学位論文要旨



No 216352
著者(漢字) 阪上,了一
著者(英字)
著者(カナ) サカウエ,リョウイチ
標題(和) 糖尿病診断用酵素の遺伝子解析と蛋白質工学的改良に関する研究
標題(洋)
報告番号 216352
報告番号 乙16352
学位授与日 2005.10.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16352号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 助教授 足立,博之
内容要旨 要旨を表示する

グルコースのような還元糖と蛋白質のアミノ基との非酵素的な反応はグリケーション(糖化)と呼ばれ,糖尿病の合併症の進行や老化と関連付けられている.血糖値レベルの高い糖尿病患者においては,血中蛋白質の糖化度が増加することが知られており,糖化ヘモグロビンHbA1c,糖化アルブミンGAといった糖化蛋白質が糖尿病の判定,病状管理・合併症予防の指標として利用されている.中でも重要性が高いHbA1cは,ヘモグロビンの 鎖N末端のバリン残基が非酵素的に糖化したものであり,測定には高速液体クロマトグラフィー(HPLC)や抗体を用いた免疫学的方法が用いられてきた.しかし,HPLC法は専用の機器を用いるため測定が高コストであり,機器間差・施設間差が大きく,免疫学的方法もコストや特異性,測定時に用いる自働分析機のセルの汚染などが問題となっている.これらを克服するために,糖化蛋白質に作用する酵素による測定法の開発が期待されており,多くの研究者が糖化アミノ酸,糖化ペプチドに作用する酵素フルクトシルアミノ酸オキシダーゼ(FAOX)を探索・報告している.堀内らが,Corynebacterium sp. 2-4-1から発見したFAOX-Cはフルクトシルグリシン(FG)やフルクトシルバリン(FV)などの 位のアミノ基が糖化された糖化アミノ酸に良く作用する一方で, 位のアミノ基が糖化された フルクトシルリジン( FLys)に全く働かない特徴を持つ.これは他に報告されている糸状菌由来のFAOXとは異なる特徴であり,ヘモグロビンの 鎖N末端バリン残基が糖化されたものであるHbA1cを測定する上では非常に優れた性質である.そのため,本研究ではFAOX-Cの大量生産技術の確立,機能の改良を行うことで,HbA1c酵素法診断技術開発上の課題を解決することを目指した.

FAOX-C遺伝子のクローニングと大腸菌での発現

まず,生産菌を大量培養し,既報の方法によりFAOX-Cを精製した後,逆相カラムCapcell Pak C18により単一の蛋白質にし,N末端アミノ酸配列を決定した.また内部アミノ酸配列は各種ペプチダーゼにより分解して得たペプチドにより決定した.これらのアミノ酸配列によりデザインした混合オリゴヌクレオチドをプローブとして,生産菌染色体の各種制限酵素処理断片に対してサザンハイブリダイゼーションを行った.制限酵素SacIで処理したDNA断片に対しては1.05 kbpのバンドが,制限酵素PvuIIで処理したDNA断片に対しては6.96 kbpのバンドが複数のプローブで共通して得られた.それぞれの染色体断片によるライブラリーからコロニーハイブリダイゼーションにより,それぞれのポジティブクローンを得た.それぞれ単独の翻訳産物はFAOX活性を有さなかったが,塩基配列解析により見出された重なり合う領域を除いて連結したDNA断片上のORFを大腸菌で発現させたところ,FAOX活性を持つことがわかった.原株由来酵素と同様,FGやFVにはよく作用するが, FLysには作用しないことが確認できた.

ORFは1,116塩基で,372アミノ酸の蛋白質をコードしており,蛋白質の推定分子量は39,042である.FAD結合モチーフ配列GxGxxGが,N末端領域に確認できた.今回クローニングしたFAOX-Cのアミノ酸配列は,糸状菌由来のFAOXとの相同性が低く,基質特異性も糸状菌由来の他のFAOXと異なることが改めて確認できた.Corynebacterium sp. 2-4-1のFAOXは,糸状菌由来のFAOXと比較して,ユニークな基質特異性と一次構造をもつことが明らかになった.一方,FAOX-CはAgrobacterium Ti plasmid pTi15955由来のAgaE-like proteinに対して56%の相同性を示すが,AgaE-like proteinもFAOX活性を持つことが廣川らによって示された.

