学位論文要旨



No 216321
著者(漢字) 小西,敦
著者(英字)
著者(カナ) コニシ,アツシ
標題(和) 外界ストレスによる血管平滑筋細胞のシグナル伝達制御機構の解析
標題(洋) Analysis of Signal Transduction Mechanisms Medulated by Environmental Stress in Vascular Smooth Muscle Cell
報告番号 216321
報告番号 乙16321
学位授与日 2005.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16321号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

動脈硬化などの血管病変の病因の一つに、血管平滑筋細胞の増殖、遊走、および生理活性タンパクの産生亢進があげられる。これらの平滑筋細胞の機能的変化は、血管内皮の機能障害とあいまって、病変局所への平滑筋細胞の遊走と増殖をもたらし、血管内腔の閉塞を引き起こすと考えられている。こうした血管平滑筋細胞の形質的な変化は、angiotensin II(AngII)などの血管作動性物質による刺激によってもたらされるが、同時に高血糖やH2O2といった外界ストレスによる影響も強く受けることが知られている。またこのことは、高血糖とH2O2産生の亢進が認められる糖尿病患者において、より顕著に血管病変が進展する大きな要因の一つとなっている。したがって、これらの外界ストレスが血管平滑筋細胞のシグナル伝達に及ぼす影響の機構を解明することによって、糖尿病性の血管合併症の進展を抑制する新たなドラッグターゲットを見出すことが期待できる。

本研究は、血管平滑筋の情報伝達経路に対するGlucoseおよびH2O2が与える影響を2つの仮説から検討し、糖尿病性血管障害の機構を解明することを目的とした。すなわち第1章においては、高Glucoseが細胞増殖・遊走因子であるAngIIの細胞内シグナルを増強するという仮説を検証し、そのメカニズムがAngII下流シグナルであるEGFRのN-glycosylationの違いに起因するという新たな知見を見出した。また第2章においては、酸化ストレスの一つであるH2O2がレセプターチロシンキナーゼであるAxlを直接活性化するという仮説のもとに、血管障害モデルにおけるAxlの重要性を明らかにした。

GlucoseによるEGFR transactivationシグナルの制御

血管平滑筋初代培養細胞は、その応答がGlucoseに極めて敏感であることが知られている。事実多くの報告において、細胞の刺激に対する反応性が良いという理由で、高Glucose(25 mM以上,糖尿病での血中濃度に相当)下の条件で血管平滑筋の生理機能が研究されているが、その原因は明らかではない。一方で動脈硬化病変の進展にはAngIIが深く関わっており、殊に糖尿病においてその降圧作用とは別に、angiotensin converting enzyme阻害剤やangiotensin receptor blockerが直接的に血管障害を抑制することが、臨床試験の結果からわかっている。そこで本章では、血管平滑筋におけるAngIIの細胞内シグナル伝達において、Glucoseによって制御されるターゲット分子の存在を仮定し、その分子を同定するとともに制御のメカニズムを明らかにすることを目的とした。

GlucoseがAngIIおよびEGFの下流シグナルに与える影響

培養血管平滑筋細胞をAngIIおよびEGFで刺激し、経時的に下流シグナルであるAktおよびERK-1/2のリン酸化を調べたところ、刺激依存的にGlucoseの影響が現れることを見出した。すなわちEGF刺激によるシグナル伝達は低Glucose (5.5 mM, LG),高Glucose (27.5 mM, HG)による影響を受けないが、AngII刺激によるAkt, ERK-1/2の活性化は、HGで強く増強される、あるいはLGで抑制されることが明らかとなった(図1)。

GlucoseによるEGFR分子種の変化

AngIIによるAkt, ERK-1/2のリン酸化は、その50%以上がEGFRの活性化を介することが知られている。そこでAngIIレセプター(AT1R)およびEGFRをWestern Blotで解析したところ、AT1Rには変化がみられなかったが、EGFRではLGで145 kDa, 170 kDaの2分子種、HGで170 kDaの1分子種が発現していることを見出した。分子種の変換は培地中のGlucose濃度に依存して経時的に変化し、かつ可逆であった。また、EGFRと同様にレセプター型チロシンキナーゼとして知られるPDGFRについても調べたところ、glucose濃度によって分子量が変化することは無く、EGFRに特有の現象である可能性が示唆された。一方、Peptide N-glycanase F処理による解析から、HG,LGでの分子量の違いはN-glycosylationによるものと考えられた。また細胞内の局在について細胞表面のビオチン化を用いて調べたところ、145 kDa, 170 kDaどちらのEGFRも細胞膜表面に存在しており、未熟な形で細胞内に保持されているのではないことが確認された。

