学位論文要旨



No 216359
著者(漢字) 尾上,圭介
著者(英字)
著者(カナ) オノエ,ケイスケ
標題(和) 文法と意味の交渉に関する研究
標題(洋)
報告番号 216359
報告番号 乙16359
学位授与日 2005.10.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16359号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,泰
 東京大学 教授 上野,善道
 東京大学 教授 木村,英樹
 東京大学 助教授 井島,正博
 東京大学 助教授 西村,義樹
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、文法形式をめぐってその形式自身の固有の性質とその形式が結果として表現することになる意味との関係を明らかにすることを目的としている。

文法形式は、ほとんどの場合、一つの形式が場合によって異なるいくつかの意味を表現しうる。この多義性の構造を分析しようとすれば、その形式が表すある一つの代表的な意味をその形式自身に内在する意味だと仮定して他の意味がそこから派生してくる道すじを考えるという方法をとりがちであるが、そのような派生、拡張関係ですべての用法を説明できることは、むしろ少ない。そこで、別の方法、すなわちその文法形式に固有の性格を仮定して、それが様々な条件の下にそれぞれの場合の意味を表現することになる論理を考える必要が出てくる。そのようにしてすべての用法の存在がその条件と共に余すところなく説明されれば、その形式の固有の性格をそのように捉えることの正しさが証明されたことになり、文法形式と意味との関係についてのそのような観点の有効性が証明されたことになる。本論文は、文法形式の多義性の構造の分析という手段を通して、文法形式自身の性質と意味とのこのような立体的な関係を主張するものである。

一つの文法形式が用いられて文にもたらす表現効果(それを意味と呼ぶなら意味)は一つの範疇にとどまらないことが多い。「ラレル」という形態は「受身」(通常ヴォイスという範疇に関わるとされる)、「可能」(あえてどこかに位置させるとすればモダリティ)、「自発」(ヴォイスでもモダリティでもない)、「尊敬」(広義にモダリティに含める見解もありえようが、本来の意味のモダリティとは別であろう)などの用法を持つが、これらの意味は多様な次元にわたる。「ハ」という助詞は、題目提示をする、対比の意味を表す、という二つの表現効果を持つが、前者は一文の表現上のスタイル(断続関係と言われることもあるし、情報の新旧分離とも言われることもある)の構成に関する表現効果であり、後者は並行する他のモノなりコトとの関係に関わる意味である。一つの次元にはない。そのような異次元、複数範疇にわたる意味・用法を一つの形式が実現しうる論理を考えていくためには、ヴォイス・モダリティ・テンス、題目語・主語・述語などの範疇自身の性質、内実と、そのような範疇が成立する根拠を考えることが必要であるし、また逆に、それらの言語形式の多義性の構造を明らかにすることがそれらの文法・意味範疇の内実を深く捉えることに役立つ。

文法形式の多義性の構造を論ずる本論文は、そのような意味で、主語・述語・題目語、モダリティ・テンスというような文法・意味範疇に関して、また「受身」「可能」「推量」「完了」というような文法的意味に関して、それがどのようなものであるかを明らかにしようとする一面をも合わせ持っている。

そういう目的を有するものとして、本論文は以下のような構成を持つ。

第二分冊(刊行物としての『文法と意味I』に対応)第一章は、文法形式自身の性質とそれが文に用いられた結果生ずる意味とを峻別しなければならないという方法的主張が要請される理由を論じており、一語文、感嘆文、希求(命令)文などいわゆる喚体的な構造を持つ文の成立様相と意味発生の論理を論じている。

第二分冊(『文法と意味I』に対応)第二章は、いわゆる陳述論の精神、学史とその中のどの面を継承し、どの面を否定すべきかを論じている。文法形式自身とそれが表す意味とを重ねてしまって考え(意味とは別に文法的性格を考えようとはせず)、従って文全体の意味的構成を語ることをもって文の構造を語ったことにするという"文法"論のあり方は、戦後陳述論から始まって現在の階層的モダリティ論に至る一つの有力な見方であるが、この学史の一面を肯定しつつも全体的方向としては否定することになる本論文にとっては、この学史の内部構造を解析しておくことが是非とも必要となる。

第二分冊(『文法と意味I』に対応)第三章は、述語をめぐって、「シヨウ」「シタ」「シテイル」などの文法形式がどのようなメカニズムをもって主観的意味、時間的意味、およびその他の若干の意味を表すことになるのかを論じ、それを通じてモダリティ、テンスというような範疇はどのようなものとして捉えるべきかを論じている。

