学位論文要旨



No 216351
著者(漢字) 山本,泰司
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ヤスジ
標題(和) エストロゲンレセプターの組織特異的転写制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 216351
報告番号 乙16351
学位授与日 2005.10.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16351号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
内容要旨 要旨を表示する

女性ホルモンとも呼ばれるエストロゲンは,特に女性の様々な生理機能の維持に関わっている.加齢と共に訪れる女性の閉経はこのエストロゲン制御能の低下を意味し,更年期障害として総称される骨粗鬆症や高脂血症等の疾患を引き起こす.また,エストロゲン制御の破綻は,標的臓器である乳腺や子宮において発癌を誘因することも知られている.このエストロゲンの機能発現には各種組織においてエストロゲンを受容するレセプター(エストロゲンレセプター,ER)が関与する.ERは核内レセプターと呼ばれる転写因子群に属し,αとβの二種のサブタイプが知られている.

エストロゲンレセプターリガンドは,ERの存在が証明されて以来,エストロゲン依存的に増悪する乳癌の抑制にエストロゲンアンタゴニストが有効であると考えられたため,約半世紀に渡り,製薬会社を中心に種々のアンタゴニストが合成されてきた.この内,乳癌治療薬として最も成功したtamoxifenは乳癌におけるアンタゴニストとしての作用のみならず,骨や心血管系等の組織特異的にはアゴニスト作用を持つという複雑なER制御能を持つリガンドであることが明らかとなっている.tamoxifenはこの複雑な作用により子宮における発癌のリスクをあげるといった副作用を有することも明らかとなっており,最近ではより厳密にERの転写を制御する薬剤の合成に力が注がれている.その結果,アゴニスト作用を示さないfulvestrant(ICI182,780)や骨に特に強いアゴニスト作用を有するraloxifeneなどの創製に成功し,臨床上で使われ始めている.tamoxifenやraloxifeneのように組織選択的にアンタゴニスト作用とアゴニスト作用を示しうる薬剤はSERM(selective estrogen receptor modulator)とも呼ばれる.これらの多様なリガンドの創製が可能であることはERの転写を多様に制御しうる可能性を示しているが,その制御のメカニズムは明らかとなっていない.ERの組織特異的制御メカニズムを明らかにすることは,患者にとってより有益な薬剤の創製につながる.そこで,ERsの機能について種々のエストロゲンレセプターリガンドを用いて検討を行った.

まず初めに,ERαのリガンド結合領域における転写共役因子群との相互作用について検討し,ERαはエストロゲンによりコアクチベーターと結合し,SERMによりコリプレッサーと結合することを明らかにした.また,リガンド結合領域に位置するα-helixにアミノ酸変異を加え,そのことによる転写共役因子群との相互作用の変化を検討し,helix3と5に転写共役因子群との相互作用に重要な領域があること,また,tamoxifen耐性乳癌株から同定され,tamoxifenにアゴニスト活性を示させる変異として知られていたhelix3上のD351Y変異はエストロゲンによるコアクチベーター結合能は維持したまま,SERMによるコリプレッサーのリクルートが抑制される変異であることが明らかとなった.

次に,このERα(D351Y)に対し,pure anti-estrogenとして知られるfulvestrantと新規SERM,TAS-108がアゴニスト活性を示さないことを見出し,それらのリガンドについて検討を加えた.この二薬剤は共にステロイド骨格を有するという共通点を有する.

検討の結果,fulvestrantはERαの分解作用および直接的にERαをDNA結合から阻害することにより転写を完全にブロックできることが判明した.一方,TAS-108はERαのDNA結合阻害能は持たず,tamoxifenやraloxifeneといった既存のSERMと同様にコリプレッサーをリクルートすることが明らかとなった.更にtamoxifenでは活性化が見られるERαのリガンド非結合領域の転写活性化領域(AF-1)において,TAS-108では活性化が観察されず,AF-1への結合が報告されているコアクチベーターp300の結合抑制が示唆された.

合成リガンドにより完全なアンタゴニスト作用をERαのDNA結合を阻害することなしに,示しうることが示唆された.

このTAS-108は代表的なエストロゲン依存性乳癌株MCF-7細胞の増殖を抑制し,xenograft mouseモデル系においてもtamoxifenと同等以上の抑制活性を示した.OVXラットモデルにおいてはtamoxifenが示す子宮へのアゴニスト作用はほとんど示さず,エストロゲン不足による骨密度減少を抑制した.

このERαに対する完全なアンタゴニスト作用を示すTAS-108がどのように骨に対しアゴニスト作用を示しうるのか,次に検討した.

