学位論文要旨



No 216320
著者(漢字) 浅見,麻乃
著者(英字)
著者(カナ) アサミ,アサノ
標題(和) アミロイドβペプチドカルボキシ末端抗体を用いたβアミロイドの産生と蓄積に関する研究
標題(洋)
報告番号 216320
報告番号 乙16320
学位授与日 2005.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16320号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)の脳に特徴的な病理学的変化として出現する老人斑は、1回膜貫通型のアミロイド前駆体蛋白質(APP)から切り出される39-43アミノ酸残基の蛋白質断片アミロイドβペプチド(Aβ)を主な構成成分とする。AD脳から抽出されるAβにはC末端部の長さが異なる2種類の分子種、Aβ(1-40)とAβ(1-42)が含まれることが明らかになっていたが、両者の物理化学・生化学的性質とAD発症の関係は不明であった。

本研究ではまず、AβC末端部分の2-3アミノ酸残基の違いに注目し、異なるC末端を持つAβ分子種の産生・蓄積とAD発症の関係を明らかにすることを目的として、Val40で終わるAβ40とAla42で終わるAβ42を識別することのできるマウスモノクローナル抗体を樹立した。さらに、アミノ(N)末端側に対するマウスモノクローナル抗体を捕捉抗体として用いることにより、Aβ40とAβ42(43)を分別して定量できる高感度サンドイッチELISAを開発した。そして、C末端部の2アミノ酸残基の違いがもたらす物理化学的・生化学的変化とADの発症の関係を明らかにするため、上記のELISA測定系と抗体を用いて以下の研究を行った。

まず、野生型の哺乳類培養細胞が内因性のAPPを基質として産生するAβ分子種を同定することを目的として、ヒト神経芽細胞腫IMR-32細胞が分泌するAβの1次構造を解析した。質量分析の結果、最大のUVピークを与えたAβ(1-40)に加え、Aβ(1-40)の酸化物、Aβ(1-37)、Aβ(1-38)、Aβ(1-39)およびAβ(1-42)のシグナルが検出された。他の神経芽細胞腫やグリオーマ細胞株の分泌するAβもELISAを用いて検討した結果、IMR-32細胞と同様、ヒトまたはげっ歯類由来の培養細胞株からは主にAβ(1-40)が分泌されること、高い凝集性を持つAβ42(43)は分泌される総Aβ量の約10%を占めることを見出した。

家族性アルツハイマー病(FAD)をもたらすAPP遺伝子変異によるアミノ酸変異としてVal717(Aβの46位に相当)の置換(V717I、V717F、V717Gなど)が知られていたが、それらによるFADの発症機構は不明であった。そこで、これらのVal717変異が細胞のAβ産生に及ぼす効果を調べるため、種々の変異型APPを一過性発現させたヒト神経芽細胞腫M17細胞の培養上清中のAβ濃度をELISAによって定量した。その結果、Val717変異は、スウェーデン型変異とは異なり、総Aβ量を変化させることなく、Aβ42(43)の産生比率を1.5-1.9倍上昇させることがわかった。Val717変異は、γセクレターゼ切断部位のシフトをもたらし、高い凝集性を持つAβ42(43)の産生比率を増加させることにより、AD発症の原因となることを強く示唆した。(Suzuki et al., Science 264, 1336-1340, 1994)

AD脳の老人斑を構成するAβの分子種を調べるため、AβのC末端に特異的な抗体を用いてAD患者およびダウン症患者の脳の免疫組織化学を行った。AD患者の大脳皮質では、BS85抗体(抗Aβ25-35)陽性の老人斑は同じくBCO5抗体(抗Aβ42(43)C末端)にも陽性であったことから、Aβ42(43)はほぼすべての老人斑に含まれると考えられた。一方、BA27抗体(抗Aβ40C末端)陽性の老人斑は、成熟したコアを持つ老人斑や脳血管アミロイドに限られ、コアを持たない未成熟の老人斑は弱く染まるのみであったことから、Aβ40は老人斑の成熟に伴って蓄積することが予想された。AD脳病変の時系列を再現するダウン症脳の検討でも、アミロイド沈着の初期形態と考えられるびまん性老人斑はBCO5陽性でBA27陰性であったことから、Aβの蓄積は凝集性の高いAβ42(43)の沈着から始まると考えられた。(Iwatsubo et al., Neuron 13, 45-53, 1994; Ann Neurol 37, 294-9, 1995)

