学位論文要旨



No 216338
著者(漢字) 荻本,泰史
著者(英字)
著者(カナ) オギモト,ヤスシ
標題(和) マンガン酸化物薄膜における電荷軌道秩序ならびに界面物性に関する研究
標題(洋)
報告番号 216338
報告番号 乙16338
学位授与日 2005.09.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16338号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 助教授 朝光,敦
 東京大学 講師 和泉,真
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、マンガン酸化物薄膜における電荷軌道秩序ならびに界面物性の研究を通して、強相関エレクトロニクスの実現に資する基礎技術を確立することにある。本研究では強相関電子系の物理を基礎としてエレクトロニクスの革新を狙うという立場から二つの物性に注目しデバイス化に必須である薄膜での研究を行った。一つは多重臨界点近傍における電荷軌道秩序と絶縁体金属転移の制御であり、もう一つは(La,Sr)MnO3(LSMO)とSrTiO3(STO)からなる界面物性制御の研究である。前者はスイッチング素子やメモリ素子としての応用に直結し、後者はマンガン酸化物のハーフメタルという特性を利用したトンネル磁気抵抗素子、より広い立場からはFET等において肝要となる強相関電子系での界面の研究と捉えることができる。以下では本論文の内容の要旨を構成とともに記す。

第1章では序論ならびにペロブスカイトMn酸化物の基礎物性、薄膜物性/技術の主要な結果をまとめた。

第2章では試料作製、評価方法などの実験方法を説明している。

第3章では電荷軌道秩序に対する欠陥の効果を電子系の相分離の観点からまとめた。具体的には一電子バンド幅の狭い代表的な電荷軌道秩序物質(Pr,Ca)MnO3(x=0.5)を対象とし、Crドーピングによる軌道欠陥を電荷軌道秩序に対する制御可能な欠陥(摂動)として利用することで等方的基板歪による電荷軌道秩序への影響を調べ、電荷軌道秩序が伸張歪により安定化されることを示した。さらに単結晶薄膜においても抵抗値が磁場強度及び履歴に応じて調整可能なことを示し、磁気リラクサー特性(履歴依存物性)が得られることを示した。一方ミスマッチの大きいMgO基板上では基板歪が完全に緩和し、バルクと同様にCrドーピングによる磁気リラクサー特性が得られることを利用し、Crを1%ドープした薄膜での強磁性金属相と電荷軌道整列反強磁性絶縁相からなる二相共存状態に光照射を行い強磁性ドメインが発達し得ること(光誘起磁化)を示した。

またCrドーピング以外にも、多結晶膜のミスフィット欠陥がランダムポテンシャルとして作用し、磁気リラクサー特性が得られることを示した。具体的にはMgO基板上に作製した(Pr,Ca)MnO3(x=0.35)膜において、磁化及び抵抗値を磁場の強度及び履歴により制御できるという結果である(図1)。このような欠陥の導入は長距離の電荷軌道秩序の発達を阻害すると考えられ、電荷軌道秩序を短距離化し二相共存状態が実現されるものと考えられる。抵抗率の温度依存性における「跳び」がこれらの多結晶膜においては見られないという事実もまた、電荷軌道秩序が短距離化していることを端的に示す例である。

さらに、より一電子バンド幅の広い電荷軌道秩序物質(Nd,Sr)MnO3の相境界近傍(x=0.51)においてはintrinsicにCE-typeとA-typeの二相が共存することを利用し、多結晶膜中において導入される欠陥により強磁性金属相を導入することで三相共存状態が得られることを示し、多結晶膜での電荷軌道秩序に対する欠陥の効果を議論した。

第4章では(110)基板における面内対称性(tetragonality)の破れを利用することで、エピタキシャル薄膜あるいは単結晶薄膜においてさえもバルクと同様に一次転移である電荷軌道秩序と金属絶縁体転移が得られることを示した。具体的には、一電子バンド幅の狭い(Pr,Ca)MnO3(x=0.5)、一電子バンド幅が広くx=0.5近傍で相競合している (Nd,Sr)MnO3、さらには多重臨界点を示すPr0.55(Ca,Sr)0.45MnO3にいたるまで遍く金属絶縁体転移が得られる。

さらに、単にバルク物性を再現するにとどまらず、一電子バンド幅が広くハーフドープ近傍で相競合が報告される(Nd,Pr)0.5Sr0.5MnO3における電荷軌道秩序ならびに金属絶縁体転移の制御を行った。具体的には、CE-typeとA-typeが競合する領域において異方的格子緩和及び基板歪を利用して、STO基板上における絶縁体金属転移の異方的クロスオーバーならびにSTO基板及びLSAT基板の間での基板依存クロスオーバーを示した(図2)。これは基板歪により一電子バンド幅を変調した結果実現されたものと考えられ、薄膜独自の相制御が可能であることを示している。すなわち自由エネルギーを最小にするように自発的に格子変形が発生するバルクとは異なり、基板歪による電荷軌道秩序の相制御技術を確立し、A-siteのイオンと基板の組み合わせによりバルクとは異なる相の出現が可能であることを示した。

