2.HSPファミリーのmRNA発現特性の解析

Hsp70以外のHSPファミリー遺伝子について熱ストレスによる発現特性を正確に解析することを目的とし,重複遺伝子を含めた包括的な探索を試みた.その際,一度に出来るだけ多数のHSPファミリー遺伝子が単離できるように方法を工夫した.具体的には25℃,24時間の熱ストレス処理したRTG-2細胞からcDNAライブラリーを作製し,任意に200クローンを単離してそれらの塩基配列を決定した.その結果,HSPをコードする9種類のcDNAが同定された.単離された遺伝子はHsp90 a,Hsp90 b,Grp78,Hsp70a,Hsc70a,Hsc70b,Cct8,Hsp47,DnaJのホモログであった.これら遺伝子はRTG-2細胞のノーザンブロット解析により,熱ストレスの有無にかかわらず単一バンドとして検出された.ただしHsp70aは上述同様,強い熱ストレス下でmRNAのバンドが2本検出された.

上述したHsp70も含めて各HSPファミリー遺伝子のmRNA蓄積量の熱ストレスによる変化をさらに詳細に調べるため,定量的RT-PCR解析を行った.その結果,Hsp70a,Hsp70b,Hsc70a,Hsc70b,Hsp47の5遺伝子において,熱ショックによりmRNA蓄積量が有意に増加した.とくにHsp70aとHsp70bのmRNA蓄積量の変化は顕著で,28℃,3時間の熱ショック後,それぞれ定常状態の480倍および510倍に増加した.他方, Hsc70a,Hsc70b,Hsp47のmRNA蓄積量は,同じ熱ショック条件下でそれぞれ定常状態の1.3倍,2.8倍,1.6倍に増加した.

以上のようにHSPファミリー遺伝子の熱ストレスによるmRNAの蓄積量変化を包括的に解析することにより,重複遺伝子間やHSPファミリー間でのmRNA発現特性の差異が明らかとなった.またニジマスHSPファミリー遺伝子も他生物種同様に転写レベルで制御されていることが示され,特異的転写因子の存在が示唆された.

3.HSF1のクローン化とタンパク質レベルでの性状解析

ニジマスにおけるHSPファミリー遺伝子の転写調節機構を明らかにするため,RTG-2細胞から熱ショック転写因子HSFをコードするcDNAのクローン化を試みた.その結果,上記HSPファミリー遺伝子と同様に重複遺伝子と考えられる2つのHSF1が同定されたので,それらをHSF1aおよびHSF1bと名付けた.両タンパク質の推定アミノ酸配列は互いに86.4%の同一率を示した.2つのニジマスHSF1はいずれも他生物種HSF1に共通のモチーフ構造,すなわちDNA結合ドメイン,ロイシンジッパー様構造,核移行シグナルを有していた.サザンブロット解析の結果,HSF1aおよびHSF1bはニジマスゲノム上でそれぞれ異なる遺伝子として存在していることが示された.

クローン化した遺伝子がRTG-2細胞のほか,実際にニジマス生体中で転写されていることを確認するため,RT-PCR解析を行った.その結果,HSF1aとHSF1bのmRNAは非ストレス下の諸組織において共発現していることが明らかとなった.

2つのHSF1アイソフォームの性状を生化学的に調べるため,HSF1aにはヘマグルチニンタグ,HSF1bにはプロテインCタグを融合させる発現ベクターを構築し,in vitro転写・翻訳を行った.ウェスタンブロット解析の結果,HSF1aおよびHSF1bの各融合タンパク質の単一バンドがそれぞれのエピトープタグに特異的な抗体により検出され,各融合タンパク質の合成が確認された.

次にin vitro翻訳産物を用いてニジマスHSF1のDNA結合能を調べた.HSEコンセンサス配列の合成オリゴヌクレオチドを用いてゲルシフトアッセイを行った結果,2つのHSF1はいずれも本HSEに結合することが示された.また熱ショック前後のRTG-2細胞抽出液を用いてゲルシフトアッセイを行ったところ,熱ショック後の細胞抽出液においてのみ内在性HSF1と合成HSEとの結合が認められた.このことからニジマスHSF1は既報の他生物種HSF1と同様に,熱ショックによる3量体形成を介したDNA結合活性化機構をもつことが推定された.

そこでさらにニジマスHSF1の多量体形成能について調べた.上記の翻訳産物を化学的に架橋し,各エピトープタグに特異的な抗体を用いて免疫沈降を行った.その結果, 各HSF1のホモ3量体形成が確認されただけでなく,HSF1aとHSF1bのヘテロ3量体が形成されることも示された.

これらの結果から,ニジマスにはHSF1アイソフォームが2種類存在することが明らかとなり,その両方がHSPファミリー遺伝子の熱ストレス誘導性転写調節に関与していることが示唆された.

