学位論文要旨



No 216343
著者(漢字) 清川,郁子
著者(英字)
著者(カナ) キヨカワ,イクコ
標題(和) 近代日本におけるマス・エデュケーションの成立と社会構造 : 比較社会論的視点からの考察
標題(洋)
報告番号 216343
報告番号 乙16343
学位授与日 2005.09.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第16343号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣田,照幸
 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 教授 土方,苑子
 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 藤田,英典
内容要旨 要旨を表示する

論文の意図と構成

本論の目的は、近代日本においてマス・エデュケ−ションが成立する過程を、社会学的視点から再考察することである。ここでの第一の課題は、我が国ではマス・エデュケ−ションは現実にいつ頃成立したのか、言葉を換えれば基礎的な読み書き能力(リテラシ−)がすべての階級・階層にいつ頃、どのように普及したのか、その時期と過程について量的推移を検討することであり、第二の課題は第一の課題と関連して、比較社会論的視点から、それがなぜその時期に成立し、かつ社会構造とくに階級・階層構造との関係においてどのように成立したかを検討することである。

1868(明治 1)年五箇条の御誓文の公布以後、我が國では「国民の教育」は一貫して国の政策の中核におかれたと考えられるが、とくに1871年 7月廃藩置県、その同じ月に文部省の設置、そして翌1872年に学制が公布されて以降は、全国に公立小学校が設置されることによって、初等教育はきわめて急速に普及した。学制公布の時代マス・リテラシ−の水準あるいは小学校就学率は、地域別あるいは性別に格差が大きく、全国平均値はきわめて低かったが、ほぼ60年後の1930年頃にはすべての階級・階層の男女児童が 6年の義務制教育を修了すると言う意味において、マス・エデュケ−ションはほぼ完全に成立したと考えられる(第二章)。その成立過程は以下の三局面から構成される。

第一局面(明治前期) 学制と教育令公布の時代:「国民教育」が象徴的な段階

第二局面(明治後期) 小学校令公布の時代 :「国民教育」の本格的普及期

第三局面(大正期・昭和初期)工場法公布の時代:「国民教育」の普及完了期

マス・エデュケ−ション成立の起源は、J.W.マイヤ−を中心とする新制度学派によれば、近代以降西ヨ−ロッパ社会において、国民国家と国家間システムの制度化が進むとともに、政治的に構成されたことにあるとするが(第一章)、我が國でも明治以降マス・エデュケ−ションは、政府が西欧社会の国々の政治体制を継受して構想する国民国家形成の過程とともに成立したと考えられる。上述の三局面の展開は、とりわけ政府が国家統治体制として構想する地方自治制度の成立と深く関連するものであり(第三章)、第二局面の急速な展開を導くことになる第二次小学校令は、1888(明治21)年の市制・町村制と1890年の県制・郡制の成立をまって公布されたものである。同法令の公布以降、原則として農村部では「一行政村に一公立小学校のシステム」が成立し(第四章)、小学校教育の普及は農村部においてより早く完了し、都市部ではやや遅れて、それに近いシステムが成立することになった(第五章)。非西欧社会にあっては戦前期の我が國は独立国として唯一急速なマス・エデュケ−ションの普及をみたが、その普及曲線は、新制度学派が西欧社会の国々について指摘するのと同様に、エピデミック型普及モデルの典型である。本論は農村部と都市部における相違をふくめ、公立小学校制度の成立過程を、小学校の設置と就学率の推移を焦点に、マクロとミクロの両側面から、考察することを意図したものである。なお章の構成は下記のようなものである。

第一部 理論と実証分析(総論)                  

序 論:公立小学校制度成立の社会学的分析の意味と方法     

第 1章:マス・エデュケ−ション成立に関する社会学的説明:新制度学派の理論を中心に

第 2章:近代日本におけるリテラシ−と公教育制度の成立:「壮丁教育調査」にみる義務制就学の普及(数量分析)