EGFR分子種の変化にともなう刺激依存的な自己リン酸化の変化

レセプターリガンドであるEGF以外に、AngIIによってもEGFRは自己リン酸化を起こし、活性化することが知られている(transactivation)。そこでGlucoseによるリガンド刺激依存的なシグナルのモジュレーションが、EGFRの分子種の変化によるものであるかを確認するために、EGFRのチロシンリン酸化を調べた。前述のAkt, ERK-1/2の結果と一致して、LG培地下で主に発現している145 kDa EGFRは、EGF刺激によってリン酸化を惹起したが、AngII刺激では全くリン酸化がみられなかった。これに対してHG培地下で主に発現している170 kDa EGFRはEGF, AngIIどちらの刺激によっても、チロシンリン酸化を引き起こした(図2)。

他のGPCRリガンドであるThrombin, Sphingosine-1 phosphateもAngIIと同様に170 kDa EGFRをリン酸化したが、145 kDa EGFRには影響を及ぼさなかった。一方EGFRのリガンドとして知られるHB-EGFおよびTGF-aはどちらのEGFRのリン酸化も惹起した。これらのことから、2つのEGFR分子種はtransactivationシグナルの伝達において、異なる機能を有している可能性が考えられた。

以上のことから、血管平滑筋細胞は,培地中のGlucose濃度に依存して145 kDaおよびの170 kDa2種のEGFR isoformを発現すること、またその分子量の違いはN-glycosylationの違いに起因しているが、両者とも細胞膜上に局在してEGFからのシグナルを受けることが明らかとなった。またN-glycosylationの違いは、EGFRのtransactivationに明確な影響を及ぼし、170 kDa EGFRのみがGPCR刺激によって活性化されることがわかった。

H2O2によるAxlシグナルの活性化

Axlは、血管平滑筋細胞や腎メサンギウム細胞に発現しているレセプター型チロシンキナーゼであり、血管障害モデルや糖尿病性腎症モデルにおいて、その発現の亢進が報告されている。AxlはリガンドであるGas6の結合によって自己リン酸化を引き起こし、細胞増殖、遊走、細胞死抑制などの生理機能を制御する。Gas6の発現も病態において上昇していることが報告されているが、その由来やメカニズムは明らかではない。一方で、H2O2を含む酸化ストレスの産生が動脈硬化病変の病態局所で亢進しており、その進行に重要であることは数多く報告されており、PDGFRなどのレセプター型チロシンキナーゼの活性化が、そのメカニズムの一つとして提唱されている。

本章では、AxlもPDGFRなどと同様にH2O2によって活性化するという仮説をin vitro, ex vivoの系において検証した。また血管障害モデルにおいてAxlが活性化していることを実証し、その抑制によって血管障害病変を軽減しうることを、動物モデルを用いて明らかにした。

H2O2によるレセプター型チロシンキナーゼAxlの自己リン酸化

培養血管平滑筋細胞をH2O2で刺激後、経時的にAxlの自己リン酸化を調べたところ、3-5分をピークとした強い活性化が認められた(図3)。この活性化は用量依存的であり、EC50はおよそ500 mMであった。内因性リガンドであるGas6に対して中和的に作用するAxl-FcおよびGas6の転写後修飾を阻害して不活性化するとされるwarfarin処理によって、H2O2による活性化は約50%阻害された。すなわち、H2O2による活性化は一部内因性のGas6の放出を介しており、この部分を阻害することによって活性化をコントロールできる可能性が示唆された。

摘出血管を用いたAxlリン酸化と下流シグナルへの影響

培養細胞においてみられたH2O2によるAxlの活性化が、生体内においても起こりうる現象であることを確認するために、ラットの大動脈を摘出し、in vitroでH2O2処理を行い、経時的にAxlのリン酸化を調べた。その結果、培養細胞と同様に5分をピークとするリン酸化が認められた。

病態モデルにおけるAxlリン酸化とその意義

血管障害モデルの一つであるラット頚動脈Balloon傷害モデルにおいて、Axlの発現が増加することが知られている。またこのモデルにおいては、酸化ストレスの亢進が重要なメカニズムであり、酸化ストレス産生を阻害することで血管病変、すなわち新生内膜の肥厚を抑制しうることが報告されている。同モデルにおいてAxlの活性化がみられるかどうか、またその活性化がin vitroと同様にwarfarin投与によって抑制されるかどうかを調べた。Balloonによる傷害後7日目のラット頚動脈において、Axlの発現亢進と同時にリン酸化の亢進が認められた。またこのリン酸化の亢進は、warfarin投与によって有意に抑制された。