最後に、Aβ42(43)のC末端に特異的な抗体BCO5の受動免疫により、凝集性の高いAβ42(43)を脳内から選択的に除去することが可能かどうかを検討した。APP Tgマウス(Tg2576)に、Aβ蓄積開始前(3ヶ月齢)から蓄積進行期(12ヶ月齢)にかけて長期受動免疫(腹腔内投与、0.5mg/マウス/週、n=9-10)を行い、血漿中および脳内のAβレベルをコントロール群(マウスIgG投与群)と比較した。その結果、9ヶ月間連続投与後の血漿Aβ42(43)濃度はコントロール群の約44倍に上昇し(Aβ40濃度はコントロール群の70%程度に低下)、脳内可溶性Aβ42(43)レベルはコントロール群の156%に上昇した。また同時に脳内不溶性Aβレベルは、Aβ40が27.3%、Aβ42(43)が31.5%と低下傾向を示したことから、BCO5は脳内可溶性Aβ42レベルを上昇させつつ、脳からのAβの排出を促進する可能性が想定された。

以上の結果に基づき、本研究においてC末端部の2アミノ酸残基の違いがもたらすAβ42(43)の高い凝集性が、ADの発症に決定的な役割を果たすことを示し、Aβ40とAβ42(43)を高感度に分別して検出する方法を確立することによりADの病態生理の諸相を解明した。

審査要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)の脳には、細胞外のアミロイド線維の蓄積からなる老人斑、異常にリン酸化されたタウ蛋白質が細胞内に蓄積した神経原線維変化ならびに神経細胞死が特徴的な病理学的変化として出現する。老人斑の主要構成成分であるアミロイドβペプチド(Aβ)は、1回膜貫通型のアミロイド前駆体蛋白質(APP)から切り出されるアミノ酸39-43残基の蛋白質断片で、そのカルボキシ(C)末端側の11-15残基にはAPPの膜貫通部位が含まれるため、極めて疎水性の高い1次構造を持つ。AD脳から抽出されるAβにはC末端の異なる2種類の分子種、Aβ1-40とAβ1-42が含まれることが知られていたが、それらの物理化学・生化学的性質とAD発症の関係は不明であった。

本研究において、申請者はAβのC末端を識別する抗体ならびにAβ40,Aβ42を定量するELISA系を構築し、ADの病態解析ならびに抗Aβ抗体を用いた免疫療法の試みを行った。

Aβ部位特異的マウスモノクローナル抗体の樹立とAβ40、Aβ42分別定量系(サンドイッチELISA法)の開発

申請者はまず、 AβC末端部分の2-3アミノ酸残基の違いに注目し、異なるC末端を持つAβ分子種の産生・蓄積とAD発症の関係を明らかにすることを目的として、Val40で終わるAβ40とAla42で終わるAβ42を識別することのできるマウスモノクローナル抗体を樹立した。抗体の作製にあたっては、得られた抗体をプレートに固定し、HRP化した免疫原と液相中で反応させるスクリーニングを用いた。得られたモノクローナル抗体BA27(免疫原:Aβ1-40)はAβ40の、 BC05 (免疫原:Aβ35-43)はAβ42(43)のC末端部をそれぞれ特異的に認識した。さらに、同時に作製したアミノ(N)末端側に対するマウスモノクローナル抗体、BAN50(免疫原:ヒトAβ1-16)またはBNT77 (免疫原:Aβ11-28)を捕捉抗体として用いることにより、 Aβ40とAβ42(43)を分別して定量できる高感度サンドイッチELISAを開発した。すなわち、 BAN50またはBNT77を共通の1次(捕捉)抗体として固相化し、HRP標識したBA27,BC05を2次(検出)抗体として用いることによりそれぞれAβ40、Aβ42(43)を定量することが可能となった。BAN50を用いる系はヒトAβに特異的であるが、BNT77を用いる系はヒトAβとげっ歯類Aβの両者を測定できるため、正常ラット、マウス由来の組織抽出物や初代神経細胞の培養上清にも適用可能であった。また、総Aβ量の定量は同時に作製したBS85(免疫原:Aβ25-35)をHRP標識2次抗体として用いることにより可能となった。

