学位論文要旨



No 216362
著者(漢字) 仁田,亮
著者(英字)
著者(カナ) ニッタ,リョウ
標題(和) ATPの加水分解エネルギーを利用した単頭型キネシンモーターKIF1Aの微少管からの能動的解離
標題(洋) Monomeric kinesin motor KIF1A actively detaches from microtubules utilizing the energy of ATP hydrolysis
報告番号 216362
報告番号 乙16362
学位授与日 2005.10.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16362号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 谷口,維紹
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 片山,榮作
内容要旨 要旨を表示する

キネシンスーパーファミリー蛋白(KIF)は、細胞内の物質輸送を担う蛋白質で、微小管上を能動的に移動する分子モーターである。KIFはATPを加水分解する活性を持ち、その化学的エネルギーを力学的エネルギーに変換して動く。しかし、KIFがATPを加水分解することによってどうして微小管上を動くことができるのかについては、全く未知のままであった。

KIFと微小管との結合状態は、ATPの加水分解サイクルに同期して二つの状態を遷移することが知られていた。すなわち、ATP結合状態(加水分解前)のKIFは微小管と強く結合し(Strong-binding state)、ADP結合状態(加水分解後)では緩く結合する(Weak-binding state)。そして私は、今回の生化学的実験により第三の状態が存在する事を証明した。それは、ATP結合状態とADP結合状態の遷移状態、つまりADP-燐酸状態で起こり、KIFと微小管との結合が最も弱くなる(Actively detaching state)。故にKIFは、ATPを加水分解する際、Strong-binding state、Actively detaching state、Weak-binding stateをこの順に遷移する。

この三つの遷移状態のKIFでは、微小管との結合状態を変える為に分子レベルで何らかの構造変化が起こっている事が予想された。そこで私は、モノマー型の最も単純なKIFモーターであるKIF1Aの原子レベルの構造をX線結晶解析により決定した。その際、以下に示すように3種類のアナログを結合させた3種類のKIF1Aの構造を決定した。(1)ATP結合状態(ATPアナログのAMPPNP結合状態:Strong-binding state)、(2)早期ADP-燐酸状態(ADP-燐酸アナログのADP-ATP3結合状態:Strong-binding state)、(3)後期ADP-燐酸状態(ADP-燐酸アナログのADP-vanadate結合状態:Actively detaching state)。そして既知の(4)ADP結合状態(Weak-binding state)も含め4種のKIF1Aの結晶構造を比較した。

KIF1Aでは、ATPの加水分解に伴ってスイッチ-I、スイッチ-IIと呼ばれる二つの領域の構造が劇的に変化する。スイッチ-Iが構造を変える事で、効率良くATPが加水分解されγ燐酸が放出される。更にスイッチ-Iの構造変化がスイッチ-IIのより大きな構造変化を誘起する。スイッチ-II領域にはKIF1Aの主要な微小管結合部位が含まれている為、スイッチ-IIの構造変化によってKIF1Aと微小管との結合状況が大きく変わることが予想された。そこで私は、KIF1A-微小管複合体のクライオ電子顕微鏡像を利用し、コンピュータ上でKIF1Aと微小管との結合実験を行った。その結果、スイッチ-IIの構造変化によってKIF1Aと微小管との結合面の構造が大きく変化していた。スイッチ-IIは、α4ヘリックスとその両端のループ領域(L11、L12)から構成されている。加水分解直前のKIF1AはループL11を微小管へと伸展し、L11を介して微小管と強く結合している(ATP結合状態:Strong-binding state)。加水分解が始まると、L11を能動的に微小管から剥がして微小管から一時的に解離する(ADP-燐酸状態: Actively detaching state)。そして加水分解が終わると、今度は別のループL12によって微小管と緩く結合する(ADP状態:Weak-binding state)。このL12の結合相手は微小管のEフックと呼ばれるヒモの様にゆらぎの大きい構造であり、この状態のKIF1Aは微小管上を一次元ブラウン運動する。

