学位論文要旨



No 216366
著者(漢字) 久保,はるか
著者(英字)
著者(カナ) クボ,ハルカ
標題(和) オゾン層保護条約の国内実施の過程と構造
標題(洋)
報告番号 216366
報告番号 乙16366
学位授与日 2005.10.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第16366号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 城山,英明
 東京大学 教授 森田,朗
 東京大学 教授 蒲島,郁夫
 東京大学 教授 交告,尚史
 東京大学 教授 中谷,和弘
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、地球環境問題に対して国内行政がどのように対応しようとしているか、そしてどのような影響を受けているのか、地球環境条約と国内行政とが接する「条約の国内実施過程」に焦点を当て、分析するものである。地球環境問題の解決を目的とする国際合意としての条約は、主権国家を名宛人として義務を課すものである。ここでは国家としての条約の遵守が求められているが、その前提として、各国の国内対策の当事者(事業者等)による履行確保が重要な要素となる。本稿では、国家を一体的な実施主体として見るのではなく、国内の実施過程を分析対象として、国内の個々の行為主体の行動変化に注目することとする。また、地球環境問題のような政策課題の実施過程においては、企業や環境NGOの国境を越えた活動が増加しており、各主体の国境を越えたネットワークが問題解決に貢献するなど、官民という領域間、国際−国内という空間間の境界の融解が見られる。「条約の国内実施過程」において、国内行政は「国際化」というインパクトを受けて変容を迫られている。本稿は、このような問題関心から、既に実施の蓄積があるオゾン層保護条約(ウィーン条約・モントリオール議定書)について日本国内の対応を詳細に分析するものである。本稿では、まず、「条約の実施過程」を次のような構成要素に分解し、「条約の国内実施過程」の分析枠組みを提示した。

すなわち、「条約の国内実施過程」とは、国内行政の視点から見れば、次の部分を含む過程と捉えることができる。第一に、国際交渉を通じて形成された政策課題、すなわち国際会議で採択された条約・議定書を国内で「受容」する過程であり、形式的には、条約・議定書の批准手続とこれらを国内で実施するための国内立法手続という形で表れるが、本稿では、これらのフォーマルな手続に限定せず、広く国内において国際的な合意を実施することを受け入れる過程として捉えることとした。第二に、条約・議定書によって課された義務内容を国内対策に翻訳・変換する過程(「国内立法化」)においては、条約・議定書の規定と対照して適切かつ充分に変換する作業が行われるのと並行して、当該課題の既存の国内政策への「位置づけ」、当該事務を所掌する担当部局の「配置」が行われる。その際、オゾン層保護という新しい政策課題がどのように「概念化」され、既存の政策領域に「位置づけ」られるかによって、担当部局の「配置」あるいは担当部局の所管領域の発展の方向付けが行われるとともに、作用領域が画定されることとなる。第三に、国内対策を「執行」する過程である。ここでは、法が規定する規制の名宛人だけを分析対象とするのでは国際−国内の境界を越えた執行過程のダイナミズムを把握するのに不十分であるため、広く関係主体の行動変化まで視野に入れる必要がある。またこの過程では、国内対策の「執行過程」と並行して国際的な実施体制への参加の過程も継続する。このように、 (課題設定から執行・評価までの)プロセス全体を通して国際―国内の相互関係が顕在するのが、国内行政の視点から見たオゾン層保護「条約の国内実施過程」の特徴である。

次に、日本において、どのような要因が履行確保を担保したのかを明らかにするために、本稿では、国内での履行を担保する要素を、(1)国際合意を国内政策として受け入れようとする政府・担当官庁の「遵守の意思」と「国内関係者の支持」、(2)国際合意の内容と照らして、履行確保可能な仕組み(法制度)がつくられたかという「法制度の実効性」、(3)実施過程における国内の行為主体の対応・「行動変化」の3点に分解して、条約の国内実施過程の各段階において、これらの要素が確保されたか否かについて検証した。このうち、(3)国内の行為主体の行動変化は、(1)「国内受容」と(2)「国内立法」の過程を経て構築された「政策の構造」と「実施の構造」によって、規定される。「政策の構造」は、条約体制と国内法制度の双方の影響を受けて形成される。「実施の構造」は、国際−国内の境界を越えて活動する各主体間関係から説明される。なお、条約の国内実施過程には、条約と国内法という2つの行動指針が存在するため、国内法の規定を履行する場合を「狭義の履行確保」、条約の規定を履行する場合を「遵守」、条約の目的の達成の程度を問題とする場合を「有効性」として、国内の行為主体の行動変化のレベルをそれぞれとの関係で捉えることとした。

