学位論文要旨



No 216355
著者(漢字) 奥田,陽
著者(英字)
著者(カナ) オクダ,ヨウ
標題(和) 鶏アデノウイルスによる筋胃びらんに関する研究
標題(洋)
報告番号 216355
報告番号 乙16355
学位授与日 2005.10.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16355号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 久和,茂
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

鶏の筋胃にびらん(粘膜に限局した壊死)が形成されることは古くから知られており、1930年代に初生ひなに認められた筋胃びらんが報告されている。1970年代にはペルーで魚粉給餌を原因とする筋胃びらんが報告され、日本でも同様の疾病が1978年から1979年にかけて各地で発生した。その後、その原因が赤身魚類を高温で加熱処理した際に生成される物質であることが明らかとなりジゼロシンと命名された。この魚粉に起因する筋胃びらんに加えて、ヒスタミン、マイコトキシン、ビタミン欠乏、過剰な銅などの給与によっても筋胃びらんが再現されたことから、筋胃びらんは食餌性の疾患であるという認識が定着した。

近年、アデノウイルス科、アビアデノウイルス属(family Adenoviridae, genus Aviadenovirus)に属する鶏アデノウイルス(Fowl adenovirus: FAdV)も筋胃びらんを起こすことが知られるようになった。FAdVの一部の株は封入体肝炎(IBH)や心膜水腫症候群(HPS)の原因として知られているが、ほとんどの血清型のFAdVによるIBHの自然発生例がある一方で健康な鶏からもウイルスが分離されることや、経口投与による疾病の実験的再現が難しいなどその発生起序については不明な点が多い。Grimesらは1977年にFAdV血清型8 (FAdV-8)を感染させた鶏に筋胃びらんが発生することを認めた。しかし、この実験ではウイルス分離は実施されておらず、筋胃病変部にFAdVに特徴的な封入体が認められなかったことからFAdVと筋胃びらんの関係については十分明らかにされなかった。1990年代に入ると採卵鶏、ブロイラー、およびウズラなどで封入体を伴う筋胃びらんの野外発生例が報告されるようになった。これらはいずれも単発的な発生でウイルス分離も実施されていないが、FAdVが筋胃びらんを引き起こす可能性が示唆された。2000年代に入ると国内でFAdVによるブロイラーの筋胃びらんの発生報告が相次ぐようになった。Onoらは1998年および1999年に出荷ブロイラーで発生した2件の筋胃びらん集団発生事例について調査した結果、筋胃病変部粘膜上皮細胞にFAdV抗原陽性の核内封入体を確認するとともにFAdV血清型1(FAdV-1)を分離した。これは出荷ブロイラーに集団発生したFAdVによる筋胃びらんの初報告であり、また、筋胃びらん病変部からの最初のウイルス分離例であった。

このような背景のなか、本研究では筋胃びらん由来FAdVの病原性を明らかにするために鶏をもちいた感染試験を実施し、その病態を調査した。

第1章では筋胃びらん病変部由来のFAdV-1である、99ZH株をspecific-pathogen-free採卵鶏(SPF鶏)に接種してその病原性を調査した。99ZH株を5日齢のSPF鶏に経口および点眼接種したところ、接種後3〜14日目に筋胃びらんが形成された。これらの病変では病理組織学的にリンパ球、マクロファージなどの細胞浸潤や核内封入体が認められ、野外症例と同様の筋胃びらんであった。ウイルス分離を実施した結果、腺胃、筋胃、膵臓、および直腸からFAdVが分離されたが、肝臓からは分離されなかった。同様の結果は99ZH株を接種した53日齢のSPF鶏でも認められた。また、FAdVはこれまで封入体肝炎などにみられるように鶏の肝臓に強い親和性をもっているとされていたが、本試験の結果では接種鶏の肝臓からウイルスが分離されなかったことから、筋胃びらん由来のFAdVは肝臓よりも筋胃に強い親和性を持っている可能性が示唆された。

