学位論文要旨



No 216381
著者(漢字) 杉田,直彦
著者(英字) Sugita,Naohiko
著者(カナ) スギタ,ナオヒコ
標題(和) 人工関節置換術時の骨切削挙動に関する研究
標題(洋)
報告番号 216381
報告番号 乙16381
学位授与日 2005.11.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16381号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 光石,衛
 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 教授 中尾,政之
 東京大学 教授 柳本,潤
 東京大学 助教授 割澤,伸一
 大阪大学 教授 竹内,芳美
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、バイオメカニクスと機械工学の立場から骨切除加工にみられる諸問題を解明するとともに、これらの研究成果を将来「生体組織のナノマシニング」へ展開するための足がかりとするものである。そこで、生体組織や細胞への損傷回避、生体に対する低侵襲加工といった点に着目し、骨の組織構造と微小切削現象、実用的骨加工に関連したフライス加工特性、切削温度測定と骨細胞の熱損傷回避の三つの観点から、人工関節置換術に関わる骨加工の挙動を考察した。

まず、開発した骨切除加工装置の実働加工機能評価を行い、骨加工の基礎研究として解明すべき問題点を見出した。その結果、(1) 生体に対する負担軽減を実現するためには低切削抵抗でなければならないこと、(2) 骨の動的微小切削現象に対する骨材質や組織構造の影響の解明が必要であること、(3) 骨切削の実用化に関連した実験室的なフライス加工研究が必要であること、(4) 切削熱による骨細胞壊死を防止するために、切削温度の測定と加工雰囲気の冷却が必要であることなどを指摘した。

そこで、最初に骨の材質・組織と加工との関係を材料工学的に検討した。皮質骨の機械的性質は各種の強度測定から得られるが、硬度測定も材料特性を把握する重要な手段となる。とくに、骨のように組織特異性が顕著な場合、局部的な微視的特性を把握するには微小硬度測定が最も望ましい。そこで、組織と硬度分布の関係を検討したところ、オステオン組織の緻密な部分の硬度が高く、隣り合うオステオンの境界部を構成するセメント線近傍の硬度は比較的低くなった。一方、組織方向を考慮しながら微小硬度測定を行った結果、骨幹部の表層の骨軸に沿った面内で、骨軸に直角方向の硬度は骨軸に平行な方向の硬度の約1.5倍であった。この時、顕微鏡的な観点から、皮質骨組織を緻密質と多孔質に分類しても、この傾向は同じであったが、緻密質骨の硬度は多孔質骨の硬度よりも約30%高かった。これらのことから、オステオンの長手方向の引張強度および骨軸直角方向のせん断強度の高いことが推測でき、骨組織の機械的性質の異方性を予測した。また、皮質骨のせん断強度は、骨幹部切断面を半径方向にせん断すると、骨幹部表面を骨軸に平行および接線方向にせん断した場合の約2倍となることからも骨切削において異方性の存在が暗示された。

また、切削方向とともに、組織の配向性も切削に影響を及ぼす。それをまとめると次のようになる。多孔質の骨組織が切削方向に対して傾いている場合には、切削方向に対して鈍角の配向角をとる切削と、鋭角の配向角をとる切削形態が存在する。この時、鋭角の配向角をとる切削では、除去量が設定切込み以上になるために、仕上げ面も粗くなり、高い加工精度が期待できない。このことから、できるだけ鋭角の配向角をとる切削形態を避けるべきである。工具経路の都合上避けられないときには、一刃送り量を低減するとともに、切込み量も減ずる配慮が必要である。

以上のような骨の材質や組織と加工の関係を明らかにした後、光学顕微鏡および電子顕微鏡下で微小切削を行い、その挙動と切削特性を考察した。緻密質皮質骨の切削では、切り取り厚さが大きくなるにつれて、亀裂は工具刃先前下方に先行し、途中からせん断面もしくは表面に向きを変え、ブロック状の切りくずを排出する。この場合の切削抵抗は亀裂発生に応じて激しく変動する。一方、切り取り厚さが小さい間は、連続流れ型の切りくずを排出し、切削抵抗の変動はほとんどみられない。これらのことから、切り取り厚さをある値以下に設定すると切削形態が流れ型になることが示唆された。そこで、すくい角の大きな工具を用いて、切り取り厚さを5〜100 mにとり、緻密質皮質骨を切削したときの切りくず生成から、切りくず生成の流れ型と亀裂型の境界を検討した。その結果、切取り厚さ100 mの場合の切りくず生成は完全に亀裂型と判断されたが、30〜40 mの切取り厚さでは、切りくず生成がマクロには流れ型であっても、切りくずの中に亀裂が多数含まれることから考えて、流れ型切りくずと亀裂型切りくずの中間的な切りくず生成とみられた。また、切り取り厚さが5〜10 mでは、流れ型の切りくずになっていることが分かった。したがって、これらのことから、切りくず生成の流れ型と亀裂型の境界は約10 mの切取り厚さであろうと推測した。

