学位論文要旨



No 216337
著者(漢字) 小林,直哉
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ナオヤ
標題(和) トレリス符号化方式の磁気記録信号処理技術への適用に関する研究
標題(洋)
報告番号 216337
報告番号 乙16337
学位授与日 2005.09.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16337号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,秀樹
 東京大学 教授 高野,忠
 東京大学 教授 相澤,清晴
 東京大学 助教授 瀬崎,薫
 東京大学 助教授 森川,博之
 東京大学 助教授 松浦,幹太
内容要旨 要旨を表示する

まえがき

ディジタル技術の進展は,半導体エレクトロニクス技術の発展とともに,インターネットやPC,携帯電話の普及など我々の生活に大きな変革をもたらした.インターネットではブロードバンドによる回線の高速大容量化が進み,メールや音声・映像データなど膨大な情報を同時に扱えるようになった.最近ではユーザ個人の扱う情報量も増大しつつあり,大容量化へのニーズは急速に高まってきている.このため,情報を大量に記憶するためのストレージ技術は不可欠なものとなっている.

本論文は,最尤復号技術,パーシャルレスポンス等化技術,高能率記録符号化技術,及び消失誤り訂正技術など,高速データモデムや磁気ディスク装置に適用される信号処理技術全般について考察したものである.

トレリス符号研究の経緯と磁気記録信号処理への適用

トレリス符号の代表例として畳込み符号がある.その復号法として逐次復号法やシンドローム復号法などが知られていたが,1971年にビタビ復号法が考案された.これは通信路に付加される白色ガウス雑音下において,ランダム誤りに対する訂正能力を最も高めることが可能な最尤復号法である.

畳込み符号は通信分野に適用されて以来,変調方式と一体化して最適化に向けた研究が行われるようになった.その結果,符号化レートをできるだけ高くし,かつ受信側での復号誤り率を最大限に抑えた「符号化変調方式」が1982年,アンガーボエックにより考案された.畳込み符号に代表されるトレリス符号と変調方式を組み合せた符号化変調方式は「トレリス符号化変調方式」と呼ばれている.トレリス符号化変調方式において,アンガーボエックはトレリス符号を直交振幅変調(QAM)の信号空間に割り当てる最適化手法(セット分割法)を提案した.セット分割法は送信側のデータ伝送効率,受信側の復号誤り特性を同時に最適化する方式として注目され,衛星通信だけでなく,モデムや移動無線などのデータ通信分野においても実用化に向けた研究が盛んに行われるようになった.符号化変調方式においては,その先駆的研究として1971年に今井・平川符号が考案された.これは可変レート符号化変調方式として注目を集めている.今井・平川符号の復号法として,多段復号法が知られており,その復号特性を改善する準最尤復号方式などが検討されている.

一方,磁気記録の分野においては,記録密度の向上を狙った信号処理技術が研究されてきた.その代表的なものに,PRML(Partial Response Maximum Likelihood detection)と呼ばれる信号の最尤検出方式がある.これは,磁気ディスクから読み出された信号をパーシャルレスポンス等化により波形整形したチャネル(PRチャネル)に変換し,ビタビアルゴリズムを用いて最尤検出する方式であり,1970年にその概念がPR4ML(Partial Response class 4)として提案された.PRMLは,雑音に強い復号方式として注目され,PR4MLや,より高密度記録が可能なEPR4ML(Extended PR4ML)等の磁気記録への適用に向けた研究が盛んに行われた.また,記録符号も高レート化が求められ,16/17(0,6/6)符号がEPR4MLに適用されている.

一般に,PRMLはEPR4MLのようなPRチャネルの高次化により,再生側の復号特性を改善し,より高密度記録が可能となるが,チャネル状態数が指数関数的に増大し, ML処理を高速に実行することが困難となる.こうした技術課題に対し,復号性能劣化をできるだけ抑えつつML処理を簡易に行う方式が検討されている.

磁気記録における高密度記録への要求の高まりに伴い,信号処理技術も高度化・複雑化してきた.高密度記録に向けた信号処理技術の動向として,主に3つの視点を上げることができる.それは,(1)PRMLにおける信号間最小距離の拡大,(2)パーシャルレスポンスにおけるPRチャネルの最適化,(3)トレリス符号の適用である.(1)においては,PRMLの最尤復号処理において生じる最小距離誤りを除去することで,実質的に信号間最小距離を拡大し,復号誤り特性を改善するものであり,リストビタビアルゴリズムの適用などが検討されている.(2)は,高密度記録に特有の等化雑音の相関を最適化することで復号利得を最大化するようにPRチャネルの等化波形を最適に修正(modify)するものである.最近ではME2PR4ML(Modified E2PR4ML)方式などが検討されている.また,(3)はトレリス符号自体でPRチャネルの信号間最小距離を拡大するものであり,MSN(Matched Spectral Null)符号やMTR(Maximum Transition Run)符号などが検討されている.これら符号は,現在主流の16/17(0,6/6)符号と同等以上の符号化レートの実現が課題であり,様々な検討がなされている.

