学位論文要旨



No 216349
著者(漢字) 布施,宏昭
著者(英字)
著者(カナ) フセ,ヒロアキ
標題(和) 核内ステロイド受容体の転写制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 216349
報告番号 乙16349
学位授与日 2005.10.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16349号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 助教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

医学を始めとする文明の発達により、人口の高齢化が急速に進んできた。この結果、人間の寿命は生殖可能年齢をはるかに超えることとなり、生殖年齢以降の健康すなわち更年期障害の防止、治療を始めとする閉経後の健康維持が大きな社会問題となっている。これは女性に限らず中年期以降の男性にも見られる現象であり、国内では女性の更年期障害にたとえて男性更年期障害とも呼ばれている。これらに見られる症状はいずれも加齢に伴う性ホルモンの低下によって起こることが明らかとなっており、女性では閉経に伴って急激なエストロゲンの減少が起こり、一方男性では女性ほど急激な減少はないものの加齢に伴うアンドロゲンの漸減が見られ、これら性ホルモンの低下による各標的器官の機能低下が更年期症状として現れる。

これらの症状に対して最も有効な治療は失われたホルモンを元に戻すホルモン補充療法(hormone replacement therapy; HRT)であり、実際臨床の場でエス卜ロゲン、アンドロゲンの投薬が行なわれている。但しこれら性ホルモンは副作用として乳癌・子宮癌もしくは前立腺癌の危険性を孕んでおりその作用選択性に問題が残されている。

エストロゲン・アンドロゲンはそれぞれl7β-estradiol, 5α-dihydrotestosteroneを本体とする単一の低分子ホルモンであるが、標的器官・組織ごとに種々の標的遺伝子の発現を特異的に制御することで男女両性において多彩な生理作用を発揮し、生体の恒常性を維持している。これらの多彩な生理作用の調節は遺伝子ノックアウトを用いた研究より、エストロゲンは2種の核内ステロイド受容体(ERα・ERβ)、アンドロゲン作用は1種の核内ステロイド受容体(AR)自身の機能により発揮されると考えられているが、これら核内ステロイド受容体がその標的遺伝子の発現を組織特異的に制御するメカニズムは完全には解明されておらず、この解明は核内ステロイド受容体を中心とする情報伝達ネットワークを理解する上での重要な課題であり、すぐれた作用選択性を有するホルモン補充療法を開発する上での基盤となる。現在作用選択性を有する薬剤としてraloxifenが上梓されている。この薬剤はエストロゲン作用のうち、骨量維持作用を残し、乳腺・子宮に対する刺激作用がなく、選択的エストロゲン受容体調整剤(selective estrogen receptor modulator; SERM)と呼ばれている。近年エストロゲンのERを介する組織選択的な作用メカニズムが解明されるにつれて、この薬剤の作用機序も徐々に明らかになりつつあり、より作用選択性に優れた薬剤の開発が行われている。

本研究では以上の背景を踏まえ、核内ステロイド受容体を介する組織選択的な作用発現調節機構の分子基盤についての考察を深め、さらにホルモン依存性疾患でのこの組織選択性の関与を検討することで臨床への応用をはかることを目的とした。

最初に骨への作用選択性を有する抗アンドロゲン剤であるTZP-4238について、その骨量増加作用のプロフィールの検討を行った。TZP-4238は前立腺でのアンドロゲン拮抗作用により見出された新規抗アンドロゲン化合物であるが、去勢メスラットでの骨粗鬆症抑制作用が見られることから、骨に対しては選択的にアンドロゲン作用を有する可能性が予想されていた。 

TZP-4238の骨量増加作用の機序を検討する目的で、17βエストラジオールを対照とした生化学的・形態学的検討の結果、骨吸収抑制作用を有し海面骨減少を抑制する17βエストラジオールとは異なり,1)TZP-4238は骨代謝マーカーのうち、血中骨型アルカリフォスファターゼを上昇させること、2)DEXA(dual energy X-ray absorptiometry)を用いた領域別骨塩量測定により大腿骨骨幹部の皮質骨量を増大させること、3)骨組織形態計測により骨形成を促進すること、4)大腿骨の骨幹部の破断強度を増加させることを明らかにし、雄と雌の骨形態の違いとの比較からTZP-4238はアンドロゲン作用により皮質骨の形成促進作用を示すものと示唆された。この検討により、TZP-4238は前立腺組織にはアンタゴニスト、骨組織にはアゴニストとして作用する、組織選択的な性質を有することが示されたが、その分子生物学的なメカニズムの検討には至らなかった。