指向進化によるFAOX-Cの耐熱化

FAOX-Cの生産性と FLysに作用しない基質特異性を損なわず耐熱性を向上させることを目指し,FAOX-C遺伝子を鋳型にin vivoでの遺伝子への変異導入とメンブレンアッセイとを組み合わせたスクリーニングを複数回繰り返すことによって指向進化(directed evolution)を試みた.変異導入はXL1-redへの形質転換により行い,得られた全コロニーからプラスミドを回収し,DH5 に形質転換した.得られたコロニーをナイロンメンブレンに転写し,メンブレンを55℃で熱処理した後に,活性測定試薬を浸したアッセイ用メンブレンと重ね合わせ反応させ,コロニー部分が発色したクローンを選抜した.スクリーニングのラウンドを重ねるごとに熱処理の時間を長くすることで指向進化の選択圧を高めた.4ラウンドの指向進化によって,得られた最も耐熱性が向上した変異型酵素(FAOX-TE)では,5カ所(T60A,A188G,M244L,N257S,L261M)に変異が生じており,野生型酵素FAOX-Cでは37℃以上で不安定であるのに対し,FAOX-TEでは45℃でも安定であった.FAOX-TEのFVやFGに対する反応性はFAOX-Cと比較して差はなく, FLysに反応しない性質にも変化がなかった.各ラウンドで得られた変異型酵素は,1ラウンド目がA188G,M244Lの二重変異株であり47℃,10分間の熱処理での残存活性が30%,2ラウンド目はA188G,M244L,L261M(47℃,10分間の残存活性35.5%)及びT60A,A188G,M244L(47℃,10分間の残存活性70%)の2種,3ラウンド目はT60A,A188G,M244L,L261M(47℃,10分間の残存活性80%)であり,4ラウンド目に得られたのがFAOX-TE(47℃,10分間の残存活性90%)であり,ラウンド毎に耐熱性が向上し,酵素生産性も損なわれず, FLysに反応しない性質も保持した耐熱性FAOXが得られた.

各変異点を解析したところ,T60A及びM244Lは単独での耐熱化効果が認められたが,残りの3箇所は単独での耐熱化効果が認められなかった.また,M244L単独変異株とA188G,M244L二重変異株とでは,熱処理による残存活性が同等であったことから,A188G変異の耐熱化効果はほとんどないと考えられた.一方,N257SとL261Mは,各ラウンドでの耐熱化効果から,単独では効果がないものの変異点の組み合わせによって耐熱化に寄与していると考えられた.また,各変異点について他のアミノ酸への置換の耐熱化効果を上記のスクリーニングと同様のアッセイ方法で検証したが,耐熱化効果の認められなかった188番目以外はFAOX-TEでの変異点が最適であることが示された.

FAOX-TEの結晶化

耐熱性のフルクトシルアミノ酸オキシダーゼFAOX-TEをクエン酸ナトリウムを沈殿剤として使用してハンギングドロップ蒸気拡散法により結晶化したところ,黄色の盤状及び棒状の2つの型の結晶が得られた.黄色の盤状結晶は1.5Mクエン酸ナトリウム,0.1M MOPS(pH7.0)に最適化すると単独で得られるようになり,得られた盤状結晶からSPring-8のビームラインBL44B2において1.0 Aの波長のシンクロトロン放射光を用いX線回折のデータ収集を行った結果,1.8 Aの解像度のX線回折データをRmerge 4.4%,completeness 98.4%で収集することが出来た.結晶は,空間群C2に属し,a = 101.08, b = 63.36, c = 83.07 A ,β= 108.80°の格子構造を持っていた.非対称単位当たり1分子存在すると仮定して計算したVM値は3.2 A3Da-1と計算され,これより見積もられる溶媒含量は62%であった.一方,黄色の棒状結晶は1.5Mクエン酸ナトリウム,0.1M Tris-HCl(pH8.0)の条件で単独で得られ,得られた棒状結晶からは2.7 Aの解像度の回折像が得られ,空間群P4122またはP4322に属し,a = b = 119.09, c = 164.66 Aの格子構造を持つことがわかった.また,非対称単位当たり1分子存在すると仮定して計算したVM値は3.6 A3Da-1と計算され,これより見積もられる溶媒含量は66%であった.回折データは,Rmerge 12.4%,completeness 100%で収集することが出来た.それぞれ再溶解した酵素液にも活性があることを確認した.

FAOX耐熱化の立体構造からの検証

2種の結晶の内,解像度の優れていた盤状結晶で水銀による重原子置換を行い,多波長異常分散法(MAD)によりFAOX-TEの結晶構造が決定された.FAOX-TEの立体構造は,サルコシンオキシダーゼ(SOX)と類似しており,SOXとその基質アナログであるジメチルグリシンとの複合体の立体構造と重ね合わせることで,FAOXの基質の入り込む部位が推定でき,全体の構造をFAD結合ドメインと触媒ドメインの2つに分けることが出来た.FAOX-TEで起こった5ヶ所の変異のうち,耐熱化効果の認められなかったG188AはFAD結合ドメイン側にあったものの,耐熱化効果の認められた4ヶ所は触媒ドメインにあった.

T60Aは ヘリックスの開始部分にあり,溶媒に露出した位置にある.溶媒に露出した位置にある ヘリックス中のAlaが蛋白質の安定化に働くという報告があり,これも同様の例であろうと考えられた.一方,M244Lは疎水性の高い領域にありこの変換により空間を埋めるように働き耐熱化に寄与したのではないかと考えられた.またN257Sは シートをつなぐターンの部分にあり側鎖が同じく シートをつなぐターンを構成するVal236の主鎖のカルボニル基と水素結合していた.また,L261Mも シート中の同様に疎水性の高い領域にあり,耐熱化に寄与していると考えられた.

