学位論文要旨



No 216360
著者(漢字) 大澤,智子
著者(英字)
著者(カナ) オオサワ,トモコ
標題(和) 哺乳動物細胞のホスファチジルセリン合成酵素の機能発現に関する遺伝生化学的研究
標題(洋)
報告番号 216360
報告番号 乙16360
学位授与日 2005.10.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16360号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 武田,弘資
内容要旨 要旨を表示する

生体膜は、細胞が形態・機能を維持する上で極めて重要な構造体であり、リン脂質は、タンパク質とともに主要成分としてその構築に関与する。各生体膜或いはその中の限局された領域におけるリン脂質組成はそれぞれに特有であり、しかも厳密に制御、維持されている。しかし、その背景にある分子機構には、未だ不明確な点が多い。

ホスファチジルセリン(PS)は、哺乳動物細胞の生育に必須なグリセロリン脂質の一つであり、リン脂質全体の約10%を占める。形質膜においては主に細胞質側に局在し、プロテインキナーゼC、Raf-1プロテインキナーゼ、myristoylated alanine-rich C kinase substrate (MARCKS)、血液凝固第V因子、シナプトタグミン、NO合成酵素など、種々のタンパク質と相互作用してその挙動や機能を調節する。また、脂質メディエーターと目されるリゾホスファチジルセリンの前駆体である一方、アポトーシス誘導細胞においてはその表面に露出してマクロファージによる排除のシグナルとなるなど、様々な生理機能を担っている。

PSは、哺乳動物細胞においては既存のリン脂質と遊離セリンを基質とする塩基交換反応により生合成される。チャイニーズハムスターのPS合成酵素(PSS)には、PSS1およびPSS2の少なくとも2種があり、前者はホスファチジルコリン(PC)を、後者はホスファチジルエタノールアミン(PE)をそれぞれ基質とする。ともにcDNAが単離されており、両者のアミノ酸配列上には、約32%の類似性が認められる。いずれも疎水性が高く、膜を複数回貫通する膜内在性酵素と予測され、この性質がこれら両酵素の精製並びに三次元構造解析を困難なものとしている。一方、これらの酵素には、バクテリア或いは酵母のPS合成酵素を含め、他の既知タンパク質とのアミノ酸配列上の類似性が認められず、機能が予測されるモチーフ或いはドメイン構造などは見出されていない。

PS合成は、PSによるフィードバック調節を受けることが明らかとなっている。CHO-K1細胞をPS添加培地で培養すると、PS合成は著しく抑制される。また、膜画分を酵素源とした解析から、両酵素のPS合成活性はPSにより著しく阻害され、その調節は蛋白量やmRNA量の変化によらないことが判明した。一方、PSによるフィードバック調節の変異株#29が単離され、その遺伝子解析を基に、PSS1のArg-95及びPSS2でこの残基に相当するArg-97が、PSによるフィードバック調節に極めて重要なアミノ酸残基であることが明らかとなった。しかし、それ以外、活性またはPSによるフィードバック調節に重要な残基は全く不明であった。

そこで、私は、PSの生合成及びその調節機構の分子メカニズムをより詳細に解明することを目的に、遺伝生化学的手法を用いて、PSS1の酵素活性及びPSによるフィードバック調節に重要なアミノ酸残基を同定し、また、精製PSS2に対するPSの阻害作用について解析した。

PSS1の酵素活性及びPSによるフィードバック調節に関わるアミノ酸残基の同定

PSS1とPSS2はそれぞれ471、474アミノ酸残基のタンパク質であるが、うち138アミノ酸残基を共有している。私は、これらのうち極性アミノ酸66残基を逐一アラニンに置換した変異型PSS1のcDNAクローンを作製し、CHO-K1細胞に一過性に過剰発現させて野生型PSS1のcDNA或いは空ベクターを導入した場合と比較することにより酵素活性或いは活性制御に関わるアミノ酸残基を同定した。各変異の及ぼす影響について、酵素活性に関わるアミノ酸残基に関しては細胞ホモジェネート中のセリン塩基交換活性を指標に、また、活性調節に関わるアミノ酸残基に関してはPSによるフィードバック調節を指標に評価した。

(1)酵素活性に関わるアミノ酸残基

多くのアラニン置換変異型PSS1は、野生型PSS1同様、発現させるとその細胞ホモジェネート中のセリン塩基交換活性の上昇をもたらすが、His-172、Glu-197、Glu-200、Asn-209、Glu-212、Asp-216、Asp-221、Asn-226のアラニン置換変異型PSS1は発現させても空ベクター導入時と活性がほぼ同じであった(図1)。PSS1はin vitroでセリン以外にコリン、エタノールアミンの塩基交換活性も有するが、前述の8種の変異型PSS1のうち、Asn-209のアラニン置換型では、セリン塩基交換活性のみが失われ、コリン、エタノールアミン両塩基交換活性は十分に有していた。他の7種の変異型では、全ての塩基交換活性が失われていた。従って、Asn-209は、セリンの基質認識に関わることが示唆された。これら8アミノ酸残基は、いずれもこの酵素の疎水分析図上、疎水性の高い領域に集中しており、膜の脂質二重層内或いはその近傍に位置している可能性が示唆された。