最近では更に高密度記録を目指し,上記(1)〜(3)を融合した信号処理技術が検討されるようになった.その具体例として,磁気記録再生装置の書き込み側においてトレリス符号とCRCC(Cyclic Redundancy Check Code)を組み合せて連接符号を構成し,読み出し側において軟出力最尤復号と信頼度情報を用いたリスト出力型消失誤り訂正技術を適用する方式がある.また,ターボ符号やLDPC(Low Density Parity Check)符号などを用いた繰り返し復号を磁気記録に適用することで,読出し側における復号誤り率をシャノン限界に近づけるアプローチも検討され始めた.更に,これまで述べた面内記録(磁化の向きがディスク面に沿って平行な記録方式)に対し,磁垂直磁気記録(磁化の向きがディスク面と垂直な記録方式)が注目され,その信号処理方式について盛んに検討されている.こうした信号処理技術と高感度TMR(Tunneling Magnetoresistive,トンネル磁気抵抗)ヘッドの開発により,100 Gbit/in2を上回る記録密度が実現可能となっている.

このような磁気記録信号処理技術により,磁気ディスクの高密度化は著しく進展し,ディスク自体も小型化が進んでいる.これまでパソコン用に主流をなしていた3.5インチ磁気ディスクに加えて2.5インチ,更に1インチ以下のものが開発され,最近では携帯情報機器やディジタル情報家電などへの適用が広がりつつある.こうした小型化,大容量化の進展により,磁気ディスク装置は今後様々な形態で広く一般の家庭に普及していくものと思われる.

本研究の概要と論文構成

本論文は6章から構成されている.各章の概要を以下に示す.

第1章では本研究の背景を述べる.

第2章では,トレリス符号の磁気記録信号処理への適用に当たり,まず通信分野で適用されているトレリス符号の有効性につき検証を行う.その具体例として,14.4kbit/sの伝送速度を実現する音声帯域高速データモデムにおいて,国際標準CCITT V.33で適用が定められている誤り訂正方式としての畳込み符号の最尤復号処理を効率的に実現する方式について検討する.トレリス符号の代表的符号である畳込み符号は,最尤復号であるビタビ復号と組み合せることで優れた誤り訂正能力を発揮することが知られている.ここでは,ビタビ復号の処理を簡易化する一手段として,ACS(加算,比較,選択処理)を簡略化する方式を提案した.提案方式により,処理時間を従来の70%程度に短縮し,かつ従来方式からの誤り率特性の劣化をS/N換算で0.1dB程度以下に抑えられることを,計算機シミュレーションにより確認した.また,提案方式によるビタビ復号器を試作,モデムに組み込んで実機による特性評価を行い,提案方式の有効性を確認した.

第3章では,第2章での検証結果を元に,ACSの簡易化方式を磁気記録に適用することを検討する.具体的には,高密度磁気記録のための信号処理方式として注目されている高次パーシャルレスポンス(PRML)につき,その最尤復号処理を簡単化する方式について検討する.高次PRMLの性能劣化を抑えつつ,その復号処理を簡易に実現する方式として,ACS選択方式を提案し,16/17(0,6/6)符号及び(1,7)RLL符号化EPR4ML, E2PR4ML, ME2PR4ML, E3PR4MLに適用するための具体的処理を示した.提案方式によりACS演算を行う状態数を従来の4/5〜1/4に削減するとともに,従来方式からの性能劣化は殆どないことを計算機シミュレーションにより確認した.

第4章では,高密度磁気記録用高次パーシャルレスポンスの最尤復号性能を更に向上させる方式について検討する.本章では,複数の復号系列を出力するリストビタビアルゴリズムをPRMLに適用する方式(LVA-PRML)を提案した.LVA-PRMLでは符号長72ビットの誤り検出用巡回符号(CRC)を構成し,16/17(0,6/6)符号と組み合わせて,符号化レート8/9を実現した.また,閾値判定方式を提案し,CRC長の約半分のパスメモリ長で復号処理が可能となった.提案方式は16/17(0,6/6)符号化EPR4MLに対し,約1dBのS/N改善を実現することを計算機シミュレーションにより確認した.

第5章では,磁気記録の更なる高密度化への実現に向け,高次PRMLに連接符号を適用し,これを軟判定復号する方式について検討する.本章では,高レート記録符号(MTR符号)と誤り訂正用巡回符号(CRCC)を連接符号化したME2PR4MLに,リスト出力型消失誤り訂正を適用した.これにより,CRCCブロック中の2箇所までのML復号の誤り事象を訂正することができる.ここでは最尤復号から復号信頼度を用いて消失誤り訂正を行う軟判定復号の具体的処理手法を示すとともに,CRCCの誤訂正による性能劣化を軽減する方式を提案した.これにより,提案方式は軟判定復号を行わない方式に比べ,復号誤り率を約1/10に低減できることを計算機シミュレーションにより確認した.

第6章では,本研究のまとめと今後の課題について述べる.

