学位論文要旨



No 216371
著者(漢字) 竹内,修一
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,シュウイチ
標題(和) 死刑囚たちの「歴史」 : 『反抗的人間』のコンテクスト
標題(洋)
報告番号 216371
報告番号 乙16371
学位授与日 2005.11.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16371号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田村,毅
 東京大学 教授 中地,義和
 東京大学 助教授 塚本,昌則
 東京大学 教授 平石,貴樹
 静岡県立大学 教授 稲田,明年
内容要旨 要旨を表示する

アルベール・カミュが1951年に発表した『反抗的人間』は、ルイ16世から20世紀の革命家ブハーリンに至るまで、多くの死刑囚の名をあげて近代史を辿ろうとする書物である。マルクス主義への批判を孕んだこの書物は、周知のように、カミュとサルトルとの名高い論争を惹起し、フランス知識人層に於いてカミュが発言力を低下させてゆくきっかけとなった。そのためであろうか、カミュが残した作品のうちで、このエッセイに関する研究が遅れていることは否定できない。だが、著者カミュ自身は、『反抗的人間』こそ彼の「もっとも重要な書物」であると明言していた。また自分の「経験」を下敷きとしてこの書物を書いたことを強調し、『反抗的人間』とは彼にとってひとつの「打ち明け話confidence」であり、そこで分析されているのは、みずからが生きた「矛盾」なのだとカミュは語っていた。このような証言に導かれて、本論文に於いてわれわれは『反抗的人間』のうちに、どのようにカミュそのひとの「経験」を読みとることができるかを探る。

『反抗的人間』が殺人を主題とする書物である以上、われわれは、直接的にであれ、間接的にであれ、カミュが遭遇した「殺人」をとりあげることになる。だが、そうした作業に着手するまえに、殺人者にして死刑囚ムルソーを主人公とする小説『異邦人』を通して、カミュの文学的・思想的出発点は如何なるものであったかを明らかにする。

第I章「不条理とアンディフェランス」では、『シーシュポスの神話』に於ける「不条理な推論」の結論である「明晰な視力をもった無関心」と『異邦人』との関係を探ることによって、カミュの思想的・文学的出発点を明らかにする。この章で問題とする「無関心=アンディフェランスindifference」とは「差異の否定in-difference」のことであり、これは心理的な水準ではなく、価値的な水準に位置付けられねばならない。たとえば、ムルソーの口癖「同じことだ」は、「愛」にせよ「友情」にせよ、異なった価値をもつはずの事柄を同じ水準に引き下ろす。われわれはこの「アンディフェランス」の思想史上の位置を確認したあと、それが『異邦人』に於いてどのように表明されているかを探る。そして、死刑宣告のあと、「恩赦(恩寵)」の可能性を斥け、均質な(無差異の)牢獄のなかにとどまることを決意する死刑囚ムルソーの姿こそ、カミュの「ゼロポイント」であることを示す。

第II章「不条理・殺人・レジスタンス」に於いては、ドイツ軍によるフランス占領下で『異邦人』を書き上げたあと、やがて対独レジスタンスに参加していったカミュの「経験」を『反抗的人間』のうちにどのように読むことができるか探る。第二次世界大戦中のカミュの魂の状態の貴重な記録として、『ドイツ人の友への手紙』が残されている。われわれは架空に想定された「ドイツ人」に宛てた四通の手紙を分析しながら、カミュは暗黙のうちに「不条理」の三部作へ参照を行いながら「敵」と戦う理由を模索していることを確認する。このことをふまえて『反抗的人間』を読めば、カミュそのひとの戦争中の経験が、このエッセイのなかにたしかに書き込まれてことを明らかにできる。まずヒトラーとムッソリーニの姿を、かつて『手紙』の宛名人であった「ドイツ人」の表象の延長線上に位置付けることができる。また「不条理」が要求する立場を乗り越えようとする『反抗的人間』序論のうちに、そして「ニーチェとニヒリズム」と題された章に於ける「ドイツ人」ニーチェに対する執拗な批判のなかに、カミュによる自己批判を読みとることができる。

第III章「正義と殺人」では、パリ解放のあと、『コンバ』紙編集長となったカミュと『フィガロ』紙に拠ったモーリヤックとのあいだで交わされた、対独協力者のエピュラシオン(粛正)をめぐる論争が『反抗的人間』にどのような影を投げかけているかを探る。1944年10月から翌年の1月にかけて行われたこの論争に於いて、カミュが「人間の正義」を掲げてコラボの迅速な処罰を主張し、一時的にではあれ、処刑さえ是認したのに対し、モーリヤックは「慈悲」を呼び掛け、粛正の行き過ぎに警鐘を鳴らした。のちにカミュは、公の場で、モーリヤックが正しかったと認めることになる。われわれの考えでは、『反抗的人間』の一応は客観的な体裁をとる歴史叙述のうちに、この論争の反響を見出すことができる。まず確認できるのは、フランス革命の若き革命家サン=ジュスト像に、かつてエピュラシオンを正当化したカミュ自身の姿が反映していることである。さらにカミュは近代史を「正義と恩寵」の闘争として捉えるのだが、こうした歴史の見方もまた、キリスト教徒モーリヤックとの論争の経験から導き出されたものであることをわれわれは示す。