次に、緻密質皮質骨の切削挙動に大きな影響を及ぼすものとして、一種の組織欠陥とみられるオステオン組織のセメント線やハバース管の存在がある。工具刃先がセメント線もしくはハバース管に近づくと、そのわずか手前で突然刃先からセメント線もしくはハバース管に向かって亀裂が走り、刃先近傍の被削材が一瞬激しく振動する。この状態は断続切削状態に類似している。さらには、皮質骨のオステオン構造から理解できるように、骨軸に沿った方向と直角方向とでは機械的性質が大きく異なり、組織の異方性として切削状態にも顕著な影響をもたらす。例えば、骨軸接線方向の切削では、オステオン組織の接線方向に切削するために、工具刃先前方のせん断面でせん断すべりとせん断破壊を生じやすく、切りくずの中に亀裂を生成することが多い。一方、骨軸平行方向の切削では、骨軸方向に伸びた層板のコラーゲン線維層を剥離しながら平行に切削するので、切りくず内に亀裂を発生することなく、薄い層板を剥ぐような切りくずを生成する。このとき刃先直前には常に小さな亀裂が前方へ連続的に発生している。これに対して、骨軸半径方向の切削では骨軸に直角な骨幹部断面を削るので、最もせん断強度の高い面の切削となり、他の二つの切削タイプに比べて大きな切削抵抗となる。その切りくず生成は断続的で、刃先に発生する前下方の亀裂と前上方に方向転換した亀裂によって切りくずを生成する。大きな切り取り厚さでは塑性的な変形挙動はほとんど観察されなかった。

以上のことから骨の材質・組織と切削形態の関係が明らかになったので、次に実用的な骨切除加工を実験室的に再現するためにエンドミル外周刃を用いたフライス加工を行い、骨組織構造と切削挙動および切削抵抗形の関係を求めた。その結果、以下のことが明らかとなった。(1)加工変質層の生成に関係して、塑性変形による影響の実験的検討を行った結果、背分力方向に20N以上の力が作用した場合、接線方向に10 m、骨軸方向に5 mの塑性変形を生じ、接線方向に200 m、骨軸方向に50 mの範囲に渡って歪みによる影響を受けた。(2)組織構造と切除メカニズムの関係を検討した結果、皮質骨では切削開始直後の切りくず厚さが小さいときには、連続流れ型の切りくずを生成したが、それ以上切取り厚さが増すと、切りくずや被削材内部へ亀裂が発生進行し、亀裂型切りくず生成に変化した。一方、豚海綿骨では、切削開始直後の切りくず厚さの小さいときには、骨梁の微細な破壊による粉末状の切りくずを排出したが、切取り厚さを増してくると、被削材内部で亀裂を発生し、その亀裂が被削材内部へ侵入して被削材が大きく抉り取られた。(3)組織の疎密と比切削抵抗との関係を求めると、皮質骨も海綿骨も密度と比切削抵抗は両対数グラフ上で良好な直線関係を示すことが分かった。(4)加工条件が切削抵抗におよぼす影響を検討した結果、切削速度が150 m/min以下では切削速度は切削抵抗にほとんど影響しなかった。また、一刃送り量が0.1 mm/tooth以下になると切削抵抗とその変動が減少して切削は急速に安定化した。以上の点を考慮し、安定した加工条件を採用することによって、生体に対する力学的侵襲を軽減することが可能になる。

最後に、生体組織の加工において重要なパラメータである熱損傷問題を考察した。生体である骨の細胞は切削熱によって壊死することが知られており、切削温度が50℃を超えると組織損傷が避けられないとされている。そこで、骨切除加工の実用域における加工条件と切削温度との関係を明らかにするとともに、加工環境の冷却効果を検討した。ここでは、切削直後の工具切れ刃の温度分布を赤外線熱画像装置で観測した。その一方で、内部の温度分布を試験片内に設置した熱電対で同時に測定し、この両者の比較から切削温度を推定した。その結果、上向き切削の切削温度は下向き切削の切削温度よりも高いが、切削速度の影響は少なく、7.85 m/minから157 m/minの間で温度上昇は約10℃であり、切削抵抗はほとんど変化しなかった。また、切削温度に対する1刃送り量の影響は、下向き切削ではほとんどないが、上向き切削ではその切削形態や上滑りによる摩擦のために温度上昇を招きやすい結果となった。以上の結果、加工条件が切削温度上昇に及ぼす影響はさほど大きくないが、切削温度そのものは、骨細胞に損傷を与える限度を超えることが予測された。そこで、切削環境を冷却したときの切削温度に対する冷却効果を検討したところ、工具と骨を同時に氷点下に冷却した場合、切削温度は室温にまで低下し、大きな冷却効果が認められた。