APPコドン717の遺伝子変異による家族性アルツハイマー病の発症機構の解析

Aβ42の凝集性はAβ40のそれに比べ非常に高いことがin vitroの凝集実験から明らかにされ、老人斑沈着のseedとなる可能性が提唱された。そこで申請者はC末端部の2残基の違いがもたらす物理化学・生化学的変化とADの発症の関係を明らかにするため、上記のELISA測定系と抗体を用いて以下の研究を行った。家族性アルツハイマー病(FAD)をもたらすAPP遺伝子変異によるアミノ酸変異のうち、 K670N、 M671L (Aβの-1位、 -2位に相当)の二重変異(スウェーデン型)は、 Aβ40、 Aβ42両者の産生量を5-6倍上昇させることが報告され、Aβの絶対量の増加がAD発症の一因となることが示されていたが、 APP上にはこれらの変異以外にもFADの原因となるアミノ酸変異が他にも存在し、それらの変異によるFADの発症機構は不明であった。これらのAPPのアミノ酸変異のうちVal717(Aβの46位に相当)には、 V717I(ロンドン型)、 V717G、 V717Fなどの複数のFADの原因となる置換が報告された。そこで、これらのVal717変異が細胞のAβ産生に及ぼす効果を調べるため、種々の変異型APPを一過性発現させたヒト神経芽細胞腫M17細胞の培養上清中のAβ濃度を、ELISAを用いて測定した。その結果、Val717変異は、スウェーデン型変異とは異なり、総Aβ量を変化させることなく、Aβ42(43)の産生比率を1.5-1.9倍上昇させることがわかった。高い凝集性を持つAβ42(43)の産生比率の増加がADの発症の原因となることが強く示唆された。

ヒト神経芽細胞腫IMR-32細胞の培養上清に存在するAβの生化学的・免疫化学的解析

生体内において生理的条件下で産生されるAβ分子種の量や比率の詳細は不明であった。そこで、野生型の哺乳類培養細胞が産生するAβ分子種を同定することを目的として、ヒト神経芽細胞腫IMR-32細胞が分泌するAβの一次構造を解析した。培養上清中のAβをBAN052抗体(免疫原:ヒトAβ1-16)を結合した抗体カラムで回収し、ゲルろ過HPLCおよび逆相HPLCで分離したのち、ELISAでAβ反応性が確認された画分について、マススペクトロメトリー(MS)を用いて分析した。BAN50/BA27 ELISAの陽性画分のうち、最も大きなピークからAβ1-40のMSシグナルが検出され、その他のピークからはAβ1-40の酸化物およびAβ1--37、 Aβ1-38、 Aβ1-39のシグナルが検出された。またBAN50/BC05 ELISAの陽性画分からは、 Aβ1-42のシグナルが検出された。他の神経芽細胞腫やグリオーマ細胞株の分泌するAβもELISAを用いて検討した結果、IMR-32細胞と同様、ヒトまたはげっ歯類由来の培養細胞株は主にAβ1-40が分泌されること、高い凝集性を持つAβ42(43)は分泌される総Aβ量の約10%を占めることを見出した。

アルツハイマー病患者脳におけるAβ沈着機序の免疫化学的解析

AD脳の老人斑を構成するAβの分子種を調べるため、AβのC末端に特異的な抗体を用いてAD患者およびダウン症患者の脳の免疫組織染色を行った。AD患者の大脳皮質では、BS85抗体(抗Aβ25-35)陽性の老人斑は同じくBC05抗体(抗Aβ42(43) C末端)にも陽性であったことから、 Aβ42(43)はほぼすべての老人斑に含まれると考えられた。一方、 BA27抗体(抗Aβ40 C末端)陽性の老人斑は、成熟したコアを持つ老人斑などに限られ、 BS85陽性斑の約3分の1を占めた。また、 BA27陽性の成熟した老人斑ではコアの部分がより強く染色され、コアを持たない未成熟の老人斑は弱く染まるのみであったことから、Aβ40は老人斑の成熟に伴って蓄積することが予想された。AD脳病変の時系列を再現するダウン症脳の検討でも、アミロイド沈着の初期形態と考えられるびまん性老人斑はBC05陽性でBA27陰性であったことから、Aβの蓄積は凝集性の高いAβ42(43)の沈着から始まると考えられた。さらにAPP上にV717I変異を有するFAD患者大脳皮質(2例)を調べた結果、老人斑の大部分はBC05陽性でBA27陰性であった。大脳皮質におけるBA27陽性斑の占有面積率は孤発性AD脳で1.4% (n=10)であったのに対し、 FADでは0.14% (n=2)と極めて低く、 APPのコドン717の変異ではin vitroのみならずin vivoにおいても凝集性の高いAβ42(43)の産生、沈着が優位になることが分かった。

