学位論文要旨



No 216375
著者(漢字) 髙見,和孝
著者(英字)
著者(カナ) タカミ,カズタカ
標題(和) 肝細胞増殖因子、Interferon-γによるヒト気道上皮細胞の増殖制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 216375
報告番号 乙16375
学位授与日 2005.11.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16375号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 講師 吉田,晴彦
 東京大学 講師 大野,実
 東京大学 講師 大石,展也
内容要旨 要旨を表示する

気道上皮細胞は、細菌、ウイルス、タバコ、大気汚染物質などの外的な有害物質や好中球エラスターゼ、好酸球cationic proteinなどの内的因子に常時暴露されている。気道上皮細胞は、これらの外的、内的な有害因子により障害を受けており、気道上皮細胞の障害とそれに引き続く修復反応が、呼吸器疾患の発症、増悪に重要な役割を演じている。気道上皮細胞の増殖や、分化の調節の破綻は、気管支喘息、慢性閉塞性肺疾患などに見られる気道のリモデリングへとつながり、それゆえ気道上皮細胞の増殖調節の分子生物学的なメカニズムを明らかにすることは、重要であると思われる。実際、気管支喘息患者では、高率に気道上皮の剥離脱落などの障害とともに、杯細胞の増生が観察される。この気道上皮細胞の剥離脱落は、軽症安定期から認められ、気道の過敏性とも相関が指摘されている。気道上皮細胞の増殖は、気道、肺の恒常性の維持に必要不可欠であり、各種増殖因子や、サイトカインによって、正および負の増殖の調節を受けている。

慢性閉塞性肺疾患やびまん性汎細気管支炎の初期病態としては、直径2mm以下のいわゆるsmall airwayが重視されている。また、気管支喘息においても、その重症化、不可逆性の要因として末梢気道の障害が注目されている。従来、このsmall airwayの領域は手術、剖検肺でのみ検討する事が可能であった。近年田中らの開発した極細気管支鏡を用いて、直視下にこの領域から選択的にヒト末梢気道上皮細胞を採取する事が可能となった。極細気管支鏡を用いて採取された、ヒト末梢気道上皮細胞を用いて、気道上皮細胞の増殖機構を解明する事は、慢性閉塞性肺疾患、びまん性汎細気管支炎、気管支喘息などの末梢気道領域を障害する疾患の病態解明において重要であると考えられる。

肝細胞増殖因子(HGF)は、もともとラットの肝細胞の増殖因子として同定された。その後の研究により、いろいろな臓器において増殖、遊走、分化、器官形成など様々な生理活性をもつ多能性増殖因子であることが明らかとなった。HGFの受容体c-MetとHGFは、両者ともに肺において強く発現しており、HGFは気道上皮細胞の増殖において重要な役割を果たしている可能性が示唆される。実際、ラットの急性肺障害モデルにおいて、HGFが肺胞II型上皮細胞の増殖を促進し、組織の修復に関与すること、ブレオマイシンによる肺線維症モデルにおいて、肺胞II型上皮細胞の増殖を促進し、線維化を抑制することが報告されている。また肺線維症の患者、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の患者において、肺の線維芽細胞からのHGFの産制の減少が報告されており、HGFによる気道上皮細胞の増殖を含めた組織再生能の低下が、肺の破壊、リモデリングにつながっている可能性が示唆されている。このようにHGFは、肺においても組織再生において重要な役割を果たしており、ヒトの末梢気道上皮細胞の増殖に対するHGFの効果を見ることは、気道上皮細胞の剥離が見られる、気管支喘息、慢性閉塞性肺疾患などの病態解明に重要であると考えられる。Interferon-γ(IFN-γ)は、活性化T細胞、特にThlタイプのT細胞より産生されるサイトカインである。IFN-γは、気管支喘息を初めとする気道炎症にも重要な役割を果たしており、気管支喘息患者の気管支肺胞洗浄液中のIFN-γの増加も報告されている。以前我々は、IFN-γが、ヒト気道上皮細胞の増殖を抑制することを報告した。IFN-γの負の増殖シグナルは、損傷を受けた気道粘膜の修復過程において、過度の気道上皮細胞の増殖を抑え、適切な修復を行うことに重要な役割を果たしている可能性があり、そのメカニズムの解明は重要であると思われる。