これらの構造生物学的知見を一分子解析により得たKIF1Aの動態と照合する事により、私は次のようなキネシンスーパーファミリー蛋白の動作機構のモデルを提唱する。微小管上には、KIFの結合部位が8nmおきに等間隔で点在している。この結合部位の一つに、KIFはATPの加水分解前にL11というループを使って強く結合する。加水分解が始まると、KIFはそのエネルギーを使ってこの強い結合を能動的に解き、一時的に微小管から解離する。加水分解終了後、今度は別のループのL12により微小管と緩く結合、微小管上を一次元ブラウン運動しながら次の結合部位を模索する。そしてADPを放出する際、微小管プラス端方向へ選択性を持って結合することで、微小管プラス端方向への動きが生ずる。そしてまた新たなATPの加水分解サイクルへと移る。

このようにしてKIFは、ATPの加水分解で生ずるエネルギーを利用して微小管上を能動的に移動する。その際、KIFはATPの加水分解のエネルギーを直接方向性のある動きに変換するのではなく、微小管との結合を解く事に利用し、新たな加水分解サイクルが始まる事を可能にしている。このような標的分子からの能動的解離はKIFだけに限られた機構ではなく、G蛋白質や蛋白キナーゼ等、一群のWalker型加水分解酵素にも共通してみられる現象である。KIFを含めこれらの加水分解酵素の基本構造は非常に類似しており、細かい構造の違いを付け加えながら、G蛋白質は情報伝達カスケードの入/切を調節する分子スイッチに、KIFは分子モーターへと、巧妙に分子レベルの進化を遂げて来た事が推測される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、キネシンモーター分子がATPを加水分解して得たエネルギーをどのように利用して微小管上を動く事ができるのか、その動作機構を明らかにするため、主にX線結晶解析を用いて構造生物学的に解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

キネシンモーターKIP1Aを大腸菌で大量発現し、ATP(AMPPNP)結合状態、ADP-燐酸(ADP-vanadate)結合状態、ADP結合状態のKIP1Aと微小管との解離定数を調べた所、KIP1Aと微小管との結合の強さがATPの加水分解により劇的に変化する事が示された。つまり、KIP1AはATP結合状態では最も結合の強いStrong-binding state、ADP-燐酸結合状態では最も結合の弱いActively detaching state、ADP結合状態ではその中間のWeak-binding stateをとる事が明らかにされた。

ヌクレオチドアナログのAMPPNP、ADP-AIF3、ADP-vanadateを各々結合させた3種類のKIP1Aの原子レベルの構造をX線結晶解析により決定し、既知のADP結合状態の構造も含めて4種類のKIP1Aの結晶構造を比較した。その結果、KIP1AはATPの加水分解により劇的に構造変化を起こす事、構造変化を起こす部分には微小管との主要な結合腕である2つのループ領域L11とL12が含まれる事が示された。そして、KIP1AはATP(AMPPNP)結合状態では主にL11で、ADP結合状態では主にL12で微小管と結合し、加水分解中間状態(ADP-vanadate結合状態)ではL11、L12とも微小管との結合に関与できなくなる事が明らかにされた。これにより、生化学的実験により示唆された3種類の結合状態Strong-binding state、Actively detaching state、Weak-binding stateを支える分子レベルの構造生物学的機構が示された。

KIP1Aの二つの微小管結合腕L11、L12に変異を入れ、野生型と変異型とのKIP1Aと微小管との解離定数を調べた所、ATP(AMPPNP)結合状態ではL11、ADP結合状態ではL12が微小管との結合に主に関与している事が生化学的にも示された。

以上、本論文はキネシンモーターKIP1AがATPを加水分解する事によって起こる変化を生化学的及び構造生物学的手法を駆使して、機能、構造両面から明らかにした。これにより、キネシンモーターはATPを加水分解する事によって得たエネルギーを「直接的に前に動く事に利用している」という定説を覆し、「能動的に微小管との結合を外す事に利用している」事が示された。この機構はG蛋白質等その他の加水分解酵素にも共通してみられるものであり、故に本研究は、キネシンモーターの微小管上の動作機構の解明のみならず、加水分解酵素としての共通の性質を利用した巧みな生物分子機械の動作機構の解明にも重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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