学位論文要旨



No 216369
著者(漢字) 守川,春雲
著者(英字)
著者(カナ) モリカワ,ハルモ
標題(和) 半導体表面上に形成される低次元金属系のフェルミ面と相転移
標題(洋) Fermi Surfaces and Phase Transitions of Low-Dimensional Metallic Systems on Semiconduetor Surfaces
報告番号 216369
報告番号 乙16369
学位授与日 2005.10.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16369号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 助教授 長谷川,幸雄
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 助教授 常行,真司
内容要旨 要旨を表示する

1次元、2次元の低次元系は、3次元固体に比べて電子電子相互作用、電子格子相互作用が大きく働く。これらの効果は、朝永ラッティンジャー液体、アンダーソン局在、コーン異常のように、時として極端な形で出現し、3次元固体では見られない独特の物性を提供する。その中でも理論・実験の両側面から最も広範に研究されているのがパイエルス転移である。

従来、これら低次元物理系の研究は強い異方性を持つ擬低次元3次元固体を用いたものが主流であった。ところが、近年、表面という本質的な低次元系においても、低次元相転移現象が報告されはじめた。表面は層状物質などの擬低次元3次元固体とは異なり、1つの独立した層である。特に半導体の表面の場合、表面の下に広がる3次元固体部分(バルク)はバンドギャップを持つため、表面状態電子とバルク状態電子の相互作用は極めて少ない。そのため、表面を用いることにより純粋な2次元系の物理を知ることができる。また、表面上に様々な原子を吸着させることによって擬1次元的な表面を作ることもできる。実験的にも(1)固体の電子状態を探る光電子分光は本質的に表面敏感である(2)実空間を原子レベルで観測する手法である走査プローブ顕微鏡は表面の情報のみを与えるものである、の2点の理由から擬低次元3次元固体より厳密な議論が可能となる。さらに、従来表面系においては困難とされた電子輸送測定に関しても、当研究室において開発されたμ-4端子法によって可能となっている。従って、上記のような表面における低次元相転移現象は大きな注目を集めている。

本研究の目的は、このような性質を持つ表面という低次元系を用いた低次元物理現象の直接的な探求である。

系としては擬1次元金属系として知られるSi(111)-4×1-In表面、2次元金属系として知られるGe or Si(111)-√3×√3-Pb or Sn 表面を扱った。これらの系は、低温領域において特異な相転移現象を起こすことで知られており、それぞれの低温相である8×′2′相、3×3相はパイエルス転移に伴う電荷密度波(CDW)相の候補ではあるが、正確な要因は決定されていなかった。

そこで本研究では、まず、(1)これらの系の相転移の要因を決定すること(2)低次元系に固有のダイナミカルな諸現象を実際に観測することの2点を目指した。以下にその主な内容を述べる。

ステッピングモーター、光電子アナライザーを用いた自動フェルミ面マッピング装置の開発

低次元金属系の相転移を決定する最大の要因は、系のフェルミ面の形状である。そこで本研究では、ステッピングモーター、PCIカウンターボード等を利用した自動フェルミ面マッピング装置を作成した。そしてその性能は金属/半導体表面のプロトタイプとして知られるGe(111)表面上AgまたはAu蒸着√3×√3表面を用いて確認された。そしてこれらの系は自由電子的なフェルミ面を持つことを見いだした。

Si(111)-4×1-In表面の8×′2′相転移

Si(111)表面上に1原子層のInを蒸着、加熱再構成させると擬1次元金属表面である4×1系が作られる。この系は3つの1次元的な金属バンドを持ち、そのうち2つのフェルミ面は、×2周期に対応するよいnesting条件を満たすことが知られている。

本研究ではまず、高分解能角度分解光電子分光により室温及び低温における詳細なバンドマッピングを行った。その結果、低温において、nestingに寄与する金属バンドが明確にfold backすることがわかった。すなわち、この系の8×′2′相転移は、金属絶縁体転移であり、8×′2′相はCDW相であることが支持された。

次に、この8×′2′CDW系の詳細を実空間で観測するため、6Kにおける走査トンネル顕微鏡(STM)観察を行った。その結果、この系では、占有状態像と非占有状態像の対応が場所によって異なり、2通りに分類されることがわかった。この事実は、格子配置が電子分布を決定するという通常の表面では起こりえないことであり、まさしく8×′2′相がCDW相であることを意味する。×2周期を持つCDW相では格子と電荷のlockingの効果が大きく、格子の観測された占有・非占有状態像の2通りの対応は格子と電荷が2通りにlockingされるモデルで説明された。

