学位論文要旨



No 216328
著者(漢字) 佐藤,徹治
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,テツジ
標題(和) 交通プロジェクト評価の現状と課題を踏まえた帰着便益計測手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 216328
報告番号 乙16328
学位授与日 2005.09.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16328号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,孝行
 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 教授 桑原,雅夫
 東京大学 教授 原田,昇
 東京大学 教授 森杉,壽芳
内容要旨 要旨を表示する

近年、厳しい財政的な制約の下、地方部の高速道路等の交通施設整備の必要性の有無が活発に議論される中、交通プロジェクト評価は大きな脚光を浴びている。本研究は、最近の社会的ニーズに対応した交通プロジェクト評価に関する実務的要請を整理した上で、既存の評価手法の特徴と課題を示し、その課題を克服でき、かつ実務的要請に答えることができる新たな実用的効果計測手法の提案を行うことを目的としている。さらに、提案した手法を首都圏の交通施設整備プロジェクトに適用した実証例を示し、実証的な枠組みを提示している。

交通プロジェクト評価における最近の実務的要請としては、特に、アウトプット項目の多様性、情報公開に対応した信頼性、効果計測の簡便性の3点を満たすことが重要視されている。アウトプット項目の多様性については、時系列の帰着便益や雇用への影響、地域間・世代間における受益と費用負担の公平性といった多様なアウトプットの提示が要請されている。情報公開に対応した信頼性については、従来以上に評価手法の諸仮定やテクニカルな面での信頼性が不可欠となっているおり、これを満たすためには、例えば、観測可能な経済変数(総生産、所得等)の良好な現況再現性が必要とされる。一方、効果計測の簡便性については、基本的にすべての交通施設整備に対してプロジェクト評価が求められる現状において、あらゆる実務担当者が迅速かつ容易に効果計測可能であることが要請されている。しかし、多様性および信頼性と簡便性とは基本的にはトレード・オフの関係にあるため、多様性および信頼性を満たす厳密な手法と簡便性を満たす簡易的手法の両面からの手法開発が必要となる。

本論文の第2章では、もっとも一般的な交通施設整備の効果計測手法である伝統的MD分析の概要および課題を整理した上で、大規模な交通施設整備プロジェクトの評価を対象とした帰着ベースの効果計測手法である応用一般均衡モデルおよびマクロ計量経済モデルを取り上げ、理論的、実証的な特徴比較、国民経済レベルでのシミュレーション比較を行うことにより、それぞれの特徴、課題等を詳細に検討している。この結果、伝統的MD分析の課題としては、計測されるのが発生側の利用者便益のみであり帰着便益を計測することができないこと、非市場的項目の便益が計測できないこと等が挙げられている。応用一般均衡モデルの基礎理論であるワルラス型一般均衡理論とマクロ計量経済モデルの基礎理論であるケインズ理論を静学的な観点で比較すると、その違いは、投資が独立的に決定されるか否か、労働市場における不均衡(失業)が存在するかどうか、実質賃金が硬直的かどうか、の3点に集約される。応用一般均衡モデルの課題としては、交通施設整備による時系列的な効果や雇用へ影響を把握できないこと、他地域への通勤や他地域での買い物といった複雑な交通行動のモデル化が実証分析上は困難であること、発生ベースの便益計測と比較してモデル構築に多大な労力を必要とするためすべてのプロジェクト評価に用いることは困難であること等が挙げられる。また、応用一般均衡モデルを動学的に拡張した動学的応用一般均衡モデルについては、時系列的な現況再現性に問題がある。一方、マクロ計量経済モデルについては、経済主体別の帰着便益を計測できないこと、交通利用者便益と整合的でないこと等が課題として挙げられる。本論文では、これらの既存手法の課題および最近の実務的要請に対処するため、第3章から第5章において、3つの新たな実用的な間接効果(帰着便益)の計測手法を提案している。