上記の分析枠組を当てはめると、オゾン層保護条約の国内実施過程は次のように描き出される。

(1)国内受容:まず、日本の政府代表団が、自らの交渉ポジションと国際合意とのズレにもかかわらず、条約・議定書の受容努力を行うことを決定(遵守の意思)することが前提条件として必要である。本事例は、日本国内における「アジェンダ形成プロセス」が存在せず(外から与えられた政策課題)、国内受容の段階において国内の広範な支持がないにもかかわらず、国際交渉を通じて政府が遵守の意思を確立させていった例であるということができる。

そして、本事例では、国内における支持の調達が、国際会議に参加した、或いは関係省庁とインフォーマルな接触経路を有する関係者(事業者団体・企業)に限られており、さらに言えば、主として通産省と事業者との閉じられたネットワークの範囲内で行われたのであるが、限られた関係者からの支持調達であっても、国際合意事項について彼らの支持と協力を調達することができれば、条約の国内実施、その後の履行確保が可能であることを示している。ただし、それは、国際合意によって課された最低限度の義務について国内実施の履行を担保することを意味しており、国際交渉の過程で得られた合意以上の合意形成を行わないという方法は、最低限度の目標値を示しながら確実に履行を担保する機能を有していたといえる。

また、アジェンダ設定過程における参加者が限定的であった場合であっても、長期にわたって継続する実施過程において国内のムードが高まり、参加者が徐々に拡大、変更し、政策変動が生じることがある。(NGO等を含めた)幅広い関係者による国内合意形成がなされるか否かが、条約との関係でどのような国内立法を行うか(独自の追加措置を盛り込むか否か)に影響を与える一つの要因となる。

(2)国内立法化:条約・議定書の国内法化の過程は、条約・議定書で規定された内容を国内政策体系に位置づけるための「解釈」「下位目的の設定」「具体的措置への変換」の過程でもあり、この過程は国内要素に規定されると考えられる。関係省庁(環境庁・通産省)は、オゾン層保護政策を自らの所管領域に取り込むことができるような「概念化」、あるいは既存の「概念の再定義」を行い、それに基づいた国内対策案を提示した。具体的には、環境庁では、大気保全局において既存の概念(大気保全)を再定義し「地球環境問題」を取り込もうとする試みが見られた。他方、通産省は、国内立法化すべき国家の義務を議定書で課された義務の履行に限定して、新たに国内オゾン層保護政策の「下位目的」を設置する戦略をとり、その「下位目的」は自らの政策領域の範囲内で、化学物質管理担当部局の所管領域に沿って設定された。これを、どのレベルの行動変化が期待される法制度設計であったかという観点からみるならば、少なくとも条約・議定書によって課された義務を最低限度履行確保するに足る規制措置が講じられたといえよう。そして、これらの過程が国内における執行過程を枠付ける「政策の構造」を形作った。

(3)執行過程:執行過程において、議定書とオゾン層保護法が規定する規制措置(製造業者に対する規制物質の製造・輸出入規制)の執行以外の、法規制の運用を補完する様々な方策が重要な役割を果たしうるということを例証した。このような特徴は、許認可手続などの規制者と被規制者が直接関わる側面だけでなく、次のような点にまで分析対象を広げることによって把握することが可能となる。第一に、使用業者側で、規制物質の使用状況、業種・用途分野ごとの産業構造、事業者の構成や事業者団体の有無・特徴に適応した柔軟な対策が執られたことである。オゾン層問題は、その問題の性質(規制物質の種類、規制対象者が限定的であることなど)から、対策の立案と実施が比較的容易であったと理解されている。ところが、その実施の構造は非常に複雑である。対策を促進させ行為主体の行動変化を促すためには、このように複雑な実施構造を的確に把握し、それに適合した方策が採られることが必要となるのである。第二に、長期間に亘る実施過程を通じて、対策の初期段階からオゾン層保護のための取組みに従事してきた企業や個人("Mr. Ozone"たち)の間で国際―国内にまたがるネットワークが構築されたことで、協力関係の下で目標を達成するという信念の共有が見られたことである。そしてそれが、行為主体の行動変化を促し履行確保に寄与した。本事例は、執行過程が、所与の諸規律の集合からなる「政策の構造」によって規定されるだけでなく、相当程度、「実施の構造」における主体間の相互作用を通じて形成された可変的・動態的な社会のコード(技術、企業、業界、ないし国際貿易における経済性のコード)に規定されるということを示す一つの例である。

