学位論文要旨



No 216376
著者(漢字) 松﨑,真樹
著者(英字)
著者(カナ) マツザキ,マサキ
標題(和) 音響刺激によりモルモットの頚部に誘発される電位に関する研究 : ヒト前庭性頚筋電位(VEMP)の動物モデルとしての視点から
標題(洋)
報告番号 216376
報告番号 乙16376
学位授与日 2005.11.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16376号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 郭,伸
 東京大学 助教授 森田,明夫
 東京大学 講師 大西,五三男
 東京大学 講師 伊藤,健
内容要旨 要旨を表示する

目的

近年新しい前庭機能検査として、音刺激によって誘発される前庭頚筋反射を胸鎖乳突筋の筋電図として測定する前庭性頚筋電位(Vestibular Evoked Myogenic Potential:VEMP)の有用性が提唱されている。VEMPはその起源として耳石器、特に球形嚢が提唱されており、耳石器〜下前庭神経の簡便な機能評価がこれまで困難であったことから、その可能性が注目されているが、正確な起源、経路についてはまだ議論の余地が残されている。動物において音刺激に対する誘発電位を頚部で測定できれば非常に有用であると考えられるが、確立された動物モデルは存在しない。

本研究では球形嚢の求心線維がクリック音刺激に反応することが報告されているモルモットを用い、音刺激に対して頚部に誘発される電位の測定を試みた。

実験

ヒトでVEMPを測定する場合には胸鎖乳突筋の持続的な収縮が不可欠であるが、全身麻酔下の動物モデルにおいては持続的な収縮を得るのは困難である。そこで前庭頚筋反射経路の中間過程、すなわち脊髄伝導路〜頚筋運動核の段階で誘発電位を測定すれば必ずしも頚筋の収縮は必要ないと考え、胸鎖乳突筋上ではなく脊髄により近傍の椎前筋上において測定を試みた。

実験1ではプライエル反射陽性で、前庭眼反射の存在を確認した4匹の雄のハートレー系白色モルモットを用い、全身麻酔下にまず蝸牛機能の基準としての聴性脳幹反応(Auditory Brainstem Response : ABR)を測定した。頚部正中に切開を加え、気管の後面に存在する椎前筋(longs colli muscle)を露出し、およそ第3頚椎のレベルで銀ボール電極を筋膜上に接着剤で固定して関電極とした。これに対し胸骨前筋群に銀ボール電極を接着剤で固定して不関電極とした。接地電極は耳介周囲の皮下に針電極を刺入した。刺激音はクリック音で、持続時間0.1ms、音圧105dBSPL、刺激頻度は5Hzとした誘発電位には2Q-2000Hzのフィルターをかけ、200回の記録を加算して平均化した。

結果として、まずABRの閾値は全例25dBSPL以下であった。椎前筋上ではクリック音刺激に対し、全例潜時6〜8msの再現性のある陰性波(Negative Potential:NP)を認めた。NPの頂点潜時は6.88±0.75、6.00-7.80(mean±SD、range)msであり、閾値はABR閾値上約90〜100dBSPLであった。NPの閾値が蝸牛由来の誘発電位よりはるかに高値であったという結果はヒトのVEMPの閾値と共通の特徴であった。

実験2では前庭頚筋反射の経路である脊髄(頚髄)硬膜外に電極を置いて誘発電位の測定を試みた。モルモット6匹を用い、今回は背面から皮切を加えて頚髄の硬膜を露出し、銀ボール電極をおよそ第3頚椎のレベルで硬膜外に固定して関電極とし、背部皮下脂肪組織に針電極を刺入して不関電極とした。接地電極は耳介周囲の皮下に針電極を刺入した。

結果、全例において脊髄硬膜外においても椎前筋上で測定されたNPと類似した波形の陰性波が再現性をもって確認され、頂点潜時は6.55±0.15、6.36-6.78(mean±SD、range)msであり、閾値はABR閾値上約90〜l00dBSPLであった。NPの頂点潜時は6〜8msであるが、立ち上がりは4〜5ms付近であり、モルモットの音刺激に対する誘発電位を前庭神経核レベルで測定した実験報告での潜時が1〜3msであったことからすると、脊髄レベルの潜時としては矛盾のないものと考えられた。以上より頚部誘発電位NPは内耳から脊髄を下降する電位であるという可能性が示唆された。

次の段階としてNPの起源を調べるため、実験3ではアミノグリコシド系抗生物質であるアミカシン投与による選択的蝸牛破壊モデルを作製して測定を行った。8匹のモルモットを用い、まず全例温度眼振の存在を定性的に確認した。硫酸アミカシン450mg/kg/dayを18日間筋肉注射した後、実験1、2と同様の刺激条件、解析方法で、椎前筋上(N=3)と脊髄硬膜外(N=5)とにおいて測定を行なった。