第3章では、伝統的MD分析が発生ベースの便益のみしか計測できないこと、すべてのプロジェクト評価に対して応用一般均衡モデルを構築することが困難である実情を踏まえ、発生ベースの便益が計測されたすべての交通施設整備プロジェクトに適用可能な帰着便益の簡易計測手法を開発すること、すなわち帰着ベースの効果計測の簡便性向上を意図した。具体的には、伝統的MD分析によって計測された発生ベースの便益およびマクロ生産関数のパラメータを用いて経済主体別の帰着便益を導出し、これを既存の統計データを用いて地域別に分解することにより、地域別の便益帰着構成表を簡易的に作成する手法を提案している。なお、本手法あるいは応用一般均衡モデルによって計測される交通施設整備の効果は、通常、名目価格体系で表されるため、交通施設整備によって家計の所得が減少するなど一般的な感覚と合致しない場合があり、実務的には問題となる。そこで、各便益項目について、名目価格体系をある時点の財の価格を基準とする実質価格体系に変換する方法を提案し、一般的な感覚と合致する実質価格ベースの便益帰着構成表の作成方法を示した。本章の手法は、交通利用者便益が計測されているすべての交通プロジェクトに適用可能であるため、アウトプットされる地域別の帰着便益を用いて、各地域の費用負担割合の検討や費用負担制度の見直しの検討等に活用することができる。

第4章では、一般的な地域マクロ計量経済モデルの概要を整理した後、マクロ計量経済モデルは交通施設整備による経済指標(総生産、所得、雇用等)への影響を計測できるが、交通利用者便益と整合的でなく、帰着便益を計測できないという課題の克服を試みた。具体的には、まず、交通利用者便益が近似的に交通需要とマクロ計量経済モデルの変数である交通近接性で表現できることを示した上で、交通需要関数をモデルに組み入れることにより、交通利用者便益との整合を考慮したマクロ計量経済モデルを構築している。次に、マクロ計量経済モデルによるアウトプットである民間消費支出および民間住宅投資を用いた効用関数を定義することにより、マクロ計量経済モデルのシミュレーション結果を用いて、長期時系列における帰着便益が導出可能であることを示し、便益帰着構成表の作成方法を示している。本章の手法、すなわち現況再現性が非常に良好なマクロ計量経済モデルによって計測される長期時系列の各年次の交通利用者便益や帰着便益は、これらを世代別に集計することにより、世代間公平性の検証、借入金の割合や償還計画の再検討等に活用可能である。

第5章では、一般的な応用一般均衡モデルおよび動学的応用一般均衡モデルの考え方、不均衡理論の研究動向について概観した後、応用一般均衡モデルが雇用への影響を計測できない、従来の新古典派的な動学的応用一般均衡モデルで推計されるマクロ経済変数の現況再現性が悪い、といった課題に対処することを試みた。具体的には、応用一般均衡モデルとマクロ経済関数(雇用関数、民間設備投資関数および民間資本ストック関数)を組み合わせ、時系列的な就業者数の変化および独立的な民間設備投資による民間資本の蓄積、すなわち、労働と資本の不均衡的蓄積を考慮することにより、交通施設整備による雇用への影響を計測でき、従来のモデルと比較して現況再現性に優れた信頼性の高い動学的応用一般均衡モデルを提案している。また、首都圏1都3県の交通施設整備プロジェクトを対象とし、従来の新古典派的な動学的応用一般均衡モデルとの比較を行った実証分析の結果から、通常の応用一般均衡モデルや新古典派的な動学的応用一般均衡モデルを用いたプロジェクト評価は過小評価になる可能性があることが示された。応用一般均衡モデルは、一般的に地域区分等を比較的細かく設定できることから、本章の手法を空間的なモデルに拡張することにより、地域間世代間の公平性の検証、費用負担制度および費用負担計画の検討に活用することができる。