さらに、LSAT(110)基板上に全層RHEED振動を観測しながらPr0.5Sr0.5MnO3 膜を作製し、(110)基板上での軌道秩序面が(100)あるいは(010)面である、すなわち基板面から約45°にあることを利用して物性の面内異方性を比較した。その結果、バルクで見られるA-typeから薄膜ではCE-typeへと電荷軌道秩序パターンが変調される可能性を示し、基板歪による強磁性金属相、CE-type電荷軌道絶縁体相、A-type層状反強磁性金属相からなる多重臨界点の創成可能性を示した。

第5章では代表的な強磁性金属であり同時にハーフメタルである (La,Sr)MnO3とバンド絶縁体SrTiO3からなる超格子を作製し、原子レベルで制御された界面での電子物性を明らかにすることを目的とした。界面は薄膜ならではの研究題材であり、異なる秩序の境界である界面は相競合の舞台でもある。界面をプローブするためにLSMO層数、STO層数、キャリア濃度を系統的に変えて超格子を作製し、界面電子物性の知見を一種の雛形デバイスであるスピントンネル接合素子の設計(材料選択)に反映させることで、デバイス物理に有用な知見を与えることを目指した。

その結果、LSMO層内にキャリアを閉じ込めた状態(二次元)と層間のキャリアの行き来が可能となる状態(三次元)との間でおこる次元クロスオーバーにより、数桁にもわたる抵抗率の変化を引き起こす(1)キャリアコンファインメントを示し、また、原子レベルで急峻な界面においては電荷移動によるオーバードープが起こり、キャリア濃度が高い(x = 0.4)で (2)スピンキャンティングが顕著になり、強相関電子系界面特有の効果として界面磁性の変調が起きることを明らかにした。さらに、スピントンネル接合作製に際して構造的にほぼ完璧な界面を作製し、スピンキャンティングの影響が少ないキャリア濃度(x = 0.3)を選択することで、超格子で得られたTC 直近の320 Kまで明瞭なTMRが得られることを示した(図3)。これは超格子による界面物性の研究が接合素子などの設計において有用であることを示しており、より高いTCを示すハーフメタル材料を用いたトンネル接合素子において高いスピン偏極率を利用する際にも有用な知見になると考えられる。

第6章では今後の展望を示すとともに本論文で得られた結果をまとめた。電荷軌道秩序を用いたスイッチング現象の実用化に関して残る課題は、常温での絶縁体金属転移の制御である。また、LSMOのような強磁性金属以外にも電荷軌道秩序界面の研究は基礎・応用の両面から興味深い。同時に、軌道の自由度を生かした強相関電子系ならではと言えるデバイスを今後提案していくことも重要である。そこで、(1)高温電荷軌道秩序物質についてBi0.5Sr0.5MnO3薄膜での500 Kを越す軌道秩序、(2)電荷軌道秩序物質からなる界面物性の一例としてPr0.5Ca0.5MnO3/La0.7Sr0.3MnO3超格子、三層膜の磁気抵抗、を示し、さらに(3)軌道秩序間のスイッチングを利用した抵抗及び光物性に関する超高速デバイスの提案を行った。

ここで得られた結果は、強相関エレクトロニクスの実現に資する基礎技術といった工学的な応用展開のみならず、物理としても興味深い点を示している。特に、「strain physics」と呼ばれるように基板歪という薄膜ならではのユニークな自由度を生かした相制御技術は有用であろう。すなわち、 (110)基板上での薄膜作製技術をベースに、薄膜の平坦性や薄さ、シングルドメイン化技術等を利用し、光による相制御や電荷軌道秩序と絶縁体金属転移のダイナミクスの研究が行われ、強相関電子系の物理に新しい知見をもたらすものと確信している。強相関エレクトロニクスの発展、実用化には何より室温での電荷軌道秩序による金属絶縁体転移技術の確立が不可欠であり、それに伴い、物理においても新たな知見が得られると期待される。