第IV章「未来と殺人」では、1947年にモーリス・メルロ=ポンティが刊行した『ヒューマニズムとテロル』と『反抗的人間』の関係を問題とする。名高い革命家ブハーリンを被告としたモスクワ粛正裁判を、対独協力者のエピュラシオンの裁判と比べながら、「主観的潔白と客観的裏切のドラマ」として解読するメルロ=ポンティのエッセイは、カミュに対して強い印象を与えたことを『手帖』の記述からうかがうことができるからである。われわれは、『反抗的人間』第三部「歴史的反抗」の「全体性と裁判」に於いて、カミュがメルロ=ポンティによるブハーリン裁判の解釈に反駁していることを示す。そしてこの「全体性と裁判」が、「王殺し」以来カミュが辿る近代史の最終部に位置していることをふまえれば、『反抗的人間』の最終的な仮想敵がメルロ=ポンティであることを理解できる。またカミュ自身は、コミュニストの被告たちが公開裁判に於いて示した態度の起源を、18世紀にまでさかのぼり、ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』とルソーの思想を政治の舞台に上げた革命家サン=ジュストに見出していることを示す。

審査要旨 要旨を表示する

第2次世界大戦直後のフランス文学を代表する作家アルベール・カミュは、「不条理」の哲学を表現した小説『異邦人』(1942)と哲学的エッセー『シジフォスの神話』(1942)によって、文学思想界に多大な影響を与えた。理由なき殺人を犯して死刑の判決を受ける男を主人公にした『異邦人』以降も、カミュは死刑、テロリズム、粛清等の政治社会問題を考察しつづけ、1951年に『反抗的人間』を発表したが、戦後フランスにおける対独協力派の処刑、ソ連における反スターリン派の粛清という時代状況にあって、「犠牲者も否、死刑執行人も否」を掲げ、中庸を説くと見なされたカミュの主張は、多くの論争を惹起し、コミュニスムを信奉する文学者・思想家たちの反発と離反を招いた。以来、「反抗が人生に意味を与える」という命題のもとに、不条理に対する人間的反抗を政治・社会・歴史・文学の分野で幅広く論じた本書は、作家自身が「もっとも重要な書物」とみなしていたにもかかわらず、正面から論じられてこなかった。

本論文「死刑囚たちの「歴史」 -『反抗的人間』のコンテクスト」は、難解なこの書物に果敢に取り組み、カミュ自身が哲学歴史書としてではなく、ある特異な時代を生きた自らの経験と証言を書いたという創作の経緯をたどり、「死刑囚」の問題に焦点をあてつつ、同時代の政治社会および文学思想界の状況を復元し、作家の思想的輪郭とその変容の軌跡を明示しようとする野心的な試みである。第1章では『異邦人』を出発点とみなし、「不条理」「無関心」「死刑」等、カミュの重要な命題を剔抉し、人生および世界を「無価値」とみなす主人公に対して、裁判がいかなる名目で罪を創出し、差異化をはかり、死刑を宣告するかを、テクストに即して検討する。第2章では、自己の思想形成に影響を与えたニーチェ哲学とマルクス思想とを批判的に見直し、「不条理」から「反抗」の哲学へと転じる作家の思想的転換点を指摘する。第3章では、モーリアックとの論争を通じて、対独協力派の処刑に賛同した自己に対して懐疑と反省を抱いたカミュが、「エピュラシオン」すなわち異物を排除する思想と政治的メカニズムに関心を抱き、大革命におけるサン=ジュストの立場に着目しつつ、「正義と殺人」がいかに歴史的に実現されてきたかを検証し、「テロル」と「死刑」の意義を問い直す作家の思考過程を彫琢する。そして第4章では、同時代のスターリンによる粛清に関して、「ブハーリン裁判」を具体例にとりつつ、なぜ死刑囚たちが従容として自らの罪を認め、処刑台にのぼったかを考察するカミュの著作は、基本的にはメルロ・ポンティが『ヒューマニズムとテロル』(1947)で展開する、自らの死の意義を「未来」に見出す人間像に対する批判として立論されていることを、論者は指摘する。

本論文は、同時代の文学者・思想家たちとの論争に関する新聞雑誌記事や、カミュが参照したフランス大革命からスターリン粛清にいたる歴史書を渉猟しつつ、死刑と死刑囚に関するカミュの論考を軸に思想的軌跡を描いた、論者の長年の研究成果である。ただし、先行研究に乏しいとはいえ、カミュ研究史における『反抗的人間』の位置づけが本論文で明確に示されているとはいえない。また、作品研究としては「文学革命」についても十分に言及されず、カミュが結論で主張する「中庸」思想がいかなる歴史的意義をもつのか、等々、検討し残された課題も多い。とはいえ、これまで研究されることの少なかった『反抗的人間』におけるカミュの論考と証言とを、同時代の思想潮流との関連で明確にした本論文は、独創的かつ有意義な研究である。以上から審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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