なお、第5章で提案している労働と資本の不均衡的蓄積を考慮した動学的応用一般均衡モデルは、経済諸変数の現況再現性において、一般的な動学的応用一般均衡モデルよりは優れるものの、マクロ計量経済モデルには及ばない。これは、応用一般均衡モデルでは、マクロ計量経済モデルでは必ず考慮される域外との取引等のいくつかの需要項目が捨象されているためである。したがって、長期の時系列的な帰着便益の計測に際し、現況再現性が最重要視される場合には、第4章で提案したマクロ計量経済モデルによる評価の選択が最善であろう。一方、応用一般均衡モデルには、厳密な意味でミクロ経済学的基礎に基づいていること、交通施設整備による余暇時間の増加を効果として捉えることができるといった長所がある。したがって、これらが重視される場合には、第5章の労働と資本の不均衡的蓄積を考慮した動学的応用一般均衡モデルの適用が有用であると考える。

最後に、第6章において、研究の成果をとりまとめた後、今後のプロジェクト評価のあり方として、なるべく多くの評価項目を対象とした評価手法の定型化と定型化手法による迅速かつ簡易な評価、極力現実の経済システムや個別プロジェクトの特徴を踏まえた非定型化手法による厳密かつ多様な評価という2つの方向性を示し、それぞれの具体的な課題を提示して、本論文の結びとしている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,最近の社会的ニーズに対応した交通プロジェクト評価に関する実務的要請を整理した上で,既存の評価手法の特徴と課題を示し,その課題を克服でき,かつ実務的要請に答えることができる新たな実用的効果計測手法の提案を行うことを目的としている.さらに,提案した手法を首都圏の交通施設整備プロジェクトに適用した実証例を示し,実証的な枠組みを提示している.

第1章では,交通プロジェクト評価における最近の実務的要請としては,特に,アウトプット項目の多様性,情報公開に対応した信頼性,効果計測の簡便性の3点を満たすことが重要視されていることを指摘し,それぞれを次のように整理している.アウトプット項目の多様性については,時系列の帰着便益や雇用への影響,地域間・世代間における受益と費用負担の公平性といった多様なアウトプットの提示が要請されている.情報公開に対応した信頼性については,従来以上に評価手法の諸仮定やテクニカルな面での信頼性が不可欠となっているおり,これを満たすためには,例えば,観測可能な経済変数(総生産,所得等)の良好な現況再現性が必要とされる.一方,効果計測の簡便性については,基本的にすべての交通施設整備に対してプロジェクト評価が求められる現状において,あらゆる実務担当者が迅速かつ容易に効果計測可能であることが要請されている.しかし,多様性および信頼性と簡便性とは基本的にはトレード・オフの関係にあるため,多様性および信頼性を満たす厳密な手法と簡便性を満たす簡易的手法の両面から手法開発が必要となる.

本論文の第2章では,もっとも一般的な交通施設整備の効果計測手法である伝統的MD分析の概要および課題を整理した上で,大規模な交通施設整備プロジェクトの評価を対象とした帰着ベースの効果計測手法である応用一般均衡モデルおよびマクロ計量経済モデルを取り上げ,理論的,実証的な特徴比較,国民経済レベルでのシミュレーション比較を行うことにより,それぞれの特徴,課題等を詳細に検討している.本論文では,これらの既存手法の課題および最近の実務的要請に対処するため,第3章から第5章において,3つの新たな実用的な間接効果(帰着便益)の計測手法を提案している.