さらに、「実施の構造」における主体間の相互作用の高まりは、条約の規定の「遵守」にとどまらず条約の究極の目的を意識した行動変化を促す可能性がある。本事例においては、行動変化のレベルについて、少なくとも、「遵守」・「狭義の履行確保」のレベルでの行動変化を確認することができたが、条約の究極の目的との関係で捉えられる「有効性」を担保する取組みも個別に始められている。

審査要旨 要旨を表示する

現代行政は、様々なかたちで、「国際化」の影響を受けている。経済のグローバル化をはじめとする様々な局面において、現代行政の担い手としての主権国家を、自己完結的なシステムとして捉えることは困難になってきている。国際機関や国際的な規範設定、国境を越えた企業やNGOの活動が大きな役割を果たす地球環境問題は、そのような「国際化」の影響を具体的に示している政策領域の1つである。他方、このような国際的次元を有する行政活動においても、特にその実施段階においては、国内行政が大きな役割を果たしている。国際的な政策目的の表明である国際条約・議定書は、その実施に際しては、多くの場合、その義務内容を国内で受容し、国内立法化し、実施体制を構築し、その上で国内において執行活動を行われなければならない。

本論文は、このような多国間の国際行政・国際的政策過程と国内行政・国内的政策過程の交錯・相互作用について、特に、オゾン層保護条約の日本における実施に焦点を当てて、詳細な事例分析を行ったものである。そのような分析を通して、条約の国内実施の構造と過程を明らかにすることを試みている。その際、これまで行政学を中心に蓄積されてきた、様々な管理手法による履行確保、規制の調和化と差異化といった国際行政に関する分析視角、政策課題の「概念化」や政策遺産、組織ドメインといった政策と組織の変容に関する分析視角、国内行政組織の意思決定と執行活動に関する分析視角を活用している。

本論文は以下の構成をとる。まず、序章において、本論文の研究視座と条約の国内実施過程を分析する際の基本的視角が述べられる。第1章では、既存の研究を参照しつつ、国際−国内関係にまたがる政策過程を分析する視点を抽出し、条約の国内実施の構造と過程を把握するための分析枠組みを構造化する。続いて、第2章から第4章において、オゾン層保護条約の日本における実施に焦点を当てて、事例分析が行われる。第2章では、オゾン層保護のためのウィーン条約とモントリオール議定書が形成される国際的政策過程がアメリカの国内的政策過程との連関の下に分析され、その上で、日本国内において条約・議定書を受容し実施するための公式手続き、支持調達の実際を明らかにする。第3章では、国内法化の過程におけるオゾン層保護対策の国内の政策体系・組織体制への配置状況と、そのプロセスを明らかにする。続いて、第4章では、国内における実施の取組みの詳細を分析する。最後に、終章において、オゾン層保護問題に見られる条約の国内実施過程の日本における特徴について整理され、残された課題等について述べられる。

以下、本論文の概要を提示した上で、本論文に対する評価を述べる。

序章では、まず、国内行政の地球環境問題への対応とその影響を、国内行政の観点からボトムアップ的に明らかにするという基本的分析視座が示される。そして、条約体制の有効性を、行為主体の問題解決に向けた行動変化やルールの遵守という指標に即して判断するとする。行動変化や遵守は、国家による条約実施のための国内担保法制定と実施の結果としての最終的な条約目的の達成との間に位置する中間レベルの指標であるといえる。

次いで、条約の国内実施過程の3つの部分が定式化される。第1の部分は、国際交渉を通じて形成された政策課題、すなわち条約・議定書を国内で「受容」する過程である。これは批准等の形式的な手続きには限定されず、広く国内において国際的な合意を実施することを受け入れる過程として捉えられる。第2の部分は、条約・議定書によって課された義務内容を国内対策に翻訳・変換する過程(「国内法化」)である。それと並行して、当該課題の「概念化」、既存の国内政策への「位置づけ」、当該事務を所掌する担当部局の「配置」が行われる。その際、国内における既存の政策領域の組織体制を含む「政策遺産」が影響を与える。第3の部分は、国内対策等を「執行」する過程である。ここでは、国内法が規定する被規制者だけを分析対象とするのでは国際−国内の境界を越えた執行過程のダイナミズムを把握するのに不十分であるため、広く関係主体の行動変化を視野に入れる必要があるとされる。