さらに、血管障害におけるAxlの役割を明らかにするために、Axl-/-マウスを用いた動物病態モデル(大腿動脈cuff傷害モデル)の検討を行った。マウスの大腿動脈にcuffをかぶせることで障害を与え、14日後に血管組織の増殖を調べたところ、Axl+/+マウスに比べ、-/-マウスでは80%の内膜肥厚が抑制されていることがわかった(図4)。

以上の結果から、血管平滑筋細胞上のAxlは、in vitroおよびin vivoの系においてH2O2刺激によって用量依存的かつ時間依存的に活性化することが明らかとなった。さらにin vivo血管障害モデルの病態局所においてAxlは活性化しており、Axl分子を除去した系においては、血管病変の進展が抑制されることが判明した。すなわち、血管障害後の血管平滑筋の増殖・遊走におけるAxlの発現およびリン酸化の亢進は、病態の進展に極めて重要であり、Axlのリン酸化をコントロールすることで動脈硬化などの血管病変の進展を抑制することができると考えられる。

本研究によって血管平滑筋の情報伝達経路において、EGFRおよびAxlのシグナル伝達がGlucose, H2O2という糖尿病における外界ストレスの影響を強く受けること、およびこれらの伝達機構を制御することによって、血管平滑筋の増殖・遊走を抑制しうる可能性が示唆された。よって本研究は、糖尿病性血管障害の進展を阻止する治療法の確立に糸口を与えるものとして、有用と考えられる。

図1 グルコースによるAngII下流シグナル伝達の変化

図2 EGF,AngIIによるEGFRのチロシンリン酸化

図3 H2O2によるAxlのチロシンリン酸化

図4 血管障害におよぼすAxl-1-genotyoeの影響

審査要旨 要旨を表示する

「Analysis of Signal Transduction Mechanisms Modulated by Environmental Stress in Vascular Smooth Muscle Cell:外界ストレスによる血管平滑筋細胞のシグナル伝達制御機構の解析」と題する本研究では、糖尿病性血管病変の分子機構を、血管平滑筋細胞に焦点を絞って追求した結果が述べられている。グルコース及び過酸化水素が、血管平滑筋の生存と機能に影響する分子機構を、それぞれレセプター分子であるEGFRとAxlに注目して解析した。これらの結果がChapter l及び2であり、General IntroductionとGeneral Discussionがその前後に述べられている。

General Intruductionでは、背景となる事実が述べられている。要約すると、動脈硬化などの血管病変の病因の一つに、血管平滑筋細胞の増殖、遊走、および生理活性タンパクの産生冗進があげられ、これらの平滑筋細胞の機能的変化は、血管内皮の機能障害とあいまって、病変局所への平滑筋細胞の遊走と増殖をもたらし、血管内腔の閉塞を引き起こすことが述べられている。さらに、平滑筋細胞の機能的変化は、高血糖や過酸化水素などの外界ストレスによる影響も強く受け、両者の冗進が認められる糖尿病患者において、より顕著に血管病変が進展する大きな要因の一つとなっていることが、簡潔に述べられている。

第1章においては、高グルコース状態が細胞増殖・遊走因子であるAngiotensin IIの細胞内シグナルを増強するという仮説を検証することを目標に研究が行われ、そのメカニズムがAngiotensin II下流シグナルであるEGFRのN-glycosylationの違いに起因するという新たな知見を見出したことが述べられている。