さらにSTM観察から、一つの鎖の中で互いに逆位相のCDWの境界領域が6Kという極低温においても高速で動き回る様子がとらえられた。これは整合度2のCDW系で理論的に予測されていた高移動度ソリトンを実空間で初めて観測したものである。

GeまたはSi(111)表面上PbまたはSn蒸着α-√3×√3表面の3×3相転移

GeまたはSiの(111)表面上に1/3原子層のPbまたはSnを蒸着・加熱再構成させると2次元金属系であるα-√3×√3が作られる。これらの系はSn/Si系を除いて報告がある低温における3×3相転移に関連し、表面物理のコミュニティーで最も盛んに研究が行われている。すなわち、STMによる研究からは3×3低温相での占有・非占有状態の間で明暗の反転が報告され、電荷密度の秩序を伴ったCDW転移が示唆された一方、内殻準位光電子分光の研究からはSi(001)清浄表面上で見られるp(2×1)(室温)→c(4×2)(低温)相転移と同様の秩序無秩序型転移が示唆され、盛んに論争が繰り広げられてきた。

本研究では、まず、相転移に伴う系の電子状態変化に注目し、Pb/GeあるいはSn/Ge系を用いて室温から転移温度を挟んで低温まで、走査トンネル分光、及び、μ-4端子法による表面電気伝導度測定を行った。その結果、系は√3×√3室温相、3×3低温相の両方において金属的であることがわかった。この事実は金属絶縁体転移であるCDW転移モデルと矛盾する。

さらにこれらの系のフェルミ面を上述のマッピング装置を用いて探った。その結果、これらの表面のフェルミ面はわずかなnesting条件を満たすものの、そのnesting vectorは3×3周期のものからはずれていることがわかった。そして、フェルミ面は室温においても3×3周期を示すことが見いだされた。すなわち、これらの系の電子状態は室温においても本質的に3×3周期に従っていることがわかった。

以上の事実から、√3×√3→3×3相転移は、系の電子状態の本質的な3×3周期に伴う秩序無秩序型相転移であることが明確に示された。

ここで唯一の例外はSn/Si系である。本研究におけるフェルミ面マッピングでは電子状態はやはり3×3周期に従うことが示されたが、一方で6KまでのSTM観察では何らの相転移が観測されなかった。過去の内殻準位光電子分光研究と併せ、この系に関しては、√3×√3周期の格子の上を3×3周期の電荷が揺らぐ"valence charge fluctuation"モデルが支持された。

以上、本研究では、半導体表面上の1次元、2次元金属系を用いて、そこで発現する相転移と系の低次元性の関連を調べた。1次元金属系であるSi(111)-4×1-In系の相転移に関しては、低次元系固有のパイエルス転移であることが明確に示され、その素励起まで観測されたが、逆に、2次元金属系であるGe,Si(111)-√3×√3-Pb,Sn系の相転移についてはその可能性が否定された。

最後に、表面系における低次元相転移の発現について考えてみたい。本研究においては、Pb/Ge(111)表面上に上述の2次元金属系(α-√3×√3系)とは別の2次元金属系(β-√3×√3系)を作り、その電子状態も探った。その結果、この表面のフェルミ面はほぼ完全な正六角形の形状を示した。このようなフェルミ面を持つ2次元系は、通常のnearly free electronのモデルからは確実にパイエルス転移の発現が期待される。それにもかかわらず、極低温STM観察からは何らの相転移が観測されなかった。この系に限らず、Au/Si(553) 1次元金属表面で相転移が観測されないなど、表面では擬低次元3次元固体に比べ低次元相転移の報告は圧倒的に少ない。