第1章では、まず、既存研究をレビューし、それらとの関係で本論文の位置付けが行われる。第1に、レジーム論については、レジーム形成からレジームの有効性へと研究が発展しつつあり、特に後者の中には、国際条約を受けて講ぜられた各国内レベルでの対策が如何に各国内のターゲットグループの行為に影響を与え変化させたかに焦点を当てるものや、実施過程の有効性の規定要因として様々な管理手法による履行確保や各国内の行政能力に注目するものがあるとする。しかし、従来の研究においては、トップダウン的な分析視点が維持され、国際環境条約実施の実態を詳細に調査した研究はほとんどないとされる。

第2に、実施研究については、従来の実施研究が主として国内における実施を対象にしてきたことから、既存研究の様々な分析枠組みを参考にして、国際−国内にまたがる実施過程の分析枠組みの構築を試みるという立場をとる。そして、「政策の構造」と「実施の構造」という概念を参考にして、国際−国内にまたがる「政策の構造」として、条約・議定書の規定、国内政策に変換された国内法の規定を捉え、「実施の構造」として、法が直接対象とはしていないが実施の円滑化のために対策を講じることが必要とされる関係事業者の取組みや、主体間ネットワークの構築等も含めて捉えるという視角を提示する。

第3に、条約の国内受容に関する研究については、国際法の研究とは異なり、受容プロセスを形式的な手続きに限定せず、国内のアクターが国際合意に同意し実施することを受け入れるプロセスと広く捉えるべきとの立場ととる。そして、具体的には、日本代表団の交渉ポジションの決定過程の特徴とその内容、国内支持の表出形態とタイミング、批准手続と国内立法手続における国会の機能の実際の分析や、条約・議定書等国際合意を国内法化する際の裁量の幅の確認、その裁量行使を規定する国内既存の政策・組織体系の行動ルールの解明を行うとする。

第4に、国内行政研究については、新規政策課題への対応における政策と組織の相互作用に関する研究に着目し、条約の国内実施のための国内法制定においても、国際レベルでの検討状況や条約の規定内容の解釈だけではなく、日本国内で蓄積された政策・制度的枠組みという政策遺産の影響を受けるという視点をとる。具体的には、政府代表団内部での調整、国内の政策領域への配置、実施体制の整備、執行過程への影響の分析を試みるとする。また、規制の調和化をめぐる議論も利用するとする。

以上のように、既存研究のレビューを行ったうえで、オゾン層保護条約の国内実施の過程と構造を分析する視角が整理される。まず、対象化学物質と関係企業の限定性、技術的解決の可能性に起因する対策自体の容易性等のオゾン層保護問題の性質が、気候変動問題と対比しつつ特徴付けられる。また、条約体制の有効性を評価する際に指標となる行動変化の主体としては、被規制者たる事業者に加えて、地方自治体、所管官庁も対象とすることとする。

その上で、条約の実施過程が、国際レベルでのアジェンダ設定と国内における受容、国内立法化・実施体制の整備、実施・執行過程の3つの部分からなることが再確認される。より詳細には、第1の部分は、政府代表団におけるポジションのすり合わせと国内受容・非公式意見調整等からなり、第2の部分は、国内法化、実施体制の整備、政策課題の国内既存の政策体制・所管体系への位置づけ、国内意見調整等からなり、第3の部分は、法に基づく規制の執行過程と規制以外の自主的取組み等からなる。

続いて、オゾン層保護のための政策の構造が、条約・議定書(ウィーン条約・モントリオール議定書)と国内担保法(オゾン層保護法)という内容的に一致しない2つの要素によって構成されることが確認される。そして、その国内実施過程は、ウィーン条約・モントリオール議定書によって課された義務の実施か否か、オゾン層保護法に基づく措置か否かの2つの軸によって、4つの類型に分類されることが示された。法の執行(条約・議定書によって課された義務の実施であり、かつオゾン層保護法の措置でもあるもの)、事実上の運用(条約・議定書によって課された義務の実施ではあるが、オゾン層保護法の措置ではないもの)、努力義務(条約・議定書によって課された義務の実施ではないが、努力義務としてオゾン層保護法の措置であるもの)、法に基づかない自主的取組み(条約・議定書によって課された義務の実施でも、オゾン層保護法の措置でもないもの)の4つである。