(2)酵素活性調節に関わるアミノ酸残基

Arg-95、His-97、Cys-189、Arg-262、Gln-266、Arg-336をアラニン置換した変異型PSS1を発現させた細胞では、細胞当たりのPS合成量が増加すると同時に、培地に添加したPSによるPS合成のフィードバック調節を受けにくくなっていた(図2)。また、これらの細胞より調製したホモジェネート中のセリン塩基交換活性も、PSにより阻害されなかった。従って、これらの6アミノ酸残基はPSによるPSS1の酵素活性調節に関わるものと考えられる。なお、Cys-189を除く5アミノ酸残基は、この蛋白の親水性領域と疎水性領域の境目に存在していた。また、これらの変異が活性には影響を及ぼさなかったことより、本酵素の活性調節部位は活性中心とは別に存在することが示唆された。

(3)PSS1の発現或いはその安定性に関わるアミノ酸残基

Tyr-111、Asp-166、Arg-184、Arg-323、Glu-364の5アミノ酸残基のアラニン置換変異型PSS1を発現させた細胞においても、細胞のホモジェネート中のセリン塩基交換活性は空ベクター導入細胞の場合とほとんど変わらなかった。しかしながら、これらの細胞においては変異型PSS1の発現量が顕著に低くなっていた。従って、置換したアミノ酸残基がこの蛋白の発現或いは安定性に関わっている可能性が考えられる。

精製PSS2による解析

PSによるPS合成阻害作用のメカニズムを明らかにする上で、精製酵素を酵素源とする解析が望ましいと考えられる。FLAGおよびHAペプチド標識したチャイニーズハムスターPSS1(FH-PSS1)及びPSS2(FH-PSS2)の精製を試みた結果、後者がSDS-PAGE上ほぼ単一な標品として得られたことから、その性状を解析した。精製PSS2のPS合成活性は、細胞の膜画分中の未精製酵素の活性同様にPSにより阻害された。この時、PS添加培地においてPS合成が阻害されない細胞より調製した膜画分中のPS合成活性は、PSで阻害されなかった(図3)。また、PC、PEは精製酵素の活性を阻害しなかった。これらの結果から、PSがPS合成酵素に特異的に直接相互作用してその活性を調節することが示唆された。

まとめ

本研究により、チャイニーズハムスターPSS1の活性中心は、PSによる活性調節部位とは別に存在していることが示唆された。また、Asn-209はセリン基質特異性に関わるアミノ酸残基であることが示唆された。また、PSS1とPSS2は同様な調節機構により制御されるものと考えられることより、PS合成酵素はPSの直接作用によりその活性が制御され、この機構が細胞内のPS量を維持する上で、極めて重要であることが示唆された。これらの知見は細胞においてPSをはじめとするリン脂質の組成が厳密に保たれる分子機構を解明する上で重要な手掛かりになるものと考えられる。

図1 活性低下型変異PSS1 野生型(wt)および変異型PSS1を発現した細胞ホモジェネート中のセリン塩基交換活性。vectorは空ベクター導入時。

図2 調節異常型変異PSS1 PS非添加培地(□)、添加培地(■)における細胞あたりのPS合成量を、空ベクター導入細胞のPS非添加培地におけるPS合成量を100%として相対的に示した。

図3 PSの酵素活性阻害作用 PS各濃度存在下の精製FH-PSS2(●)、FH-PSS2を発現した細胞の膜画分(○)及びR97K変異PSS2を発現した細胞の膜画分(▲)による脂質への標識セリンの取り込みを、PS非存在時をそれぞれ100%として示した。

審査要旨 要旨を表示する

リン脂質は、タンパク質とともに生体膜の主要な構成成分であり、各生体膜におけるリン脂質組成は、それぞれに特有かつ厳密に制御・維持されている。しかしながら、その背景にある分子機構は未だ不明確な点が多い。大澤は、リン脂質全体の約10%を占め、哺乳動物細胞の生育に必須なグリセロリン脂質の一つであるホスファチジルセリン(PS)の生合成機構に着目した。PSは、形質膜においては主に細胞質側に局在して種々のタンパク質と相互作用し、その挙動や機能を調節する一方、アポトーシス誘導細胞においてはその表面に露出してマクロファージによる排除のシグナルとなるなど、様々な生理機能を担うことが知られている。哺乳動物細胞においては既存のリン脂質と遊離セリンを基質とする塩基交換反応により生合成され、触媒酵素としてPS合成酵素(PSS)1及びPSS 2があり、いずれによるPS合成反応もPSによるフィードバック調節を受けることが明らかとなっている。しかしながら、触媒酵素における活性発現或いはPSによるフィードバック調節に重要なアミノ酸残基など、分子機構の詳細はほとんど知られていない。そこで、大澤は、PSの生合成及びその調節の分子機構をより詳細に解明することを目的に、遺伝生化学的手法を用いて、PSS 1の酵素活性及びPSによるフィードバック調節に重要なアミノ酸残基を同定し、また、精製PSS 2に対するPSの阻害作用について解析した。