その一つの可能性としては電荷−格子のlocking効果の影響が考えられる。この効果はnearly free electronモデルでLindhard応答関数を求める際のHamiltonianには含まれない。電荷密度波状態に至ったときの格子との整合性が悪いとき、そのエネルギー損失により相転移が妨げられる可能性がある。一方、擬低次元3次元固体においては、3次元的な広がりのため、電荷−電荷のlockingの効果が表面に比べ大きい。そのため、電荷−電荷のlocking効果が電荷−格子のlocking効果を打ち消し、表面に比べ低次元相転移が発現しやすいと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文で報告されている研究は、角度分解光電子分光測定(ARPES)と走査トンネル顕微鏡(STM)観察を用いて、金属が吸着したSi(111)およびGe(111)表面の構造相転移と表面電子状態の関係を明らかにしたものである。半導体表面に金属を1原子層程度吸着させ熱処理を行なうと表面に秩序構造ができ、それが金属的な表面電子状態をもつ場合があることが知られている。本研究で取り上げたSi(111)-4x1In、Si(111)-α√3x√3Sn(Pb)、およびGe(111)-α√3x√3Sn(Pb)表面も、そのような性質をもつ。このうち、Si(111)-α√3x√3Sn以外の表面では、試料を室温以下に冷却すると、Si(111)-8x2In、Si(111)-3x3Pb、およびGe(111)-3x3Sn(Pb)表面へと周期構造が変化する。これまで、これらの構造相転移が電荷密度波状態への相転移である可能性が指摘されてきた。本研究は、各構造において表面原子配列を観察し、フェルミ面近傍の電子状態を測定することにより、相転移の機構について議論したものである。

本論文は6章から構成されている。第1章は序論であり、固体表面における電荷密度波相転移に関して、これまでの研究の流れが簡単に紹介されたのち、本研究の目的が述べられている。第2章では、電荷密度波形成にとって重要である一次元および二次元金属のLindhard応答関数についてまとめられている。第3章では、本研究に用いたいくつかの実験研究手法が述べられている。特に、3.5では、本研究のために開発した角度分解光電子分光装置が詳細に記述されている。この新たな装置を用いてフェルミ面のマッピングをできるようにしたことが、第5章にまとめられている表面構造相転移に伴う電子状態変化を議論するために不可欠であった。第4章では、擬一次元表面電子状態をもつSi(111)-4x1In表面でのARPES測定とSTM観察の結果が示されている。この系では、150Kで4x1構造から4x2構造へ、120Kで4x2構造から8x2構造への転移が観測される。100Kにおける電子状態測定の結果は、室温で一次元方向に分散する3つの金属的なバンドのうち、フェルミ波数がブリュアン域境界値の半分であるバンドが、この波数で折り返し、エネルギーギャップが生じていることを示している。これは、8x2への構造転移を電荷密度波転移とするモデルを支持している。一方,6KにおけるSTM観察からは、試料バイアス依存性が異なる二種類の電荷分布があることが明らかとなった。また、二倍周期の電荷分布をもつ一次元鎖には位相境界の存在が確認され、その広がりと移動の観察結果を、整合度2の電荷密度波に予想されているソリトンの理論と比較した。第5章では、Si(Ge)(111)-α√3x√3Sn(Pb)表面のARPES測定、電気伝導測定、STM観察およびトンネル分光の結果が示されている。Si(Ge)(111)-α√3x√3PbとGe(111)-α√3x√3Sn表面は、室温でも3x3低温相でも共通して金属的であり、フェルミ面は3x3周期に従っていることが明らかとなった。このことから、観測された√3x√3から3x3への転移は電荷密度波転移ではないと結論し、秩序−無秩序転移である可能性を指摘した。残るSi(111)-α√3x√3Sn表面は6Kまで冷却しても3x3構造になることがない。しかし、ARPES測定により観測されたフェルミ面は室温でも3x3対称性を示すので、他の3種の表面と同じように秩序―無秩序転移があることを予想した。第6章は本研究のまとめにあてられている。

審査委員会は、これらの研究において超高真空中の実験が計画的かつ十分注意深く行なわれ、その解析及び考察が適切な手法でなされていると判断した。本論文によって、表面超構造相転移の機構を理解するために重要である電子状態の波数および空間依存性が明確となった。特に、Si(111)-4x1In表面低温相のフェルミエネルギーにおけるギャップ形成と電荷密度波の位相境界の運動、Si(Ge)(111)-α√3x√3Pb(Sn)表面におけるフェルミ面の3x3周期性が明らかになったことは、この分野の研究にとってたいへん大きな意義がある。これらの研究を基礎として、今後表面超構造相転移の研究がさらに発展していくと期待できる。

本研究は、長谷川助教授(指導教官)および松田助手との共同研究となる部分を含むが、著者が研究計画から実験及び解析・考察のすべての段階で主導的な役割を果たしており、主体的寄与があったものと判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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