第2章では、国際的なアジェンダ設定の過程としてオゾン層保護のためのウィーン条約とモントリオール議定書が形成される国際的政策過程が分析され、その上で、国際レベルの実施過程としての遵守確保の制度や日本国内における条約・議定書の受容過程が分析される。ウィーン条約、モントリオール議定書策定に至る国際的政策過程については、先行研究を踏まえたうえで、UNEP(United Nations Environment Programme)事務局長トルバの属人的リーダーシップ、米国等による非公式会合の役割、政策過程における科学の役割の制度化としてのアセスメントパネルの重要性が指摘される。そして、国際レベルの実施過程として、後の規制強化と遵守確保の制度が記述される。その際、実施を促すメカニズムとしてアセスメントパネルにおけるTEAP(Technology and Economic Assessment Panel)の役割が強調される。

また、国際的政策過程とアメリカの国内政策過程との連関が分析される。アメリカにおいては、国内的にオゾン層保護がアジェンダ設定され、それが国際的政策過程に持ち出された。また、アメリカにおいては、既存の国内の制度的配置の下でEPA(Environment Protection Agency)がオゾン層保護問題を所管することとなり、国内法的には当初はTSCA(Toxic Substances Control Act)、その後CAA(Clean Air Act)の枠組みで対応されることとなった。それに対して、日本においては、国際的な政策過程の展開を前提として、条約・議定書の受容過程において国内的なアジェンダ設定が行われた。そして、受容過程において公式的な締結手続きとともに関係業界の支持調達による国内合意形成も並行して進み、その中で日本国内の諸主体も徐々に能動的に対応するようになってくる。その結果、日本は、最初のウィーン条約への署名は遅れたが、後のより厳しいモントリオール議定書の署名・批准は迅速に行われることとなった。また、産業界の姿勢も変化してきた。

なお、日本の政府代表団の構成は通産省、環境庁が内政への影響を考慮しつつ外務省とともに交渉に臨む体制であり、関係業界もオブザーバーとして会合に参加することにより、国内調整が促進された。他方、環境NGOの参加は限られていた。また、日本の場合、条約・議定書の公式的締結手続きである国会承認と、以下の第3章で詳細が検討される国内法整備はほぼ同時に進んだ。

第3章では、条約の国内法化の過程におけて、新しい政策課題としてのオゾン層保護対策が国内の既存の政策体系・組織体制にどのように配置されていくのかが分析される。国内担保法の制度設計とその実施体制の構築には、国際的な検討状況や条約の内容だけではなく、日本国内で蓄積された政策・制度の枠組み(政策遺産)が影響を与えた。また、条約・議定書の国内法化の過程においては、既存の政策領域・所管領域と照らして概念化・概念の再定義が行われた。

環境庁は既存の政策領域を拡大しうるよう「大気保全」の概念を再定義し、そこにオゾン層保護問題を位置づけようと試みた。それに対し、通産省は、まず、国際協調問題として捉え、条約・議定書で課された義務を最低限履行担保しうる下位目的を設定し、オゾン層保護問題を産業界に対する需給調整指導あるいは化学物質規制の延長という産業規制の政策領域に位置づけようとした。

また、オゾン層保護問題を担当する部局の組織内配置からも、既存の所管体系が両省庁における実施体制に影響を与えたことが理解できる。初期対策はエアロゾール規制として把握されたため、通産省の基礎産業局化学製品課、環境庁の企画調整局環境保健部という化審法(化学物質の審査および製造等の規制に関する法律)所管部署が対応した。化審法は1960年代後半に発生したPCB問題に端を発した有害物質対策が契機となって立法されたものである。通産省においてはこの既存の政策体系・組織への配置が持続することになり、1989年に基礎産業局化学製品課に「フロン等規制対策室」が新設され、省庁再編後も経済産業省では製造産業局化学物質管理課にオゾン層保護等推進室が置かれた。しかし、環境庁においては「大気保全」さらには「地球環境問題」の一部へと再定義が試みられ、環境庁では1988年に大気保全局企画課に「高層大気保全対策室」ができ、省庁再編後の環境省では地球環境局環境保全対策課フロン等対策推進室となった。