第二部 マス・エデュケ−ションの成立と制度            

第 3章:国民国家の形成と地方自治制度:西欧の制度継受と地方自治制度

第 4章:地方自治制度と小学校令の公布:行政村の成立と小学校教育の普及

第 5章:工場法の公布と社会事業の成立:児童保護事業と小学校教育の普及

第三部 マス・エデュケ−ションの成立と社会構造:事例研究による制度化の過程

第 6章:農村部における公教育制度の成立:(1)山梨県南巨摩郡増穂村の事例

第 7章:農村部における公教育制度の成立:(2)長野県諏訪郡川岸村の事例 

第 8章:都市部における公教育制度の成立:(3)東京市四谷区の事例    

第四部 マス・エデュケ−ション成立の社会学的分析(結論)     

第 9章:近代日本におけるマス・エデュケ−ションの成立:5つの分析視点から

終 章:近代日本の公立小学校制度の遺産と21世紀への未来像

分析の過程と結果

四部11章の構成が示すように、第一部ではきわめてマクロな視点に立って、新制度学派の理論を中心に、比較社会論的視点から国民国家とマス・エデュケ−ションが制度として成立する過程を考察する。次いで我が國におけるその成立過程に関する量的推移に関しては、『文部省年報』の小学校就学率の数値に加えて、「壮丁教育調査」の識字率と小学校卒業率の数値を検討することによって、全国レベルの数値に基づいて三局面の展開を確認するとともに、リテラシ−の水準もふくめ地域別に普及のパタ−ンを分析し、その量的推移を構造的に考察する。

第二部では、マス・エデュケ−ションの成立に直接関わる制度として、地方自治制度の成立と小学校令の公布さらに児童保護制度の成立を検討し、公立小学校の制度が成立する過程を、法令公布の側面から考察する。諸制度・諸法令は西欧社会のそれを継受して成立したと言われるが、ここではとくに公立小学校制度の基盤にある地方自治制度に関して政府が海外の識者から直接助言を受けつつ、他方藩政時代以来の伝統的な村や町の自治の構造に着目して、法令を立案した過程を、その当時行なわれた調査やその結果にも注目して、マクロとミクロの両面から考察する。

そして第三部では、上述の諸制度にそって、マス・エデュケ−ションが現実に村や町において制度として成立する過程を、とくに階級・階層構造との関連に焦点をおいてミクロ・レベルから考察する。公立小学校制度の成立過程は農村部と都市部では異なり、都市部では公立小学校の設置も無償制の成立も遅れたが、農村部に関しては、村の政治と経済の構造を階級・階層の視点から考察し、その構造が公立小学校の設置と維持を進め、さらには就学率の上昇を導いた過程を考察する。他方都市部とくに事例としてとりあげる東京市に関しては、市と区の行政及び財政の成立過程に分析の焦点をおき、区財政の成立とともに公立小学校の設置が急速に進んだ過程を検討する。

第四部では以上のようなマス・エデュケ−ションの成立に関するマクロとミクロの両面からの考察結果を下記の 5つの分析視点からまとめる。    

1.国民国家の形成とマス・エデュケ−ションの成立

2.マス・エデュケ−ション普及の量的推移と三局面の展開

3.マス・エデュケ−ションの成立と地方自治制度

4.マス・エデュケ−ションの成立と社会構造

5.マス・エデュケ−ションの成立と社会政策

分析の手法として、マクロとミクロの両面からの分析において、常に原資料から検討することを基本とした。まず第一部では『文部省年報』と「壮丁教育調査」のデ−タを利用し、次いで第二部では可能な限り諸法令の原典にあたることは言うに及ばず、法令成立の過程については、戦前刊行された東京市政調査会の調査資料等を中心に検討した。また本研究の中核部分とも言える第三部では、農村部の村役場に保管されている文書類、とくに階級・階層構造の分析には「土地台帳」を用い、小学校の設置や就学率の推移に関しては、役場や小学校に保管されている詳細な諸記録を利用し、他方それらの諸記録を欠く都市部については、財政及び小学校数や就学率について『東京府統計書』に収録されている詳細なデ−タを中心に、小学校に保管されている諸記録を補助的に利用した。原資料について一言述べるならば、我が国は明治初期以降政府によるきわめて精緻な調査記録が残されており、村に残されている明治初期以降の諸記録もすべて政府の命令によって村が行なった調査の諸結果であり、そのこと自体我が國の近代化の軌跡を語るものであるとも言える。