以上,本研究により,冷水性魚類のニジマスを対象としたHSPファミリー遺伝子の包括的かつ定量的なmRNA発現特性の解析で,本魚種には重複遺伝子を介する独特な熱ストレス応答の分子機構が存在することが明らかとなった.従来からニジマスにおいてはその4倍体性から重複遺伝子の存在が予想されていたが,本研究により初めて重複したHSPファミリー遺伝子やHSFの存在が明らかとなり,それらを区別して検出することが可能となった.本研究は魚類の増養殖に基礎的知見を与えるのみならず,今後さらに重複遺伝子の存在意義や種々のストレス因子の解明へと発展することが期待されることから,応用上および比較分子・細胞生物学上に資するところが大きいと考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

生物は熱ストレスに応答して細胞内で熱ショックタンパク質(heat-shock protein;HSP)の合成を誘導する。HSPの発現は転写レベルで制御されており、その特異的転写因子は熱ショック転写因子(heat-shock transcription factor;HSF)と呼ばれる。主要転写因子であるHSF1はHSP遺伝子プロモーター上流域の熱ショックエレメント(heat-shock element;HSE)に特異的に結合し、HSP遺伝子の転写を促進する。魚類細胞においてはこれまで熱ストレスによるHSPの合成誘導が報告されているが、HSP遺伝子については未だ不明な点が多い。そこで本研究は、冷水性魚類ニジマスOncorhynchus mykissを対象に、HSPの構造と遺伝子発現特性、および発現調節機構を明らかにすることを目的として行われた。

Hsp70は脊椎動物における主要なストレス誘導性タンパク質で、そのアミノ酸配列は生物種間で高度に保存されている。一方、ニジマスは4倍体化した祖先種をもつと考えられており、重複したHsp70の存在が推定される。実際に重複遺伝子が存在するかどうかを明らかにするため、25℃、30分間、熱処理した3ヶ月齢のニジマスからHsp70をコードする全長cDNAクローンを単離した。その結果、2つのHsp70(Hsp70aおよびHsp70b)が同定された。これらの推定アミノ酸配列は互いに98.1%の同一率を示した。サザンブロット解析により、Hsp70aとHsp70bはゲノム上で異なる遺伝子としてコードされていることが示された。ニジマスRTG-2細胞を用いたノーザンブロット解析により、致死的な熱ストレスを与えた細胞において、長さの異なる2種類のmRNAの蓄積がいずれのHsp70にも観察された。これらの結果からニジマスには重複したHsp70が存在し、熱ストレスの強さにより各mRNAの発現パターンが変化することが明らかとなった。

次に、Hsp70以外のHSPファミリー遺伝子につき、重複遺伝子を含めた包括的な探索を試みた。25℃、24時間の熱ストレス処理したRTG-2細胞からcDNAライブラリーを作製し、任意に200クローンを単離してそれらの塩基配列を決定した。その結果、Hsp90 a、Hsp90 b、Grp78、Hsp70a、Hsc70a、Hsc70b、Cct8、Hsp47、DnaJのホモログが単離された。これら遺伝子はRTG-2細胞のノーザンブロット解析により、単一バンドとして検出された。ただしHsp70aは上述と同様に、強い熱ストレス下で2本のmRNAのバンドが検出された。定量的RT-PCR解析により、Hsp70aとHsp70bのmRNA蓄積量は28℃、3時間の熱ショック後、それぞれ定常状態の480倍および510倍に増加することが示された。Hsc70a、Hsc70b、Hsp47のmRNA蓄積量は、それぞれ定常状態の1.3倍、2.8倍、1.6倍に増加した。以上の結果から、重複遺伝子間やHSPファミリー間でmRNAの発現特性に差異のあることが明らかとなった。

さらに、ニジマスにおけるHSPファミリー遺伝子の転写調節機構を明らかにするため、RTG-2細胞からHSFをコードするcDNAのクローン化を試みた。その結果、重複遺伝子と考えられる2つのHSF1(HSF1aおよびHSF1b)が同定された。サザンブロット解析により、HSF1aおよびHSF1bはゲノム上でそれぞれ異なる遺伝子としてコードされていることが示された。RT-PCR解析により、HSF1aとHSF1bのmRNAは非ストレス下のニジマス諸組織において共発現していることが明らかとなった。次にHSF1aにはヘマグルチニンタグ、HSF1bにはプロテインCタグを融合させる発現ベクターを構築し、in vitro転写・翻訳を行った。この翻訳産物を用いたゲルシフトアッセイにより、両HSF1はHSEコンセンサス配列の合成オリゴヌクレオチドに結合することが示された。また翻訳産物をEGSで化学的に架橋し、各エピトープタグに特異的な抗体を用いて免疫沈降を行ったところ、各HSF1のホモ3量体形成が確認され、さらにHSF1aとHSF1bのヘテロ3量体形成も観察された。これらの結果から、ニジマスではHSF1アイソフォームが2種類発現しており、その両方がHSPファミリー遺伝子の熱ストレス誘導性転写調節に関与していることが示唆された。

以上、本研究により、冷水性魚類ニジマスには重複遺伝子を介する独特な熱ストレス応答の分子機構が存在することが明らかとなった。また重複したHSPファミリー遺伝子やHSFを区別して検出することが初めて可能となった。本研究は魚類の増養殖に基礎的知見を与えるのみならず,今後さらに重複遺伝子の存在意義や種々のストレス因子の解明へと発展することが期待されることから,学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50124