また、国内法化の形態としては新規立法がとられることとなったが、その位置づけと目的を巡って、異なった概念化が行われた。通産省が「生産規制」と捉えたのに対して、環境庁は「排出規制」、「環境立法」として捉えた。

第4章では、国内における実施の取組みの詳細が分析される。その際、規制措置の対象となっている規制物質の製造業者の取組みだけではなく、努力義務の対象となっている規制物質の使用業者の取組み、オゾン層保護法の実施ではないが条約・議定書そのものに基づいて実施された事柄についても幅広く対象とした。本章においては、個別のオゾン層破壊物質についての様々な事業者の対応に関して、業界関係の雑誌を丹念にフォローし、インタビューを行うことで、詳細な分析を行っている。その結果以下の点が明らかになった。

第1に、実施の有効性を確保するためには、被規制者たる製造業者だけではなく努力義務(一般的責務としての排出抑制・使用合理化)を課された使用業者に対する行政指導、各種支援措置や事業者団体や企業による自主的な取組みの取組みが重要であった。オゾン層保護対策の特徴は規制物質を削減・全廃し他の物質や技術に転換することにあったため、相互の協力関係が不可欠であった。

第2に、特に使用者に対する対応については、事業者団体が大きな役割を果たした。全体では1989年に特定フロン使用合理化協議会が設立され、1990年にはオゾン層保護対策協議会と名称が改められた。なお、使用業者の取組みについては、産業構造・産業の性格の違いを反映して、冷媒分野と洗浄分野に差異が見られた。冷媒分野では、用途先業界(カーエアコン、電気冷蔵庫、業務用冷凍空調機器)ごとの事業者団体が代替冷媒物質の絞込みに主要な役割を果たし、代替物質導入のためのシステムの技術開発は各社で対応されたが、洗浄分野では、洗浄の性質に適合的な洗浄剤を選択する必要があり、その選択肢が多様であったため、代替物質・技術の選択は各企業・現場ごとに行われ、事業者団体や大手企業主導の転換プロセスから漏れる中小企業が多数存在した。

第3に、事業者や事業者団体が国際的なネットワークに直接参加し、情報交換等を行ったことも重要であった。事業者等がこのようなネットワークに参加することで学習が進み、国際協調に基づいた研究開発体制が構築された。当初は日本政府主導による研究開発が講じられていたが、実際の代替物質開発にプロセスでは、民間レベルでの他国の産業団体との共同開発・共同評価が推進力になった。例えば、1988年には、世界の主要なフロン製造業者14社が共同で代替物質の毒性試験を行うPAFT(Programme for Alternative Fluorocarbon Toxicity Testing)という制度が設立された。

第4に、臭化メチルについては、当初、同等の効果と経済性を有する代替剤が存在しなかったこと、関係当事者である農薬産業界が国際的規制枠組みへの参加に不慣れであったこと、土壌消毒技術等の代替技術の普及に農業技術者の協力が不可欠であったこと等の理由により、削減・全廃はなかなか困難であった。

終章においては、まず、日本におけるオゾン層保護問題条約の国内実施過程の特徴について整理される。国内実施過程を構成する第1の部分であるアジェンダ設定と受容については、アジェンダ設定は国際レベルにおいて行われ、その段階における国内の参加者は限定的であったが、その後、国内のムードが高まり参加者が徐々に拡大、変更していった。第2の部分である国内立法と国内既存の政策・組織体系への配置の段階では、環境庁が大気保全あるいは地球環境問題として問題の再定義を試みたのに対して、通産省は、国内立法化すべき国家の義務をモントリオール議定書で課された義務の履行に限定して把握し、化学物質管理の枠組みの中に位置づけようとし、それらの省庁間の組織間力学により配置が定まっていった。第3の部分である国内執行過程については、条約・議定書上は義務付けられていないが、国内担保法上努力義務が課された使用業者の取組みが重要であることが確認された。そのような取組みは業種、用途分野ごとにもなされた。そして、TEAPや国際的事業者ネットワーク等の国際的ネットワークが大きな役割を果たした。