この研究において我々は、極細気管支鏡を用いて採取されたヒト末梢気道上皮細胞を用いて、HGF及びIFN-γの気道上皮細胞の増殖に対する効果を検討した。さらに、ヒト気道上皮細胞株BEAS-2B細胞を用いて、HGFおよびIFN-γの増殖に対する作用の分子生物学的なメカニズムを検討した。

HGFは、極細気管支鏡を用いて採取されたヒト末梢気道上皮細胞の増殖を促進した。HGFは、血清の存在下においてのみ気道上皮細胞の増殖活性を示し、無血清下では、増殖活性を示さなかった。このHGFによるヒト末梢気道上皮細胞の増殖は、IFN-γにより抑制された。HGFの増殖促進およびIFN-γの増殖抑制効果は、ヒト気道上皮細胞株BEAS-2B細胞においても同様に観察された。HGFよるヒト気道上皮細胞の増殖効果のメカニズムを検討するため、増殖に重要な細胞内シグナル伝達物質であるextracellular signal-regulated kinases(ERK1/2)のリン酸化に対するHGFの効果を検討した。無血清下では、HGFは細胞の増殖活性は示さなかったが、興味深いことにERKのリン酸化は誘導した。さらに我々は、ERKの上流でERKをリン酸化するMEK1の特異的な阻害剤であるPD98059を用いて、HGFの気道上皮細胞増殖効果におけるERKの役割を検討した。PD98059は、HGFおよび血清刺激に対するERKのリン酸化も、細胞増殖もともに阻害した。さらにp38 mitogen-activated protein kinase(p38MAP kinase)、phosphatidyl inositol 3-kinase(PI 3-K)のヒト気道上皮細胞の増殖に対する役割を検討するために、同様に薬理的阻害実験を行った。p38 MAP kinaseの特異的阻害剤であるSB203580は、ERKのリン酸化にも細胞増殖にも共に影響を与えなかった。PI 3-K経路の特異的な阻害剤であるLY294002は、HGFおよび血清刺激に対するERKのリン酸化に影響を与えず、細胞増殖を部分的に阻害した。増殖すなわち細胞周期に対する直接の影響を見るため、G1期よりS期への移行に重要な役割をはたすG1 cyclinの一つであるcyclin D1(正の調節因子)およびp27kip1 cyclin-dependent kinase inhibitor(負の調節因子)の発現に対するHGFの効果を検討した。無血清下において、HGF刺激によりcyclin D1の発現は増強されたが、p27kip1 cyclin-dependent kinase inhibitorの発現の抑制は見られなかった。PD98059を用いて、HGFによるcyclin D1の発現に対するERKの役割を検討したが、PD98059はHGFによるcyclin D1の発現には影響を与えなかった。次に、HGFによる気道上皮細胞の増殖を、IFN-γが抑制するメカニズムを検討した。IFN-γは、HGFによるERKのリン酸化およびcyclin D1の発現に対しては影響を与えなかった。HGFと血清刺激により、p27kip1の発現は経時的に減弱したが、IFN-γを投与することによりp27kip1の発現は逆に増強することが観察された。これらの結果より以下のことが示された。ヒト気道上皮細胞の損傷からの修復過程において、HGFは正の増殖因子、IFN-γは負の増殖因子として、気道上皮細胞の増殖を制御している可能性が示唆された。HGFによるヒト気道上皮細胞の増殖作用に、ERKの活性化は、必要条件ではあるが十分条件ではないことがわかった。IFN-γは、HGFによる気道上皮細胞の増殖を抑制したが、そのメカニズムとして、p27kip1の発現の誘導が関与していることが示唆された。実際にin vivoにおいてヒト末梢気道のどの上皮細胞が増殖しているかを明らかにすることは、再生医療の観点から見ても興味深いことと思われる。またIFN-γがヒト気道上皮細胞のp27kip1の発現を調節するメカニズムについては、今後の課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、気管支喘息、慢性閉塞性肺疾患などの呼吸器疾患の病因、病態生理に重要な役割を演じていると考えられるヒト気道上皮細胞の増殖制御およびその分子生物学的なメカニズムを明らかにすることを目的としている。極細気管支鏡を用いて採取された実際のヒト末梢気道上皮細胞およびヒト気道上皮細胞株BEAS-2B細胞を用いて、多能性増殖因子として注目されている肝細胞増殖因子(HGF)およびInterferon-γ(IFN-γ)のヒト気道上皮細胞の増殖に対する影響およびその分子生物学的なメカニズムを検討しており、下記の結果を得ている。