我が國におけるマス・エデュケ−ションの成立は、西欧社会の国々と比較しても急速であり、新制度学派が指摘するように、まさに西欧に学んだ立憲政治体制の構築過程における成立であった。しかし明治以降公立小学校制度の成立を現実に一貫して支えたのは、本論でも詳細に考察したように、藩政時代以来の郡制を核とする伝統的な町村自治の構造であり、そしてその構造の核にあったのは地方名望家層支配の構造であった。学制公布の 3年後1875年にはすでに村や町に創設された小学校数は24,000校余に及ぶが、そのほとんどは村や町が貧しい財政のなかで設置したものであり、戦前期の公立小学校は、1918(大 正 7)年国庫による教員給与の一部負担が始まるまで、農村部の村や町さらには市部の区 民が総力をかけて維持した小学校であった。戦前期我が國でも階級・階層は厳然と存在する社会であったが、しかし農村部における工場内学校の設置や都市部における特殊尋常小学校(貧民学校)の設置も含め、地域社会とそこに住む指導者層が小学校教育の普及にかけたエ−トスは、どこから生まれたものなのであろうか。そこには新制度学派がマス・エデュケ−ションの基本的原理と考える普遍主義や平等主義を受容する文化と社会の伝統があり、地域社会の公共の財としての教育があったと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

近代日本におけるリテラシーの普及や初等義務教育の普及については、すでにさまざまな実証研究の蓄積がある。しかしながら、そのほとんどは、社会変動や教育システムの変動に関する理論を欠いた個別事例の研究か、『文部省年報』の統計データを用いて就学率の上昇を描く記述的な研究にとどまっていた。清川氏の論文は、1970年代末以降米国を中心に展開してきた新制度学派の教育発展モデルを理論的な足場にしながら、近代日本において、なぜ・どのように、急速に平等な初等義務教育が広がっていったのかという問題について、これまでにない包括的な仮説的説明を与え、それを綿密な実証を通して検証したものである。

本論文の長所は、第一に、『壮丁教育調査』の綿密な地域別分析によって得られたリテラシーの普及の実態をふまえて三つの局面に時期区分し、社会の変化と公教育の普及との関連を包括的に整理し、そこで働いていた重要な要因を明らかにしたことである。すなわち、第一・第二局面では、近世以来の町村自治の伝統が公教育普及に大きな意味を持っていたこと、第三局面は、工場法の制定が大きな画期で、それが学齢期の被雇用児童に対する特別教育などの制度化の契機になっていったことなどが示されている。これは、第三部で二つの農村の事例と大都市の事例との差がどのように形成されたのかを跡づけているところで説得的に検証されている。

第二に、地域の階層構造、農村部における工場の設置や増加など、社会経済的要因と、地方自治制度や工場法などの制度・政策的な要因とが、いずれも綿密な実証過程の中に組み入れられ、就学率の上昇を規定した社会的背景を、複数の事例を通して浮き彫りにされているということである。本論文では、日本では大都市よりもむしろ農村で無償の初等教育が急速に普及していったことが、たとえば地方名望家層の積極的な関与などの社会的な諸要因によって説明されており、社会史的な広がりを持った実証性という点で非常にすぐれている。

第三に、こうした長期の広範囲にわたる研究主題を扱いながら、本論文は、日本全体の教育システムの長期の変動というマクロな視点と、それぞれの地域で生起した事件・事例というミクロな視点とを、非常に適切に組み合わせており、論証のプロセスも無理がないものになっている。新制度学派による大きな理論仮説と日本の特殊な状況や事情との両者をうまく考察に用いることで、1870年代に農村で起きた具体的な出来事と、1920年代に都市で起きた具体的な出来事とが、いずれも了解できるような、トータルな説明を与えることに成功している。

本研究は、やや繰り返しが多いなど少し冗漫な部分はあるものの、日本の近代公教育の成立過程の問題について、非常に説得的で有益な知見を提供するものであるといえる。このような観点から博士(教育学)の論文として、十分な水準に達しているものと認められる。

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