図1  Pr0.65Ca0.35MnO3/MgO(001)多結晶膜における磁気リラクサ−特性。

図2 (Nd1-xPrx)0.5Sr0.5MnO3 薄膜の磁場中抵抗率の温度依存性(上段:STO基板、下段:LSAT基板)。

図3  室温近傍でのトンネル磁気抵抗の温度依存性(接合素子サイズ:2×10 μm)。

審査要旨 要旨を表示する

ペロブスカイト型結晶構造を持つマンガン酸化物は、その電子物性が外場によって敏感に変化することから、新規のエレクトロニクス(酸化物エレクトロニクス)を実現する材料として有望視されている。中でも、電荷・軌道秩序に伴う金属・絶縁体転移と、ハーフメタルであることを用いたスピン依存伝導は、容易に応用へと結びつく事から、多くの研究がなされてきた。一方、これらの現象を素子へと展開する場合には薄膜化が必須であるが、薄膜化に伴う物性変化が大きく、期待される外場敏感性を実現する事が困難であった。本論文は、薄膜中の欠陥、基板歪の異方性、界面のスピン秩序、をテーマとして、それぞれが薄膜の物性に及ぼす影響を多数の試料に基づいて系統的に調べ、統一的な見解に到った経緯をまとめたものである。

本論文は全6章よりなる。

第1章は序論である。ここでは、研究の背景となるペロブスカイト型マンガン酸化物において既に知られている諸物性がまず概観され、続いて薄膜関連の文献が紹介されている。文献は試料の作製法から物性測定にいたる多数のものが整理され、本論文で結論づけられる見解に基づいてそれぞれに批判的な検討が加えられており、マンガン酸化物薄膜に関する独創的で有用なレビューになっている。

第2章は実験法の概説であり、レーザーアブレーション法による試料作製、構造解析、磁気・輸送測定法、光学測定法などが述べられている。

第3章では、電荷・軌道秩序に対する欠陥の影響が検討されている。電荷・軌道秩序(COO)は多くの場合同時に出現し、その秩序・無秩序転移が絶縁体・金属転移を引き起こす。この転移に伴う電子状態変化を利用しようとする素子においては、その秩序度の制御が重要であるが、薄膜試料は一般に秩序が安定化しすぎて外場敏感性が失われてしまうことが問題であった。そこで、狭い一電子バンド幅で強い秩序度を持つことが知られているPr0.5Ca0.5MnO3のMnをCrで置換することにより電荷・軌道欠損を導入したところ、導入量に応じた磁場及び履歴特性(磁気リラクサー特性)が得られることが明らかになった。また、不均一相において光誘起磁化を見出した。さらに、ミスフィット欠陥もCr置換と同様に秩序度を下げる効果があることを示し、従来様様な解釈がなされてきた、膜厚、後処理等の違いによる物性変化を、欠陥の導入量の違いという一つの要素によって統一的に理解する事に成功した。

第4章では、前章の実験で用いられていた四回対称性をもつ(001)基板に代えて、二回対称性をもつ(110)基板による、異方性基板への薄膜成長の結果が述べられている。注目すべきことは、従来薄膜では不可能であった明瞭な強磁性金属・COO絶縁体転移を発現させることに成功したことである。これは基板にエピタキシャルに成長した薄膜にあっても、拘束の無い(001)面内の非対称な格子変形が許容され、従ってCOO相出現に伴う格子変形を吸収することが可能になったためであると解釈される。これによってバルク試料と同等あるいはそれ以上の外場敏感性をもつ薄膜試料を作製することが初めて可能になった。具体的には、バルク単結晶のNd0.5-xPrxSr0.5MnO3はAタイプとCEタイプのスピン秩序を伴うCOO相を両端の組成(x=0とx=1)において持つことが知られているが、この手法を適用して作製した試料にあっては、組成に敏感に依存する、しかもバルク結晶と逆の秩序傾向を持った物性を示すことが明らかになった。さらに、バルク結晶以上の磁場敏感さを持った巨大磁気抵抗効果も確認された。このように、薄膜試料は、格子変形の自由度を異方的に制御することにより、バルク結晶とは異なる独自の物性を発現させる可能性があることが示された。

第5章では、(La,Sr)MnO3/SrTiO3の超格子およびスピントンネル素子が検討されている。ハーフメタルとバンド絶縁体の交互構造において、絶縁体層の厚さを変えることにより近接効果を調べ、数層で電子閉じ込めが起きる事、一格子単位の急峻な組成変化が電荷移動によるドーピング、スピンキャンティングなどを引き起こすことを明らかにした。これらの知見を基に、室温まで明瞭なスピントンネル効果を示す素子を実現した

第6章はまとめと今後の展望である。

以上を要するに本論文は、マンガン酸化物を薄膜化した場合の物性制御法への指針を示し、特にバルク結晶で見られた巨大応答を薄膜でも実現するために重要な要因を実験的に明らかにしたものであって、酸化物エレクトロニクス応用への第一歩となるものである。

これらの点で、本研究は物性物理学、物理工学の進展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49005