第三分冊(『文法と意味II』の主要部分に対応)第一章は、助詞「ハ」の多義性の構造とこの助詞をめぐって注目される特殊な文型(「象は鼻が長い」「ぼくはうなぎだ」など)の成立の論理を論じ、この助詞の多面性が今までどのように論じられてきたかという学史についての私の理解と、この助詞について本当に論じられるべきこととは何かを論じた。その中では、係助詞とは何か、「ハ」はどのような意味で係助詞なのかについての見解とともに、当然、題目語(主題)と呼ばれるものの内実把握と規定が必要になるが、これについても積極的な主張を提出している。

第三分冊(『文法と意味II』の主要部分に対応)第二章は、主語をめぐって、(普遍的に)主語とは何か、日本語で主語はどう規定されるべきかを認知言語学的観点をもって論じ、その中で助詞「ガ」(ガ格項)を日本語の主語の印として位置づけた。そこでは、二重主語文や主語項の複雑な配置が現れるラレル形述語文の構造が問題となるが、二重主語文については二つの主語が要請される原理からこれを二種に分類してこれまでの研究史にはなかった新しい見方を提出したほか、ラレル文の全用法を「出来文」(個体の運動として事態を把握せず、コト全体の生起として捉える特別な語り方の文――出来スキーマを持つ文――)として捉えることを通して、ラレル文の多義性の構造と主語配置がそうなる論理とを説明した。その過程で「受身」「可能」という文法的意味を独自に定義しなおし、合わせて、ヴォイスというものについての広い見方を提唱している。

第一分冊「総括的序章」(『文法と意味II』の序章として刊行予定)は、そのような多岐にわたる文法形式と意味との関係の議論を通して本論文が主張しようとしたこととは結局なにかを、方法的主張、形と意味の関係を見る視点のあり方という面から整理し直し、あらためて論じている。その中では、同時に、文の種類、述語、主語、モダリティ、テンスなどの文法範疇についても、本論文の見解は先行学説とどのように異なるか、なぜ先行研究とは違うそのような主張をしなければならないかを論じた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文のテーマは文法形式固有の性格と結果として表現される多義的意味との関係であり、その関係と表裏一体をなす文法・意味範疇の内実とそれらの範疇の成立の基盤である。

本論文の構成と論旨は以下の如くである。第二分冊第一章では、まず、「水」のような名詞的な素材をただちに言語場に投げ出して成立する、述語のない文(喚体)が感動と希求の二つの意味を分化する機構に注目し、そこに文法形式固有の性格が結果として多義的意味を生ずる機構の典型を見出している。そして、喚体の範囲を積極的に用言を素材として言語場に投げ出す場合にも拡張し、「鳥が飛ぶ」のような、動詞や形容詞などの用言を中核にもつ通常の文にも名詞文同様の喚体的な一面を見出し、その文法的意味を追求する方向は、申請者の一貫した立場であり、その論理の整合性と洞察力の深さは他の追随を許さない。

第二分冊第二章では、戦後文法学界で多くの議論を巻き起こした陳述論の精神、学史を検証し、まず、話し手−聞き手の場での表現の成立を文法的な構造と重ね合わせて考えたところに最も大きな問題があったと指摘する。そして、それに対する無自覚が、主観的なものが階層的により客観的なものを包んで文が成立するという階層的なモダリティ論を生んだと、戦後陳述論の流れを的確に総括し、それに代わるべき文法論の姿を提示している。

第二分冊第三章は、過去や完了などの範疇は、既に現実世界に存在してしまっているものとして事態を捉えることから生まれるものであり、推量や意志などの範疇は、非現実であるものとして事態を捉えることから生まれるものであるとし、時制や叙法の文法・意味的範疇の成立の根拠を新たな視点から明らかにしたものである。

第三分冊第一章では、助詞「は」に認められる対比と題目提示という二つの働きについて、まず対比とは一つの文と別の文との関係のことであり、題目提示とは一つの文の中での前半部と後半部との関係に属するもので、本来別のものであることを確認している。そして、他の係助詞が題目提示をすることなく、「は」のみが題目提示の働きをするのは、「は」が係助詞として前後両項の結合を承認する助詞であり、しかもその承認の色合いが対比性を帯びたものであることの二つが相俟って始めて可能になったものであると結論づける。その論証のくだりには、申請者の文法学者としての力量が如何なく発揮されている。

第三分冊第二章は、日本語の主語として「ガ」格項目を位置づけ、それにどのような種類があるかを考察したものである。中でも、ラレル形の述語文を、個体の運動としてではなくコト全体の生起と見る特別な語り方の出来文として捉えることにより、受身、可能などのラレル形の表わす様々な意味を統一的に把握することに成功している点が特筆される。

本論文は長期にわたる論を集積したものであるため、術語に多少の不統一はあるが、論の一貫性は変わるところがなく、論文としての価値を損なうものとなっていない。以上より、本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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