PSS 1とPSS 2はそれぞれ471、474アミノ酸残基のタンパク質であるが、うち138アミノ酸残基を共有している。大澤は、これらのうち極性アミノ酸66残基を逐一アラニンに置換した変異型PSS 1のcDNAクローンを作製し、CHO-K1細胞に一過性に過剰発現させて野生型PSS 1のcDNA或いは空ベクターを導入した場合と比較することにより酵素活性或いは活性制御に関わるアミノ酸残基を同定した。各変異の及ぼす影響について、酵素活性に関わるアミノ酸残基に関しては細胞ホモジェネート中のセリン塩基交換活性を指標に、また、活性調節に関わるアミノ酸残基に関してはPSによるフィードバック調節を指標に評価した。

その結果、大澤は、多くのアラニン置換変異型PSS1は、野生型PSS1同様、発現させるとその細胞ホモジェネート中のセリン塩基交換活性の上昇をもたらすが、His-172、Glu-197、Glu-200、Asn-209、Glu-212、Asp-216、Asp-221、Asn-226のアラニン置換変異型PSS1は発現させても空ベクター導入時と細胞ホモジェネート中の活性がほぼ同じであることを見出した。また、PSS1はin vitroでセリン以外にコリン、エタノールアミンの塩基交換活性も有するが、前述の8種の変異型PSS1のうち、Asn-209のアラニン置換型では、セリン塩基交換活性のみが失われ、コリン、エタノールアミン両塩基交換活性は十分に有していること、他の7種の変異型では、全ての塩基交換活性が失われることを明らかにし、Asn-209がPSS1のセリンの基質認識に関わる可能性を示した。また8アミノ酸残基は、いずれもこの酵素の疎水分析図上、疎水性の高い領域に集中していることに着目し、これらが膜の脂質二重層内或いはその近傍に位置している可能性を示した。

一方、大澤は、Arg-95、His-97、Cys-189、Arg-262、Gln-266、Arg-336をアラニン置換した変異型PSS1を発現させた細胞では、細胞当たりのPS合成量が増加するすると同時に、培地に添加したPSによるPS合成のフィードバック調節を受けにくくなること、これらの細胞より調製したホモジェネート中のセリン塩基交換活性も、PSにより阻害されないことを示し、これらの6アミノ酸残基がPSによるPSS1の酵素活性調節に関与することを明らかにした。また、これらの変異が活性には影響を及ぼさなかったことから、本酵素の活性調節部位が活性中心とは別に存在することを示唆した。

さらに、大澤は、Tyr-111、Asp-166、Arg-184、Arg-323、Glu-364の5アミノ酸残基のアラニン置換変異型PSS1を発現させた細胞においても、細胞のホモジェネート中のセリン塩基交換活性は空ベクター導入細胞の場合とほとんど変わらないが、これらの変異型PSS1発現細胞においては変異型PSS1の発現量が顕著に低下していることを見出した。このことから、置換したアミノ酸残基がこのタンパク質の発現或いは安定性に関わっている可能性を示した。

次に、大澤はPSによるPS合成阻害作用のメカニズムを明らかにする上で、精製酵素を酵素源とする解析が望ましいと考え、FLAGおよびHAペプチド標識したチャイニーズハムスターPSS1(FH-PSS1)及びPSS2(FH-PSS2)の精製を試みた結果、後者がSDS-PAGE上ほぼ単一な標品として得られたことから、その性状を解析した。その結果、精製PSS2のPS合成活性は、細胞の膜画分中の未精製酵素の活性同様にPSにより阻害されること、この時、PS添加培地においてPS合成が阻害されない細胞より調製した膜画分中のPS合成活性は、PSで阻害されないこと、また、ホスファチジルコリン及びホスファチジルエタノールアミンは精製酵素の活性を阻害しないことを見出し、PSがPS合成酵素に特異的に直接相互作用してその活性を調節する可能性を示した。

本研究により、チャイニーズハムスターPSS1の活性中心は、PSによる活性調節部位とは別に存在しており、Asn-209はセリン基質特異性に関わるアミノ酸残基であることが示唆された。また、PS合成酵素はPSの直接作用によりその活性が制御され、この機構が細胞内のPS量を維持する上で、極めて重要であることが示唆された。これらの知見は細胞においてPSをはじめとするリン脂質の組成が厳密に保たれる分子機構を解明する上で重要な手掛かりになるものと考えられる。以上のような研究成果により、大澤智子に対して、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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