血管平滑筋初代培養細胞は、その応答が培地中のグルコースに極めて敏感であることが知られていたので、血管平滑筋におけるAngiotensin IIの細胞内シグナル伝達において、グルコースによって制御されるターゲット分子の存在を仮定し、その分子を同定するとともに制御のメカニズムを明らかにすることを目的とした。培養血管平滑筋細胞をAngiotensin IIおよびEGFで刺激し、経時的に下流シグナルであるAktおよびERK-1/2のリン酸化を調べたところ、EGF刺激によるシグナル伝達は低グルコース(5.5mM)、高グルコース(27.5mM)による影響を受けないが、Angiotensin II刺激によるAktとERK-1/2の活性化は、高グルコース状態で強く増強される、あるいは低グルコースで抑制されることが明らかにされた。Angiotensin IIレセプターおよびEGFRをWesternBlottingで解析したところ、Angiotensin IIレセプターには変化がみられなかったが、EGFRでは低グルコースで145kDa、 170kDaの2分子種、高グルコースで170kDaの1分子種が発現していることを見出した。分子種の変換は培地中のグルコース濃度に依存して経時的に変化し、かつ可逆であり、EGFRに特異的な変化であった。PeptideN-glycanaseF処理による解析から、分子量の違いはN-glycosylationによるものと判明した。低グルコース下で主に発現している145kDaEGFRは、EGF刺激によってリン酸化を惹起したが、Angiotensin II刺激では全くリン酸化がみられなかった。これに対して高グルコース下で主に発現している170kDaEGFRはEGF、Angiotensin IIどちらの刺激によっても、チロシンリン酸化を引き起こした。他のGPCRリガンドであるThrombin,Sphingosine-1 phosphateもAngiotensin IIと同様に170kDaEGFRをリン酸化したが、145kDaEGFRには影響を及ぼさなかった。一方EGFRのリガンドとして知られるHB-EGFおよびTGF-αはどちらのEGFRのリン酸化も惹起した。これらのことから、N-glycosylationの異なる2つのEGFR分子種はtransactivationにおいて、異なる機能を有していることが明かとなった。本研究は、細胞外のグルコース濃度によってレセプター型チロシンキナーゼ分子のN-glycosylationが制御されその結果がtransactivationに大きな影響を与えるという、レセプターの機能調節における新たなパラダイムを提案する発見である。

第2章においては、学位申請者は過酸化水素が血管平滑筋細胞に発現しているレセプターチロシンキナーゼであるAxlを直接活性化するという仮説をたてた。AxlはリガンドであるGas6の結合によって自己リン酸化を引き起こし、細胞増殖、遊走、細胞死抑制などの生理機能を制御することが知られていたので、Axlが過酸化水素によって活性化すれば、平滑筋細胞のストレス応答におけるこのメカニズムの重要性を検証できると考えた。培養血管平滑筋細胞を過酸化水素で刺激後、経時的にAxlの自己リン酸化を調べたところ、3-5分をピークとした強い活性化が認められた。この活性化は用量依存的であり、過酸化水素による活性化は一部内因性のGas6の放出を介しており、この部分を阻害することによって活性化をコントロールできる可能性が示唆された。

培養細胞においてみられた過酸化水素によるAxlの活性化が、生体内においても起こりうる現象であることを確認するために、ラットの大動脈を摘出し、in vitroで過酸化水素処理を行い、経時的にAxlのリン酸化を調べた結果、培養細胞と同様に5分をピークとするリン酸化が認められた。さらに、血管障害モデルの一つであるラット頚動脈Balloon傷害モデルにおいて、Axlの活性化がみられるかどうかを調べた。Balloonによる傷害後7日目のラット頚動脈において、Axlの発現冗進と同時にリン酸化の冗進が認められた。またこのリン酸化の冗進は、warfarin投与によって有意に抑制された。さらに、血管障害におけるAxlの役割は明らかでなかったので、Axl-/-マウスの大腿動脈にcuffをかぶせることで障害を与え、14日後に血管組織の増殖を調べた。Axl+/+マウスに比べ、-/-マウスでは80%の内膜肥厚が抑制されていることがわかった。すなわち、in vivo血管障害モデルの病態局所においてAxlは活性化しており、Axl分子を除去した系においては、血管病変の進展が抑制されることが判明した。血管障害後の血管平滑筋の増殖・遊走におけるAxlの発現およびリン酸化の冗進は、病態形成に極めて重要であり、Axlのリン酸化をコントロールすることで動脈硬化などの血管病変の進展を抑制することができる可能性がある。

本研究によって血管平滑筋細胞において、EGFRおよびAxlのシグナル伝達がグルコース及び過酸化水素という糖尿病において冗進している外界ストレスの影響を強く受けること、およびこれらの伝達機構を制御することによって、血管平滑筋の増殖・遊走を抑制する可能性が示された。本研究は、血管平滑筋のシグナル生物学、糖鎖生物学として重要であると共に、糖尿病性血管障害の進展を阻止する治療法の確立に糸口を与えるものとして、創薬的な見地からも高く評価されると考えられる。よって、本研究を行なった小西敦は博士(薬学)の学位を受けるにふさわしいと判断した。

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