図.FAOX-TEの立体構造と変異点

審査要旨 要旨を表示する

タンパク質のアミノ基に還元糖が非酵素的に結合する反応を糖化というが、糖尿病患者では血中タンパク質の糖化度が増加しており、これは病状の判定や管理のための安定した指標となる。ヘモグロビンβ鎖N末端のバリンが糖化したHbA1cの量が最も重要で、機器分析や免疫反応による定量法があるが、簡便かつ定量性がよい酵素法の開発が強く期待されている。本論文は、この目的に利用可能な、糖化アミノ酸特異的に作用する、コリネ菌由来の酵素フルクトシルアミノ酸オキシダーゼ(FAOX-C)の大量生産と酵素の熱安定化に関する研究をまとめたもので、5章からなっている。

第1章では、タンパク質の糖化、糖尿病との関係、FAOX-Cの諸特性に関し、研究開始時までの知見と問題点をまとめ、本論文の研究の目的と意義を述べている。

第2章では、本来の生産菌Corynebacterium sp. 2-4-1では生産量が少なく不安定であることから、FAOX-Cをコードする遺伝子をクローン化し、大腸菌で大量生産することに成功した。FAOX-Cを精製後、各種ペプチダーゼ消化によるペプチド断片のアミノ酸配列を決定し、5つの内部アミノ酸配列を得た。これより混合オリゴヌクレオチドをデザインし、サザンハイブリダイゼーションで生産菌DNAの制限酵素断片長を求め、サブゲノムライブラリーを作製した。コロニーハイブリダイゼーションで得たクローンから、FAOX-Cの遺伝子全長を得た。FAOX-Cは372アミノ酸、分子量は39,042で、N末端近くに補酵素FADの結合モチーフ(GxGxxG)を認めた。糸状菌が生産するフルクトシルアミノ酸オキシダーゼとは基質特異性が異なるが、配列の相同性も低く、本酵素との違いが明確になった。大腸菌でこの遺伝子を発現させることにより、元株と同一の基質特異性をもつ活性の酵素を大量に生産することができ、精製工程も大幅に改良された。

第3章では、FAOX-Cを臨床検査に応用する上で障害となる、耐熱性の低さを、基質特異性を損なうことなく改良するため、変異処理と選抜を繰返す指向進化を試みた。ミューテーターXL1-red株での複製により変異導入したFAOX-C発現プラスミドをDH5α株に形質転換し、得られたコロニーをナイロンメンブレンに転写して、55℃の熱処理を行った。これを、活性測定試薬を浸したアッセイ用メンブレンと重ね合わせて反応させ、コロニー部分が強く発色したクローンを選抜した。このようなスクリーニングで熱処理時間を長くすることにより選択圧を高めた。4ラウンドの指向進化によって得られた最も耐熱性が高い変異型酵素FAOX-TEは、T60A, A188G, M244L, N257S, L261Mの5ヶ所のアミノ酸置換をもち、野生型FAOX-Cが37℃以上で不安定であるのに対して、45℃でも安定である。基質特異性などの他の性質は変化がなかった。変異は、1ラウンド目にA188G, M244Lの二重変異が起こり、2ラウンド目にT60A、3ラウンド目にL261M、4ラウンド目にN257Sが加わり、それにより47℃で10分後の残存活性が、30%→70%→80%→90%と向上した。単独変異での効果を調べると、T60AとM244Lは耐熱化効果があるが、他はなかった。A188Gを復帰させても影響は認められず、耐熱性に寄与していないことが分かった。N257SとL261Mは単独では効果がないが、他との組合せで耐熱化に寄与していた。各変異点について全アミノ酸に置換しうる部位指定変異を導入したが、メンブレンアッセイのスクリーニングで耐熱化したものは、上記の置換のみであり、各変異が最適であると考えられた。

第4章では、クエン酸ナトリウムを沈殿剤とするハンギングドロップ蒸気拡散法により、耐熱化したFAOX-TEの結晶化に成功し、盤状および棒状の黄色結晶を得た。盤状結晶から得られた1.8Åの解像度のX線回折データに基づくFAOX-TEの推定立体構造に対して、本酵素の分子的特性を検討した。構造は、既知のサルコシンオキシダーゼと似ており、その基質アナログであるジメチルグリシンとの複合体立体構造との比較から、FAOX-TEのFAD結合ドメインや触媒ドメインを推定した。FAOX-TEの耐熱化効果に寄与した4つのアミノ酸置換はすべて触媒ドメインにあり、疎水性の高い領域で空間を埋めたり、水素結合生成、αヘリックス安定化など、それぞれの機構を推定した。

第5章では、全体の総括と今後の展望が述べられている。

以上、本論文は、糖化アミノ酸に特異的に作用する酵素の遺伝子を取得し、指向進化による耐熱性向上に成功し、さらに各変異の立体構造上で推定される役割を明らかにしたもので、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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