第3章では,伝統的MD分析が発生ベースの便益のみしか計測できないこと,すべてのプロジェクト評価に対して応用一般均衡モデルを構築することが困難である実情を踏まえ,発生ベースの便益が計測されたすべての交通施設整備プロジェクトに適用可能な帰着便益の簡易計測手法を開発すること,すなわち帰着ベースの効果計測の簡便性向上を意図した.具体的には,伝統的MD分析によって計測された発生ベースの便益およびマクロ生産関数のパラメータを用いて経済主体別の帰着便益を導出し,これを既存の統計データを用いて地域別に分解することにより,地域別の便益帰着構成表を簡易的に作成する手法を提案している.なお,本手法あるいは応用一般均衡モデルによって計測される交通施設整備の効果は,通常,名目価格体系で表されるため,交通施設整備によって家計の所得が減少するなど一般的な感覚と合致しない場合があり,実務的には問題となる.そこで,各便益項目について,名目価格体系をある時点の財の価格を基準とする実質価格体系に変換する方法を提案し,一般的な感覚と合致する実質価格ベースの便益帰着構成表の作成方法を示した.本章の手法は,交通利用者便益が計測されているすべての交通プロジェクトに適用可能であるため,アウトプットされる地域別の帰着便益を用いて,各地域の費用負担割合の検討や費用負担制度の見直しの検討等に活用することができる.

第4章では,一般的な地域マクロ計量経済モデルの概要を整理した後,マクロ計量経済モデルは交通施設整備による経済指標(総生産,所得,雇用等)への影響を計測できるが,交通利用者便益と整合的でなく,帰着便益を計測できないという課題の克服を試みた.具体的には,まず,交通利用者便益が近似的に交通需要とマクロ計量経済モデルの変数である交通近接性で表現できることを示した上で,交通需要関数をモデルに組み入れることにより,交通利用者便益との整合を考慮したマクロ計量経済モデルを構築している.次に,マクロ計量経済モデルによるアウトプットである民間消費支出および民間住宅投資を用いた効用関数を定義することにより,マクロ計量経済モデルのシミュレーション結果を用いて,長期時系列における帰着便益が導出可能であることを示し,便益帰着構成表の作成方法を示している.本章の手法,すなわち現況再現性が非常に良好なマクロ計量経済モデルによって計測される長期時系列の各年次の交通利用者便益や帰着便益は,これらを世代別に集計することにより,世代間公平性の検証,借入金の割合や償還計画の再検討等に活用可能である.

第5章では,一般的な応用一般均衡モデルおよび動学的応用一般均衡モデルの考え方,不均衡理論の研究動向について概観した後,応用一般均衡モデルが雇用への影響を計測できない,従来の新古典派的な動学的応用一般均衡モデルで推計されるマクロ経済変数の現況再現性が悪い,といった課題に対処することを試みた.具体的には,応用一般均衡モデルとマクロ経済関数(雇用関数,民間設備投資関数および民間資本ストック関数)を組み合わせ,時系列的な就業者数の変化および独立的な民間設備投資による民間資本の蓄積,すなわち,労働と資本の不均衡的蓄積を考慮することにより,交通施設整備による雇用への影響を計測でき,従来のモデルと比較して現況再現性に優れた信頼性の高い動学的応用一般均衡モデルを提案している.また,首都圏1都3県の交通施設整備プロジェクトを対象とし,従来の新古典派的な動学的応用一般均衡モデルとの比較を行った実証分析の結果から,通常の応用一般均衡モデルや新古典派的な動学的応用一般均衡モデルを用いたプロジェクト評価は過小評価になる可能性があることが示された.応用一般均衡モデルは,一般的に地域区分等を比較的細かく設定できることから,本章の手法を空間的なモデルに拡張することにより,地域間世代間の公平性の検証,費用負担制度および費用負担計画の検討に活用することができる.

最後に,第6章において,研究の成果をとりまとめた後,今後のプロジェクト評価のあり方として,なるべく多くの評価項目を対象とした評価手法の定型化と定型化手法による迅速かつ簡易な評価,極力現実の経済システムや個別プロジェクトの特徴を踏まえた非定型化手法による厳密かつ多様な評価という2つの方向性を示し,それぞれの具体的な課題を提示して,本論文の結びとしている.

以上の成果により,本論文は,交通プロジェクト評価における最近の実務的要請を踏まえながら具体的な課題の解決方法を理論的基盤の上に構築し,実用的な手法を提示しており,多くの有用な知見を提供している.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/38159