十数年にわたる研究開発の歴史を経て,磁気ディスクの記録密度は急速に上昇しており,100Gbit/in2が実現されるに至った.磁気記録信号処理の高度化とともに半導体LSIの高集積化も進展し,信号処理を実現するための超高速処理を行うプロセッサ技術によって,より小型で高密度記録が可能な磁気ディスク装置が開発されている.本研究の成果の一部は,ディジタル磁気記録再生装置の特長化技術として実用化・製品化されている.これら信号処理技術をベースとした小型ディスクが,ディジタルカメラやビデオカメラ,携帯情報機器などのディジタル情報家電分野に広く普及していく日も近いと思われる.本研究の成果が,高密度磁気記録装置の実用化と更なる進展への一助となることを祈念する.

図1に本論文における章の構成と研究の位置付けを示す.

図1 本論文における章の構成と研究の位置付け

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「トレリス符号化方式の磁気記録信号処理技術への適用に関する研究」と題し,最尤復号技術,パーシャルレスポンス等化技術,高能率記録符号化技術,及び消失誤り訂正技術など,高速データモデムや磁気ディスク装置に適用される信号処理技術全般について検討している.磁気記録では高密度記録を可能とする高次パーシャルレスポンス等化方式の最適化や処理簡易化,また記録符号の高レート化が重要な技術課題であり,読出し点における信号対雑音比の利得をできるだけ高める方式の開発が急務となっている。本論文はこれらの課題に対し,有効な解決策を示したものであり,「緒言」を含め6章からなる.

第1章は「緒言」で,本研究の背景を明らかにした上で,研究の動機と目的について言及し,研究の位置付けについて整理している.

第2章は「音声帯域データモデムにおける最尤復号方式」と題し,トレリス符号の磁気記録信号処理への適用に当たり,国際標準CCITT V.33で適用が勧告されている畳込み符号に対する最尤復号(ビタビ復号)処理を簡略化する方式について検討している.本章ではビタビ復号におけるACS(加算,比較,選択処理)を簡略化し,かつ復号性能劣化を最小限に抑えた方式を提案している.提案方式の特性評価シミュレーションを行い,最適な方式を決定した上でこれをMPU(Micro Processing Unit)ソフトウェアで実現,モデム装置に組み込んで実機による性能検証を行っている.

第3章は「磁気記録における高次PRMLの簡易化方式」と題し,第2章での検証結果を踏まえ,高次パーシャルレスポンスにつきその最尤復号処理(PRML:Partial Response Maximum Likelihood detection)を簡単化する手法を示している.本章では,第2章で述べたビタビ復号の簡略化技術の基本概念を磁気記録信号処理に適用し,ACSを簡易化する方式を提案している.記録符号及び高次PRMLの様々な組合せに対し,提案方式の有効性を理論解析及び計算機シミュレーションにより検証している.

第4章は「リスト出力型最尤復号方式の磁気記録信号処理への適用」と題し,高次パーシャルレスポンスの最尤復号性能を更に向上させる方式として,最尤復号系列を含めた複数の復号系列候補を出力するリストビタビアルゴリズムをPRMLに適用する方式(LVA-PRML)を提案している.LVA-PRMLは通信分野での適用が検討されているが,これを磁気記録に適用する場合,高符号化率(8/9以上)で磁気記録再生システムを構成することは極めて難しい.そこで本章では,誤り検出用巡回符号として符号化率17/18のCRC符号を探索,これを16/17(0,6/6)符号と組み合せてトータルレート8/9を実現し,かつ,CRC符号長よりも短いパスメモリ長でLVA-PRMLを実現する方式を提案している.提案方式をEPR4ML, E2PR4ML(各々Extended PR4ML,Extended EPR4ML,PR4MLはPRML class IV)に適用,特性評価シミュレーションを行い,信号処理技術として主流の16/17(0,6/6)符号化EPR4MLに対する性能改善度を評価している.

第5章は「磁気記録における連接符号化高次PRMLの軟出力最尤復号方式」と題し,磁気記録の更なる高密度化実現に向け,高次PRMLにトレリス符号を適用し,これを軟出力最尤復号するリスト出力型消失誤り訂正方式(List-SOVA, SOVAはSoft Output Viterbi Algorithmの略称)について検討している.本章では,トレリス符号に16/17MTR(3;11)符号(符号化率が16/17でラン長制約のあるMTR符号,MTRはMaximum Transition Runの略称)を用い,これと誤り検出及び訂正用巡回符号(CRCC)を組み合せ,情報を連接符号化している.また高次PRMLにME2PR4ML(Modified E2PR4ML)を用い,List-SOVAを適用する.ME2PR4ML復号に対する信頼度情報算出,消失誤り訂正の具体的処理手法を示すとともに,CRCCの誤訂正による性能劣化を軽減する方式を提案している.また,提案方式の有効性を計算機シミュレーションにより検証している.

最後に第6章は「結言」で,本研究の総括を行い,併せて将来展望について述べている.

以上これを要するに,本論文は,磁気ディスク装置における高密度磁気記録信号処理技術の検討を行うとともに,トレリス符号を高レート記録符号として高次PRMLに適用する具体的な手法を明示したものであり,電子情報工学,特に磁気記録工学上貢献するところが少なくない.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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