そこで広く核内ステロイド受容体を介した組織選択的作用発現のメカニズムについて分子生物学的な検討が不可欠と考えられた。ERではそのN端A/B領域の有するAF-1活性に組織選択性が見られていることから、核内ステロイド受容体の中で最も長いA/B領域を有するミネラルコルチコイド受容体を研究対象とし、AF-1活性調節機構の詳細を明らかにするとともに、生体内に2種存在するリガンドの識別に関与する分子機構の検討を行なった。MRのA/B領域は従来AF-1活性を持たずリガンド選択性に関与すると推測されてきたが、1)deletion mutantおよびpoint mutantを用いた実験によりA/B領域にAF-1活性が存在することを示し、2)AF-1活性調節機構として、このA/B領域には2つの転写活性中心(AF-1a, AF-1b)が存在し、それぞれ異なる既知co-activatorが間接的に転写を亢進することを確認した。また、MRの生体内リガンドとしてアルドステロンおよびコルチゾールが知られ、コルチゾールを不活化する11βHSD2の関与とは別にMR分子自身にもこれらリガンドを識別するメカニズムの存在が予想されていた。そこで、3)AF-1a領域に直接結合する新規な転写共役因子の検索を行い、RNA helicase A(RHA)とCBPを含む複合体が転写共役因子として相互作用することを見出し、また、4)MR全長においてAF-1a領域へのRHA/CBP複合体の相互作用および転写亢進がコルチゾールでは誘導されず、アルドステロン選択的に起こることを見出した。これによりAF-1領域に結合する転写共役因子により受容体の機能が調節されること、およびこの転写共役因子の作用はリガンド結合領域に結合するリガンドによって調節されうることが示され、核内ステロイド受容体の組織特異的な転写調節機構の基盤としてAF-1特異的な転写共役因子の関与が示唆された。

続いて組織・細胞環境特異的な核内ステロイド受容体転写制御機構の臨床応用について検討を行った。

アンドロゲン依存性腫瘍である前立腺癌には抗アンドロゲン剤をはじめとするアンドロゲン遮断療法が著効を示すが、数年のうちに前立腺癌は抗アンドロゲン剤に耐性となり再燃する。再燃前立腺癌の一部ではARタンパクの増加が示唆されていることから、抗アンドロゲン剤耐性となるメカニズムを、AR増加を要因とする細胞環境特異的な転写活性の変化という観点から検討した。1)ARタンパクの増加により、既存抗アンドロゲン剤の抑制作用が減弱した。2)この抑制作用減弱は、AR増加に伴う抗アンドロゲン剤のアゴニスト活性獲得に起因することを見出した。3)deletion mutantを用いた検討からこのアゴニスト活性獲得にAR AF-2は関与せず、AR AF-1に由来することを見出した。この検討より、組織特異的な転写活性調節は時に病態特異的な転写活性の変化をもたらし、ARが増加した再燃前立腺癌の場合、AR AF-1活性の変化が、既存の抗アンドロゲン剤の作用をアンタゴニストからアゴニストへ変換することで前立腺癌の耐性化が起こりうることを示し、核内ステロイド受容体を介する組織特異的・環境特異的な転写活性調節が臨床へ応用可能であることを示した。

以上,ステロイドホルモンが核内ステロイド受容体を介して、いかに組織選択的に作用するかについての検討を、1)MR AF-1のリガンド選択的転写活性調節機構の解析、2)核内ステロイド受容体の組織特異的転写調節機構の臨床応用の観点から検討を行い、MRを初めとする核内ステロイド受容体のAF-1はその組織選択的な転写活性に深く関与し、さらにこの活性を調節する特異的な転写共役因子がその分子基盤にあり、これらがリガンドの作用を変化させうることを示した。またTZP-4238のような骨特異的なアンドロゲン作用を有する化合物を例として、実際に生体におけるARの作用に組織選択性が存在し、合成リガンドにより分離可能であることを示すと共に再燃前立腺癌等のある病態においてはこの組織特異的なAF-1活性調節の破綻が病因となりうることを示唆した。