Aβ42(43)のC末端に特異的なBC05抗体の受動免疫によるアルツハイマー病抗体療法に関する検討

ADの新規治療法として近年開発されたAβワクチンは、 APP Tgマウス脳のAβ蓄積を劇的に減少させ、認知機能の改善をもたらしたことからヒトでの有用性が期待されたが、臨床治験は、自己免疫性脳炎の副作用によって中断された。このため有効かつ安全なAD免疫療法の開発は、 AD治療研究における重要課題である。ワクチン療法に引き続き抗Aβ抗体の輸注による受動免疫法が検討されたが、その多くはAβのN末端に対する抗体の有効性が強調され、 Aβ C末端に対する抗体はほとんど検討されてこなかった。そこで、Aβ42(43)のC末端に特異的な抗体BC05の受動免疫により、凝集性の高いAβ42(43)の選択的なクリアランスが可能かどうかを検討した。APP Tgマウス(Tg2576)のAβ蓄積開始前(3ケ月齢)から蓄積進行期(12ケ月齢)にかけての長期受動免疫(腹腔内投与、0.5 mg/マウス/週、 n=9-10)を行い、血漿中および脳内のAβレベルをコントロール群(マウスIgG投与群)と比較した。その結果、9ケ月間連続投与後の血漿Aβ42(43)濃度はコントロール群の約44倍に上昇し(Aβ40濃度はコントロール群の70%程度に低下)、脳内可溶性Aβ42(43)レベルはコントロール群の156%に上昇した。また同時に脳内不溶性Aβレベルは、Aβ40が27.3%、Aβ42(43)が31.5%と低下傾向を示したことから、 BC05は脳内可溶性Aβ42レベルを上昇させつつ、脳からのAβの排出を促進する可能性が想定された。ビオチン化BC05の腹腔内投与24時間後には、投与した抗体の約0.023%が脳内に移行することを確認し、このBC05連続投与効果の一部は、脳内に移行したBC05が直接作用した結果と思われた。また、血漿Aβ42(43)濃度の高度の上昇は、 BC05による脳内からの排出、および血中に存在するBC05による血中Aβ42(43)の代謝安定化の結果と考えた。

以上のごとく、本研究において申請者はAβ C末端部分の2残基の違いを識別するモノクローナル抗体を樹立し、 C末端長がわずかに異なるAβ40,42(43)分子種を高感度に分別定量可能なサンドイッチELISA法を開発した。これらを用いて、APP Val717の変異は高い凝集性を持つAβ42(43)の産生比率を増加させることによりFADを発症させることを見出した。また、生理的条件下の培養細胞からのAβ42(43)の産生比率は、産生Aβ総量の約10%に過ぎないが、AD脳におけるAβの蓄積は高い凝集性を持つAβ42(43)から開始されることを明らかにした。さらに、 Aβ42(43)のC末端に特異的なBC05抗体の受動免疫による脳内Aβ42(43)の選択的な除去により、トランスジェニックマウス脳におけるAβの蓄積量の減少を確認し、 AD治療法としての応用の可能性を提示した。

以上のごとく、本研究はC末端部の2アミノ酸残基の違いがもたらすAβ42(43)の高い凝集性が、 ADの発症に決定的な役割を果たすことを示し、 Aβ40とAβ42(43)を分別的に検出することによりその病態生理の諸相を解明したものであり、ADの病態解明に大きな進歩をもたらした画期的な成果を含むものである。このため、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49024