第1章で筋胃びらん由来FAdVがSPF鶏に筋胃びらんを形成することを明らかにしたが、その病変の程度が野外症例よりも軽度であったこと、およびFAdVによる疾病は一般的に採卵鶏よりもブロイラーで重篤であるとされていることから、第2章ではブロイラーをもちいた感染試験を実施した。また、感染時日齢や接種ウイルス量の違い、および保有している移行抗体が病変形成に及ぼす影響を調査した。99ZH株を移行抗体を保有しない5週齢のブロイラーに接種したところ、接種後5〜10日目に筋胃びらんが形成された。3週齢のブロイラーをもちいた試験では、保有している99ZH株に対する移行抗体価によって試験群を設定した。その結果、いずれの試験群でも接種後4〜10日目に筋胃びらんが形成された。次に高い移行抗体を保有する1週齢のブロイラーをウイルス接種量で群別けした。その結果、高い移行抗体を保有している鶏に低力価のウイルスを接種した試験群でも筋胃病変が形成された。諸臓器からのウイルス分離の結果、筋胃など消化管臓器から分離されるものの肝臓、腎臓、脾臓からは分離されなかった。また、3週齢および1週齢のブロイラーをもちいた試験では元気消失、食欲不振といった臨床症状を示し増体率が悪化する鶏も認められた。各試験区に共通して筋胃病変はSPF鶏への感染試験におけるものと比較して肉眼的に重篤であり、野外症例と同程度であった。本試験の結果、FAdVによって野外症例と同程度の筋胃病変が再現されることが明らかとなり、重篤な病変を形成した場合は発育不良を引き起こす可能性があることが示された。また、高い移行抗体を保有している鶏にも感染し病変を形成したことから、経口的に感染したウイルスは筋胃粘膜に直接感染するため血中の移行抗体では感染および病変形成を防御できないものと思われた。

第1章および第2章で、筋胃びらん由来のFAdV-1によって筋胃びらんが再現されることを明らかにした。また、Onoらは日本全国18ヶ所の食鳥処理場で廃棄された筋胃の調査をおこなったところ、その大半はFAdV-1が関与したものであることを報告している。しかし一方で、FAdV-1の国内標準株であるOte株は筋胃びらんを再現しない。これらのことから、FAdV-1には筋胃びらんを引き起こすウイルス株と引き起こさないウイルス株が存在する可能性があると思われた。そこで第3章では、99ZH株とOte株のファイバー遺伝子の比較をおこなった。筋胃びらん由来のFAdV-1(99ZH、AGE42、AGE56)およびOte株のファイバー遺伝子についてその全長をPCRで増幅後シークエンスし、塩基配列を比較した。その結果、ショート・ファイバー遺伝子では4株とも塩基配列が100%一致した。一方でロング・ファイバー遺伝子では筋胃びらん由来の3株では100%一致したもののOte株とは14塩基の置換が認められた。この違いの一つを認識する制限酵素HinfIでロング・ファイバー遺伝子のPCR産物を切断したところ、両者を区別することができた。次に、16株の筋胃びらん由来FAdV-1と10株の健康採卵鶏糞便由来FAdV-1についてこのPCR-RFLP解析を実施したところ、筋胃びらん由来の16株は全て99ZHと同じ切断パターンであった。一方で健康鶏糞便由来の10株では99ZHと同じ切断パターンが3株、Oteと同じ切断パターンが6株、両者の混合型が1株であった。そこで、この切断パターンと病原性の関係を確かめるために、SPF鶏をもちいた感染試験を実施した。接種ウイルスには99ZHおよびAGE42(筋胃びらん由来、99ZH型の切断パターン)、NF01およびNF02(糞便由来、Ote型の切断パターン)、NF10(糞便由来、99ZH型の切断パターン)の5株をもちいた。その結果、切断パターンが99ZH型であった3株で筋胃びらんが再現されたが、Ote型であった2株では病変は形成されなかった。以上の結果から、FAdV-1には筋胃びらんを引き起こすウイルス株と引き起こさないウイルス株が存在することが明らかとなり、両者はロング・ファイバー遺伝子のPCR-RFLP解析で区別できるものと思われた。

第1章から第3章で筋胃びらんの主要な原因であるFAdV-1の病原性を明らかにしてきたが、廃棄された筋胃の病変部から稀にではあるがFAdV-8も分離されている。筋胃からのFAdV-8の分離例が少ないこと、およびFAdV-8は過去に日本国内で封入体肝炎の原因ウイルスとしての報告があることから、第4章では筋胃びらん病変部から分離されたFAdV-8の病原性を確認するためにSPF鶏をもちいた感染試験を実施した。筋胃びらん由来FAdV-8であるM013株またはG0054株を5日齢のSPF鶏に経口接種したところ、軽度ではあるが筋胃びらんが確認され、筋胃からウイルスが分離された。次に1日齢のSPF鶏にG0054株を筋肉内接種したところ、接種後3日目から死亡する鶏や沈うつや元気消失といった重篤な臨床症状を示す鶏が確認された。それらの鶏を剖検したところ、肝臓が退色しており病理組織学的に核内封入体を伴う壊死性の肝炎および膵炎が確認された。また、肝臓および膵臓から高い力価のウイルスが分離された。これらのウイルス学的および病理学的検査の結果からFAdV-8の筋肉内接種によって引き起こされた疾病は典型的なIBHであることが明らかとなった。以上の結果から、筋胃びらん由来のFAdV-8には経口接種で筋胃びらんを再現するだけでなく、筋肉内接種で封入体肝炎を再現するウイルス株が存在することが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