結果、アミカシン投与後全例においてプライエル反射は消失したが、前庭眼反射および温度眼振は保たれていた。一方ABR閾値は正常モルモットと比べ上昇が認められ、その平均は84±15dBSPL(mean±SD)であった。椎前筋上でも硬膜外でも全例において陰性波NPを認め、頂点潜時は椎前筋上7.02±0.69、6.24-7.56(mean±SD、range)ms、硬膜外7.09±0.43、6.54-7.68(mean±SD、range)msであった。アミカシン投与の効果を確認するため内耳組織標本を作製したが、アミカシン投与モルモットでは正常モルモットに比べ蝸牛有毛細胞の変性脱落が認められた一方、半規管膨大部稜および耳石器感覚上皮の有毛細胞は著変を認めなかった。こうした選択的蝸牛破壊モデルにおいてNPが椎前筋上と脊髄硬膜外の両者において測定されたことはNPが蝸牛以外に由来することを示唆する所見と考えられた。

実験4では補足としてアミノグリコシド系抗生物質であるゲンタマイシン投与による選択的前庭破壊モデルを作成して測定を行った。4匹のモルモットに対しゲンタシン90mg/kg/dayを20日間筋肉注射した後、椎前筋上において頚部誘発電位を測定した。

結果、ゲンタシン投与後全例において前庭眼反射および温度眼振が消失した一方、プライエル反射は保たれており、ABR閾値の平均は投与前後で変化を認めなかった。全例で椎前筋上における頚部誘発電位NPは測定されなかった。内耳組織標本では、ゲンタシン投与モルモットでは正常モルモットに比べ半規管膨大部稜、耳石器感覚上皮において細胞の変性および上皮層の厚みの減少が認められたが、蝸牛有毛細胞には著変を認めなかった。選択的前庭破壊モデルでNPが消失したという結果は、NPが前庭由来であるとする仮説を強く支持するものとなった。

最後に実験5では外科的に前庭神経を切断し、誘発電位NPの変化をABRの結果と比較した。 5匹のモルモットを用い、非処理側の影響を考慮して始めに外耳通経由で非刺激側の内耳を外科的に破壊した。ついで刺激耳の耳介付着部付近の頭蓋骨に開窓し、内耳神経が内耳道を出て頭蓋内に入る部分を露出した時点でまずABRの測定を行った。椎前筋上におけるNPの測定を行った後、まず前庭神経を内耳道の出口付近で切断した。切断後再度ABRおよびNPの測定を行った後、蝸牛神経も切断した。

内耳神経を露出した時点で測定されたNPの潜時は6.98±0.70、6.42-7.86(mean±SD、range)msであったが、選択的前庭神経切断後には全例消失した一方、ABRは保存されていた。最後に蝸牛神経を切断するとABRも消失した。前庭神経切断後にABRが保存されNPが消失したという結果は、蝸牛神経の機能が保存された一方、前庭神経を経由するNPに影響が生じたという可能性を強く示唆していた。

まとめ

モルモットの椎前筋上および脊髄硬膜外においてクリック音刺激に対し、頂点潜時6〜8msの再現性のある陰性波NPを認めた。

NPの閾値はABR閾値上約0〜100dBSPLであった。

アミカシン全身投与による選択的蝸牛破壊モデルにおける測定ではNPは正常モルモットと同様の潜時にて測定された一方、ゲンタシン全身投与による選択的前庭破壊モデルにではNPは測定されなかった。

選択的前庭神経切断によりNPは消失した。

結論

モルモットの頚部において強大なクリック音により誘発される陰性電位NPは、筋原性電位ではないがヒトのVEMPと共通の特徴を有しており、蝸牛ではなく前庭に由来する可能性が示唆された。頚部誘発電位NPはモルモットの前庭脊髄反射を反映するものと考えられ、ヒトのVEMPの動物モデルとしての有用性が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は耳石器〜下前庭神経の簡便な機能評価として有用性が提唱されている前庭性頚筋電位(Vestibular Evoked Myogenic Potential:VEMP)の動物モデルの作製を試みたものである。

VEMPは音刺激によって誘発される前庭頚筋反射を胸鎖乳突筋の筋電図として測定するもので、その起源として耳石器、特に球形嚢が提唱されているが、正確な起源、経路についてはまだ議論の余地が残されている。動物において音刺激に対する誘発電位を頚部で測定できれば非常に有用であると考えられるが、現在のところ確立された動物モデルは存在しない。

本研究では球形嚢の求心線維がクリック音刺激に反応することが報告されているモルモットを用い、音刺激に対して頚部に誘発される電位の測定を試みて以下の結果を得た。

モルモットの椎前筋上および脊髄硬膜外において、ヒトのVEMP測定時と同じ条件のクリック音刺激に対し、頂点潜時6〜8msの再現性のある陰性波(NP)を認めた。頚部誘発電位NPは内耳から脊髄を下降する電位であると考えられた。

NPの閾値は聴覚系誘発反応であるABR闘値上約90〜100dBSPLであり、これはヒトのVEMPの閾値と共通の特徴であった。

薬理学的選択的蝸牛破壊モデルにおける測定ではNPは正常モルモットと同様の潜時にて測定された一方、薬理学的選択的前庭破壊モデルにではNPは測定されなかった。この結果よりNPは蝸牛以外、すなわち前庭由来であると考えられた。

外科的選択的前庭神経切断によりNPは消失した。これはNPが前庭神経を経由するという可能性を強く示唆していた。

以上、モルモットの頚部において強大なクリック音により誘発される電位NPはモルモットの前庭脊髄反射を反映するものと考えられ、これまで確立されたものがないVEMPの動物モデルとしての有用性が期待される。本研究はヒトのVEMPの起源、経路の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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