審査要旨 要旨を表示する

ステロイドホルモンは核内ステロイド受容体に結合し、標的遺伝子の転写を介して生理作用を発揮する。核内ステロイド受容体の転写制御に関しては転写促進能AF-1/AF-2の存在、転写共役因子によるクロマチン構造変化が明らかにされているが、これらが標的組織ごとに多様な作用を発揮するメカニズムの詳細は未解明な部分が多い。

本研究は組織特異性をもたらす核内ステロイド受容体の転写制御機構について、受容体自体の発現量がリガンド応答性を制御する可能性、合成リガンドによる受容体構造変化により組織選択性が発揮される可能性、さらに組織特異性を発揮する上でのAF-1の詳細な転写制御分子機構の3点から解明を試みている。

第一章ではアンドロゲン受容体(AR)発現増加による前立腺癌の耐性化に注目し、ARの発現量が抗アンドロゲンリガンドへの応答性を制御する可能性を、ARレポーターアッセイ系にて検討している。その結果、AR発現量の増加は、抗アンドロゲンリガンドであるhydroxy-flutamide及びbicalutamideの特性をアンタゴニストからアゴニストへと変化させること、さらにAR A/B領域の欠損変異体を用いた検討からこの特性変化がAR AF-1を介して起こることを示し、組織特異的な転写制御において、受容体自体の発現量もAF-1を介してリガンドの応答性を変化させる要素であることを明らかとしている。これは病態の解明において核内ステロイド受容体の制御機構からの解析が重要な鍵となる可能性、及び新たな視点での薬剤開発の可能性を示したものである。

第二章では合成抗アンドロゲンリガンドTZP-4238の骨特異的な作用について、ラット骨粗鬆症モデルを用いた形態学的検討を行い、TZP-4238が組織選択的なアンドロゲンリガンドである可能性を検討している。その結果TZP-4238は骨吸収抑制作用を持つエストロゲンと異なり、皮質骨からなる骨幹部の外径及び骨密度を特異的に増加させ、破断強度の増大をもたらすこと、及び骨形態計測及び生化学的骨代謝マーカーによる作用機序の検討から、骨形成促進作用を有することを示し、TZP-4238が組織選択性を有する合成アンドロゲンリガンドであることを明らかとしている。これは骨組織には前立腺とは異なるアンドロゲン制御機構が存在する可能性及び、組織選択性エストロゲン受容体調整剤(SERM)に限らず、核内ステロイド受容体は合成リガンドによる立体構造変化を経て、組織選択性を付与しうることを示したものである。

第三章ではミネラロコルチコイド受容体(MR)の AF-1転写制御機構を分子生物学的に解析し、その転写制御機構がMRのリガンド選択性に関与する可能性を検討している。その結果、まず活性の存在が明確でなかったMR A/B領域について、2箇所の活性中心AF-1a、AF-1bから構成されるAF-1活性を同定した。続いてMR AF-1に対して、既知転写共役因子のうちp300、TIF 2が間接相互作用により転写活性を亢進することを示し、AF-1a領域をベイトとしたGSTアフィニティークロマトグラフィーにより、直接相互作用する新規な転写共役因子としてRNA helicase A (RHA)/CBP複合体を同定した。MRは生体内に存在するコルチゾールに比べてアルドステロンへの選択性を示すが、このRHA/CBP複合体のリガンド選択性への関与について、共免疫沈降法及びChromatin Immunoprecipitation (ChIP)-assay で検討し、RHA/CBP複合体がアルドステロン選択的にMRに結合すること、さらにこれらが結合するAF-1aを介してアルドステロン選択的にMR転写活性を亢進することを示した。以上の結果からMRにもAF-1活性が存在し、AF-2と転写共役因子を共有する一方でRHAをはじめとする特異的な直接相互作用因子による転写制御を受け、これがリガンド識別という特異性を示す上での分子基盤につながることを明らかとしている。

これはAF-1特異的な転写制御機構がリガンド選択性をはじめとする核内ステロイド受容体の組織特異性に重要な役割を持つことの分子基盤を示したものである。

本論文は組織特異的な核内ステロイド受容体の転写制御機構に関して、核内ステロイド受容体自体の発現量及び立体構造変化、さらには特異的な転写共役因子を介するAF-1転写制御の重要性を明らかにしたものであり、得られた知見については今後ステロイドホルモンの多様性の仕組みの解明及び、病態の解明・薬剤の開発に貢献されるものと期待される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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