鶏の筋胃びらんは古くから知られており、日本では魚粉給餌を原因とする筋胃びらんが1970年代に各地で発生したことから食餌性の疾患であるという認識が定着した。近年、採卵鶏やブロイラーで封入体を伴う筋胃びらんの野外発生例が報告され、鶏アデノウイルス(Fowl adenovirus: FAdV)の関与が示唆されるようになった。申請者らは出荷ブロイラーで発生した筋胃びらんについて調査し、FAdV血清型1(FAdV-1)を分離した。これは出荷ブロイラーに集団発生したFAdVによる筋胃びらんの初報告であり、また、筋胃びらん病変部からの最初のウイルス分離例であった。

そこで本研究では筋胃びらん由来FAdVの病原性を明らかにするために鶏をもちいた感染試験を実施し、その病態を調査した。

第1章では、筋胃びらん由来のFAdV-1である99ZH株をspecific-pathogen-free採卵鶏(SPF鶏)に接種してその病原性を調査した。99ZH株を5日齢および53日齢のSPF鶏に接種したところ、接種後3〜14日目に筋胃びらんが形成され、病理組織学的にも野外症例と同様の病変が再現された。FAdVは腺胃、筋胃、膵臓、および直腸から分離されたが肝臓からは分離されなかったことから、筋胃びらん由来のFAdVは肝臓よりも筋胃に強い親和性を持っている可能性が示唆された。

第2章では、FAdVの感受性が鶏種によって違う可能性があることからブロイラーをもちいた感染試験を実施した。5週齢、3週齢、または1週齢のブロイラーに99ZH株を接種したところ、接種時の週齢や移行抗体価、および接種ウイルス量に関係なく全ての試験区で筋胃びらんが形成された。3週齢または1週齢時に接種した試験区では臨床症状を示し増体率が悪化する鶏が認められた。各試験区に共通して筋胃病変はSPF鶏で形成されたものと比較して重篤であった。以上の結果から、FAdVによって野外症例と同程度の筋胃病変が再現されることが明らかとなり、重篤な病変を形成した場合は発育不良を引き起こす可能性があることが示された。また、移行抗体では感染および病変形成を防御できないことから、経口的に感染したウイルスは筋胃粘膜に直接感染するものと考えられた。

第1章および第2章で、FAdV-1によって筋胃びらんが再現されることを明らかにしたが、一方で国内標準株のOte株は筋胃びらんを再現しない。このことから、FAdV-1には筋胃びらんを引き起こすウイルス株と引き起こさないウイルス株が存在すると思われた。そこで第3章では、99ZH株とOte株のファイバー遺伝子の比較をおこなった。3株の筋胃びらん由来FAdV-1とOte株のファイバー遺伝子についてその塩基配列を比較したところ、ロング・ファイバー遺伝子で筋胃びらん由来株とOte株では14塩基の置換が認められ、PCR産物を制限酵素HinfIで切断することで両者を区別することができた。次に、筋胃びらん由来株と採卵鶏糞便由来株についてこのPCR-RFLP解析を実施したところ、筋胃びらん由来株は全て99ZHと同じ切断パターンであったが、採卵鶏糞便由来株の切断パターンは単一ではなかった。そこで、この切断パターンと病原性の関係を確かめるために感染試験を実施した。その結果、切断パターンが99ZH型であったウイルス株では筋胃びらんが再現されたが、Ote型であったウイルス株では病変は形成されなかった。以上の結果から、FAdV-1には筋胃びらんを引き起こすウイルス株と引き起こさないウイルス株が存在することが明らかとなり、両者はロング・ファイバー遺伝子のPCR-RFLP解析で区別できるものと思われた。

第4章では筋胃びらん病変部から分離されたFAdV-8の病原性を確認した。M013株またはG0054株を5日齢のSPF鶏に経口接種したところ、軽度ではあるが筋胃びらんが再現された。G0054株を1日齢のSPF鶏に筋肉内接種したところ、接種後3日目から重篤な臨床症状を示し死亡する鶏が観察された。それらの鶏では肝臓が退色しており、病理組織学的に核内封入体を伴う壊死性の肝炎および膵炎が確認され、肝臓および膵臓からは高い力価のウイルスが分離された。これらの結果からFAdV-8の筋肉内接種によって封入体肝炎(IBH)が再現されたことが明らかとなった。以上の結果から、筋胃びらん由来のFAdV-8には経口接種で筋胃びらんを再現するだけでなく、筋肉内接種でIBHを再現するウイルス株が存在することが明らかとなった。

以上本論文は、FAdVが鶏の筋胃びらんの原因となることを初めて明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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