最後に、残された課題として、アメリカ等との更なる比較分析の必要、1995年以降規制対象となった臭化メチルへの対応の分析の必要が指摘されている。

以上が本論文の概要である。以下、評価を述べる。

本論文の長所は以下の通りである。第1に、これまでの行政学における未開拓の領域である国際行政・国際的政策過程と国内行政・国内的政策過程との交錯・相互作用について、初めての体系的考察を行ったことである。一般的には国際行政の実施にとって国内行政実施能力の確保が重要であることは指摘されてきたが、実証的研究は極めて限られている。特に、二国間貿易摩擦等の国内政治・行政に与える影響に関する分析は一定程度なされてきたが、多国間の枠組みの影響については、あまり検討されてこなかった。本論文はこのような相互作用を、条約の国内実施に焦点を当てて実証的かつ詳細に分析した本格的な業績であると評価することができる。このような詳細な分析を通して、アジェンダ設定をうけて条約・議定書を国内で「受容」する過程、条約・議定書によって課された義務内容を国内対策に「翻訳」・「変換」する過程、国内対策等を「執行」する過程という3つの部分から構成される条約の国内実施に関する分析枠組みの有効性を示すことができた。

第2に、国内行政の観点からボトムアップ的に国際化のインパクトを見ること、また、事業者レベルでの実施過程の国際化にも注目することによって、制度の分析を超えて、多様な実施過程のあり方を明らかにし、有効性を担保するメカニズムについて考察していることである。例えば、国内担保法には国際条約・議定書に規定されている以上の事柄が規定されていること、国際−国内の境界を越えたダイナミズムの中で事業者が国内担保法には限定されない実施活動を自主的に行っていること、国内担保法には規定されていないが条約・議定書の実施活動と位置づけられるものが存在すること等が指摘されている。

第3に、本論文は、オゾン層保護条約の国内実施に関する多面的で詳細な事例研究として、それ自体評価することができる。オゾン層保護条約や関連する議定書の形成をめぐる国際的動向について、これまでの国際的な研究を十分踏まえて、十分な整理を行っている。その上で、日本国内における各アクターのオゾン層保護課題に対する取り組みについて丹念に資料収集とインタビューを行い、通産省と環境庁を巡る政策と組織変容の交錯や、オゾン層破壊物質使用業者を含む様々な事業者の対応について、詳細な分析を行っている。特に、従来の環境政策過程の分析においては、しばしば事業者のインセンティブと行動に関する分析の踏み込みが不十分な場合も多いが、本論文はその実相にかなり肉薄しているといえる。

もちろん、本論文にも欠点がないわけではない。

第1に、オゾン層保護条約の日本における国内実施という1つの事例を見ることで、条約の国内実施一般についてどれだけのことが主張できるのかという課題が残る。本論文の対象とする冷媒、洗浄目的等を主とする代替フロンの導入は有効性の観点からは成功事例であったと評価できる。しかし、そのような成功を可能にした条件が何であったかについては、事業者数の限定性、技術的対応の容易性という形で一般的には述べられており、第2章においてもある程度アメリカとの比較が行われ、著者自身も幅広い比較分析が今後の課題であることは認識してはいるが、もう一歩踏み込んだ分析があれば、主張がさらに説得力を持ったといえよう。

第2に、分析枠組みについて、もう一段の精緻化が望まれる点である。例えば、本論文が、条約の国内実施という枠組みで対象としている内容には、長所の第2点として述べたように、条約・議定書に含まれない内容の国内担保法における規定とその執行、国際的ネットワーク等の中での事業者の自主的対応も含む複数の要素が見られる。これらに目を配ることは重要なのであるが、これらのものの中には、「オゾン層保護条約の実施過程」の範疇を超えて、むしろ「オゾン層保護政策の実施過程」と整理した方がいいものが含まれているように思われる。また、既存業績や国際法における関連業績との関係で、より明確に本論文の主張を整理して位置づけることもできるのではないかと思われる。

しかし、以上のような欠点は本論文の価値を大きく損なうものではない。本論文は、多国間の国際行政・国際的政策過程と国内行政・国内的政策過程の交錯・相互作用という行政学にとっての新たな領域について、オゾン層保護条約の日本における実施に焦点を当てて詳細な事例分析を行うことを通して、条約の国内実施の構造と過程を明らかにするという課題を十分に達成している。したがって、本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと評価する。

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