以上のように、本研究では、骨の材質・組織と微小切削現象の関係を明らかにするとともに、骨切除にフライス加工を適用する場合の加工特性と切削温度の影響を検討した。その結果、本研究は人工関節置換術における骨切除加工に有益な情報を提供するとともに、将来期待される生体組織のナノマシニングの基礎研究となる。

審査要旨 要旨を表示する

ナノバイオテクノロジーは現在の最先端技術分野であり、将来的にはライフサイエンスを中心とした高度な社会の形成に必須の要素技術となる。例えば、人工関節と骨組織の接合強度を最大にするような人工関節置換術の実現がナノ医療の一つの柱となる。これを実現するためには、材料工学とトライボロジの観点から、磨耗がなく半永久的に使用できる人工関節の開発とともに、再生医療工学の観点から、骨組織と人工関節を最大の強度で接合する骨加工法が課題となる。また、骨再生速度が最大になるような骨切除形状が望まれており、マクロな切削特性だけではなく、ミクロな切削特性を検討する必要がある。しかしながら、骨の加工現象は十分に明らかにされておらず、そのために、骨の組織構造と切除メカニズムの関係を明らかにすることが重要な研究課題となっている。

本研究は、将来のナノ医療における生体組織のマシニングへと展開するための基礎となるものであり、バイオメカニクスと機械工学の立場から骨切除加工にみられる諸問題を解明するものである。そこで、生体組織や細胞への損傷回避、生体に対する低侵襲加工といった点に着目し、骨の組織構造と微小切削現象、実用的骨加工に関連したフライス加工特性、切削温度測定と骨細胞の熱損傷回避の3つの観点から、人工関節置換術に関わる骨加工の切削現象が考察されている。

第1章では、序論として本研究の背景、従来の研究、目的を述べている。

第2章では、開発した人工関節置換術支援骨切除装置の実働機能評価と加工機能評価に基づいて、装置に必要な骨加工情報の検討項目を明確にしている。また、その検討項目に基づき、骨材質と加工の関係、切削挙動の解明など、本研究にて行う具体的な研究内容とその必要性について述べている。

第3章では、骨が工業材料とは異なり、特殊な材質と組織構造を有していることから、その組織構造と強度や硬度に代表される機械的性質との関係を明らかにしている。また、骨の組織構造を考慮したときに骨切除装置がどのような加工方法を選択すればよいかについての検討を行っている。

第4章では、骨の微小切削現象そのものを2次元切削において動的に捉え、切りくず生成形態を解析している。また、2次元微小切削における、いわゆる切削理論的な切削特性を明らかにすることによって、骨の被削性を論じている。骨組織は非常に複雑であり、骨の切削特性と密接な関係があると考えられる。そのために、骨の組織によって微視的にどのような切削の違いが見られるのか、あるいはまた、その切削メカニズムが被削性とどのような関係があるのかを明らかにして、その加工情報を骨切除装置にフィードバックすることを試みている。特に、骨切除装置で加工が困難とみられる皮質骨の切削形態を、2次元切削装置下で可視化するともに、微小切削域での切削機構を比切削抵抗とせん断応力から明らかにしている。

第5章では、骨切除装置と同様の骨のエンドミル加工を実験室的に行い、骨切削における加工変質層、組織構造と切除メカニズムの関係、組織の疎密と比切削抵抗との関係、加工条件が切削抵抗に及ぼす影響等を明らかにしている。

第6章では、骨の切削温度測定に際して、赤外線熱画像装置で切削直後の工具切れ刃温度を測定するとともに、被削材内部に設置した熱電対で内部の温度分布を測定している。このことによって、骨の切削温度の実態を明らかにするとともに、加工環境の冷却による切削熱の除去方法について提案をしている。

第7章では、将来展望および今後の研究課題として、骨組織の切除メカニズムに基づいて新たな加工法を提案し、骨再生効果を最大にするような生体組織のマシニング法を確立することで、人工関節と骨との接合を最大にする人工関節置換術を構築することを述べている。

第8章では、本研究の結論が述べられている。

以上を要するに、本研究では、骨の材質・組織と微小切削現象の関係を明らかにするとともに、骨切除にフライス加工を適用する場合の加工特性と切削温度の影響が検討されている。その結果、本研究は人工関節置換術における骨切除加工に有益な情報を提供するとともに、将来期待される生体組織のナノマシニングの基礎研究となる。

よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/40228