まず,エストロゲンレセプターのサブタイプであるERβに対する作用を検討した.その結果,TAS-108はERβに対しコリプレッサーのみならず,コアクチベーターTIF2をリクルートし,弱い転写活性を示しうることが判明した.このことの骨への作用の影響を検討するため,ERα,ERβそれぞれのKOマウスに対する作用をWTマウスに対するものと比較した.その結果,ERαKOマウスに対する骨密度維持作用はtamoxifenと同様にTAS-108でも低下し,ERβKOマウスに対する骨密度維持作用はほとんど変化しなかったことから,ERβでは無く,ERαを介して骨に作用していることが推察された.

SERMの骨への作用はエストロゲンと同様のアゴニスト作用を骨選択的に発現すると考えられているが,骨代謝マーカーの検討結果からは逆の作用を示している可能性も示唆された.ERαへのアンタゴニスト作用と骨密度維持作用の関係については今後の課題である.

本研究から,各種リガンドによって,レセプターのDNA結合の抑制やコファクターのリクルートを複雑に制御することが可能であり,その結果として組織選択的アンタゴニスト作用とアゴニスト作用を分離することおよび理想的な作用のみを合わせ持たせることの可能性が示唆された.これらの知見は,エストロゲンのみならず,各種ホルモン制御の破綻に起因する疾患をより安全にコントロールする薬剤の開発につながるものと期待される.

審査要旨 要旨を表示する

女性ホルモンとも呼ばれるエストロゲンは、性差を超えて様々な組織特異的な生理作用を示し、また病態にも関与する。エストロゲンは標的組織において、転写因子として作用するエストロゲンレセプター(ER)を介して、応答遺伝子の発現を調節する。ERはAF-1及びAF-2の二つの転写活性化領域を有し、これらの領域と組織特異的に相互作用するコファクター群が知られている。リガンド結合による転写調節能の誘導には、立体構造変化を伴うが、合成リガンド種特異的な構造変化が知られている。本研究では、ERの組織特異的な転写制御機構の分子レベルの解明を目指し、ERのコファクター相互作用に着目し、数種の合成リガンド(SERM)の作用を比較するとともに,ERα転写制御機構を解析した.

第1章では、SERMが結合したERαとコリプレッサーとの相互作用について検討し、ERαのリガンド結合領域(LBD)とコリプレッサーのID1/ID2が相互作用することが明らかとなった。このように、SERMがERαに対しコリプレッサーとの相互作用を誘導することを明らかにした。

第2章では、ERαLBDに変異体を作成し、コリプレッサー相互作用の変化と転写活性への影響を検討した。その結果、ERαLBD内のhelix3, 5における点変異によりSERMの一つであるタモキシフェン結合により誘導されるコリプレッサー相互作用が抑制された。このように、ERαとコリプレッサーの相互作用にはERαLBDのhelix3, 5が重要な部位であること、またERαのD351Y変異がタモキシフェン耐性を示す分子作用機構の一端を解明することができた。

第3章では、タモキシフェン結合によりERαAF-1活性化と組織特異的アゴニスト作用との関係について検討した。その結果、卵巣摘出ラットの子宮に対してタモキシフェンは強いアゴイスト活性を示したが、AF-1活性を持たないTAS-108はアゴニスト作用を示さなかった。以上の結果から、ERαAF-1活性が組織特異的アゴニスト作用発現に関与することを明らかにした。

第4章では、ERのもう一方のサブタイプであるERβの組織特異的アゴニスト作用への関与について、その可能性を検討した。その結果、ERαAF-1活性に差があるリガンドであるタモキシフェンとTAS-108の両方が、卵巣摘出ラット骨粗鬆モデルにおいて同様に骨密度維持作用を示すことを明らかにした。これらの結果から、骨における組織特異的アゴニスト作用にERβが関与する可能性を示した。

第5章では、SERMの骨代謝に対する組織選択的作用を、エストロゲンと比較検討した。血清中、尿中の各種骨代謝マーカーを測定した結果、骨形成に関与する骨芽細胞が発現するBAPやRANKL等の発現変動がエストロゲンとSERMとでは異なっていた。エストロゲンは骨吸収を抑制することで骨量を増強させるのに対し、SERMは骨形成を促進する可能性が考えられた。

以上本研究では、リガンド種依存的なERの種々の組織特異的転写制御作用について、ERのAF-1及びAF-2に対するコファクター相互作用の変化が重要であることを明らかとした。また,合成リガンドを用いることで、コファクター相互作用を変化させる立体構造を導き、組織特異的なER機能を引き出す可能性を示した。

以上本論文は、ERによる組織特異的転写制御作用の分子機構の一端を明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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