HGFは、極細気管支鏡を用いて採取されたヒト末梢気道上皮細胞およびヒト気道上皮細胞株BEAS-2B細胞の増殖を促進した。このHGFによる増殖活性には血清の存在が必要であり、無血清下においてHGFは増殖活性を示さなかった。IFN-γは、HGFによるヒト気道上皮細胞の増殖を抑制することが示された。

増殖に重要なシグナル伝達物質であるextracellular signal-regulated kinases(ERK1/2)のリン酸化に対するHGFの効果をウエスタンプロットにて検討したところ、無血清下においてもHGFはERKのリン酸化を誘導することが示された。ERK経路の阻害剤PD98059を用いた薬理的阻害実験にて、PD98059はHGFおよび血清刺激に対するERKのリン酸化も細胞増殖もともに阻害することが示された。HGFによるヒト気道上皮細胞の増殖作用に、ERKの活性化は、必要条件ではあるが十分条件ではないと考えられた。

p38 mitogen-activated protein kinase(p38 MAP kinase)の特異的阻害剤SB203580は、ERKのリン酸化、細胞増殖ともに影響を与えず、phosphatidyl inositol 3-kinase(PI 3-K)経路の特異的な阻害剤LY294002は、HGFおよび血清刺激に対するERKのリン酸化に影響を与えず、細胞増殖を部分的に阻害することが示された。

細胞周期に対する影響を検討するため、cyclin D1およびp27kip1 cyclin-dependent kinase inhibitorの発現に対するHGFの影響をウエスタンプロットにて検討した。無血清下においてHGFは、cyclin D1の発現を増強したが、p27kip1の発現は抑制しないことが示された。

IFN-γは、HGFによるERKのリン酸化およびcyclin D1の発現に対しては影響を与えないことが示された。HGFと血清刺激により、p27kip1の発現は経時的に減弱することが観察されたが、IFN-γを投与することによりp27kip1の発現は逆に増強することが示された。HGFによる気道上皮細胞の増殖をIFN-γが抑制するメカニズムとして、p27kip1の発現の誘導が関与していると考えられた。

以上、本論文はHGFが正の増殖因子、IFN-γは負の増殖因子として、ヒト気道上皮細胞の増殖を制御していることを明らかにした。増殖制御のメカニズムを明らかにするため、細胞増殖に重要なMAP kinaseおよび細胞周期制御分子についても検討し、HGFの増殖作用にERKの活性化は必要条件ではあるが十分条件ではないこと、IFN-γの増殖抑制作用にp27kip1が重要であることを明らかにした。現在まで実際のヒト末梢気道上皮細胞を用いた増殖制御に関する研究はほとんど見られない。極細気管支鏡により採取が容易となったヒト末梢気道上皮細胞を用いて、気道上皮細胞の増殖機構を解明する事は、慢性閉塞性肺疾患、びまん性汎細気管支炎、気管支喘息などの末梢気道領域を障害する疾患の病態解明に重要な貢献をなし、また再生医療の観点からも興味深く、学位の授与に値するものと考えられる。

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